【完結】なんちゃって幼妻は夫の溺愛に気付かない?

佐倉えび

文字の大きさ
上 下
97 / 125

97.餡子

しおりを挟む


(朝からマイナがうるさい……)

 フィルは厨房を覗き込み、溜息を吐いた。
 いつになったらしおらしくなるのか。
 つい最近、フィルの部屋で溜息を吐いていたマイナはどこへ行った?
 静かになったかと思えばもうこれだ。

「また実家なんか来て、何を騒いでいる? レイは知ってるんだろうな?」

「もちろんですわ。何を寝ぼけたことを」

「今日は何用だ?」

「餡子です」

「餡子か」

「ドルーからイーロに伝授してもらうんです」

「へー」

 厨房内では、体の大きな男が体を丸めて我が家のシェフ、ドルーの手元を食い入るように見つめている。

(あれがイーロか)

「タルコット公爵家でも、どら焼き人気が凄まじくて。なので、我が家でも作れるようにと思い、イーロを連れて来たのですわ。作れるようになっても、餡子を領地に運ぶのは無理なんですが……」

「あぁ、そういや昔、時間が経った餡子を食べた皿洗いが腹を下して大変だったなぁ」

「そうなんです。あれを見てしまうと怖くて、お土産として持たせるのは無理ですね。この世界、保存料とかないから」

「ホゾンリョウねぇ」

 前世の言葉が出てくるのはいつものことだが、マイナは口調が少し変わった。
 何かあったらしいが、父は詳しく教えてはくれなかった。
 けれども、以前のような、どことなく違う世界を見つめているような表情がなくなったような気がする。

(レイともうまいくいってるみたいだし、よかったな)

「それはそうとお兄さま、ご結婚が内定したそうですね。おめでとうございます」

「それを先に言おうな?」

「そうですね。失礼いたしました。ヘンリエッタさまがお義姉さまになるだなんて……素敵」

「素敵? そうだろう。そうだろう。存分に敬え」

「ええ、お義姉さまを敬いますわ!!」

「素直か! そこはお兄さまも、と言っておくべきだぞ」

「ええ、まあ、一応お兄さまも」

「一応かよ」

 雑な会話を続けながらも、頭の中は菫色の髪の美しいヘンリエッタでいっぱいだった。

(マノロ殿下に酷い仕打ちを受けたと聞いていたから、どう接していこうか悩んでいたけれど……何もなくて本当によかった)

 昨日は、一年間は子をもうけるつもりがないというヘンリエッタの言葉に動揺して醜態をさらしてしまったが、その後、息を吹きかえしたフィルはすぐに同意した。
 子どもの未来がかかっているからだ。
 少しの不安も残したくない。

 ヘンリエッタが今までどれほど心を殺して生きてきたか。
 彼女にはまず、休息が必要だ。

(温かい食事をとって、我が家に馴染んでくれたら)

「お兄さま」

「ん?」

「ヘンリエッタさまのこと、ずっとお好きだったのですよね?」

「あぁ」

「……それは……とても素敵ですね」

「そうか?」

 なんだそのキラキラした顔は。

「お兄さまにもそんな一面があったのかと思うと感慨深いです」

「そこはかとなく失礼だな?」

「あの、わたくし今度お店を出しますでしょう?」

「聞いてるか?」

「そこで赤ちゃんの服なども取り扱う予定ですの。お兄さまからのご注文、お待ちしておりますわ」

「話を聞かない上に、ちゃっかりしてる!!」

 マイナはマイナだった。
 そのほうが安心するけれど。

「わたくし、ちょっと思うのですれど」

「うん?」

「しばらくは、お兄さまが口にしたものを、そのまま小鳥さんみたいに、お口に持っていって差し上げたらどうかと」

「人が咀嚼したものなんて嫌じゃないか?」

 素直にそう呟くと、マイナは馬鹿にした顔をしてフィルを罵った。

「もちろん、新しく掬って、ヘンリエッタさまのお口にアーンですわ!!」

「それって同じスプーンで?」

「当たり前です!!」

「そういうの、女性には嫌がられないか?」

 マイナは「ハーーー」という大げさな溜息を吐いてフィルを睨んだ。
 後ろに立っていたニコがフィルを見て噴き出す。
 失礼だな、と思っていたら、さらに後ろにいたヨアンまで笑いを堪えているではないか。ちょっと馬鹿にした顔をして。なんなんだこいつらは。

「わかりませんか? 愛情表現ですわ。ごく自然に、この食べ物は安全ですよと示せますでしょう? こちらに来てまで毒見役を置くつもりですか? あの美しいヘンリエッタさまに、ぐちゃぐちゃの冷めたお料理を食べさせるつもりですの!?」

「普通にひと口食べてあげて、そのあとは好きに食べてもらったほうがよくないか?」

「政略結婚ならそれでいいですわ。でも、お互いお好きだったのでしょう!?」

(なんだ、レイに全部聞いたのか)

 ヘンリエッタと手紙をやり取りしている間に、相思相愛だったことがわかった。

 ヘンリエッタとは幼い頃から会うことが多く、私たちは初めから気が合った。
 厳格な家で育ったヘンリエッタと、緩い家で育ったフィル。
 お互いの話す会話の内容が刺激的だった。
 フィルが少々いい加減だったのもよかったらしい。

 そのうち本の趣味が合うことがわかり、度々王宮の図書館で待ち合わせをして、お互いに本を勧めるなどの交流を深めた。
 幼ないながらも、デートのようなものだったと思う。
 ヘンリエッタがマノロ殿下の婚約者に決定するまで、それは続いた。

 大人になってもそのことが、お互いにとても大切な思い出となっていた。

「会えない期間が長く、ようやく結ばれるというのに、遠慮なんて要らないんですわ」

 マイナは手を握り締めて力説している。
 真っ赤になっているから、自分でも言ってて恥ずかしいのだろう。

「わかったわかった。そんな真っ赤になって言うほど、お前が幸せなんだなってことはわかった」

「そうじゃない!!」

「いや、普通に恥ずかしいだろ?」

「愛はねっちょり囁くくせに!!」

「ねっちょりって、レイはどこまでお前に話したんだよ!?」

「昨日のことなら全部聞きましたわ!!」

「なんだと!?」

「お兄さまの意気地なし!! 愛は囁いても、お口にアーンすらできないなんて!!」

「おまっ」

「お父さまやお母さまが見ていようとも、口づけやアーンを堂々とするぐらいの気概をもって欲しいですわ!!」

 とうとうマイナの顔は茹でタコになった。
 そんなマイナをニコやヨアンだけではなく、少し離れた場所にいたイーロまで微笑ましいという顔をして見ていた。

「なるほどなるほど。レイとはそうやってイチャイチャしてるんだな? よかったな?」

 喚くマイナの頭を撫でながら、ちゃっかり仕返しをするフィルであった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?

氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。 しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。 夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。 小説家なろうにも投稿中

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。

112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。 愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。 実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。 アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。 「私に娼館を紹介してください」 娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──

【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない

曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが── 「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」 戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。 そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……? ──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。 ★小説家になろうさまでも公開中

望まれない結婚〜相手は前妻を忘れられない初恋の人でした

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【忘れるな、憎い君と結婚するのは亡き妻の遺言だということを】 男爵家令嬢、ジェニファーは薄幸な少女だった。両親を早くに亡くし、意地悪な叔母と叔父に育てられた彼女には忘れられない初恋があった。それは少女時代、病弱な従姉妹の話し相手として滞在した避暑地で偶然出会った少年。年が近かった2人は頻繁に会っては楽しい日々を過ごしているうちに、ジェニファーは少年に好意を抱くようになっていった。 少年に恋したジェニファーは今の生活が長く続くことを祈った。 けれど従姉妹の体調が悪化し、遠くの病院に入院することになり、ジェニファーの役目は終わった。 少年に別れを告げる事もできずに、元の生活に戻ることになってしまったのだ。 それから十数年の時が流れ、音信不通になっていた従姉妹が自分の初恋の男性と結婚したことを知る。その事実にショックを受けたものの、ジェニファーは2人の結婚を心から祝うことにした。 その2年後、従姉妹は病で亡くなってしまう。それから1年の歳月が流れ、突然彼から求婚状が届けられた。ずっと彼のことが忘れられなかったジェニファーは、喜んで後妻に入ることにしたのだが……。 そこには残酷な現実が待っていた―― *他サイトでも投稿中

処理中です...