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41.長い夜
しおりを挟む王家の別邸から帰ると、ヨアンからの報告を聞いた。
直接対峙していたのはわかっていたのだが。
王太子殿下は予想よりずっと変態であった。
寄せたくなくとも眉根が自然と寄ってしまう。
「あの人、ド変態だと思いますー」
ヨアンは気の抜けた声で報告していたが、目がギラギラしていた。
黙っていれば可愛らしいともいえる風貌だが、ひとたび牙をむけば顔色ひとつ変えずに喉元を食いちぎるだろう。
「私もそう思うよ。ところで、影はこの屋敷内にも潜入してる?」
「ここには居ません。居たらすぐ排除しますー」
「うん、頼んだよ」
「はーい。口の軽いメイドはどうしますかー?」
「そちらは私が処理するので問題ない。他には?」
「ありませーん」
「わかった。下がっていいよ」
頷いたヨアンは執務室を後にした。
(情報を漏らしたメイドには暇を出して、その後は……)
休みとはいえ、普段留守にしている屋敷の細々した作業を終えないといけないらしい。
ニコがべイエレン公爵家からメイドと護衛を連れて来たいというので了承し、その隙に金木犀を植えるための手配をしていると、休暇中のエラルドが顔を出した。
「どうした? このぐらい私一人で十分だから、休んでていいぞ?」
「いえ、王家の別邸の件がだいぶアレだったと小耳に挟みまして」
「あぁ。宰相閣下には連絡をしないとなぁ。私から聞かぬとも、閣下には子飼いの間者がいるし、ご存知だろうけれど、一応ね」
ヨアンの話から推理すると、王家の優秀な影は王太子殿下から手を引いているのではないかと思われた。
(父上の間者のほうがよほど優秀だな)
母が訪問した際にも密かに付いて来ていた。
彼らはヨアンの警戒心を散々刺激したが、排除されない距離を守っていた。
そういう見極めは大事だ。
「詳しくお聞きしても?」
「……うん。思っていた以上に殿下がマイナに執着していることがわかってね」
ヨアンからの情報を詳しく教えると、黒縁眼鏡の中の瞳が剣呑なものになった。
「変態ですね。ご愛妾さまは無事なんでしょうか?」
「どうだろう?」
気の毒ではあるが、さすがのレイもそこまで口出しはできない。
降りかかる火の粉を払う力ぐらいしか持たないのだ。
マイナとの結婚を急いでおいてよかった。
「……明日、宰相閣下に私がレイさまのお手紙を届けます」
「いいのか? 貴重な休みだぞ?」
「ついでの用もありますので」
「ふうん?」
(二日連続で王都の高級娼館か?)
入り口からはそういう店にまったく見えない、会員制の娼館である。
エラルドが休暇中に何をしようが構わないが、二日とはずいぶんな念の入れようだ。
「お前がわざと女の匂いをさせてまで牽制しなくてはならない女って誰なんだろうねぇ?」
どれだけ遊ぼうと綺麗に隠してみせるエラルドが、わざとらしいことをするものだ。
高級娼館の女性たちは意図的でない限り、相手の男性に匂いや痕を残したりはしない。
明後日の方を見てエラルドが小声で言う。
「藪をつついて蛇を出しちゃったんで」
(ってことは、ニコか)
「へぇ。お前らしくもない」
「うっかり」
「そんなに可愛かったのか?」
「まぁ、そうですね。周りにいなかったタイプだったんで、つい」
「せいぜい蛇に噛まれないようにな?」
「あんまり生きた心地はしないもんですね」
「だろうなぁ」
先ほどのギラついたヨアンの目を思い出す。
(ほんと、べイエレン公爵はよく飼いならしたもんだよねぇ。マイナとニコのお陰かな?)
宰相にしかわからない暗号めいた文章を書き連ねてエラルドに渡す。
レイが手紙を書いている間も、エラルドは扉の近くから動かなかった。
(私に匂いが付かないように配慮できるし、別邸のことも嗅ぎつけてくるんだから、やっぱりエラルドは優秀だよねぇ。ヨアンに排除されない距離を正しく理解しているし……)
そのエラルドがニコに『うっかり』するとは。
(……こういうことを面白がると父上みたいになるんだろうな)
思わずため息を吐いたレイは、自室に戻って念入りに体を洗った。
エラルドの香りはそのくらい『わざとらしい』ものだった。
* * *
休暇四日目の朝。
口の端に玉子を付けたマイナが可愛くてどうにかなりそうになりながら口を拭いてあげた。
金木犀を二人で見ていても、レイの心は凪いでおり、無欲であった。
四阿で密着していても、やましい気持ちにはなっていなかった。
休日が次の日で終わることも悲観してなどいなかった。
当初考えていたよりずっとマイナがレイを意識してくれていることがわかっていたからだ。
だから、マイナからの不意打ちの告白に「嬉しい」としか返せなかったことに、後々から悶絶する羽目になった。
いつものレイなら余裕しゃくしゃくの顔で自分もマイナを愛してると囁いて、なんなら昼間から部屋にこもる流れに持って行くことだってできた。
しかし、マイナの準備をするニコが面接のために不在だったことや、思いがけない話の流れにレイも戸惑っていた。
うまく流れを作ることができず、学園時代の付き合いたての男女のように真っ赤な顔をしながら二人でお茶を飲むにとどめてしまったのだ。
そうなると一層恥ずかしくなってしまい、それを誤魔化すかのように話題は結婚していないマイナの兄、フィルの話に終始した。
(なんて色気のない!! っていうか、あいつなんで婚約すらしてないんだ!?)
確かにフィルはモテる貴公子像からは少しはずれた筋肉ムキムキの大男ではあるが、由緒正しいべイエレン公爵家の嫡男である。
王弟なんていう政治的に面倒くさい人が父であるレイなんかよりもずっと優良物件だ。
(そういえば好きな女の話も聞いたことがないな? いや、今はフィルのことは正直どうでもいい)
思いが通じ合った今、まさに夫婦の寝室の扉がマイナによって開かれようというとき。
レイはごくりと唾を呑み込んだ。
ニコとの定期連絡の際も「今日」と伝えた。
明日が休暇五日目という幸運。
初めてを終えた次の日に、愛妻の世話を焼ける幸せ。
レイは神の采配に感謝した。
(どんなナイトドレスで現れるのだろう)
期待に胸が高鳴る。
待ってましたとばかりにがっついてはいけない。
(大人の余裕、大人の余裕)
どんなに色気のない会話に終始しようとも、レイが「する」となれば、強引にそういう流れにもっていくことは可能だ。不意打ちの告白にテンパったことなど、さっさと忘れるに限る。
(よし。鎮まってるな)
もはや下半身と理性との闘いである。
マイナの部屋の扉が開き、ちょこんと顔を出した。
「おいで」
ナイトドレスが恥ずかしいのだろう。
なかなか入ってこないマイナに天蓋のカーテンの中から声をかけた。
一部始終を見られているとマイナをかえって緊張させてしまうだろうと、レイはベッドの上で待機していた。
「あのぅ、レイさま。わたくしやっぱり……」
(まさか! この期に及んで!?)
急いで天蓋のカーテンをすり抜け、マイナに駆け寄る。
「どうしたの?」
顔だけ出したまま入ってこないマイナに優しく微笑んだ。
「あのぅ、実は」
そんなに煽情的なドレスなのだろうか。
再び唾を呑み込もうとして我慢した。
あからさま過ぎるからだ。
「月の障りが」
「…………あぁ、そういうこと?」
できないからって、がっかりなんかしてない!!
断じて!!
散々待ったんだし!!
このぐらいなんてことない!!
「はい。ご不浄とも言えますし、一緒に寝るのは駄目なんじゃないかと」
「そんなことないよ。一緒に寝よう?」
「いいの?」
「もちろん。これからはどんな日もずっと一緒だよ」
「よかった。わたくし、もう一緒じゃないと眠れなさそうだから」
(可愛っっ!!!! なんて恐ろしい子……天然て怖い)
「レイさま?」
「あぁ、ビックリした。可愛すぎて頭がおかしくなるところだった」
いや、おかしい。
おかしくなるところだったと言ってしまうくらいおかしい。
同時に、長い長い夜の幕開けに密かに絶望した。
待つのはいい。
得意だ。
だがしかし、可愛すぎてつらい。
いや、正直に言おう。
やっぱりつらい。
表情を崩すことなく大人な対応ができているか不安になるレイであった。
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