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67.クレメンテ

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「陛下、べイエレン公爵がお見えです」

「うむ」

 クレメンテ・デ・ベツォは立ち上がり、護衛騎士と共に謁見の間に続く扉をくぐった。
 早朝と呼ぶには暗く、夜と呼ぶには明るい時間だ。

「表を上げよ」

「は、」

 アーサーと同い歳のロベルト・べイエレンは、若々しい顔を上げた。

(アーサーといい、こやつといい、どうしてこうも若々しいのか)

 ひじ掛けについた手に顎をのせ、虚ろな瞳をロベルトに向けた。

「して、その者はどこにおる?」

「姿は見せられません」

「……そのようなことを言い、余をたばかるつもりではあるいまいな?」

「まさかそのような。ですが、世の理からは外れて生きる者、政に関わらぬのが不文律。このように護衛や側近の方々に囲まれてはなおさら。恐れながら陛下も重々承知の上での契約であったはずです」

「わかっておる。その旨の契約も交わしただろう」

 ヴィヴィアン亡き後、レイが王太子として育つまでの間、いや、むしろレイの子が育つまでの間だ。
 それまで生きながらえなくては。

 王として相応しい血を継承していくことは、クレメンテを生んだ母からもたらされた使命だ。
 べイエレン公爵家の血筋のマイナが母親であれば、亡き母も納得の素晴らしい血筋の王子となるだろう。

(あれはべイエレン公爵夫人に似て容姿も悪くない。私が子を仕込んでやってもいいな? 腑抜けのレイのお陰で未だに純潔との噂だ。ふむ。非常にいい案だ。これから育ちそうな瑞々しい体も悪くない。レイを拘束しているうちに仕込むとしようか。そのあと、私の子であることが判明したところで、むしろ王位を継承するには相応しいとも言える)

 妙案に行き着いたところで、なるほどとクレメンテは思った。
 マノロが執着するはずである。
 マイナには、想像力を掻き立てる妙な魅力がある。

(マノロが可愛いものが好きなのは知っておったが、よもや、あそこまでの阿呆だとは。己の性癖など、私のように上手く隠せばよいものを)

 臣下の嫁など、いかようにも召し上げることができる。

(息子の閨教育係として呼びつけ、王の私室に連れ込んでしまえばいい。私がさんざんしてきたようにな……しかし、本来であれば、魔女の術は自分のためだけに使いたかったのだが)

 一度だけ魔女の術を使えるというロベルトとの契約のために差し出したセリオの穴は大き過ぎた。
 ウリッセが過激すぎて付いてゆけぬ者が増え、大幅に数を減らしていた上に、マノロがくだらないことで影を潰し続けた。

 挙句、マノロを幽閉しなければならなくなったせいで、此度の毒殺騒ぎを起こす羽目になり、暗部に人気のあるヴィヴィアンを害したことで離反する者が続出。
 離反する者たちにキレたウリッセに殺され、暗部はほぼ壊滅。

(全く、損失が大きすぎたわ。それもこれも全て、マノロをあのような阿呆に生んだフェオレッラのせいだ。大国の姫だからと可愛がってやったのに、全く使えん。最後ぐらいヴィヴィアン暗殺の首謀者として政の役に立ててやるのが私の優しさというものだろう)

 頑として姿を現さない魔女に、クレメンテは折れた。
 彼女の術は信用に値する。
 あのセリオがまだ手の内にあったころ、領地から屋敷までくまなく探らせた。
 その時にマイナの記憶の封印に成功したことを掴んでいたからだ。

(稀代の時の魔女が、このロベルトに惚れて領地に居座っているのだから、いずれこの国の王である私が囲うことなど容易いはずだと、一度でも魔女に会えればどうとでもなる、そう思い、魔女と契約を結ぶためにセリオを差し出したというのに。全く。予想外のことばかり起こる)


 護衛と側近に離れるよう手を振った。

「しかし」

 側近のマルクスが抵抗した。

「レイの様子を見て来い。優し気に見えて頑固だ。扱いに気を付けろよ」

「……かしこまりました」

 現在、クレメンテに付いている護衛は一人だ。
 手の内を知る護衛は他に二人しかいない。
 それらも、王妃フェオレッラの元、側室ソフィアの元に配置するしかなかった。
 事情を知る者が増えれば、後のち火種になりかねないからだ。

(フェオレッラにもそろそろ自害に見せかけた毒が盛られるだろう。ヴィヴィアンのついでにソフィアにも死んでもらったのだから、その責は取らせる。皆はフェオレッラが主犯だと疑わないだろう。あやつはマノロが何かやらかす度に、腹いせのように二人に手を出していたからな)

 ヴィヴィアンとソフィアの毒の混入時間をズラしたのは、騎士たちを惑わすためだ。
 一度に死んではフェオレッラが主犯だという説に疑問を持つものが出てくる。
 時間差がいい。

 フェオレッラの手の内は、ほとんどの騎士たちが知るところだからだ。
 フェオレッラは頭が足りず、ヴィヴィアンに毒を仕込んで失敗すると次にソフィアに毒を盛るのだ。
 過去一度も同時に盛ったことはない。

 そして、何度も毒を盛られ、その度に毒見役が苦しむ姿を見てきた騎士たちは、フェオレッラを警戒している。クレメンテに累が及ばないよう『王妃の行動に胸を痛める陛下』を装うのは面倒だった。

(騎士らは正義感が強い。しかも大半がヴィヴィアン派だ。そのためにも、今回は城内を手薄にしておかなければならなかった。全く、いちいち手間のかかる)


 護衛とマルクスが出て行った。
 他の側仕えは、首謀者はフェオレッラだと思いこんでいる。

(万が一のときのために、ヴィヴィアンを可愛がっておいてよかったわ。誰も私が、このような感情を抱いているとは想像していなかっただろう……アーサー以外はな)


「さあ、人払いしたぞ。魔女よ、姿を現せ」

 薄っすらと浮かび上がった魔女は、細い体の奇妙な顔立ちの少女だった。
 鼻が上を向いており、口から覗く歯は不揃いで、痩せた顔と体がみすぼらしい。

(稀代の時の魔女などという大層な名前で、ロベルトが厳重に囲っているからどれほど妖艶な美女かと思っていたが。こんな醜いものは要らぬ。むしろ、これから女盛りになるマイナを躾けるほうが愉しそうだ)

 時がきたらロベルトから魔女を奪おうと算段していた、その心が綺麗さっぱり無くなっていく。
 クレメンテは王家の男らしく執着が激しいが、それが綺麗に霧散していくのは珍しいことだ。
 マイナという、新たな女を見つけたお陰である。

「余は国の安寧のため、後継が育つまでの間、あと二十年、いや、三十年は生きねばならぬ。それもこれも、愛しいヴィヴィアンを失ったせいだ……」

 悲しみに打ちひしがれたような顔をして、クレメンテは魔女に訴えた。

 三十年もあれば、長く平和を築いた王として後の歴史に名が残る。
 歴史書には王妃や側室、王子を同時に失った悲劇の後も、慈悲の心を忘れなかった王であったと書かせよう。

(民衆はこの手の話に弱いからな。民や女性など、弱き者を守る法の制定に力をいれてきたのも、このためよ……いっそあと三十年もあるならレイからマイナを奪うか? ちょうど妃を全て処分することだし、やりようはあるな? レイを事故死させ、寡婦となったところを娶ればいい。私とマイナの恋愛を舞台にして上演させよう。民衆からは若い妃の行く末を心配した慈悲深い王として、ますます人気が出ることだろう)

「延命か。見たところ、そちの寿命はあと一年。臓腑が相当やられておるようじゃから、それを三十年となると高くつくぞ? ワシの術には対価が必要じゃ。その説明は必要か?」

 みすぼらしい魔女から高圧的に言われ、眉根が寄った。
 ロベルトは魔女を諫めるわけでもなく涼しい顔をしている。

 馬鹿にしたような魔女の瞳に煽られ、クレメンテはイライラと膝を揺らした。

「不要だ」

「さすがじゃのぅ。しかし、ワシも政には関わらぬという不文律を破っての術じゃからのぅ。何があっても不問にすると、一筆貰わねば怖くて手が震えて術が狂いそうじゃ」

 ケラケラ嗤う魔女は、少女なのに真っ赤な唇だった。
 半透明でゆらゆらと揺れているのに、その赤だけはやけに生々しく映る。

(ロベルトはこんなものを飼っていて面白いのか? 変態だな)

「そなたを咎めぬという契約を交わそう」

「こやつの分も頼むぞ?」

 魔女は隣に立つ大男ロベルトを指さし、醜い顔で嗤った。


 

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