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次世代に継ぐ幸福
シリル(3)
しおりを挟む「どうして君がここに?」
地を這うような声が出てしまった。
シリルの前に、着飾ったイリーナが立っているせいだ。
シルク素材で仕立ての品がいいワンピースで綺麗なクリームイエローが小柄なイリーナをさらに可愛らしく見せていた。
「わ、わたくしもその、お見合いとやらを、しに来たのですわ」
「しどろもどろだな」
いつも被っている紳士の仮面を取り払ってしまえばシリルなどこんなものだ。巷で噂されるルーズヴェルト侯爵家特有の隠しきれない高貴さとやらは、シリルだけは持ちあわせていない。
「わたくしには婚約者がおりませんので、参加する権利はあります」
「お父上からの許可は? まさか無断?」
「いいえ! 伝えて来ました」
「そう? なら、いい出会いがあるといいね」
突き放すような言い方をしたら、イリーナは唇を噛んでいた。
王宮の一角で開催されているお見合いパーティーだが、参加者は貴族の中にちらほら官吏職に就いている庶民が混ざっている。貴族の次男、三男や次女なども多く参加しており、初回にしては一定の効果はあったといえるだろう。
立食式のテーブルにオードブルが並び、談笑のためのテーブルやベンチが多く運び込まれている。ダンスはしないというだけで、夜会のドレスのような格好をした女性と、タキシード姿の男性が目立つ。場所が王宮だからだろう。シリルは最近デオギニアから入って来たスーツを着て来た。細身のデザインが気に入っているのだけれど、タキシードの男性から見れば随分軽装に見えるだろう。
イリーナの傍を離れ、少しだけ食事を取るとバルコニーへ出た。そこから見える庭園では、会話が弾んでる男女が見えた。
手すりに肘を置き、退屈な時間がさっさと過ぎることを願いながら、八ヶ月前の誘拐事件のことを思い出していた。
*
事の発端は、イリーナが侍女から商会で買った耳飾りが偽物かもしれないと相談されたことからだった。
その侍女は子爵令嬢で、行儀見習いとしてアディンソン侯爵家で侍女をしているのだという。
見せられた耳飾りは、本物しか身に着けてこなかったイリーナからすると明らかに偽物だった。
イリーナは元来の正義感から侯爵に相談することなく屋敷をこっそり抜け出すと、辻馬車を拾い、一人でファミーユ商会を訪れたらしい。店頭に現れた会頭本人に向かって、侍女が買った耳飾りを見せながら偽物を売っているのではないかと迫ったのだという。
聞いた時は耳を疑った。
しかも。
「シリル様も、どうやらファミーユ商会をお調べになってると耳にしましておりましたから、何か探れるのではないかと思いまして、それで一人、飛び出してしまったのです」
王宮のメイドに着替えさせられ、父の執務室で事情を話すイリーナは、あんな事件の後だというのに随分と落ち着きを取り戻していた。
「なんで俺が調べてるからって、あなたが乗り込むんだ!? そもそも君にそんなことを吹き込んだのは誰なんだ!?」
苛立つ気持ちを抑えられなかった。父が言葉遣いを注意してきたが無視してしまった。
「我が家の、その、そういったことを調べる者が」
「間者か? 我が家もそんなことを探られてしまうとは、そこのところ、どうなってるんです?」
思わず父を見ると、首を振って否定していた。
深部は探られていないということか。どういうことだ。
「あの、わたくしがその……個人的にシリル様のことを……」
「は?」
「シリル様が利用される店だとか、日々どのような場所を好んでいらっしゃるかなど、そういった個人的なことを探らせている者がおります。その者の話では、シリル様が直接的ではないものの、どうやらファミーユ商会と繋がりのある貴族を調べているご様子だと」
シリルが唖然としていると、気の毒そうな顔をしたアルフレッドが「まぁまぁ」とその場を取りなした。部屋には他にもヒースとジークハルトがいたが、彼らは聞き役に徹していた。
「イリーナ嬢はシリル本人の好みとか、好きな場所とかを知りたかったんでしょ? そのついでに、ちょーっと余計な事も知っちゃったと。しかも、自分の預かっている大事な侍女が詐欺にあったかもしれない。これは大変だ、真相を確かめなくちゃと思ったんだよね?」
「はい。その通りです」
「凄いね、行動力が」
思わずアルフレッドが褒めると、父は「褒めてはいけない」と真剣にアルフレッドを窘め、イリーナにも注意をした。
「イリーナ嬢。そういった時には必ずお父上に相談するように」
「はい。とても反省しております。今回助けていただかなければ大変なことになっておりました」
「無事でよかった。この後、陛下とガルブレイス辺境伯からも同じような事を再度聞かれると思うけれど、大丈夫だろうか? お父上もこちらへ向かっているので、一緒で構わないし、場所は騎士団内ではなく王宮の客室を用意したから」
「ありがとうございます。大丈夫です。きちんとお話させていただきます」
父は再度感心したように頷いていたけれど、シリルは全く納得できなかった。
「で、なんでここにまで付いて来るんだ?」
アディンソン侯爵が到着し、イリーナを抱きしめている客室で父にそう聞かれたが、それには返事をせずに前を向いていた。胸の中にわだかまるもやもやした感情を説明できない。それが普段の自分らしからぬ行動だと言うことは百も承知している。
部屋ではレオンハルトとブレインデンの二人が、抱き合う親子をそっと見守っているところだった。
ひとしきり娘と抱き合ったアディンソン侯爵は、レオンハルトとブレイデンにお礼を言い、なぜかシリルにもしきりにお礼を言ってきた。
「いえ、騎士の方が言う令嬢の特徴がイリーナ嬢と一致していたので駆けつけただけで、私は何もお役に立てておりません。それどころか、イリーナ嬢が無茶をした原因が私だったようで、申し訳ありません」
「あぁ、こちらこそ申し訳ない。娘は少々お転婆なところがありましてな」
少々じゃないだろうと思ったが黙っておいた。
レオンハルトとブレインデンの意味ありげな視線が気になる。
「シリル様、本当にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
神妙な顔をしてイリーナが謝罪してきた。
「無事でよかった。今回のような無茶なことは、今後は控えていただきたい」
「はい」
イリーナが頷いている横で、アディンソン侯爵はシリルとイリーナを交互に見てそわそわとしていた。
好々爺というかなんというか。年老いてからできた娘のイリーナを溺愛しているという噂は本当のようだ。
事情を聞き終えたレオンハルトとブレイデンと父が退出した後、部屋を出ようとしたシリルをアディンソン侯爵が呼び止めた。
「はい、なんでしょう?」
「どうか、娘の気持ちに応えてやってもらえませんか?」
「失礼ですが、気持ち、とはどういったものでしょうか」
わかりきってはいるが聞かずにはいられない。
イリーナは真っ赤になって俯いていた。
「単刀直入に言います。娘と婚約してもらえませんか? 見ての通り、貴方への娘の気持ちは明らかですし。私もできるなら叶えてやりたいと」
「そう仰いますが、我が家は政敵では?」
「いえいえ、保守派筆頭などと勝手に呼ばれているだけで、我が家は今も昔もずっと中立派のつもりですよ」
「そうだとしても、我が家は何かと恨まれることが多く、今回のような事件が再び起こらないとも限りません。護衛が常に付くのは当たり前、行動が制限されるのも当たり前、ひとたびことが起これば予定していた場所へも行けなくなる。そんな窮屈な生活に、大変活発なイリーナ嬢が耐えられるとは思えません……ですから、そのお気持ちに応えることはできません」
「……そうですか。残念ですが、これ以上はご迷惑になりますね」
「お父様っ!!」
「お前の軽率な行動で、多くの人に迷惑をかけたんだ。これ以上、シリル君を煩わせてはいけないよ」
アディンソン侯爵が諭せば、イリーナは「申し訳ありませんでした」と俯いて呟いた。
表情はうかがえなかったけれど、きっと諦めてくれただろうと、そう思っていた。
*
「シリル様」
「……いい人は見つかった?」
手すりに肘を置いたまま、話しかけてきたイリーナを横目でチラリと見た。
手に持ったシャンパンをシリルに渡そうとしている。恥をかかせるわけにもいかず、礼を言って受け取ると、ひと口飲んだ。
「会場内で少し、男性とお話しましたが……やっぱり……シリル様以上に良い人なんて見つかりません」
ワンピースをキュっと握ったイリーナが潤んだ瞳で見つめてくる。
「……君はどうしてそんなに。俺は見た目通りじゃないよ? 雑で品がないし、正直に言ってしまえば恋愛結婚なんて面倒くさいと思ってる。そのうち適当に政策がてら結婚すればいいと思ってるし、そこに愛なんて求めてない。仕事人間で家庭は任せっきりだろうし、よい夫にはならないよ。それをとやかく言われるのはうんざりするし、俺が求めてるのは従順で大人しい妻だ。正義感の強い嫁は要らない。俺はそういう古い考えの男だよ」
諦めて欲しくて言ってみたけれど、急に赤い顔をしたイリーナは『はぁ』と艶めかしい息を漏らして見つめてくるだけだった。
「ちょっと待て、何か飲んだか!?」
「シリル様と同じものを先ほど。初めて飲んだのですが、シャンパンてとても美味しいのですね」
「君はまだ十七歳では?」
「先日、十八歳になりましたわ。成人ですから、お酒も飲めます」
「まさか初めて飲んだ酒がこの会場?」
「はい。お話していた男性に勧められて……それで、ずっとホール内からシリル様がこちらで立っていらしゃっているのを見て、どなたともお話されないので、ホッとしてしまって、あぁ、やはりわたくしはシリル様が好きだなぁと。先ほど仕事人間と仰ってましたが、生徒会でもそうでした。他の人が後回しにする面倒な手続きを、シリル様は全て処理なさって。わたくし、仕事をするシリル様を眺めるのがいつもいつも幸せでした。だって、人が嫌がる面倒な仕事ですのよ? 誰だってサボりたいものなのです。わたくし、人に仕事を押し付けて自分は楽をするのに、わたくしには色目を使ってくるようなそんな男性は好みではありませんの。ですから、仕事ができない男性のお誘いは全てお断りしてきましたけれど、そういう人って、とてもしつこくて。わたくしみたいな貧相な女など組み敷けるとでも思うのでしょうか? この間の事件だって、わたくしに武道の心得があれば、あんな太った方に捕まることなんてなかったはずです。ですから!! わたくしもアリシア様とフローラさんが通われている道場にも入門しましたの! そこで見るお二人の勇ましさにも惚れ惚れいたしました。お二人とも黒帯ですのよ!? 憧れですわ。わたくしルーズヴェルト侯爵家の皆さんがとっても好きなのです。国のために尽くされる宰相様を筆頭に、改革派でありながら古き良きサファスレートの貴婦人である侯爵夫人、可愛らしい見た目に反して勇ましいフローラさん。そして何より、無能の貴族子息をほほ笑みながら顎で使うシリル様――それはもう、どうしようもなく心がときめくのです。わたくしがアディンソン侯爵家の令嬢でありながらも、このような男女の出会いの場に出て来られるのも国王陛下と宰相様の政策のお陰、ひいては実践なさるシリル様のお陰なのです。ひと昔前でしたら、どんなにシリル様を想っても、このようなことを口にはできなかったでしょう。サファスレートが以前のままであれば、わたくしは押しの強い保守派の、凝り固まった思想の嫡男と政略結婚しなければならなかったはず。ですからわたくし、シリル様への気持ちが叶わなくともどうしても溢れんばかりのこの気持ちをお伝えしたくて……」
「ストップ!! 本当に酔ってるだけか!?」
さすがに何か薬を飲まされたか? なんてこの場では聞けないが、会話の内容も突っ込みどころが多すぎる。ファミーユ商会の会頭がいくらデブで素早く動けそうに見えなくとも、男の力を侮るのは危険だ。無計画で突っ込んでいくイノシシにしか見えないし、我が家への熱すぎる想いも怖い。
イリーナは何を聞かれているのかわからない様子で小首を傾げた。
見かけだけはびっくりするほど可憐な乙女である。
赤い顔に潤んだ瞳に、少し開いた唇が非常に艶めかしい。少し離れた場所にいた男が、そんな彼女を見て顔を赤らめた。
「控えの間に行こう」
「えっ」
「変な意味じゃない。誓って何もしない。君はそこで酔いをさますべきだ」
「酔ってはおりませんよ? 少々ふわふわするだけで、先ほどの言葉は全てほんとうの気持ちです!!」
「待て、」
イリーナの唇に人差し指をあて、黙れと目で訴えた。
イリーナは唇の端をキュっとしめて頷くと、シリルの腕に手を乗せて横に並んで歩き出した。
その姿は周りからは合意に至ったカップルにしか見えなかったのだが、それにシリルが気付いたのは、二人は恋仲でイリーナが卒業したら結婚するらしいという噂が王都を駆け抜けた後だった。
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