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82.捧げる
しおりを挟む王妃、フェオレッラは憤っていた。
本来であればフェオレッラまで毒を盛られる予定だったことを、マルクスが白状したからだ。
「なぜ、わたくしがクレメンテなんぞに毒を盛られなければならぬのだ!!」
そもそも、マノロがあのような不出来な息子であることもクレメンテの血筋のせいではないか。
(わたくしの髪がこんなに地味なこげ茶色でなければ、もっと条件のいい国へ嫁げたというのに)
大国、プレミニラの第二王女だったフェオレッラは気位だけは高かった。
姉である第一王女が絶世の美女と呼ばれ、他国からも自国からも求婚者が後を絶たなかったのに対して、フェオレッラに婚姻を申し込んできた国は二国。
自国では婚約者候補と囁かれた男はすぐに他の令嬢と婚約を結んだ。
(それも全て、わたくしの存在に怯える姉さまが仕組んだこと……)
姉が自分の価値を高めるために婚約を妨害していたのだろうと、フェオレッラは考えた。
地味な髪色というだけでフェオレッラとて王女。
その辺りに転がる石ころのような女とはわけが違う。
だがフェオレッラに怯える姉のため、フェオレッラは仕方なく他国に嫁ぐことを決めた。
ベツォ国は治安もよく、そこそこ大きい国だったので仕方なく選んだに過ぎない。
特筆すべき点はなく、不満をあげれば星の数ほどあった。
一番気に食わなかったのは、夫となったクレメンテが地味なぼんやりとした色と顔の男だったせいで、息子までパッとしない容姿に生まれついてしまったことだ。
下賤な血筋の生まれのくせに美しいソフィアとヴィヴィアンには、腹いせに何度も毒を盛った。
姉と同じ色を持つ二人の顔を見るたびに祖国での仕打ちを思い出したせいでもあった。
「お前は何をぐずぐずしている。わかっているのであればクレメンテを捕らえよ」
生意気にも騎士に囲まれ、フェオレッラを見下すような視線を向けるヴィヴィアンに叫んだ。
マルクスのことは、後ろ手に結ばれた縄を騎士の一人が引っ立てて出て行った。
「あなたには母と私への数々の毒殺未遂の嫌疑がかかっている。しかし罪を認め、悔い改めるというのであれば、あなたには父の介護という名誉を与えよう」
「介護だと? 最近姿を見ないと思ったら奴はもうボケたのか」
鼻で嗤ってやった。
「それならマノロのいる塔にでも閉じ込めておけ」
そう叫ぶと、ヴィヴィアンは騎士の一人に目配せしていた。
そもそも、この部屋に許可していない男が入るなど不敬極まりない。
「偉そうな態度だな。わたくしはお前が次代の王などと認めないからな」
「ご随意に」
てくてくと頼りない足音が近付いてきたのでヴィヴィアンから視線を移すと、阿呆面をしたクレメンテがフェオレッラを見つめていた。
〇 〇 〇
王妃フェオレッラの私室に、ヴィヴィアンは騎士らと共に訪れていた。
マルクスが部屋を出て行き、代わりに父が入室する。
「だあれ? このおばあさん」
「婆、、」
贅を尽くした部屋で、彼女は呆けた顔をした。
その対比があまりにも滑稽だった。
フェオレッラの顔を覗く父は首を傾げていた。
しわがれた声から紡ぎ出される幼児のような言葉。
ヴィヴィアンは既に慣れたが、初めて目にしたのであれば言葉が出ないほど驚くだろう。
「おにいさま、このおばあさんはだあれ?」
「あなたの母上だよ」
「僕の? ぜんぜんきれいじゃないよ? ぼくのおにいさまも、おとうさまもきれいなのに、どうして?」
「さあ、どうしてだろうね?」
顎が外れそうな顔をしたフェオレッラに視線を向けながら冷たく言い放つ。
母がどれだけ父とこの女に苦しめられてきたか、考えれば考えるほど腸が煮えくりかえる。
「冗談じゃない。こんな阿呆になったなんて」
震えるフェオレッラに追い打ちをかけた。
「父と兄と、北の塔で親子三人で仲良く暮らしていただけますね?」
「馬鹿な!!」
「それとも裁判の後、毒をあおりますか? 元から父の側近らは、あなたにその役目を与える予定だったようですよ?」
毒を混入して殺すか、嫌疑をかけたあと毒をあおらせるか。
父が毒殺を指示していたにも関わらず、マルクスたちは勝手に揉めていたらしい。
そのせいで食事への毒の混入が間に合わず、こうして生きながらえてしまったらしい。
(死ねばよかたものを。悪運の強いことだ。母が毒を回避したから平常心でいられるが……)
母が亡骸になっていたら、今ごろは二人のことを惨殺していただろう。
父を刺してから死のうと、ナイフを片手に謁見の間まで来た母の気持ちが痛いほどわかる。
(死んだ方がマシだと思うぐらいの目には合ってもらおうか)
十九年。
母は、父に無理やり体を暴かれた日から地獄の日々だったはずだ。
ヴィヴィアンには王子という立場があったが、側室である母には大した力がなかった。
元メイドという身分もよくなかった。使用人たちからの嫌がらせも酷かった。
(全て一掃してやる)
アーレ夫人をお役目から解放してやってもいいと思っていたが、それには叔父が頑なに反対したので、親子三人の世話係を引き受けてもらうことになった。
「アーレ夫人は令嬢に対し、殺したも同然のことを繰り返してきたのだ」
そう語る叔父の顔は怒りに満ちていた。
内容は聞かなくとも察してしまった。
(同じ女性でありながら、よくもそんなことを)
燻る怒りの炎で叔父もヴィヴィアンも真っ赤に燃えていた。
気が付けば、つられるようにして母へ酷い仕打ちをしてきた使用人たちの全てを北の塔の使用人にすることを進言していた。
ヴィヴィアンに同調する叔父の様子に、レイは少々引き気味であった。
叔父とはこの二日間ですっかり気持ちが通じ合ってしまった。
能力を隠しながら生きてきたのは叔父も同じだったらしい。
宰相はそんな私たちに挟まれてなお、冷静に最善策を口にする。
頼りになる男だ。
自分の婚姻の日取りでさえそんな調子であった。
(宰相も、私に毒を盛った主犯が父であったことには怒り狂っていたな)
あんな宰相の顔は二度と見れないだろう。
見れないような政を敷くべきだとも思う。
解毒薬をヨアンに投与され、その顛末を聞いたときから、マイナが繋いでくれた命をベツォ国に捧げるとヴィヴィアンは誓った。
喚くフェオレッラに縄を巻き、騎士が連れて行く。
不安そうな顔をしている父の頭を撫でながらヴィヴィアンは囁いた。
「クレメンテ。私は君の本当のお兄さんじゃないんだ」
「そうなの?」
「塔にいるもう一人の男がお兄さんだよ。君とお兄さんは似ているから見ればすぐわかるよ」
「本当? お兄さんは優しい?」
「優しいよ。だからね。母上とお兄さんと三人で、一緒に仲良く暮らすんだ。いいね?」
「うん。わかった。蝶々はいる?」
「いるよ」
近くにいた騎士に父を連れて行くよう命じる。
父は何度も振り返りながら、北の塔に向けて歩き出した。
「ミケロ、執務室へ戻るぞ」
「はーい!!」
元気よく返事をしたミケロが後ろに続く。
暗部が壊滅したため、ミケロは晴れてヴィヴィアン専属の護衛となった。
騎士団とも違う、黒い衣装をまとうミケロは非常に目立つ。
「我が君、視線が刺さりますね!」
「黙れ」
「はーい!」
ミケロは少々浮かれ気味だ。
騎士たちがミケロを警戒しているせいで、ぞくぞくして楽しいらしい。
専属の護衛になれて「セリオ兄さんみたいで嬉しい」のだという。
セリオとは、暗部にいたころのヨアンの名だ。
「お前にも新しい名を与えるか?」
「俺はこのままがいいかな。我が君はいつも名を呼んでくれていたから」
「そうか。気に入っているのならいい」
ヴィヴィアンの言葉に、ミケロは満足げに頷いた。
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