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74.歓喜
しおりを挟む湯を浴びてマイナの部屋を訪れた。
中からは返事がなく、心配になったレイは部屋に入った。
マイナは息をしているのか不安になるほど静かに寝ていた。
思わず揺すり起こしてしまう。
護衛の話では朝食後からずっと静かだという。
「レイさま」
目を覚ましたマイナに抱き着かれて、ようやく安心できた。
「マイナ……」
「レイさま」
「マイナッ」
「レイさま!!」
「マイナ!!」
何度も名を呼ぶマイナの必死さがレイの心を乱した。
本来のマイナは勘が鋭いのだとヨアンが言っていた。
陛下はレイを王太子にするだけでは飽き足らず、マイナに手を出そうとしていたのではないだろうか。
マノロ殿下のあの執着ぶりや、父がマイナを連れ歩く様、ヴィヴィアン殿下に、そして何より自分自身が……マイナの何かが王家の血筋の男を虜にするのではと思えてならないからだ。
(義父上の話……若い妃を娶るというのはマイナのことだったのでは……?)
あの場では魔女の姿は見えなかったが、魔女が何らかの術を使ったのは明らかだ。
そして義父の作り話のように見えた話には、わずかに真実が混ざっていたのではないだろうか。
迫真に迫る演技であったことは確かだが……。
「マイナ、顔をよく見せて」
両頬を挟むと、マイナは潤んだ瞳で見つめてきた。
(この怯えようは尋常ではない……)
「ヨアンから話は聞いた……無茶をしたな」
「……ごめん、なさい」
「いや、責めているのではない。何もできなかった私の無力さが憎らしいが、マイナの決断には心からの尊敬と感謝の念を抱いている」
「でもわたくし、大切な何かを失ってしまいました……」
何を対価にしたのかは思い出せないようだ。
前回に比べると、かなり覚えている様子だとヨアンは言っていたが。
「失ってはいないよ、何も。思い出せないだけだ」
「レイさまは全て、ご存知なのですね?」
「あぁ。義父上から聞いたよ。義父上は、マイナの事情ごと私に託してくださったらしい」
「そうでしたか……ごめんなさい。たぶんきっと大切なことが思い出せないの」
「焦らなくていい。ヨアンが言うには、明日思い出すかもしれないし、十年後かもしれないとのことだ。それより、前世を思い出したのだろう? 辛くはないのか?」
唯一の肉親である祖父と、いつも一緒にいたお妙さんを共に失ったなど。
しかも自分の付き合っていた男に殺されるなど、この世界でもなかなかないほど陰惨な場面だろう。
「大丈夫です。恐らく封印されている間も、どこかでは感じていて、歳を重ねるごとに折り合いをつけてきたような、そんな感覚があるんです」
マイナは落ち着いた顔でそういうが、受けた衝撃の大きさは計り知れない。
「レイさま、ヴィヴィアン殿下は?」
「王位につくことが決定したよ」
「……それはようございました。レイさまも、本当にお疲れさまでございました」
深々と頭を下げたマイナの手に、手を重ねた。
「足は、痛むか?」
「いいえ。こうしているぶんには」
(こんなに腫れて。痛いだろうに)
包帯が巻かれた足首は、普段の倍ぐらいに見えた。
「ヨアンのほうが酷いでしょう?」
「あれは殺しても死なない」
筋トレ馬鹿は放っておきたい。
なんなんだあの惚気た顔は。
「酷い言い方!」
「……マイナ」
「はい?」
「口づけてもいいか?」
「……わざわざお聞きにならなくても大丈夫ですよ?」
政略結婚だと思っているマイナに、どこまで触れていいのかわからない。
戸惑うレイに、マイナは瞳を瞬いていた。
「あぁ!! なるほど!? 初夜しますか!?」
(なぜこの会話から初夜に!? しかもまだ昼だぞ!?)
「いや……それはさすがに足に響くだろう?」
「なんでそんな、ちょっと笑いを堪えて……」
少しズレているマイナは健在であった。
それがどうにも胸を突いて仕方がない。
変わってしまった部分も、変わらない部分も、全て愛おしい。
「マイナ……愛してるよ」
「はいっ! わたくしも、それはもう、とーーっても、大好きですわ!!」
胸を張って堂々というマイナは、やはり以前とは少し違う。
愛しているという言葉に、マイナは怯えていたように思うが。
以前と違うと思っているだけで、本来のマイナはこちらなのかも知れない。
どうあろうと、マイナがマイナであるということに変わりはないのに。
それなのに。
胸に迫る切なさが消えてくれない。
強く抱きしめたあと、足に負担がかからない程度にマイナと触れ合った。
キスをし、負担にならないよう体を解すように撫で、今まで触れていなかった秘所に下着越しに触れると、マイナは驚いた様子を見せたが抵抗はしなかった。
合間に「このまま初夜ですか?」と聞いてくるので「足が治ったらね」と答えていた。
* * *
ぐう、とマイナのお腹が鳴ったところで食堂へ向かうことにした。
「大事な場面で……色気が……色気がなくて……」
マイナは恥ずかしかったらしく、プルプル震えながら乱れたドレスをなおしていた。
それを手伝うのもまた楽しい。
「マイナらしくて可愛いのに」
「え、わたくしらしい!? こんなのが!?」
「私は素のマイナが見られる立場でありたいと願ってるからね? それにしても、ようやく私が抱いて歩けるよ。全く、父上が憎らしい」
散々、父がマイナを抱っこしていたことに腹が立つ。
ようやく腕に抱いて廊下を歩くことができた。
その清々しさにレイは大変満足であった。
(お腹が鳴って恥じらうマイナも可愛い。すんなり抱っこされるマイナも可愛い。幼子みたいなのに堂々としてる姿も可愛い)
そうして食堂の椅子におろすと、運ばれてきた昼食を見たマイナは歓喜した。
一度だけベイエレン公爵家で出てきたことのある、カレーだった。
マイナは一緒に食べたことを忘れているだろう。
(カレーは時間がかかると言ってたはずなのになぁ。元から用意していたか?)
だとすれば流石バアルとしか言いようがない。
「スパイスを集めるの大変なのに……バアルには一度、こういうものですよって話したことがあるだけなのに……凄いっ!!」
「さすがバアルだな」
「はい。でも指示して下さったのはレイさまですよね?」
「いや、恐らくは言わなくても用意されていたのだと思うぞ?」
「ではお二人に感謝いたします。ありがとうございます」
嬉々としてスプーンを持ったマイナは口を大きく開けて頬張った。
その姿は、以前のままのマイナであった。
「美味しっ!! すっごい!! 天才!! レイさまも早く食べて食べて!!」
はしゃぐマイナを見ているうちに、心の中にあった不安や焦燥、切なさが綺麗に流されていった。
思わず泣きそうになり、誤魔化すようにカレーを頬張る。
(マイナが忘れていても、私が覚えていればいい)
いつかマイナが思い出を取り戻したとき、また違う感動があるだろう。
美味いな、と呟くレイにマイナが頷く。
きっとマイナはおかわりをするだろう。
元気いっぱいなマイナの様子に、レイの心はどこまでも満たされるのであった。
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