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6.ニコ

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マイナが熱を出した。
朝から医者が呼ばれ、タルコット公爵家は上を下への大騒ぎになった。

「疲れが出たのでしょう。あたたかくして、ゆっくり休ませてあげて下さい」

白髭をたくわえた医師が、薬を処方して帰って行った。

「何か飲みたいものはないか?」
「喉を通りそうなものは?」
「寒くないか?」
「痛いところは?」
「今日はずっと傍にいるからな」

レイの矢継やつばやの質問に、聞いてるニコのほうがイライラしてきた。

「旦那さま、さっさとお仕事へ行ってください。マイナさまが休めません」

「しかし」

「しかしも、かかしもありません」

「だが」

(クッソ、イライラする!! そのお綺麗な顔を殴ってしまいたい!!)

「レイさま、お仕事の帰りに、アイスを買ってきてください」

ニコの限界を感じたのか、マイナがとうとう声を上げた。

「アイスなら今すぐに」

「帰りがいいです。帰りでお願いします。王宮御用達の『野薔薇』のアイスがいいです」

野薔薇は王城のすぐ近くに店を構えている。
明らかにレイを仕事へ行かせるための方便だ。

「……しかし、帰りでは遅いのでは」

「お願いします。夜に食べたいのです。たぶん、そんなにひどくならずに熱は下がりますから」

「そうか……マイナがそう言うのなら」

布団の中でコクコク頷いたマイナに、堪えきれない様子でオデコにキスしたレイは、後ろ髪をひかれながら出勤して行った。

仕える主人が愛されているのは誇らしいが、過保護過ぎる。

成人してすぐの結婚は貴族では珍しく、マイナは幼妻と呼ばれている。
加えて庇護欲をそそる見た目からレイが過剰に心配する気持ちはわかるが、マイナの精神年齢は実年齢より高い。

あのままずっとここにいられてしまえば、マイナは自分のせいで旦那さまが仕事をサボったと自己嫌悪に陥るだろう。

そういう方なのだ。

自立した女性でもあるが、少々気を遣いすぎるきらいもある。
前世で幼いころにご両親を亡くされたようで、厳しい祖父に育てられたらしく、そのことがより一層気遣いという面に現れているような気がする。

相手に合わせてしまうところが心配だったのに、レイから求められていた共寝を拒否したことには驚いた。

随分と奥手というか、気遣いの方向を間違えているというか……そこもまたマイナの魅力かもしれないが。
ニコの立場上、それをよしとは言えないのが辛いところだ。

マイナより七歳年上のニコもまた、彼女に庇護欲をそそられている一人である。

しばらくして寝入ったマイナの顔色を確認してから部屋を出た。
静かに食堂へ向かう。
発熱に気付いた早朝から走り回っていたので、朝食を食べそびれてしまった。

(何か残ってるといいのだけれど)

休憩に入っているであろうバアルに何かを出してもらうのは気が引ける。
すっかり片付いてしまった厨房にガッガリしながら、食物庫に行ってリンゴでも齧ろうと踵を返した。

「あっ、ニコいた! お疲れ様! なにも食べてないでしょう? これどうぞ」

目の前に現れたヨアンが手渡してくれたのは、大きな『おにぎり』が二個。

「鮭と梅干しだよ。好きでしょ?」

「うん……」

「リンゴもいる?」

どこから出したのか、ヨアンの大きな手には真っ赤なリンゴが乗っていた。

(さっきは持ってなかったよね?)

「食物庫からもらってきたんだ。ニコも行こうとしてたでしょ?」

「うん……でも『おにぎり』だけでいい」
 
マイナと長く過ごしているニコとヨアンは、マイナから『おにぎり』の作り方を習っている。

『忙しいときにすぐ食べられるし、持ち運びに便利だから覚えておいて?』

当時七歳だったマイナが作る『おにぎり』は小さく可愛らしかった。
ベイエレン公爵家の使用人たちは、小さな三角が並ぶお盆を前に呆然とした。

誰もが巻かれた海苔の値段が高いことを理解していたし、お嬢さまの手作りをいただくという栄誉にも震えていた。

その頃はまだ、マイナの値段の判断基準は前世のままだった。
そちらの世界の海苔は高級品ではなかったらしい。

そのすぐ後のことだ。
マイナは海苔が高価であることに気付き、使用人が『おにぎり』を気軽に食べられないことを知ってしまった。

(あの時のシュンとしたマイナさまのお顔が忘れられない……)

使用人たち皆で話し合い、しょんぼりするマイナを説得して、使用人でも気軽に食べられる海苔を巻かない米だけの『塩むすび』を習った。
本音を言えば米も高いが、絶対に買えないという価格ではない……。

『塩むすび』は米の甘さが引き立ってとても美味しい。
けれど、海苔が巻かれ、具の入った『おにぎり』はやっぱり絶品だ。
特にせわしなく動いた今日のような日は。

「海苔はとても栄養があるってマイナさまも言ってたし。こういう時こそ食べるべきじゃない? 鮭と梅干しはバアルさんにもらったよ。海苔は僕が買った海苔を巻いたから、遠慮なくどうぞ」

ヨアンはニコが断ったリンゴを丸齧りしながら笑った。
整っているのにどこか間抜けにも見えるヨアンの顔を見上げる。

「ありがとう」

「うん……あのね、ニコ」

「お断りします」

「まだ何も言ってない!!」

途端に情けない顔をしたヨアンを見て、ざわつく胸を鎮めるニコであった。



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