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6.ロジェ

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 多忙を極めるロジェを、いつ寝ているのだと心配する人は多いが、ロジェ自身は望んで宰相になったのだから、それを当然だと思っている。そもそも暇だったことがないので、忙しいという感覚すらないともいえる。

「奥様は百合の花を嬉しそうに眺めていらっしゃいました……」

 家令のアルバンは深夜に帰宅したロジェにクリスティーヌの報告をしながら言い淀んだ。
 ロジェが的確な言葉を求める性質のため、使用人たちは回りくどい言い方や濁した言い方をしない。

 特にアルバンはロジェの性格を知り尽くしているので、カヌレ伯爵家から連れてきた。
 その彼にしては珍しく逡巡しているようだった。

「なにか気になることが?」
「はい。やはり……お食事を共にできないことを寂しく思っていらっしゃるのではないかと。奥様は旦那様からのカードをお読みになられたあと、眉を下げていらしゃいました」
「そうか」

 結婚してひと月経つが、まだ一度しかクリスティーヌと食事をしていない。
 普通の女性なら冷遇されていると感じるだろう。

「奥様よりお返事をお預かりしております」

 手渡された手紙は、スズランの香りがした。
 クリスティーヌの実家が手がけている上品な香水の香りだ。

「もうお休みになられますか?」
「いや、酒を一杯」
「かしこまりました」

 アルバンはいつものように少量の酒をグラスについで部屋を出て行った。
 白地にうっすらピンク色の花模様が描かれた便箋を開く。
 そこにはロジェの体を心配する言葉と、結婚生活に対する感謝の言葉が綴られていた。

(食事のことには触れないか……)

 弱く幼げに見えるのは見た目だけだ。
 彼女は強い。
 たとえ寂しくとも、それを口にはしないだろう。
 本音を口にする女性ではない。

(王家の別邸の時もそうだったな)

 クリスティーヌは王家の別邸から離宮に帰ってきても、最後まで本当のことを語ることはなかった。

 医者しかいない部屋でも、ただ軽く拘束されただけだと言い張った。
 表向きはそういうこととして処理されたが、ロジェは彼女の身に起こったことの全てを知っている。

 あのとき、マノロ殿下にタルコット夫妻の嘘の閨事情を吹き込んだ影を締め上げ、マノロ殿下とクリスティーヌの閨で何があったかを詳細に吐かせたのは、騎士団の中でも諜報活動を担う第二隊、その隊長である兄のレイモンドだったからだ。
 詳細はロジェと、レイモンドしか知らない。

(貞操が守られたことだけは不幸中の幸いだろう)

 閨でのマノロ殿下の発言は酷いものであった。
 クリスティーヌは手酷く扱われる前に『小さい』と叫び、それ以上いたぶられることはなかったようだが、心身共に深い傷を負ったことに変わりはない。

 あの朝、ドレスのスカートに隠したクリスティーヌ手首を、見て見ない振りをするべきだったのだろう。
 後悔とは先に立たないものだ。

 隠したがっていることを暴くべきではない。

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