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108.覚悟の夜
しおりを挟む食べては吐くという日々を繰り返したあと、今度は食べては寝るという日々になった。
自分の体がままならない。
気がつけばウトウトしてしまい、そのうちに夜を迎え、レイや義父母と晩餐を終えればまた眠ってしまう。
心配したレイが医者を呼んだが、そういう人も多く、心配はいらないと慰められた。
だがしかし。
マイナは前世で子を産んでいないとはいえ、少しばかり知識があった。
太り過ぎはよくないとか、安定期に入ったら散歩ぐらいはよいとか、その程度のものだが。
「レイさま、戴冠式が終わったら、ピクニックへ行きたいです」
「いいね。私もゆっくりしたいし。今はどこへも連れて行ってあげれなくてごめんね。料理も禁止にしてしまったから、つまらないよね?」
「そんなことないです。厨房は冷えるし、わたくしが夢中になると無理をするから駄目だという意味ですよね? やろうと思えば部屋で座りながらクッキーの型抜きぐらいだったらできますし……そういうのではなくてですね。寝てばかりでは太ってしまうので少し歩きたいのです」
ついついわき腹を押さえてしまうマイナである。
それを見たレイが安心させるように肩を撫でながら優しく微笑んだ。
「子が育っているのだから当たり前だよ。むしろ今までずっと吐いていたのだから、少しは太ってくれないと困るよ」
「それはそうなんですけど、違うんです。実はですね、前世のふわっとした知識の中で、歩いたりしていないと難産になるというのがありまして。この世界ではあまり一般的ではないかもしれないんですけれど、あまり太るのもよくないらしいのです」
「なるほど?」
「ピクニックはすぐにじゃなくていいんです。今は眠くて仕方がないですし」
「わかった。戴冠式が終わらないことには私も休みが取れないしね。しばらくは庭を散歩するだけでもいい?」
「もちろんです」
「じゃあ、さっそく少し歩こうか?」
頷くと、ニコが手早く髪とドレスを整えてくれた。
ボルナトが仕入れてくれた踵の低い靴を履く。
前世ではバレエシューズと呼ばれていたようなタイプの靴だ。
甲の部分にリボンが付いていて可愛い。
フワフワの絨毯に足を降ろしてレイの腕に手を乗せた。
「ヴィヴィアン殿下の婚約者さまは、どんな方でしたか?」
歩きながら、ずっと気になっていたことを聞いた。
「うん、そうだね……マイナのお祖父さまとはあまり似ていなかったよ。可愛らしい感じの王女さまだったね」
先日から王女はベツォ国を訪問している。
婚約記念で発売された二人の絵姿は購入したが、実物はどんな方なのだろうと胸が躍った。
「絵姿では黒髪に碧眼でしたね」
「お顔立ちもお色も、ほぼ絵姿通りだったよ」
「そうですか」
誇張して描かれることのある絵姿をそのまま信用することはできないのだが、今回は似ているらしい。
マノロ殿下なんかは全く別人に描かれていたものだが、ヴィヴィアン殿下も王女殿下も、変える必要のない美しい容姿だからだろう。
王女殿下のぱっちりした瞳は少し祖父に似ていなくもないと絵姿を眺めながら思っていたのだが……。
(金髪碧眼の小さいおじいちゃん、めちゃくちゃ可愛かったんだよねぇ)
似ていないことを少し残念に思ってしまう。
「ただ、少し幼い感じはしたかな?」
「わたくしも幼妻ですわ」
「もう少ししたら十七歳でしょ?」
「十六と十七は、あまり大差ないように思えますね」
思わずマイナが笑うと、レイは片眉をあげていた。
口にはしないが異議はあるらしい。
この世界での成人年齢の十六歳は、前世の二十歳より大人びているとは思うが。
「結婚したばかりのころは、自分の見た目や年齢の幼さを申し訳なく思っていたんですけれど」
中身は二十五歳の記憶があるので、自分が十六歳だということに対する引け目が強くあった。
レイが既に公爵を継いでおり、とても艶めいた大人であったことも大きい。
「レイさまと不釣り合いだと思い込んでおりました」
なぜ自分を選んでくれたのかを考える度、都合がよかったとか、同情だったとか、そんなことばかりが頭に浮かんでいた。
レイは庭園の四阿に着くと、マイナをソファーに座らせた。
この場所は、鈍感だったマイナがようやくレイへの気持ちを自覚し、告白した場所である。
「今でもそんな風に思うの?」
レイが琥珀色の瞳をマイナに向けて聞いてくる。
レイの美しい瞳がとても好きだ。
レイの好きなところを上げると、容姿だけかと嘆かれるのだが、好きなものは好きなのだから仕方がない。
「全く思いません。今はレイさまがわたくしのことを選んでくださったことが誇らしいです」
何を対価にヴィヴィアン殿下を救ったのかは、まだ思い出せない。
欠けた記憶は、マイナの中にぽっかりと、空に浮かぶ雲のようにいつも心の中を漂っている。
「記憶を失ったり得たり、感覚が戻ったり、祖父に再会したり……その度に揺れ動くわたくしを、変わらず愛して下さるレイさまが愛しくてたまりません」
静かにマイナの言葉を受け入れるレイは、長い指でマイナの頬にかかる髪をよけてくれた。
その手をそっと握った。
「ですからわたくしは、何度でもレイさまに恋をするのですわ。きっと、これから先も、何かあるときも、ないときも、ずっと」
マイナは両手を伸ばしてレイの首に抱きついた。
もうすぐ気温がぐっと下がり、夜が更けることだろう。
ここ最近のマイナであれば、すでに夢の中という時間だ。
「レイさま。愛してます」
子どもが男子であれば、帝王学を学ばせなくてはならない。
そしていつか、手放さなければならない未来が訪れるかもしれない。
ヴィヴィアン殿下の元に、男子が生まれなかった場合の未来である。
(強くならなければ)
ヴィヴィアン殿下の母、ソフィアがそうであったように。
ヘンリエッタがそうであったように。
王家に関わる者の宿命だ。
けれど。
それはマイナが一人で立ち向かうものではない。
マイナにはレイがいる。
義父母も両親もいる。
それはとても幸せなことだ。
拙い言葉を紡ぎ、今の気持ちを伝えるマイナを、レイは眩しそうな顔をして見つめた。
マイナが、本当の意味で、親になる覚悟を決めた夜だった。
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