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枯渇する泉

60.行く末

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 それは、不意にやってきた。
 深夜、出歩く人の姿が一切見られなくなった頃、不意にぱん、と火花が上がった。
 ――騎士団員による、会敵を示す、信号弾だ。魔法によって放たれたそれが、夜空にきらきらと光を零すのを皮切りに、私は薄い眠りから目を覚ます。天幕の外がにわかに騒がしくなるのを聞きながら、杖を手に飛び出した。

 会敵、と叫ぶ人々の声が耳朶を打つ。殿下が「陣形を整えろ、光弾を空に! 魔物を逃がすな!」と叫ぶ声が、人々の喧騒の隙間を縫って響く。恐らく魔法を使って、村中に声が響くようにしているのだろう、大気を揺るがさんばかりの大声だった。
 
 そこかしこで光弾が上がり、夜空がまるで朝のように塗り替えられていく。闇に隠れていたはずの魔物の姿が、鮮明に浮かび上がった。私の居る、広場からでも、見えるくらいの――そんな、大きさ。

 魔物は、大きく、獰猛な、形をしている。
 昼間、カイネに傷つけられた、あの鹿の魔物。それが先陣を切るようにして居て、周囲にも大小いくつかの魔物を引き連れていた。おそらく、鹿の魔物同様、泉の近くを根城にしていた魔物たち、だろう。
 
 精霊の守りによって、泉に近づくことが出来なくなった魔物は、殿下の危惧通り――村に現れた。
 おそらくは、村を襲い、人間を食べ、回復するために。もしくは――村に駐屯する騎士団へ、復讐をするために。

 魔物は空高く明滅する光に陰影を濃くしながら、周囲をけん制するように大きく鳴いた。獣の声がいくつも混ざったような、そんな声だ。怒りに濡れたそれは、びりびりと肌を震わせる。

「前衛隊、先陣を切れ! 村に一匹の魔物を入れることも許すな!」

 殿下の声が、魔物の声を切り裂いて場に響く。前衛隊に設置されていた騎士達が、剣を掲げ、槍を持ち、魔物へ接敵していく。砂埃が舞い、魔物の声と、人々が呼応しながら戦う剣戟の音が聞こえる。

 夜闇がこの場を支配すれば、夜目の効かない人間は魔物によって蹂躙される可能性がある。私は魔法を夜空に打ち上げて、周囲が闇に紛れないようにする。何度も何度も、光がつきかける前に。

 魔物と接敵する敵が多くなればなるほど、光弾を打ち上げる人物は少なくなる。私は光弾を打ち上げつつ、魔物が――おそらくは癒術を嫌う魔物が、必要以上に村の中へ入らないように、村の中に癒術を込めた花を降らせ続けなければならない。
 これは、殿下から与えられた役割でもある。

 カイネと話し終えたあと、まるで交代するようにやってきた殿下に、お願いがある、と頼まれたのが少し前のことである。
 騎士はもちろん、魔物を倒すべく奮闘するが、逃してしまう可能性も無いとは言い切れない。特に今回は新しく着任したばかりの騎士もいる。だからこそ、万全を期す必要性がある。
 
 ――魔物が何があっても、絶対に、ヒーシの村に入らないように。
 そのために、花の癒術士である、君の力が必要なのだと。
 
 そう言われたら、私は、力を尽くすのみである。それに、きちんと与えられた役割をこなすことで、もしかしたら、カイネを友好的に思う皇帝側の存在である殿下が、今後、何かしら便宜を図ってくれる可能性もあるかも、なんて下心もあるのだ。

 正直、癒術の花を降らせる魔法は、物凄く負担がかかる。負担がかかるわりに、全然、見かけ倒しで、効果なんてほとんど無い。けれど、それでも、ヒーシの村の人々を守ることは、出来る。

 花を振らせる。光が尽きる前に、光弾を打ち上げる。少しずつ魔物の声が少なくなっていくのがわかった。騎士団員たちが、魔法で、そして、剣で、魔物を少しずつ倒していっているのだろう。広場の中心で、魔法に集中していると、あまり周囲の状況に目を配ることは出来ないのだが、それでも、消えていく魔物の声、そして騎士たちの剣戟の音が、相手を圧倒していることを示してくれた。

 魔法の合間に、私は周囲を見やって、前線で戦う傷のある騎士の傍に、見かけ倒しに過ぎない花を他よりも多く降らせる。そして、見ている限り、少しだけ苦戦しているところには、それとなく光弾の打ち上がる場所を工夫して、他の騎士に知らせるようにする。
 魔物は、消えていく。――大きな、鹿の、魔物だけを残して。

 鹿の魔物は、ちょうど、村の入り口で、誰か――カイネと、そして幾人かの騎士と対峙しているようだった。
 攻める頃合いを図っているのか、どちらもまんじりとして動かない。ただ、今までに一合、二合と打ち合ったのだろう、鹿の皮膚からどろどろとした血がしたたり落ち、地面に落ちては酸のように音を立て、煙を上らせているのが見えた。
 
 カイネが剣を携えて、魔物の前に立っている。魔物が、相手との探り合いに飽いたのか、地を揺るがすばかりのうなり声を上げた。前足が駆る、その、瞬間。
 
 カイネが、腰を落として、一歩、地面を強く蹴り、肉薄する。魔物の首元、あらわになった柔らかな皮膚を、その剣が一気に突き刺した。もちろん、魔物はそれだけでは死なない。血反吐を吐きながらカイネに対して憎悪を向ける。魔物の前脚が振り上がり、カイネに傷をつけようと、頭上の角が暴れるように動く。それらを交わすこともなく、カイネの指先が動いた。剣の柄にはめ込まれた石が光る。
 一拍、を置く間もなく、魔物の体が内側からぶくりと膨れ上がった。ぶつぶつと風船のようにあちこちが膨れ上がり、そのまま破裂する。

 内部から、恐らく、確実に殺そうとするための魔法。刺さった剣を媒介に、魔物の体を内側から爆発させたのだろうことが、見てわかった。
 魔物がうなり声を上げる。凄惨な現場に、けれど、騎士達が呼応するように声を上げ、魔物に向かう。魔法が放たれ、銀の剣閃がきらめいて――いくつもの攻撃が魔物の元に集結し、ようやく、魔物が、倒れる。

 ぴくりとも動かないそれから、カイネが剣を抜き取る。そうしてから、彼は魔物の首をたやすく刈り取り、それからそっと剣を頭上に掲げる。美しい礼をとるようにカイネは目を閉じ、それから開いた。それと同時に、勝利を確信した騎士達が、声を大きく上げる。

 私は花の魔法を止めた。光弾を打ち続けて、魔法力の消費が激しい。少しでも気を抜いたら、そのまま昏倒してしまいそうな中で、遠くから響く勝ちどきの声に耳を澄ませた。
 どっ、と汗が滲む。私は小さく息を吐いて、それからゆっくりとその場に座り込んだ。

 どうやら、なんとかなったらしい。本当に良かった。ほっとすると同時に、これからのことが頭に浮かんで、私は小さく首を振る。
 休んでいる暇はない。後は二日後に迫る祭りを、どうにかすれば、南部の泉は枯れない。

 ――カイネとリュジの未来が、変わるかもしれない。

「やあ、よくやったね」

 座って息を整えてからしばらくして、不意に頭上から声がかかる。顔を上げると、殿下が口元に笑みを浮かべて、私を見つめていた。泥や血の類いが、美しい騎士の衣服を汚している。

「殿下……、良いんですか。兄様たち……騎士をねぎらわなくて」
「ねぎらってきたよ、一番にね。だから次の功労者の元に来たんだ」

 殿下は嬉しそうに笑う。そうして、そっと腰を下ろした。

「あれほどもの数の光弾を打ち続けて、なおかつヒーシを守るための花を降らせつづける。――君の魔力量は帝国随一とも言えるんじゃないかな?」
「そんなことは……本当に、ありません」
「そういう謙遜は良いから。――ねえ、少し、今度出かけない?」
「はい?」
「大事な話をしよう。僕にも、そして君にも実りある話をね」

 殿下は含むように言葉を続ける。一瞬、何に誘われているのだろうと思ったけれど――これは、願ったり叶ったりだろう。

「是非。――お願いします」
「うん。まあ、二日後の祭りもどうにかしないといけないんだけどね。その辺りは、まあどうとでもなるだろうし」

 夜闇を塗り替える光弾が、わずかに明滅しながら、少しずつ消えていく。幕を引いたように暗くなる世界に、けれど、星の光が降り注ぐ。

「――明日からは、また、忙しくなるね」

 静かな声に、私は小さく頷いて返した。


 その日は天幕の中で眠りにつき、朝が来ると同時に広場に敷いたそれらを片付ける。
 今日、明日は宿を借りられることになったので、また今日の夜から柔らかなベッドで身を休めることが出来るのは嬉しい。しかも、魔物の襲来も、それ以外の何もかも、悩まされることのない夜を過ごすことが出来るのだ。最高と言っても過言では無いだろう。

 朝の内、殿下はヒーシの村を治める貴族に呼び出されたらしい。昼過ぎに何故か荷馬車を引いて帰ってきた殿下から、これからのことについての話があった。
 貴族からは、ヒーシの村を守ってくれたこと、そして南部の泉に関する相談がしたい、とのことで呼び出され、それらの話をしてきた、とのことである。
 
 南部の泉については、二日後に祭を開催することで精霊が機嫌を治すことを伝えた。もちろん、期限が近いものの、今まで通り、沢山の食事ともてなしを用意しなければならないことも伝えたらしい。
 貴族は頷き、これまでと同じ祭を開催します、とのことであった。是非皆さんも参加してほしい言っていたよ、と殿下が伝えると、騎士の幾人かは楽しそうに声を上げていた。

「それから――女性の話だね。泉に沈んでいた女性について」

 殿下は僅かに楽しげな雰囲気を滲ませる騎士達をゆっくりと見つめ、それから口を開いた。

「彼女はヒーシの村に住んでいた人らしい。先日、行商に向かった先で両親を亡くした子なんだとか。それからずっと気落ちしていたらしいから、その関係で死を選んだのだろう。どうして泉を選んだのかまではわからないけれどね」
「……」

 小さく息を飲む。祭で内外から人が行き交うこともあり、女性の失踪が明るみに出ることが遅くなった、ということである。
 女性の手荷物には、僅かな金銭と、手紙らしき紙の束が入っていたらしいが、手紙は水に濡れて解読不能となっていたのだとか。女性の遺体に関しては、身よりが無いこともあり、捨てられることになったらしい。

 って。

「す、捨てられる? 埋葬はされないんですか?」
「どうだろう。もう何せ、相手方は強く怒っていたから。魔物の餌にでもなれば良かったのに、とか暴言を吐いていたね」

 どうして――かは、簡単に想像が出来る。
 女性は死を選び、そして最後の場所に南部の泉を選んだ。そのせいで、南部の泉は女性が腐敗しないように女性にかかりきりになり、その結果、周辺の加護が薄れ、魔物が跋扈するようになって、村の人々に沢山の怪我人が出たわけである。

 女性が死さえ選ばなければ、そんなことは起こるはずもなかった。村を治める貴族の怒りが、女性に向かうのは自明の理だろう。
 思わず閉口する。――両親を亡くして、そのせいで、自死を選んだ女性。私も、――私も、カイネと、リュジに、助けてもらわなければ、あの女性のように、死を選んでいた可能性がある。

 多少なり、自分を重ねてしまいそうになる。両親と離ればなれになり、死を選んだ女性が、その後も尚、両親と離れたまま過ごすのは、しのびない気がした。

「……あの、殿下、その、私……女性を……」
「待って、この話には少し続きがあるんだ」

 私が。――同じ境遇だった私が、せめて、埋葬の手伝いをしたい。そう思って言葉を口にしようとすると、殿下が軽く首を振る。そうして、私に向かって僅かに相好を崩してみせた。

「――ほら。僕って女性に優しいだろう?」
「……はい?」

 どのへんが。

「流石に、そのへんにうち捨てられるのを看過するわけにもいかないと思ってね。なら騎士団で埋葬しますよ、と言ってきたんだ」
「――え?」
「良かったら手伝ってもらってもいいかな? もちろん、両親の埋葬場所は既に聞いてあるよ」

 殿下が小さく笑う。周囲から「殿下はまたそうやって色々背負いこんできますよねえ」と言うような軽口が飛んだ。
 また。――こういうことを、他でも、やっていたり、するのだろうか。

「エトルはこの世界に住まう全ての人々を愛している。ならば、エトルの敬虔な信者である僕も、全ての人々を愛し、許さなければいけないからね」

 殿下は僅かに格式張った様子で言葉を続け、それから「ほら、行こうか。女性の死体は荷馬車に乗せてあるから、皆で運ぼう」と続ける。
 道理で帰ってきた時に荷馬車を一人で引いてきたわけである。思わず小さく笑うと、殿下が「それで、メル令嬢、何か?」と首を傾げて見せた。
 私は首を振る。――何もありません、と告げる声が僅かに弾んだものになるのは、多分きっと、仕方が無かったと、思う。
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