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114.ミリア
しおりを挟むミリアのシモンへの気持ちは尊敬の念が強く、好きと声に出すにはあまりにも羨望が過ぎた。
ではなぜ好きな人だと公言し続けてきたかといえば、シモンの名前を出すと、皆が恋愛の話をミリアに振らなくなることを知っていたからだ。
歳上の既婚者、しかも上司。
タルコット公爵家で親しくなったメイドたちとの恋の話にミリアが参加しても、波風が立たない。
確かに素敵よねと微笑まれ、話が終わるのだ。
べイエレン公爵家のメイドとして働くようになってから、知り得たことがたくさんある。
その一つが、本当に好きな人の名前は出してはいけないというものだった。
昨日まで仲の良かったメイドたちが急に仲違いする多くの理由に、男性の取り合いがある。
誰それの好きな人が誰それに声をかけた、あの子が色目をつかったなど、あげればキリがない。
それだけ伴侶探しは女性たちにとって重要だからだろう。
思い人に見染められて結婚していく子もいれば、付き合っている女性のいる男性を略奪し、突然結婚して退職していく子もいた。
それを妬み、恨んでいた子もまた、別の誰かと男性の取り合いをして退職していった。
貴族子息に目をかけられ、他家に引き抜かれた子もいたが、その場合は大抵、その後の話を噂で聞く限り、いい話はなかった。
どんなに甘い言葉を囁かれたところで、貴族子息にとって、メイドは遊び相手なのだろう。
ミリアがわざと髪をひっ詰めるのも、化粧を野暮ったくするのも、全ては揉め事を回避するためだ。
没落寸前の貴族令嬢など、貴族に目を付けられたらどんな目に合うかもわからない。
使用人たちに目が行き届いているべイエレン公爵家にいても、その恐怖はミリアを緊張させた。
マイナが弟を援助してくれたことから、べイエレン公爵家とマイナへの忠誠心が増し、一生をマイナへ捧げると決め、タルコット公爵家に来た。
結婚に甘い夢など、みたことはない。
(それなのに、馬鹿なことを言ってしまったわ)
うっかりマイナに、エラルドへの気持ちを漏らしてしまった。
子どもを出産したマイナは、以前の可愛らしさに加え、公爵夫人の迫力が備わった。
出産以外にも何かがあったとしか思えないほどの迫力でありながら、口調は元の優しい話し方のため、うっかり口を滑らせてしまったのだ。
(エラルドさんからの告白を断って……傷ついた顔をさせてしまったのが辛くて……それを必死で振り払ったのに……こんな……こんな……)
ミリアは、エラルドと二人きりの馬車の中で身を縮めていた。
メイド長に使いを頼まれたので辻馬車を拾おうと屋敷を出たところで、レイからの言いつけで使いに出るエラルドと鉢合わせしてしまった。
行き先が同じだからと、公爵家の馬車に乗せてくれると言われ、断ることができずに乗ってしまった。
(こんなタイミング、偶然であるはずないもの)
マイナがエラルドとの接点を増やそうとしてくれたのだろう。
隣同士で座ったものの、間に人が入れそうなほど離れて座る。
馬車内でも、会話はない。
そもそもあの夜以来、目があっても軽く会釈する程度にしか交流していないのだ。
自業自得とはいえ、気まずくて仕方がなかった。
「誰の使い?」
不意に話しかけられた。
「メイド長です。ケン坊ちゃんの服が入荷済みなので取りに行って欲しいと」
「そう」
「あの、エラルドさんはどのような?」
「……似たようなもんかな」
「……そうですか」
食事に誘われていたころは自然と話せていたのに、今は何を話したらいいかわからない。
細身で少食に見えるのに、お肉を大口で齧り付くところなどは見ていて気持ちがよかった。
気取らない会話は肩の力を抜くことができたし、城であった面白い話を聞くのも好きだった。
お付き合いを断れば、その交流が絶たれることなどわかりきっていたというのに、胸が痛い。
(馬鹿よね。断ったのは自分なのに)
エラルドとの食事は、封印していた乙女心を掘り起こすには充分なほど楽しかった。
食事の後は出したお財布を引っ込めさせられ、帰りに髪飾りを買ってもらったり、お花やお菓子を買ってもらった。全てさり気なくて、エラルドはとてもスマートだった。
そんな経験は初めてのことだった。
あの日、父が強引に取り付けたお見合いは散々なものだった。
無表情な騎士に、貴族である父の圧力で、恋人がいるのにお見合いに来なくてはならなくなったのだと、遠回しに言われてしまったのだ。
騎士には先に店を出てもらった。
もちろんミリアから断ったと父には報告すると約束をして、食事代はミリアが全て支払った。
彼は出てきた料理に、一つも手を付けなかった。
そのせいで店の人にもたくさん残してしまったことを謝罪しなくてはならなかった。
せめて料理だけでも食べていってくれればまだよかったのだが……。
一人で食べられるところまで精一杯食べたが、全く味がしなかった。
ヒソヒソと、店員たちは聞こえよがしにミリアが振られたことを面白おかしく語っていた。
ダサい令嬢が、恋人のいる派手な騎士にこっぴどく振られた――と。
迷惑をかけたのだから仕方がない。
騎士の彼は被害者である。
そう思い、なんとか気持ちを誤魔化そうとしても、心は深く傷ついていた。
自分が情けなくて仕方がなかった。
エラルドがどれだけ紳士的に接してくれていたか、痛いほど思い知ったのだ。
その後の告白が、胸に響かないわけがない。
特に二度目の告白は、お願いしますと応えてしまいそうだった。
あとで泣いてしまったぐらい、嬉しかった。
(失ってから、それを惜しいと思ってはいけない……)
金木犀に到着し、馬車から降りたエラルドは流れるような仕草でミリアに手を差し伸べてくれた。こういうところが、素敵だと思う。
ミリアは唇を噛み締めながら、エラルドの手に自分の手を重ねて馬車から降りた。
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