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112.出産
しおりを挟む厨房を改装すると言い出したレイの説得にはとても骨がおれた。
弁当は無理でもおにぎりなら作れること、厨房の改装が終わるころには子どもが生まれてしまうこと、何より物が傷むのは怖いと説得し、ようやく諦めてくれた。
(私が趣味のお料理を作れないことを心配してくれてるのは嬉しいんだけどねぇ)
というわけで、目下『おからクッキー』を食堂で製作中だ。
妊婦に優しいというより、マイナにしてみるとダイエット食のイメージではあるが仕方がない。
他に思いつかなかった。
(おからが体にいいことは確かだし。この世界でも、豆腐よりは安いしね)
バアルやイーロがかわるがわるマイナに付き従い、おからと小麦粉、玉子や砂糖、塩の分量を少しずつ変えていき、厨房で焼いてもらう。
それを繰り返しながら、一番舌触りのいい分量を探っていく。
試作品作りに追われている間に、エレオノーラによる赤子の涎掛け刺繍会も行われた。
若いご婦人だけでなく、年配のご婦人も孫のためにと集まってくれた。
交流している間に、不安そうだった若い婦人たちの笑い声も聞こえる様になったのを見て、マイナの試作品作りにも自然と熱が入る。
サクサクのクッキーが焼けるようになったころ、エレオノーラが無事に出産した。
艶々の女の子で、エレオノーラそっくりだった。
義母もこの時ばかりは実家に戻り、エレオノーラを見舞った。
マイナも赤ちゃんを抱かせてもらったが、柔らかくて可愛くて、いい香りがした。
ちなみに義父は、戴冠式後は領地とタウンハウスを行き来している。
義母はマイナの出産を見届けてから領地に帰ることになっている。
ヘンリエッタ主催でマイナのおからのクッキーを披露するころには、マイナのお腹もパンパンであった。
毎日レイが、まだかまだかとソワソワする日々が続いたあと「明日はあなたのお父さまがお休みの日ですよ」とお腹に向かって話しかけた途端、陣痛が始まった。
レイが慌てふためいている中、冷静に産婆と医者を呼べと指示を出した。
ニコとミリアは夜通し湯を沸かし、マイナのベッドはいつ生まれてもいいようにシーツが敷き詰められた。
徐々に陣痛の感覚が狭まり、途切れ途切れになってゆく意識の合間に、ヴィヴィアン殿下とレイと戯れた日々の記憶が蘇ってきた。
(なぜ、今なのよ!?)
痛みに息を荒くしながら、マイナは目を見開くしかなかった。
閉じると二人との記憶がどんどん流れてくるのだ。
無事に終えるまでは、出産に意識を向けていなければいけない。
後で聞いた話では、このときのマイナの顔は相当怖かったらしい。
レイが少々怯えながら、それでもずっとマイナの手を握ってくれていた。
いざ産まれる、という瞬間だけは、さすがにレイには退出してもらったけれど。
産声をあげてくれた我が子の顔を見た瞬間、マイナは目を閉じた。
記憶の渦の濁流に呑まれ、意識が遠のく。
そうしてマイナが次に目覚めたとき、ようやく性別が男の子であったことを知ったのだ。
(よかった……)
マイナは務めを果たせたことに安堵していた。
考えないようにしていたが、やはりプレッシャーは感じていたのだ。
再びマイナの手を握ってくれていたレイが、子どもとマイナの無事を喜んでくれる。
お疲れさまと、頬を撫でる手が震えていた。
その手に自分の手を重ねながら、体を起こそうと身じろぎをすると、レイが反対の手で体を支えてくれた。
「レイさま、わたくしのこと、本当に大好きですよね?」
「もちろん」
「今のわたくしにはわかりますよ。レイさまが、ヴィヴィアン殿下の……陛下の付き添いだとか、お兄さまに会いに来たといいつつ、わたくしに会いに来てくださっていたことなど、全て」
「……それって」
「ええ、わたくし思い出しました。ハッキリと。以前のわたくしってば何をしていたのかしら。レイさまは必死で隠していましたけれど、丸わかりでした。だってわたくしの可笑しな発言をあんなにも面白がって、陛下が顔を引き攣らせるような料理でも、必ず一番に食べてくれて。しかも絶対に美味しいって言ってくださるんです。フィッシュバーガーを手づかみで食べたときなんて、本当に驚きました。お兄さまでさえ、最初は戸惑っていたというのに……わたくしはレイさまに、ずっと溺愛されていましたよね?」
以前のマイナは可笑しいぐらい鈍感だった。
いくら第六感を対価に差し出したからといって、あれはない。
そう思って笑っていたマイナにレイが抱き着く。
まるで、子どもが母親に甘えるような、そんな仕草にも見えた。
「記憶が欠けていても、何も損なうことはないと、自分に言い聞かせてきたけれど、欠けた記憶がどう作用するのかわからなくて、それは不安だった」
震えるレイの背を、マイナはゆっくり撫でた。
「よかった。マイナ、ありがとう。私たちの子を産んでくれて。マイナも無事でいてくれて。しかも記憶まで戻って」
「ご心配をおかけしました」
「本当に無事でよかった。こういうとき、男って本当に何もできないんだね」
「そんなことはありませんよ。傍にいてくれたので心強かったです」
マイナの言葉に照れたように笑うレイが、少し幼く見えた。
子供はどういうわけかマイナに似てしまい、レイそっくりの男の子というわけにはいかなかったが、健康そのものの、ぷっくりした可愛らしい子だ。
今はスヤスヤと、ベビーベッドでおとなしく寝ている。
「レイさま。思い出したついでにお願いがあるんですが」
「なに? 今ならなんでも聞くよ」
「そんなこと言って後悔しませんか?」
「絶対しない」
「それじゃあ」
マイナは、本来であれば通らないはずの願いを口にした。
レイは一瞬考えたあと、なんとかすると頷いた。
「無理のない程度に無理してくださいね」
「そういうの、なんかいいね」
「そうですか? 我がままじゃありません?」
「私はマイナに我がままを言われたかったみたいだ。以前のマイナは、もどかしいほど遠慮がちだったからね」
そう言って笑ったレイは、マイナを慈しむように口づけた。
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