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43.お店
しおりを挟む「こちらは高級店が立ち並ぶ場所で、こちらは大通りに面した角ですが、庶民でも入れる店構えですね」
エラルドがマイナの前で地図を広げながら説明してくれた。
例の屋台で出会ったエキゾチックなお兄ちゃん――名前をボルナトと言う――のお店の候補店舗をピックアップしてくれたのだ。
レイは休暇明けから、ほぼ夜中に帰ってくる生活になってしまったため、店舗の件はマイナに一任されている。
「わたくしが本当に決めてしまっていいんですの?」
「もちろんです。レイさまは、奥さましかお客がいなくても構わないと仰ってますよ」
すっきりした一重の目を垂れさせて笑っているが、おそらく寝不足なのだろう。
目の下のクマがすごい。
レイが忙しいのだからエラルドも忙しいのだ。
お陰で、ずっと恋する乙女モードから抜け出せなかったマイナも多少落ち着いてきた。
(だって、生理の間もずっと優しいんだもーん)
お腹を温めるように後ろから抱きしめられて寝る心地よさを知ってしまったのだ。
レイはなんていう嫁たらしだろう!
ちゅき!
「わたくししかお客がいないなんて駄目じゃない!! ちょっと、貴方もちゃんと反論なさって?」
恐縮したまま固まるボルナトは頬を掻いて苦笑いしていた。
今日は前世風ネクタイを締めて、三つ揃えのスーツである。
なかなか似合っている。
「そうですね……正直に言うのであれば、高級店が立ち並ぶ場所は少々気が引けます、ハイ」
「そうよねぇ」
それはわかる。
結局、マイナも購入した服を着ることはないし。
公爵夫人に相応しくない服を着て屋敷をうろつくわけにいかないのだ。
そう考えると、ボルナトの持ち込んだ服を貴族女性に売るのは厳しいだろう。
(着たくても、そんなに頻繁に町へは行けないし……)
「やっぱり区域としては庶民側の方がいいわね」
「庶民側とはいえ、反対側は高級店が並んでますし、角ですから目立ちます。話題になれば貴族もこっそり買いに来る可能性もありますね。私もこちらの店舗をお勧めします」
エラルドは店舗のイラストの入った紙をマイナに見せた。
オレンジ色の外観がまるで金木犀のようだ。
「あら、可愛い! ここにしましょう。お店の名前は金木犀でどう?」
「なるほど」
エラルドも頷き、ボルナトは不思議そうな顔をした。
「いっそ店内から金木犀の香りがしたらいいのに。金木犀の香水ってないかしら?」
「私は聞いたことはありませんね」
エラルドが首を傾げた。
エラルドはお洒落で流行りに敏感だ。そのエラルドが知らないとなれば流通していないのだろう。
作っている国があればいいのに。
残念ながら前世、平凡な二十五歳の女性だったマイナに、香水を作るノウハウはない。
「奥さま、金木犀とは、もしかしてモクセイカのことです?」
「うーん、そうとも言うのかな? ほら、窓を開けると香りがするでしょ?」
マイナは視線でミリアに窓を開けさせた。
ニコは今日、初めてともいえる休暇中だ。
ヨアンにも一緒に休みをとらせた。
カールはマイナの後ろでずっとボルナトを警戒している。
(もう、ボルナトが発言しにくのはカールのせいよ)
ヨアンが警戒していないのだから、ボルナトをそこまで警戒する必要はないのに。
などと思ってはみたものの、カールの心の中まではマイナにもわからない。
(初仕事で張り切ってるのかな?)
そう思えば可愛いともいえる。
軽口を叩かないカールは、案外近寄りにくい雰囲気になることを知った。
「この香り、やっぱりモクセイカですね、ハイ。この香りでしたら、バルバリデ王国に室内用のフレグランスがあります」
「あるの!?」
「かなり庶民向けの商品になりますが」
「お取り寄せできる?」
「できます。何種類もあるので、可能な限り取り寄せてみます」
「お願いするわ」
鷹揚に頷いたマイナは大変満足しながら、本日の会議を終えた。
* * *
夜になり、夕食を終えたマイナは、部屋にこもって久しぶりにキャンバスを前に筆を持った。
ミリアたちを迎えに行ったときに実家から絵具などの一式を持ってきておいてよかった。
祖父の影響で前世では書道を嗜んでいたけれど趣味の域をこえず、売れるほどの才能はなかった。
しかし、書くことは好きだった。
その記憶を取り戻したとき、墨汁でなくとも書けると思ったことがきっかけだった。
水彩画である。
黄色、オレンジ、茶に、緑の絵具を出し、金木犀という字を絵具で描いた。
金という字は黄色とオレンジで、木は茶色で、犀は緑で。
その茶や緑の部分にも少しだけ黄色とオレンジを混ぜて、日本語で描く金木犀ができあがった。
「うん。いい感じ」
これを店内に飾ろう。
店舗の内見が楽しみになってきた。
絵具をかたずけていると、帰宅したレイがノックをしながら声をかけてきた。
妙に慌てている様子だったので手に筆を持ったまま扉を開けた。
「マイナ、どうしたの?」
「ん? 久しぶりに絵を描いてたの」
「……あぁ、そうか」
レイには何度か見せたことがあるので、持っている筆を見て安心したように頷いた。
お疲れだろうか。
扉を閉める横顔が、暗いような気がする。
(エラルドも、あの後急いで登城したもんねぇ?)
「毎日遅いけど、体は大丈夫? 疲れてない?」
シャツにトラウザー姿のレイもまたいいものではあるが、まだ湯あみすらしていないとは心配である。
食事もまだだろう。
「何か食べるもの作ろうか?」
「いや、バアルが軽いものを用意してくれてるから、それを食べて湯を浴びたら寝室に行くよ」
「そう?」
「マイナも片付けはメイドに任せて、準備しておいて。ベッドで少し話をしよう」
「うん。わかった」
会話が途切れたので、そのまま出て行くのだろうと予測して見送るつもりで背中を追っていたら、壁に押し付けられるようにして抱きしめられ、そのまま激しく口づけられた。
(苦しい!!)
背中をトントン叩いて、ようやく離してもらった。
「大丈夫?」
なぜマイナが聞いているのかわからなかったが聞いてしまった。
聞かれたいのはマイナのほうである。
ちなみに大丈夫ではない。
(なんかいつもより、さらにすごかった……)
何も言わずにレイはまた唇を重ねてきた。
今度は苦しくなかったけれど、とても長いキスだった。
(筆が、レイさまのシャツについちゃう……)
気にはなるものの、レイと離れることもできず。
気付けば筆を落とし、レイの首に腕を回していた。
(何か不安なことでもあるのかな?)
レイの瞳にかかる髪を避け、そっとレイの頬を撫でた。
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