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102.あんぱん
しおりを挟むマイナは一人、遅い朝食をとっていた。
この生活も五日目である。
その間に『金木犀』が開店した。
基本的にボルナトしか店舗に立つことはない。
貴族向けのお店ではないので、マイナが宣伝することもなければ、派手にオープニングセレモニーを行うこともなかった。
むしろ街に溶け込ませたい。
そんな願いもあり、しばらくは立ち寄らないつもりだ。
普段から訪れる時は家紋入りの馬車ではなくお忍び用にしている。
よって、朝寝坊だろうと何ら問題はない。
毎日ヨアンに偵察に行ってもらっているので様子はわかる。
それほど売れてはいないが、珍しいお店に興味を持つ人は多いとのことだった。
「蜜月は終わったはずなのに、レイさまってばどうしちゃったのかしら」
艶めかしい溜息をついている自覚はあるが自室なので許して欲しい。
マイナが起き上がれず、一緒に朝食を食べれないのに、レイは毎日嬉しそうに登城していくようだ。
もはやお見送りなどできようもないが、部屋に来るメイドたちが口々に教えてくれる。
「ニコは嬉しそうね?」
「もちろんでございます。主が寵愛されて喜ばない侍女はおりません」
「あらそう……ところで、あなたたちも結婚したのよね!?」
「はい。二日ほど前に」
「なぜそんなに元気なのよ?」
「使用人として業務に響くような行為は避けておりますので」
「え、そうなの?」
ヨアンは店舗のほうへ出向いており、今はニコしかいない。
ミリアは休憩中で、カールはめずらしく学園へ行ったとのこと。
今は二人きりなので込み入った話ができる。
それにしても、業務に響く行為を避けているとは一体どういうことだろう。
(夫婦とは!? まさかニコはまだ……?)
だとすれば由々しき事態である。
マイナはニコに幸せになって欲しいのだ。
もちろんヨアンにも。
「二人には少し長めのお休みを取ってもらおうかしら……」
「やめてください! マイナさまが公爵夫人としての勤めを果たされようと努力なさっている大切な時期に休みたくないのです!!」
「でも、わたくしはニコが幸せなところが見たいのよ?」
「私は今、とても幸せです。マイナさまのお傍にいられる上に、ヨアンとも……その……夫婦として過ごせておりますから」
「あらあら、あらそう、そうなの? レイさまが夫婦用の使用人部屋に移るように言ったにもかかわらず、相変わらず部屋も移動しないから、心配していたのだけれど」
マイナが隣の部屋にいては落ち着かないだろうと思ったのだ。
「ヨアンはとても荷物が少ないですし、今はとりあえず私の部屋に来てもらっています。旦那さまがベッドをもう一つ運び込む手配をしてくださったので、それも明日には届くと言われていますから」
「知らなかったわ……」
「金木犀の開店やお料理など、マイナさまは忙しくなさっておいででしたから」
「忙しいなんて、そんなことないわ。金木犀はボルナトに任せきりだし、お料理は趣味だし、暇なのよ。ただ朝は体が動かないだけで」
「今は、お世継ぎを身籠られるかどうかという大切な時期です。決して暇などではありません」
「うーん。そうね。わたくしが今一番取り組むべきことが子作りであることは確かだわ……」
(ただ、やっぱりレイさまは……ヤンデレ? 閨がしつこいことをヤンデレと呼ぶの? 前世の知識があってもよくわからないわね)
なぜか目をそらした義母の顔が浮かぶ。
義父もしつこいと言っていた。
血は争えないのか。
というか、レイは確固たる意志をもってマイナの朝食を妨害しているような気さえする。
「大奥さまも、ここ三日ほど朝食の席にお見えになっておりません」
「そう……」
そんな情報は要らないと言いたいところだが、実は重要だ。
義母はエレオノーラさまに贈り物をしたいと言っていた。
グートハイル侯爵家は義母の実家であるため、訪問したいとも。
お手紙の返事にはいつでもお越しくださいと書いてあったと聞いたが。
その話をしたのが三日前のアフタヌーンティーのときで、その後から義母もしつこくされているということは……。
「お義母さまも予定が有耶無耶になっているのかしら?」
昨日は昼食にも現れなかったのだ。
「はい……あの、これはゾラ先輩にこっそりお聞きした話なのですが……」
ニコはマイナの傍に来て小声で話した。
「どうやら大旦那さまは、大奥さまがご実家に帰られるのを嫌がるのだとか」
「なぜ」
「そこまでは教えては頂けませんでした」
「そう」
何かあるのだろう。
義父が駄目だというのなら義母が実家に赴くのは難しいだろう。
「残念だけど、わたくしだけで訪問し、お義母さまからの贈り物をお届けしたほうがいいかもしれないわね」
(待てよ? 確かゾラが案を練ったグートハイル侯爵家での茶会の後、すぐにお義父さまがお義母さまを迎えに来たのは、そういうこと!? お義母さまのご実家には、会わせたくない誰かがいるということか?)
「もしかして、お義父さまこそ、ヤンデレ……?」
「やんでれとは何でしょうか?」
「わたくしも最近、よくわからなくなっているのだけれど」
「左様でございますか」
「微かにわかるのは、妻や恋人を必要以上に閉じ込めるような、独占欲が強すぎる方?」
「なるほど」
「ヨアンは心配いらなそうね」
「そうですね!」
「ずいぶん嬉しそうね」
「あっ……いえ……はい……一瞬喜んだのですが、今、気付いてしまいました」
「なぁに?」
「ヨアンは単に、私を泳がせても捕まえる自信があるだけかと」
「なるほど!!」
ヨアンだけはヤンデレから外れているかと思って少々ガッカリしていたマイナだが、ニコも仲間かもしれないと思えば心強かった。
ヨアンはむしろ、地の果てまで追って来るタイプだ。
(そう考えるとレイさまはヤンデレではないかもしれないわ! 単に夜が少々お強いだけ! 今までのマイナが鈍感すぎて全然できなかったから、それもきっと、今だけ!!)
「なんか悔しいです」
「まぁまぁ、ヨアンに掴まったのが運の尽きね?」
「さっきまではマイナさまのほうが不安そうな顔をなさっていたのに、俄然、私のほうが不安な感じに!!」
「逃げる予定もないのでしょう? それならいいじゃない」
「急に余裕が出ましたね!?」
「人って、自分より余裕のない人を見ると逆に落ち着いたりするものなのよ」
「キィィィィィィィ!!」
「どうどうどう、ニコ、落ち着いて。さぁ、これでも食べなさい」
イーロ特製あんぱんをニコに手渡した。
イーロはこの五日の間に、餡子作りの腕を上げた。
一昨日、パンの中に餡子を入れて焼くように提案してみた結果、この特製あんぱんが仕上がったというわけである。
ふかふかのウマウマである。
そして今朝、このイーロ特製あんぱんは義父に出され、見事義父の心を射止めたとニコに聞いた。
このあんぱんは、マイナに執着する義父対策になるかもしれない。
不安に怯えるニコを眺めながら、イーロを領地に派遣し、餡子を伝授して帰って来てもらうという計画を考え始めるマイナであった。
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