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2.マイナ
しおりを挟む結婚してひと月ほど経った。
実に穏やかな日々である。
毎日ご飯が美味しい。
マイナの好物は白米だ。
日本で生きた前世の記憶が鮮明なマイナにとって、朝食といえば米である。
唯一の肉親であった祖父が和食好きだった影響でもある。
祖父は著名な書道家だった。
テレビや雑誌の取材も多く、いかにもな和服姿で白の長髪、白髭の祖父は、映像や写真でとても映えた。
「銀鮭はたしかに美味しいけど高いわ。目玉焼きがあれば他は要らないのに」
贅沢過ぎる。
和食特有の食材や調味料はこの世界では非常に高い。
生サーモンは安いのに、なぜか銀鮭はめちゃくちゃ高いのだ。
生サーモンに塩振ったやつでいいよと言ったら夫のレイが怖い顔で首を振った。
イケメンが台無しになりそうな表情だった。
柔らかな茶色のウェーブした髪が揺れ、琥珀色の瞳には妥協などプライドが許さないというオーラが滲んでいた。
(鮭ぐらいでそんな!? レイさまも美食家だったの!?)
前世の祖父はそれはもう美食家で、産地にまでこだわるので食卓が大変だった。
食事の用意をしていた、お手伝いのお妙さんが気の毒だった。
「マイナさまのために、栄養バランスを考えられたお食事です。目玉焼きだけなどあり得ません」
マイナのティーカップに緑茶を注ぎながら侍女のニコが説教モードになった。
緑茶もまた高い。
緑茶を飲むなら湯のみだと思うが、ティーカップになってしまうのは致し方ないだろう。
ここは異世界だから。
「レイさまは?」
「すでにご出勤されました」
「また!? ブリザード宰相、人使い荒くない!?」
「マイナさま、またそのような粗野なお言葉を」
「レイさまは、屋敷の中では好きにしていいって言ってくれたよ?」
「こんな時ばっかり旦那さまの言葉に従うなんてズルくないです? そこまで仰るならマイナさまが癒してさしあげればよいものを。共寝まで拒否する始末。ニコは情けなくて涙が出そうです。この国の高貴な紳士である旦那さまがよく初夜を「アーアーアーきーこーえーなーいー」……ハァ」
幼い頃からの侍女であるニコは容赦がない。
十六歳という年齢はここでは立派な成人女性だ。
頭ではわかっている。
(だけど私の感覚では十六歳って高校生なのよー!! あんな大人な色気むんむんのレイさまが私を女として見てるわけないのにー!!)
マイナは自分の容姿の地味さにもガッカリしていた。
黒髪黒目なんて思いっきり前世のカラーだ。
気付いたときは落胆した。
(公爵令嬢なんて身分だけ立派で、釣書のひとつもきやしないんだから)
ヴィヴィアン殿下の妃候補なんて呼ばれていた時期は遠く、それ以降浮いた話はひとつもなかった。
殿下は今でもマイナに対して友だちとして接してくれるぐらい、殿下とマイナは仲がいい。
それならばなおさら友だちである殿下とは結婚できないだろう。
それに、どうしても『デ・ベツォ』が『デベソ』に聞こえてしまうのだ。
デとベツォの間に一呼吸あれば違ったかもしれないが、「デ、ベツォ」なんて、わざわざ途切れさせて発音する人などいない。しかも、この国の人の発する「ツォ」は日本語の「ソ」にものすごく近いのだ。
などということはマイナ以外の人は知る由もなく、説明したところで理解されないので話したことはないが、厳かな場で王族の名を笑おうものなら切腹ものだろう。
(だから式典に必ず出席する王子妃なんて、私には絶対に無理よ)
ニコは溜息を吐いて、扉の前に控えている、幼い頃からの護衛のヨアンに視線を送った。
お前からもなんか言ってやれみたいなニコの視線にヨアンは首を振った。
ニコはヨアンに対して『使えねぇな』みたいな顔をして「チッ」と舌打ちしていた。
何もマイナは意地悪でレイと寝室を分けてもらっているわけではない。
レイはマイナに恥をかかせないよう初夜から共寝をしてくれてはいたが、手は出されなかった。
やはりレイは、釣り書ひとつこないマイナを気の毒に思って、同情で結婚してくれただけなのだろう。
(公爵令嬢が婚約者もいないまま成人って外聞が悪かったのよね)
そんなマイナを助けてくれたレイの役には立ちたいとは思うが、迷惑はかけたくないとも思う。
妻の役目を果たせないのに、共寝なんて不本意なことさせられない。
多忙なレイには、一人でゆっくり寝て欲しかった。
ただでさえ、のんびり過ごさせてもらっているというのに、マイナのためにこれほどの食事を用意してくれているのだ。
気遣いだけでなく、手間とお金までかけさせてしまっている。
お味噌汁はいい。これは必須だろう。
白菜の漬物もいい。これも必須だ。
しかしなんだこれは。
朝から里芋とこんにゃくの煮物、焼き鮭、細いアスパラを揚げたもの。
ほうれん草の白和えに、きゅうりとわかめとタコの酢の物。
それらが絶妙な量で鎮座している。
(懐石料理!? この世界でこれって、前世フレンチ料理フルコースより絶対高いわ!!)
金銭感覚が前世のままであるマイナは、この世界の贅沢には腰が引ける。
「ねぇ、やっぱりレイさまに品数少なくするように言うわ。朝からこれは贅沢すぎるよ」
(前世のおじいちゃんだって、朝からはこんな品数食べてなかった)
「目玉焼きとお味噌汁だけにして欲しいという切なる願い。そこにタコさんウインナーがあれば贅沢というレベル」
「却下でしょうね。旦那さまがまた般若のようなお顔をされるだけかと」
「なんでよ?」
「それ、私に聞きますー!? あれだけ態度に出されてて、まだわかってないとかほんと、なんなんでしょうね!?」
その後もずっとプリプリ怒っていたニコを横目に、ご飯は綺麗にいただいた。
ダメ元でもレイには食事の改善を訴えなければならない。
上品な満腹加減に、量と質の良さを感じてなお一層いたたまれなくなったのである。
完全に腹八分目を把握されているマイナであった。
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