【完結】なんちゃって幼妻は夫の溺愛に気付かない?

佐倉えび

文字の大きさ
上 下
64 / 125

64.魔窟

しおりを挟む




 陛下の側近であるマルクスが、食事を持って現れた。

「昨晩から何も口にされていないとか? 少しでもいいので食べていただけませんか?」

「それに毒が混入されていないという保証は?」

 一人掛けのソファーに座ったレイは、視線だけをマルクスに向けた。
 閉じ込められた部屋には窓がない。
 体感ではそろそろ朝になるのではないかと思われた。
 理不尽な軟禁への苛立ちの炎は、静かに燃え続けている。

(マイナが不安になっていないといいのだけれど……)

「私が毒見をしましょう」

 離れた場所で、レイを警戒するような眼差しでマルクスが答える。

「そんな場所での毒見では信用できないな。私の元に運ばれるうちに混入できてしまうだろう? もう少し近寄ってはどうだ?」

 マルクスは仕方なさそうに歩を進め、先ほどより近い場所で立ち止まった。

「昨日から申しあげておりますが、レイさまを害するつもりはありません。貴方さまを失えば、アーサー・タルコット卿が継承権第一位になってしまいます。それは陛下のお心の安寧には繋がりません」

「それのどこが悪い? 父のほうが王家の血は濃いだろう?」

「父親の純度でいえば、そうかもしれませんが。失礼ですがアーサーさまの母上は元侍女で、身分の低いお方ですから」

「私はその侍女の孫だぞ?」

 今は亡き、父に似た祖母を思い出すと切なくなる。
 彼女だって好きで王家の子を生んだわけではない。
 たまたま美しさゆえに手を付けられ、生んだのが男児だっただけ。

(陛下はヴィヴィアン殿下を虐げていないように見えていたが……私の認識が甘かったらしい……)

「そうやってヴィヴィアン殿下のことも虐げてきたというわけか。あの聡明な方を失うなど、国の損失でしかないというのに」

「レイさまの母上は由緒正しいグートハイル侯爵家ですよ。メイドの子などと、比べるまでもないでしょう。子を産むのは母親の役目。母親の血筋こそ大切だと陛下はお考えです」

 マルクスの唇が歪んだ。
 ヴィヴィアン殿下の母上もまた陛下に手を付けられ身籠った人である。

 レイを王太子にという声は根強くあった。

 ヴィヴィアン殿下とも、レイと殿下の身分については難しいところだという話は何度も交わされた。
 議論し尽くしたと言ってもいい。
 二人の間では、すでに笑い話だ。


 ヴィヴィアン殿下は間違いなく陛下の子である。
 侍医の診察や閨の記録が残されている。
 殿下の母上がフェドー伯爵の養女となり、側室として召し上げられたため、殿下は王位継承権を持つ王子になった。


「もっとも、ご側室さまも、いまごろは黄泉の国へ旅立たれたことでしょう」

「なんだと!?」

「そのように驚かれずとも、政というのは血が流れるものですよ」

「馬鹿な!!」

 ヴィヴィアン殿下は笑いながら王宮での肩身の狭さを受け入れていた。
 王妃に差し向けられた毒を回避し、帝王学を学び、剣術を身に着け、出来の悪い兄に代わって政務をこなしていた。
 少しでも母上の立場をよくしようと、己の力をつけるために努力し、王子としての役割を全うしていた。

 それなのに。
 ヴィヴィアン殿下だけでなく、彼が大切にしていた母上にまで毒を盛るとは。

 狂ってる――――

(ヴィヴィアン殿下の婚約者候補だったマイナと私の結婚がすんなり了承されたのも、このためだったのか……? マイナなら王妃として血筋に問題がない……もしや、ヨアンの所有権を放棄したように見せかけてべイエレン公爵家を探らせていた? 我が家も? いや、ヨアンに限ってそれは無いか……)

 ヴィヴィアン殿下への毒の混入が発覚したのは、レイが帰宅しようとエラルドと城を出ようとしたときだった。
 陛下の護衛騎士に拘束され、すぐさまこの部屋に閉じ込められた。
 恐らくはエラルドや宰相も、どこかで軟禁状態だろう。

(この間に議会で採択し、私を王太子にするつもりだろうな)


「お若いですねぇ。ですが、それもいいでしょう。歳を重ねていくうちに深みが増すというものです。ヴィヴィアン殿下亡きいま、レイさまが王太子となる他、道はないのです。さ、こちらをどうぞ」

 マルクスはスープをひと口掬い、飲み込んだ。
 口を開けて、飲み込んだことをアピールしている。

 レイは立ち上がってマルクスに近付くと、勝ち誇った顔をしているマルクスの口に拳をねじ込んだ。

「っ、ご、がが」

 食器が派手な音を立てながら落ち、砕け散った。

「私はね、普段は猫を被っているんだよ。それはそれは大きな猫をね。本来の私は父に似て激情型なんだ。これが王家の血だよ。薄汚くて粘着質で、猟奇的。ヴィヴィアン殿下の美しさは奇跡なんだよ」

 モゴモゴとよだれを垂らしながら喚くマルクスの口にハンカチを噛ませ、両手をマルクスの首に巻かれていたタイを使って拘束した。
 マルクスの胸元を探るとナイフが出てきたので、それを首元に食い込ませながら扉を蹴る。

 番をしていた騎士が驚愕の表情で立ちすくんでいた。

「中に入って私のフリをしていろ」

 舐められたものだ。
 扉前の番が一人とは。
 都合がよすぎて思わず笑ってしまった。

「早くしろ。私は今、とても機嫌が悪い」

 マイナを守るためと言いながら、レイとヴィヴィアン殿下はヨアンに稽古をつけてもらいながら腕を磨いた。
 今でも鍛錬は欠かさない。
 この通り、王宮は魔窟だからだ。

 この程度の騎士ではレイの相手にはならない。
 顎で扉のほうを示せば、震えながら騎士が室内に入っていった。

 マルクスのポケットから鍵を取り出し、扉を閉める。

「ロジェさまの居場所を教えろ。わかっているとは思うが、間違っていた時点でお前を殺す。私に迷いはない。わかるな?」

 ガクガク震え出したマルクスが頷く。
 その後、廊下の先のほうだと顎を動かしたのでそちらに向かった。

「ここか?」

 マルクスは壊れた仕掛け人形のようにコクコク頷いた。
 先ほどの鍵の束から、この部屋の鍵を探し出してゆっくり回す。

(見張りの騎士がいない?)

 そんなことあるだろうか。
 疑問に思いながら薄く扉を開けた。

 風を切る音が聞こえる。
 咄嗟にマルクスを盾にしたら、マルクスの腹にナイフが突き刺さった。

 目を凝らして室内を見ると、ぐったりしたエラルドが床に倒れていた。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?

氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。 しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。 夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。 小説家なろうにも投稿中

【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。

112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。 愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。 実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。 アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。 「私に娼館を紹介してください」 娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──

【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない

曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが── 「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」 戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。 そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……? ──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。 ★小説家になろうさまでも公開中

望まれない結婚〜相手は前妻を忘れられない初恋の人でした

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【忘れるな、憎い君と結婚するのは亡き妻の遺言だということを】 男爵家令嬢、ジェニファーは薄幸な少女だった。両親を早くに亡くし、意地悪な叔母と叔父に育てられた彼女には忘れられない初恋があった。それは少女時代、病弱な従姉妹の話し相手として滞在した避暑地で偶然出会った少年。年が近かった2人は頻繁に会っては楽しい日々を過ごしているうちに、ジェニファーは少年に好意を抱くようになっていった。 少年に恋したジェニファーは今の生活が長く続くことを祈った。 けれど従姉妹の体調が悪化し、遠くの病院に入院することになり、ジェニファーの役目は終わった。 少年に別れを告げる事もできずに、元の生活に戻ることになってしまったのだ。 それから十数年の時が流れ、音信不通になっていた従姉妹が自分の初恋の男性と結婚したことを知る。その事実にショックを受けたものの、ジェニファーは2人の結婚を心から祝うことにした。 その2年後、従姉妹は病で亡くなってしまう。それから1年の歳月が流れ、突然彼から求婚状が届けられた。ずっと彼のことが忘れられなかったジェニファーは、喜んで後妻に入ることにしたのだが……。 そこには残酷な現実が待っていた―― *他サイトでも投稿中

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。

ふまさ
恋愛
 楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。  でも。  愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。

処理中です...