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56.手紙
しおりを挟む「レイさま。少し休憩いただいてもいいですか?」
エラルドが珍しいことを言ってきた。
何か用事があるのだろう。
「明日は休みだろう? もう上がっていいぞ?」
書類仕事なんて、やればやるだけ増えていく。
次々に持ち込まれるからだ。
「ありがとうございます。ニコに相談したいことがあると言われてまして」
「ニコが?」
「はい。ニコはべイエレン公爵家から来て上手く馴染んではいますが、困ったときに相談する相手がいないのではないかと思います。使用人部屋にいるミリアと違って、ニコは奥さまの隣の部屋ですし。他の使用人たちと交流を深めたくても、距離が遠く、忙しい身ですからね」
「なるほど」
そこまではさすがのレイも気付かなかった。
もっと早くメイドを増やすべきだっただろうか。
「そのままお休みをいただけるなら、相談に乗りつつお酒飲ませて潰しちゃおうかと」
「お前、それは」
「そこにヨアンを呼んでもらえますかね?」
「……まだやられてるのか」
エラルドはニコをうっかり可愛いと思ってしまったせいで、ヨアンから殺気を向けられている。
「ええ。そろそろ屋敷内では気を抜きたいんですよ。ニコに手を出す気はないとヨアンに理解してもらいたいんで。ついでにくっついてくれたらいいな、と」
「気を付けろよ。酔いつぶれたニコにお前の着ているものを掛けるのは絶対にやめろ」
「仰せの通りに」
「ついでにヴィルヘルミイナをさぐっておいてくれ。日本酒の仕入れ先をオーナーに紹介したからな。まさかとは思うが、薄めて出すなんてことがあっては困る」
「承知いたしました。では日本酒に合う料理を出しているか、また質が落ちてないかも確認しておきます。ついでに厨房の雰囲気も」
「頼んだ。お代は私に。ニコにはお前からということにしてくれ」
「承知いたしました」
日本酒を私の口利きで仕入れたのはいいが、珍しい高級な酒をいい加減な形で出されたくはない。
店の雰囲気が悪化しているのであればそれも考えなければならない。
ビジネスの世界は信用第一である。
(日本酒市場が活性化して欲しいんだけどねぇ。だからといって、私がようやく見つけた日本酒を品の悪い連中に扱われるのは面白くない。料理も美味いし、個室の雰囲気もいいし、オーナーもいい人なんだけど……あそこは料理長の人柄が信用できない)
飲食店経営の難しさについて、しばらく考えこんでしまった。
* * *
ヨアンが持ってきたフィルからの手紙をヘンリエッタに渡し、しばらくしてからヘンリエッタからの返事を受け取りポケットにしまう。
その後、ヴィヴィアン殿下の執務室を訪れてロジェと合流した。
(エラルドから言われなくても、今日は早上がりさせるつもりだったんだよね。
「フィルはどう?」
すっかり顔つきの変わったヴィヴィアン殿下は、腕を組んで優雅に座っていた。
王位には興味なんかありませんという態度を貫かなければならなかった殿下にとって、王太子となることが決定した現在のほうが気楽かもしれない。
マノロ殿下はすでに幽閉され、即刻アーレ夫人が送り込まれた。
彼女もまた、あの塔から出ることは二度とないだろう。
残った問題は王妃のご機嫌といったところだが、それは陛下に頑張っていただくしかない。
(ヴィヴィアン殿下と私のじゃれ合いも終わりってことだけどね)
レイにとっては苦痛の始まりである。
マノロ殿下が有能であれば、そもそも王位継承権など放棄できたものを。
結局、放棄どころか第二位になってしまった。
「フィルはぐちゃぐちゃ悩んでますが、時間の問題ではないかと。人妻だと思い、諦めている時間が長かったぶん、本当に自分でいいのかという葛藤があるようです」
全く気付いていなかったが、フィルとヘンリエッタは両想いだったらしい。
幼いころは三人で会うことも多かったが、ヘンリエッタがマノロ殿下の婚約者になってからはそれもなくなっていた。
(ヘンリエッタさまはもちろん、フィルも普段おちゃらけている割に、いざというときは顔に出ないんだよね)
べイエレン公爵からの「フィルにその栄誉を」という言葉で陛下が二度も頷いたところを見ると、やはりそれなりの家格の嫡男に降嫁させたかったのだろう。
(ヘンリエッタさまを思ってというより、女性を粗末に扱う王というイメージをつけたくないんだろうなぁ)
どことなく風見鶏のようにも見える陛下の政は、隠しきれない虚ろな瞳に現れているように思えた。
「アレクサンドラ王女からのお返事は如何でしたか?」
アレクサンドラは、ヴィヴィアン殿下の婚約者候補の王女の名だ。
「色よいお返事をいただいたよ。お若いが、とてもしっかりなさっている。追って、バルバリデ王陛下から正式な承諾の手紙が届くそうだ」
レイの問いに、ロジェは感心したように応えた。
そういう女性を見つけてくるロジェが有能ということでもある。
「では、届き次第、議会で報告を。ほぼ決定事項ではあるが、しばらくは忙しない日々となるだろう。二人には世話になる」
ヴィヴィアン殿下の言葉に、ロジェと二人で深々とお辞儀をした。
(すっかり為政者の顔になられた……)
ヴィヴィアン殿下は、女性を明確に避けていた。
マノロ殿下の妃が、元侯爵令嬢だったこともあり、ヴィヴィアン殿下が王太子妃より格上の公爵令嬢のマイナと婚約することに関して、王妃が難色を示していた。
もしヴィヴィアン殿下の婚約者がマイナであれば、王位を継いでも継がなくてもどちらでも過不足はなかったのだが、王妃の機嫌を損ねるという面倒な問題があった。
(だからヴィヴィアン殿下とマイナの結婚は、実は難しかったんだよね……陛下は結婚させたかったみたいだけど)
ヴィヴィアン殿下の年代は、マイナ以外では伯爵家のご令嬢しかいない。
たまたま高位貴族のご令嬢不足であったことは仕方のないことだが、彼女たちのうちの誰かを婚約者にしていたらと思うとぞっとする。
ヴィヴィアン殿下が王太子となる場合、伯爵令嬢では問題が生じていただろう。
必ず物申す者が出てくる。
その場合、他国の王女を正室として迎え入れることになる。王女を側室にはできないからだ。
そうなれば元婚約者が側室にという話になり、それをご令嬢が受け入れられなければ婚約解消、なんてこともあり得た。
ヴィヴィアン殿下も婚約者を傷付けたことに心を痛めるし、そこに愛があれば政のためとはいえ簡単に割り切れるものでもない。
(婚約者交代なんてことにならなくて本当によかった。傷付く殿下など、見たくない)
それもこれも、ヴィヴィアン殿下がマノロ殿下のように、女性に対して軽率な行動を取らずにいてくれたお陰である。
思慮深いヴィヴィアン殿下に、そっと尊敬の念を送るレイであった。
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