【完結】なんちゃって幼妻は夫の溺愛に気付かない?

佐倉えび

文字の大きさ
上 下
2 / 125

2.マイナ

しおりを挟む
 

 結婚してひと月ほど経った。
 実に穏やかな日々である。
 毎日ご飯が美味しい。

 マイナの好物は白米だ。
 日本で生きた前世の記憶が鮮明なマイナにとって、朝食といえば米である。
 唯一の肉親であった祖父が和食好きだった影響でもある。
 祖父は著名な書道家だった。
 テレビや雑誌の取材も多く、いかにもな和服姿で白の長髪、白髭の祖父は、映像や写真でとても映えた。

「銀鮭はたしかに美味しいけど高いわ。目玉焼きがあれば他は要らないのに」

 贅沢過ぎる。
 和食特有の食材や調味料はこの世界では非常に高い。
 生サーモンは安いのに、なぜか銀鮭はめちゃくちゃ高いのだ。
 生サーモンに塩振ったやつでいいよと言ったら夫のレイが怖い顔で首を振った。
 イケメンが台無しになりそうな表情だった。
 柔らかな茶色のウェーブした髪が揺れ、琥珀色の瞳には妥協などプライドが許さないというオーラが滲んでいた。

(鮭ぐらいでそんな!? レイさまも美食家だったの!?)

 前世の祖父はそれはもう美食家で、産地にまでこだわるので食卓が大変だった。
 食事の用意をしていた、お手伝いのお妙さんが気の毒だった。

「マイナさまのために、栄養バランスを考えられたお食事です。目玉焼きだけなどあり得ません」

 マイナのティーカップに緑茶を注ぎながら侍女のニコが説教モードになった。

 緑茶もまた高い。
 緑茶を飲むなら湯のみだと思うが、ティーカップになってしまうのは致し方ないだろう。
 ここは異世界だから。

「レイさまは?」

「すでにご出勤されました」

「また!? ブリザード宰相、人使い荒くない!?」

「マイナさま、またそのような粗野なお言葉を」

「レイさまは、屋敷の中では好きにしていいって言ってくれたよ?」

「こんな時ばっかり旦那さまの言葉に従うなんてズルくないです? そこまで仰るならマイナさまが癒してさしあげればよいものを。共寝まで拒否する始末。ニコは情けなくて涙が出そうです。この国の高貴な紳士である旦那さまがよく初夜を「アーアーアーきーこーえーなーいー」……ハァ」

 幼い頃からの侍女であるニコは容赦がない。
 十六歳という年齢はここでは立派な成人女性だ。
 頭ではわかっている。

(だけど私の感覚では十六歳って高校生なのよー!! あんな大人な色気むんむんのレイさまが私を女として見てるわけないのにー!!)

 マイナは自分の容姿の地味さにもガッカリしていた。
 黒髪黒目なんて思いっきり前世のカラーだ。
 気付いたときは落胆した。

(公爵令嬢なんて身分だけ立派で、釣書のひとつもきやしないんだから)

 ヴィヴィアン殿下の妃候補なんて呼ばれていた時期は遠く、それ以降浮いた話はひとつもなかった。
 殿下は今でもマイナに対して友だちとして接してくれるぐらい、殿下とマイナは仲がいい。
 それならばなおさら友だちである殿下とは結婚できないだろう。

 それに、どうしても『デ・ベツォ』が『デベソ』に聞こえてしまうのだ。

 デとベツォの間に一呼吸あれば違ったかもしれないが、「デ、ベツォ」なんて、わざわざ途切れさせて発音する人などいない。しかも、この国の人の発する「ツォ」は日本語の「ソ」にものすごく近いのだ。
 などということはマイナ以外の人は知る由もなく、説明したところで理解されないので話したことはないが、厳かな場で王族の名を笑おうものなら切腹ものだろう。

(だから式典に必ず出席する王子妃なんて、私には絶対に無理よ)

 ニコは溜息を吐いて、扉の前に控えている、幼い頃からの護衛のヨアンに視線を送った。
 お前からもなんか言ってやれみたいなニコの視線にヨアンは首を振った。
 ニコはヨアンに対して『使えねぇな』みたいな顔をして「チッ」と舌打ちしていた。

 何もマイナは意地悪でレイと寝室を分けてもらっているわけではない。

 レイはマイナに恥をかかせないよう初夜から共寝をしてくれてはいたが、手は出されなかった。
 やはりレイは、釣り書ひとつこないマイナを気の毒に思って、同情で結婚してくれただけなのだろう。

(公爵令嬢が婚約者もいないまま成人って外聞が悪かったのよね)

 そんなマイナを助けてくれたレイの役には立ちたいとは思うが、迷惑はかけたくないとも思う。
 妻の役目を果たせないのに、共寝なんて不本意なことさせられない。
 多忙なレイには、一人でゆっくり寝て欲しかった。

 ただでさえ、のんびり過ごさせてもらっているというのに、マイナのためにこれほどの食事を用意してくれているのだ。
 気遣いだけでなく、手間とお金までかけさせてしまっている。

 お味噌汁はいい。これは必須だろう。
 白菜の漬物もいい。これも必須だ。
 しかしなんだこれは。
 朝から里芋とこんにゃくの煮物、焼き鮭、細いアスパラを揚げたもの。
 ほうれん草の白和えに、きゅうりとわかめとタコの酢の物。
 それらが絶妙な量で鎮座している。

(懐石料理!? この世界でこれって、前世フレンチ料理フルコースより絶対高いわ!!)

 金銭感覚が前世のままであるマイナは、この世界の贅沢には腰が引ける。

「ねぇ、やっぱりレイさまに品数少なくするように言うわ。朝からこれは贅沢すぎるよ」

(前世のおじいちゃんだって、朝からはこんな品数食べてなかった)

「目玉焼きとお味噌汁だけにして欲しいという切なる願い。そこにタコさんウインナーがあれば贅沢というレベル」

「却下でしょうね。旦那さまがまた般若のようなお顔をされるだけかと」

「なんでよ?」

「それ、私に聞きますー!? あれだけ態度に出されてて、まだわかってないとかほんと、なんなんでしょうね!?」

 その後もずっとプリプリ怒っていたニコを横目に、ご飯は綺麗にいただいた。
 ダメ元でもレイには食事の改善を訴えなければならない。
 上品な満腹加減に、量と質の良さを感じてなお一層いたたまれなくなったのである。

 完全に腹八分目を把握されているマイナであった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?

氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。 しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。 夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。 小説家なろうにも投稿中

望まれない結婚〜相手は前妻を忘れられない初恋の人でした

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【忘れるな、憎い君と結婚するのは亡き妻の遺言だということを】 男爵家令嬢、ジェニファーは薄幸な少女だった。両親を早くに亡くし、意地悪な叔母と叔父に育てられた彼女には忘れられない初恋があった。それは少女時代、病弱な従姉妹の話し相手として滞在した避暑地で偶然出会った少年。年が近かった2人は頻繁に会っては楽しい日々を過ごしているうちに、ジェニファーは少年に好意を抱くようになっていった。 少年に恋したジェニファーは今の生活が長く続くことを祈った。 けれど従姉妹の体調が悪化し、遠くの病院に入院することになり、ジェニファーの役目は終わった。 少年に別れを告げる事もできずに、元の生活に戻ることになってしまったのだ。 それから十数年の時が流れ、音信不通になっていた従姉妹が自分の初恋の男性と結婚したことを知る。その事実にショックを受けたものの、ジェニファーは2人の結婚を心から祝うことにした。 その2年後、従姉妹は病で亡くなってしまう。それから1年の歳月が流れ、突然彼から求婚状が届けられた。ずっと彼のことが忘れられなかったジェニファーは、喜んで後妻に入ることにしたのだが……。 そこには残酷な現実が待っていた―― *他サイトでも投稿中

【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。

112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。 愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。 実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。 アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。 「私に娼館を紹介してください」 娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──

【完結】大好き、と告白するのはこれを最後にします!

高瀬船
恋愛
侯爵家の嫡男、レオン・アルファストと伯爵家のミュラー・ハドソンは建国から続く由緒ある家柄である。 7歳年上のレオンが大好きで、ミュラーは幼い頃から彼にべったり。ことある事に大好き!と伝え、少女へと成長してからも顔を合わせる度に結婚して!ともはや挨拶のように熱烈に求婚していた。 だけど、いつもいつもレオンはありがとう、と言うだけで承諾も拒絶もしない。 成人を控えたある日、ミュラーはこれを最後の告白にしよう、と決心しいつものようにはぐらかされたら大人しく彼を諦めよう、と決めていた。 そして、彼を諦め真剣に結婚相手を探そうと夜会に行った事をレオンに知られたミュラーは初めて彼の重いほどの愛情を知る 【お互い、モブとの絡み発生します、苦手な方はご遠慮下さい】

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

処理中です...