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72.抱擁

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 マイナは医者の治療を受けたヨアンに、客室で大人しく過ごせと迫ってきた。

「男性使用人部屋じゃ、ニコが入れないでしょう!?」

「僕に看病なんて必要ないですー!」

「これは命令よ。治るまで大人しくしてなさい」

 大旦那さまに幼児のように抱っこされたまま、マイナは尊大に言い放った。
 大人しく部屋に籠るなど、ヨアンにとっては地獄である。
 だが、ここまで言われてしまえば従うしかない。
 ヨアンは項垂れたままトボトボと歩き出した。

「待ちなさい!! どこへ行くの!?」

「言いつけ通り客室に行きますー」

「わかればいいのよ」

 マイナはフンスと鼻から息を吐き、満足げに頷き、その後はニコにヨアンの世話を、ミリアには湯の準備を命じた。

(小さい頃のマイナさまみたいだなぁ……)

 公爵夫人というより、令嬢っぽい。
 おまけに大旦那さまには可愛らしく部屋まで送って欲しいとおねだりしている。マイナは無自覚のようだが、扱いが上手い。
 大旦那さまはマイナを抱っこするのが気に入った様子で、迷いのない足取りで歩き出した。

 マイナは欠けた記憶と、得た記憶で混乱しているようにヨアンには見えた。
 だから昨日までと言動が違う。
 術の直後だから、取り戻した記憶のほうが、この数か月の記憶より強く出ているのだろう。
 それもきっと、そのうち落ち着くとヨアンは思った。

 それよりも。

(この程度の怪我で部屋から出られないなんて、そのほうが治りが悪くなるよぉ)

 特殊な鍛え方をしてきた自覚はある。
 暗部なんてみんな似たり寄ったりだが。

(むしろ動かして治すのになぁ)

 食べる、動く、ちょっと寝る。
 これでヨアンの怪我は全て治る。

(暇すぎて体が固まったらどうしよう~)

 なんだかニコまで手ごわそうだ。
 筋トレなんかしたら怒られるだろう。
 仕事が趣味だと、こういうとき本当に困ることになるのだとヨアンは実感した。

 食事すらベッドの上だ。
 しかもニコがずっと泣きそうな顔で見張っているので、すごく気まずい。

「そんな顔しなくても、僕の怪我なんて擦り傷だよ?」

 ロジェの手当は完璧だった。
 止血があまりにも上手かったので、医者も驚いていたぐらいだ。

(あの人、生まれが貴族じゃなかったら絶対暗部に引き抜かれてたよね……あの独特のオーラは僕ですらちょっと怖いもんなぁ)

 ロジェのお陰で回復は早そうだ。
 バイ菌が入ると大変だからと薬が出たけど、飲むとかえって治りが遅くなるから本当は飲みたくない。

(骨も折れてないしね? でもニコに飲まされそう)

 案の定、無理やり飲まされた。
 事務的な会話しかしないニコは、ヨアンに複雑な感情を抱いているようだ。

(僕が前言ったことを気にしてるのかな? 僕はあれでニコが立ち直ってくれたからよかったとしか思ってないけど……)

「僕の世話なんてしていたら、それこそ噂になるだろうからマイナさまに言って他の人に交代してもらっていいよ?」

 ニコもやりにくいだろう。
 そう思って言ったのに、首を振られてしまった。

 ヨアンがニコへの好意を隠さなかったから、屋敷の人たちには仲がいいと思われているし、なんなら付き合っていると思っている人さえいる。
 なおさらここで二人きりになるのはよくないだろう。

(実際、この間までは付き合えたらいいなって思ってたけどねぇ。ニコは自分のことに関しては不器用だし。僕はこれ以上、踏み込まないほうがいい)

 諦めるのは得意だ。

 影なんて存在すらしないとされてきたのだから。
 そういう意味では魔女みたいなものだ。
 見ないから知らない、お伽噺のような存在。

 本来なら自我も捨てなければならない。
 ヨアンだけでなく弟分のミケロも、性格が暗部向きではなかった。
 でも二人とも生き残ってしまった。

 しかも腕が立つのだから、上からすれば頭の痛い話だっただろう。
 ヨアンがまだ暗部にいたころ、ミケロはヨアン以上に扱いにくいと言う理由から、当時はハズレと言われていたヴィヴィアン殿下に付いた。

 結局、当時偉そうにしていたマノロ殿下の影は、殿下のお遊びに付き合わされてどこかで潰された。
 詳しくは知らないが、その後付いた影も何人か死んでしまったらしい。

 今回も、かなりの死人を見た。
 暗部は壊滅したと言える。
 ウリッセは元々過激だったが、昔はあそこまで自我は強くなかった。
 ウリッセを止められる人が居なくなってしまったせいで酷くなっていた。

(シャンタルさまの薬がなかったら、僕も危なかったなぁ)

 解毒薬を手に入れたあと、マイナが目覚めぬうちに出発しようとしたヨアンをシャンタルが引き留めた。

「これを飲んでから行きな」

 透明の瓶に入った液体は、ピンク色をしていて見るからに怪しかった。

「媚薬……?」

「阿呆なのかい? これからお前は生きるか死ぬかの闘いになるんだ。少しでも勝率を上げないと困るのさ。これは魔女の秘薬だよ」

「対価は?」

「これはアタシが勝手に作った薬さ。だから対価を払うのはアタシ。お前が願ってもいないものをアタシが押し付けるんだから、お前さんが払う対価はない」

 なるほど。

 今回はマイナがヴィヴィアン殿下のための解毒薬を願ったから、対価を払うのはマイナだったということ。

 ヨアンは納得すると、一気に液体を煽った。

 シャンタルはセラフィーナを撫で、何かを口に含ませていた。
 ヨアンが飲んだものと同じだったような気もする。

「あんた、ずいぶんいい女だね。生まれ変わったら今度はユニコーンになるよ。馬にしては頭がよすぎるからね」

 なんて話しかけていた。

(ユニコーンって実在するのかな? セラフィーナが初めて会った人からもらったものを口にするところなんて初めて見たよね)


 ウリッセをただ殺すだけならもっと早くやれた。
 捕らえようと欲を出したせいでヨアンは余計な傷を負った。

(魔女の秘薬を飲んでなかったら、今ごろ危なかったかも)

 先ほどのヨアンは、速さ、鋭さ、攻撃の重さ、全てがウリッセを上回っていた。

(何も飲まずにあの域に達したいなぁ)

 久しぶりに護衛としての目標ができた。
 だから余計にこんな部屋でジッとしてるのは御免だというのに。

「もう寝るからニコは付いてなくていいよ」

 ベッドの脇に座ってヨアンを見ていたニコに声を掛けた。
 マイナはニコの表情を見て、ヨアンと話す機会を与えたのだろう。
 マイナは気の利くご主人さまになってしまったようだ。

「寝たのを確認したら出ていくわ」

「人がいると熟睡できないんだ。出てって」

「嫌よ」

「…………頑固」

「うるさいわね。ヨアンの癖に……」

「ごめんねぇ。口が減らなくて―」

 もぞもぞと毛布に潜り込む。
 浅い眠りでも納得すれば出て行ってくれるだろう。
 扉の音で目覚める自信があるので、ニコが出て行ったら起きようと思い、毛布をかぶった。

「…………した」

「なに?」

 さすがのヨアンでも布に阻まれてニコの小さい声は聞こえなかった。
 仕方なく毛布から顔を出す。

「心配した」

 横を見ると、目に涙をいっぱいためたニコが唇を噛んでいた。
 この二時間ぐらいずっとこの顔である。
 思わずため息を吐いてしまった。

「前にも言ったでしょ? 僕は死なないって」

「でもこんな酷い怪我をしたわ」

 とうとう涙が溢れてしまった。
 ボタボタ音を立てて、シーツに沁みを作っていく。

「泣かないでよ。ほら、こんな風に腕だって動かせるし」

 起き上がって、一番怪我の酷い右腕を動かして見せた。
 痛みは大して感じない。

「ちゃんと養生して、ちゃんと治して」

「うん、わかった」

 ヨアンはこのとき、これから毎日どうやってニコを撒いて動こうかしきりに考えていた。
 不覚にも油断していたのである。

 嗅ぎ慣れたニコの香りがして、気が付けばヨアンはニコの腕に包まれていた。
 柔らかな体が頬に触れ、甘やかな疼きに目を瞬く。

 ニコを抱きしめたり、マイナさまを抱き上げたりすることはあっても、逆はない。
 どんな女性と寝ようとも、抱くことはあっても腕に抱かれることはなかった。
 もっと言えば、幼いころ抱きしめられた記憶も一切ない。
 気が付いたときには暗部にいたからだ。

 ヨアンは初めて女性に、しかもずっと愛おしいと思っていたニコに抱きしめられたのだ。

「ヨアンが私を嫌いでも、私はヨアンが好きだから」

 ニコの鼓動が、濁流のように耳に響く。

 ここが客室であることを忘れ、ヨアンはニコを抱きしめ返していた。




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