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しおりを挟む2回目の人生は、どうあがいても『悪女』という評判から逃れられなかった。
被害者のフリをしてレイを陥落させ、タルコット公爵家という後ろ盾を得て、なお一層、横暴なふるまいをしている悪女だと言われ続けた。
当然、社交は上手くいかず、孤立してしまったのだ。旧友はそんなクリスティーヌから少しずつ距離を開け、友達と呼べる人は、たった一人だけ。その彼女も多忙なため、もう何か月も会っていない。
そんな評判の悪いクリスティーヌが次期宰相とも言われるロジェに釣り合うはずもない。
足を引っ張る未来しか想像できない。
クリスティーヌの心の支えであったロジェのことを思えば、とてもじゃないが頷くことなどできなかった。
「では、その疲れが癒えるまで、私の実家で休まれてはいかがでしょう。両親の了承は得ています」
懇願するようなロジェの声に、首を振った。
ロジェどころかカヌレ伯爵夫妻にまで迷惑をかけるわけにはいかない。
「言い方を間違えました。お気持ちは大変嬉しいのですが、私はまだレイ様を愛しているのです。ですから、これから他の女性と睦まじくされるレイ様を……この先、どんな形でも、見たくはないのです」
顔を上げ、ロジェの目を見てしっかりと伝えた。
息を呑んだロジェが唇を噛みしめていた。
無表情と言われる彼にしては珍しいことだ。
「……そうですか。わかりました……ですが、ジョルダンは駄目です」
眉を寄せ、それだけは譲れないという。
ジョルダンでなければ、父に呼び戻され、今度はどんな相手と再婚させられるかわからない。
そう伝えれば、大きく首を振ったあと、最後は諦めたように頷いてくれた。
父の携わる事業は後ろ暗く、クリスティーヌはタルコット公爵家に嫁入りできるような身分ではなかった。
逆に言えばタルコット公爵家だからこそ、悪女と呼ばれるだけで済んでいたともいえる。
(レイ様にも迷惑ばかりおかけしてしまったわね)
レイには別れの挨拶をしないことで、今までの無礼を許してもらいたかった。
繊細なレイのことだ。顔を見れば罪悪感を感じてしまうだろうから。
何度か一緒に食事もしたし、夜会では必ずエスコートしてくれた。
顔を合わせるたび、何かを話そうと口を開き、言い淀む姿を多く見かけた。
暗い表情を取り繕う様は痛々しく、彼の心に影を落としているのは間違いなくクリスティーヌだったのだ。
クリスティーヌは、レイが偽装結婚を後悔していることに、薄々気付いていながら気付かないフリをしてきた。
(優しい人だった。私を虐げていた使用人をクビにしてくださったこともあった。食べ物に虫を入れたり、石鹸を入れたりする子だったから、食べ物への冒涜に思えて本当に嫌だったのよね……あのときは本当に助かったわ……それなのに私は、レイ様が後悔していることを知りながら、妻として居座ってしまった……私は、本物の悪女だったのよ……)
レイにはクリスティーヌを捨てたなどと思わず、幸せになって欲しい。
心からそう願う。
ロジェはクリスティーヌの決心が揺るがないことを確信したのか、書類を滑らせてクリスティーヌの前へ差し出した。
「では、こちらにサインをお願いします」
離婚届と書かれた書類にサインをする。
夫の欄は、空白だった。
「馬車まで送ります」
これで最後だからと自分に言い訳をして、送ってもらうことにした。
修道院で過ごす時間、この時のことを思いだすたびに幸せな気持ちになれるだろう。
馬車まで送ってくれたロジェに、お礼を言う。
何も話さない彼に、精一杯の笑顔を向けた。
「失礼」
気付けばロジェに抱きしめられていた。
息が止まりそうだった。
まるで愛しているかのような抱擁に胸がざわめく。
思わず抱きしめ返そうとしてしまう腕を、必死で堪えなければならなかった。
(ロジェ様……震えていらっしゃる?)
二度の人生で、誰かに抱きしめられたのは初めてだということに、馬車に乗り込んでから気付いた。
馬車に揺られながら、熱に浮かされたような心持ちで外の景色を見る。
朝焼けが眩しく、橋の下では水面がキラキラ反射していた。
「やっぱり……私は……死ぬのね……」
もうすぐ二十歳を迎える。
薄々感じていた、越えることのできない年齢が迫っている。
ただ、本当にまたこの時が訪れるのか――それはクリスティーヌにはわからないことだった。
だから、ジョルダンを選んでおいたのだ。
うっかり生き残って、ロジェの荷物にはなりたくなかったから。
橋台が崩れ、土砂と木材が水面に降り注ぐ。
傾き始めた馬車の中、そっと目を瞑った。
クリスティーヌは、落ちていく馬車と共に二周目の人生を終えたのであった。
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