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枯渇する泉

52.旅路

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 南部へ行く日は、すぐにやってきた。北部から南部まで、騎士団と共に赴くこともあり、私は馬車の荷台に乗せて貰い、沢山の物資とともに南部へ向かうことになった。のだが。
 右を見ても左を見ても男性ばかりが居る状況というのは、なかなかにこう、緊張するというか。しかもほとんど見知らぬ顔である。しかも皆大変に精悍な体つきをしているので、それもあって圧迫感が凄い。そんなことを言っている場合では無いと思うのだけれど。

 私は荷台で膝を抱える。屋根のない荷台は、私が座れるスペース以外は全て荷物で埋まっていた。身じろぎもしづらいくらいである。
 もちろん荷台自体、人を乗せるようには作られていないので、どこもかしこも角ばっている。クッションなどを持って来ることもなかったので、このままでは南部に着く頃には全身がガチガチになり、お尻と腰が爆発する危険性がある。……自分に癒術を使ったことはないのだが、今日に至っては、チャレンジしてみるべきかもしれない。

 小さく息を吐く。――荷馬車の前と後ろで、分断するようにして馬を走らせる人々は、皇帝直属の騎士団である。
 エトルを象徴とする星の紋章を掲げ、帝国中から選りすぐりの人々が集められている。騎士団の中でも、指揮を執る人物によって隊がわかれており、今回は陛下の言っていた通り、エリオス殿下の指揮する隊が共に行くことになった。

 エリオス殿下の指揮する隊には星の子が所属していることが多く、カイネも例外ではない。カイネのように三拍子全て揃った星の子は他には居ないが、ちら、と周囲を見てみると、紺碧の瞳を持つ人や、星をちりばめたような虹彩の人を見かけることが出来た。
 皇帝がおそらく、勅命を出して集めてきたのだろう。

 ぼんやりと周囲を眺めていると、不意に前から離れて、荷台の方へ来る人影が見える。銀色の短髪は日に輝くように美しく、目が合うと榛色の瞳が僅かに楽しげに揺れる。――エリオス・イストリア殿下だ。
 殿下は馬を器用に操り、荷馬車の傍で併走するようにしてから、「カタラ伯爵メル令嬢、ご機嫌はいかがか?」と声を弾ませた。

 良いのだろうか、こんなところまで来て。軍団の指揮官と呼べる相手である。普通であれば指揮を執るために、一番前を走っていなければならないのでは。
 思わずあっけにとられて、それから直ぐに首を振った。カーテシーをこの場でするわけにもいかず、軽く頭を下げて「問題はありません」と続ける。体を動かしたのもあって、荷台に載せられた荷物と軽く肩が当たった。殿下が小さく笑い、首を振る。

「そういうのはいいよ。ここでは騎士団の指揮官でしかないし、なにより、帝城じゃない。楽にね」
「そ、そういうわけには……」
「良いって。僕は何もしてないわけだし。――むしろ、敬意を払うべきは、こちらだろう?」

 殿下は、僅かに眦を垂らすようにして笑った。人好きのする顔、というか、少し垂れ目がちで、口元にほくろがある。すっと通った鼻筋に、薄い唇。確かカイネと同い年だったはずだから、恐らく、現在は二十一か二十二、くらいだろうか。

「そんなことは……」
「あるよ。狩猟祭と、それとこの前の花と。花の癒術士という名にふさわしい活躍をしていると聞き及んでいるから」

 殿下は軽口を叩くように言葉を続ける。――『星のの』の、ゲーム内で主人公たちの支援をするキャラクターとして出てくる殿下は、攻略こそ出来ないものの、一部で人気があった。それは彼の性格がイストリア帝国第一継承位である殿下であるというのに、どことなく軽薄で、少しだけ憎めない雰囲気があったからだろう。

 思わぬ所でゲームに出てくるキャラクターと出会ってしまった、なんて少しだけドキドキする。同行する、という話が出ていたこともあって、恐らく話をする機会もあるだろうなあ、とは思っていたのだけれど。

「もったいないお言葉です」
「そういうの良いって。カイネに話してるみたいにしてよ」
「に――兄様に、ですか?」
「そう。一緒に住んでいるんだろ? 聞いてるよ。父上が悔しがっていたから」

 それはどうして。思わず目を瞬かせる。殿下は榛色の瞳を軽く眇めると、「ほら」と、まるで明日の天気を言うような軽い口ぶりで言葉を続ける。

「優秀な癒術士を抱え込むのは、国にとってとても重要だ。何せ、君は聖女の再来かもしれない、と言われているくらいなんだよ」
「せっ……!?」
「そうそう。――あの花を咲かせる魔法、凄かったよ。トゥードット子爵のご子息である、ユリウス殿から教わった魔法というのは聞いたけれど、本当にそう? 実は違うんじゃない?」

 殿下はじっと私を見つめてくる。軽薄そうで、憎めない口調。だが、その瞳は人の真意を推し量るような、そんな強烈な光が宿っていた。
 思わず小さく息を飲む。黙っていたら、嘘を吐いたことを認めてしまうことになるだろう、と私はすぐに首を振った。

「いえ。――本当に、トゥードット子爵から教わったものです」
「そうなんだ。まあ、それは、トゥードット子爵を呼び出せばすぐに分かることなんだけどね」
「……」
「あは。顔色一つ変えないね。何か策があるの?」

 なんだか――殿下の手の平の上で、ころころと転がされているような、そんな居心地の悪さを覚える。ゲームで見てた殿下と違う。いやそりゃあ王位継承権第一位として、色々な人と渡り合う必要があっただろうから、腹を見せない感じはなんとなく理解出来るけれど、それでも。ゲームのときは主人公には優しかったじゃないか、なんて、少しだけ思う。
 あれはやっぱり、主人公特典みたいなものだったのだろうか。悲しい。モブである私には適用されないのだろう。

「トゥードット子爵も、私と同じことが出来ますから」
「それはすごいね。聖なる者が二人も我が国に居てくれるなんて。幸先が良いなぁ」

 殿下は小さく、含むように笑うと、そっと首を振った。「大丈夫、呼び立てたりはしないよ」と、軽い口調で続ける。

「流石に、ここで君の怒りを買うような真似はしたくないからね」
「……殿下は、先頭を行かなくて大丈夫なのですか?」
「急だね。カイネに任せたから。ちょっと君の妹のところに行ってくるよ、って言ったら、凄く嫌そうな顔をされたけれど。カイネのああいう顔は久々に見たな。少し面白かったよ」

 嫌そうな顔。……カイネが?
 思わず呆けてしまう。私の考えていることがなんとなくわかったのだろう、殿下は今度こそ息を零すようにして笑うと、「大事にされているんだね」と続けた。

「良いことだ。前みたいな、何をしても無反応で唯々諾々と従うようなカイネじゃない。目に感情が見える。きっと君のおかげだろう?」
「私は……私は何もしていません。兄様がきっと、自分で何かを乗り越えたのではないでしょうか」
「そうかな。多分あのままだったら潰れていたと思うけれど」

 からからと言葉を続けてから、殿下は前を向く。そうして、「そろそろ休憩地に着くよ」とだけ続けた。

「この先に、小さな村があるんだ。その傍で今日は一晩をこす。次の日も、同じように村を訪ねて、一晩。大体、二日後の昼くらいに、南部の目的地に到着すると思う。大丈夫?」

 長い旅路になるであろうことは覚悟していたが、改めて口に出して言われると、なんだか目眩がする。小さく呻きそうになるのを喉の奥に押し込めてから、私は「……大丈夫です……!」と、喉の奥から振り絞るように声を出した。
 三日の行軍、耐えてみせる。背中と腰が犠牲になるかもしれないが、それでも。

「気合い入ってるね。良いな」

 殿下が小さく笑う。そうしてから、彼は馬の足を速め、前に行ってしまった。遠ざかる銀髪を眺めていると、ドッと疲れが押し寄せてくるような心地を覚える。
 つ、疲れた。明日も話しかけられたら、心労で胃に穴が空くかも知れない。胸のあたりを軽くさすって、私は小さく息を吐く。
 南部への道は、まだ遠い。


 殿下の行ったとおり、小一時間ほどかけた所に小さな村があった。宿泊設備なども存在しない、そこに住まう人だけで完結しているような村、と言えば良いだろうか。おおよそ、多くの人を出迎えるように出来ていない場所だ。
 荷台には野営用の天蓋装備が置かれていたこともあり、村の近くに場所を借りて、そこで野営を敷くことになるらしい。

 ずっと座っていたのもあって、体がこりかたまっている。荷台から降りて小さく伸びをしてから、私も野営の準備を手伝うことにした。
 一応――というか、私もこの行軍の一員である。お客様ではないのだ。組み上がる天蓋を眺めてぼんやりしているわけにもいかないし、人々が枯れ木を集め始めて火を熾そうとするまで待つ、というわけにもいかない。
 
 近くの騎士に声をかけて、私は枯れ木を集めることにした。地道に道なりを進みながら枯れ木を集めていると、「メル」と声をかけられる。
 振り向くと、カイネが居た。私と同じように枯れ木を手に持っている。

「メル、お疲れ様。大丈夫だった?」
「うん、大丈夫。兄様こそ。先頭、大丈夫だった? 指揮を変わってもらった、って、殿下が言ってたけれど」

 カイネは小さく笑う。「殿下の無茶に付き合うのはこれが初めてじゃないからね」と彼は続けて、それから小さく息を吐いた。

「メルは、こういう……野営は初めてだろう? 良かったら兄様と一緒の天蓋においで」
「えっ。良いの?」
「もちろん。家族なんだから。一応、兄様は騎士団の中でも実力があるから、天蓋も一人占め出来るんだよ。メルと一緒に過ごせるなら、嬉しいな」
「――いや、でも、ここは家じゃないから……」

 思わず言葉がしどろもどろになる。家で、秘密裏にリュジやカイネと共に寝たりすることと、騎士団という衆人環視の元、同じ天蓋で一晩過ごすのは、なかなか意味合いが違ってくる気がする。

 それこそ、カイネは最近になってずっと婚約の申し出が来ている。その全てを今のところ断ったり、断りきれないものは顔を合わせるもののその後手紙でそれとなく辞退する旨を伝えているところを、何度か見かけたことがある。タリオンおじさまも、カイネの婚約にあまり口出しするつもりはないようだ。カイネの母である、トゥーリッキは言わずもがなである。

 本来なら、貴族の結婚というものは家同士の縁を繋ぐ役割を担うものだが、タリオンおじさまはあまりそういったものを望んでいないらしい。陛下から睨まれているという事実も、それに拍車をかけているのだろうと思う。
 何にせよ、これから先、カイネが結婚するとして、今回のことが問題になる可能性だってある――気が、する。
 少しだけ考え込んでいると、カイネが僅かに瞬いて、それから私の手にそっと触れた。手の甲を撫でるように指先が動いて、少しだけくすぐったい。

 小さく笑いながら兄様、と名前を呼ぶと、カイネは薄く微笑んだ。

「お願い。――兄様からのお願いは、きけない?」
「そ、そんなことはないけど……」
「なら、決まりだね。良かった。もちろん、メルも天蓋を独り占め出来るようにされているだろうけれど、少し心配だったから」

 良かった、とカイネは私から手を離して嬉しそうに肩をすぼめて見せる。
 ……案外、カイネは策士なのかもしれない、なんてぼんやりと思いながら、私はカイネと共に、枯れ木を集める作業を続行した。

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