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30.天蓋
しおりを挟む「本日のマイナさまについては、私よりも旦那さまのほうがよくご存知なのではないでしょうか?」
ニコは執務室に入ってくるなり、開口一番そう告げた。
机の上に片肘を突いて、顎をのせていたレイは堪えきれなくなり、下を向いて肩を震わせた。
「レイさま」
「あぁ」
エラルドに注意されたが、なかなか顔を上げられなかった。
ニコは、セラフィーナから降りたあと、足が震えて歩けなくなり、ヨアンに抱えられたまま屋敷に入る羽目になった。
しっかり者のニコが怯える様子は珍しく、使用人たちは皆ヨアンに抱えられるニコを見て立ち止まった。
「ニコのお陰で、同じく私に抱えられたままのマイナが目立たず、騒がれなかったから色々上手くいったよ。ありがとう」
マイナもニコに夢中だったから、降ろしてと言われずに済んだ。
その後も、膝に乗せたり抱きしめたりを繰り返したが、夕方までのそれほど長くはない時間でもかなり慣れたように思える。
(まずは私に触れられることに慣れてもらわないとね。閨はマイナの想像を超える行為だろうし)
シモンはその一連の様子にあからさまにホッとした顔をしていた。
屋敷を出たときのレイはよほど酷い顔をしていたのだろう。
「それはようごさいました」
温度の下がったニコの表情にまた吹き出しそうになった。
(ダメだと思えば思うほど可笑しくなってしまうな)
父が周りを振り回すのも、こういう出来事が発端だったのかもしれない。
かといって、わざとやるのはやはり下衆としか言いようがないが。
(私が父似であることを嫌というほど思い知らされる一日になってしまったな)
似ているならなおさら。
マイナに乱暴なことはしたくない。
あの無垢な可愛らしさに癒されておきながら、自分で汚すなど外道のやることだ。
「それでは本日はこれで。私はマイナさまの準備がありますので」
ニコは閨の準備があるからさっさと終わりにしろと言わんばかりの顔でレイを睨んだ。
「いや、閨についての準備なら必要ない。しばらく先になる」
「はぁ!?」
「ぶっ」
(ダメだ、面白すぎる)
申し訳ないと思えば思うほどこみ上げてくるものがある。
ヨアンのだらしない顔がセットで迫ってくる。
「レイさま、私からお伝えしても?」
見るに見かねたエラルドが声をかけてきた。
下を向いたまま頷く。
エラルドに事情を説明しておいてよかった。
レイの尻拭いとばかりに、しばらく王宮に留まったエラルドは、遅れて戻った屋敷でシモンにレイの様子を聞き、かなり気を揉んだのだという。
先ほど矢継ぎ早に質問を受けた。
「奥さまがレイさまを兄のように慕っている様子が感じられるため、まずは奥さまとの触れ合いを重視し、徐々に男性として受け入れてもらいつつ、閨を進めたいとレイさまはお考えです」
「はぁ、左様でございますか。承知いたしました」
こっそりニコを見れば、このヘタレが!!とでも言いそうなほどの顔をしていた。
(いかん、またツボに入る)
「レイさま、今日は以上でよろしいですか?」
エラルドのフォローが頼もしい。
「うむ」
「それでは失礼いたします!!」
ニコは不快感を隠さず部屋を後にした。
扉の前にいたヨアンが、心配そうな顔をしていた。
(ヨアンのやつ。ヘンリクが帰っても、この時間はニコの傍にいることにしたんだなぁ)
ヨアンなりに頑張っているのに、今日はやりすぎてしまった。
このやり方ではニコは頑なになってしまうだろう。
ヨアンだけではなく、侍女としてのプライドを傷つけてしまったニコのためにも、何か埋め合わせをしなくては。
マイナと二人きりになりたかったし、結果的にレイとマイナの関係は、レイからのスキンシップを受け入れるという意味で少し進化したので、ヨアンとニコには感謝してしているのだが。
(二人が恋仲になろうと、なんの不都合もないからな。邪魔したいわけでもないし。むしろ、二人が力を合わせてマイナを守ってくれるのなら都合がいい)
「レイさま」
「わかってる。ニコとの関係を拗らせたくはない。今日のところはフォローを頼むよ」
「……かしこまりました」
まずはエラルドに託そう。
頭が切れるので上手くやってくれるだろう。
明日からエラルドには五日間の休暇を出している。
申し訳ないが、その前にひと働きしてもらおう。
「面倒かけるな」
「いえ。レイさまが闇堕ちしなくて済んだのです。このくらいはお安い御用です」
「闇堕ちか。あれは嫌なものだな。大切な人を壊してしまいそうだ」
「心中お察しいたします。大旦那さまのようにはなりたくないと、レイさまが抗った結果かと。踏みとどまったレイさまを尊敬いたします。私にできることは何なりとお申しつけください」
「それはマイナのお陰だよ。彼女と結婚できた私は幸せだな。でも、ありがとう。頼りにしてるよ」
立ち上がり、エラルドの肩を叩いて執務室を後にした。
(冷えてきたな)
明日行く場所は、まだそれほど寒くはないだろうが下着を厚手のものにしたほうがいいだろう。
言わなくてもニコなら準備するだろうが。
マイナの部屋のドアをノックすると返事がなかった。
まだ湯あみだろうか。
扉前の護衛も中の様子まではわからないようで、首を振っていた。
仕方なく、自室で湯あみをして軽く酒を飲んでいたら扉がノックされた。
しかも、夫婦の寝室側の扉からだった。
慌てて扉を開けると、薄いナイトドレスを纏ったマイナがもじもじしながら立っていた。
布地の面積は広いし、用途を考えると大人しいナイトドレスではあるが、前リボンひとつ解けばすぐに肌が見えるだろう。
淡いピンクがマイナの白い肌に映えている。
(ニコのやつ……!! 絶対に嫌がらせだろ!!)
『妻の侍女とは仲良くしろ』
どこぞの誰かが言っていた台詞だ。
それが夫婦円満の秘訣と言っても過言ではないと。
あの父ですら守っている。
(私自身、父を見ていて痛感しているし、ニコを侮っていたわけじゃないんだが)
「あの、今日からわたくしの部屋ではなく、こちらの寝室で休むとレイさまが仰ってたとニコから聞いたので」
「あぁそうだね。でも今晩は少し冷えるよ? その格好で寒くない?」
「やっぱり変!? だから嫌だって言ったのに!!」
「変じゃないよ。似合い過ぎていて困るぐらいだよ。可愛いよ、マイナ」
口説きつつ、さっと横抱きにして大股でベッドまで歩くと、天蓋のカーテンをすり抜けた。
こういう時、少しでももたつくと全てが台無しになるからだ。
滑らかな手触りのナイトドレスは肌滑りがよく、マイナの綺麗な足を丸見えにした。
理性との長い戦いの始まりに、自業自得と思いつつも、ニコの勝ち誇った顔がチラつくレイであった。
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