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癒術士試験
48.過保護なきょうだい
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ある日のことである。
「どこへ行くの?」
「兄様」
部屋から出た瞬間、狙い澄ましたように声をかけられて、私はびくりと肩を揺らす。見ると、少し先、部屋から顔を覗かせるカイネと目があった。カイネはゆっくりと廊下を歩いて私の傍に来ると、「駄目だよ、出かける時はきちんと私やリュジに声をかけないと」と少しだけ怒ったように続ける。
「いや、あの、……出かけるって、だって」
ちょっとだけ気分転換に外に出よう、と思っただけなのだ。遠くへ行くつもりもなく、更に言えば庭園を見回るだけ。
それだけなのだから、伝える必要は無いだろう。ええーっ、と視線をうろうろと動かしていると、カイネは僅かに視線を落として、少しだけ悲しそうな顔をする。美人の悲しそうな顔というのは大変な攻撃力を持つものだが、ことさらにカイネの泣きそうな顔は私に効く。
「少し外に出ようと思っただけ、だよ……?」
「それでも、だよ。一ヶ月眠っていたんだから、何かが起こってからじゃ遅いんだから。兄様が着いていくね。一緒に散策しようか。ほら、メル」
言いながらカイネが膝を突いて、私に向かって手を差し出す。抱っこするよ、と、明言せずとも、その行動が全てを物語っていた。
「……歩けるよ」
「兄様が抱っこしたいんだよ。駄目?」
「だ、駄目というか、ほら、傍目から見たら……」
「どうして。庭園だけなら、誰の目にも留まらないよ?」
カイネが小さく笑う。そうしてから、彼はもう一度、軽く首を傾げて私を見た。
……一瞬じり、と後ずさりをする。瞬間、カイネの瞳に傷ついた色が宿って、私は首を振った。ええい。もう、どうにでもなあれ。
カイネの傍にそっと近づく。ちょうど、肘から下の部分に腰掛けるようにして、カイネの首に手を回すと、小さく笑う音が耳朶を打った。
「私のお姫様。どこへ行こうか」
囁くような声は、とろけるように甘い感情を滲ませている。なんだか思わず耳を塞ぎそうになって、私は照れを隠すようにカイネの肩口に額をくっつけた。
ストーリーの前日譚で死亡するとはいえ、流石乙女ゲームの中の人である。信じられないほど甘い声を出す。私は必死になって頬の赤みを取り払うように呼吸を繰り返し、それから「……庭園へ!」とやけくそのように言葉を続けた。カイネが小さく笑って、ゆっくりと歩き出すのを振動で感じながら、私は小さく息を吐いた。
また、これも違う、ある日のことである。
夜、そろそろベッドで横になるくらいの時刻。こんこん、とドアが外側からノックされた。誰ですか、と声をかけると、「リュジ様がお見えです」と、扉の向こうから使用人が答える。どうぞ、と声を返すと、ゆっくりと扉が開いて、リュジが室内に入ってくる。
寝間着姿だ。と言っても、リュジの衣服はリュジのためだけにしつらえられた特注品で、室内の光を照り返すような光沢のある生地からは、隠しきれない豪華さのようなものが漂ってくる。
その手には本がある。分厚いそれは、どうやら戦術書のようだった。リュジも辺境伯として、騎士団に所属し、おいおいは私兵騎士団を率いて国境を防衛する必要が出てくる。その時のために、勉強をしているのだろう。
ここ数年で、リュジは魔法も剣技もとても上手になった。訓練所で朝、一緒に練習をしているときも、上達しているのだなあとしみじみと思うのだから、リュジも強く実感していることだろう。カイネは現在皇帝直属の騎士団に勤めているが、リュジもいずれ、カイネと同じ道を歩むのだろうなあと思うとなんだか感慨深い。
なんというか、推しの成長を身近に感じられると、こう――親心のようなものが芽生えてくるというか。リュジもカイネも、きちんと幸せになって欲しいと思う。
しみじみと考えている内に、室内に入ってきたリュジは、ベッド近くに椅子を引いてきて、そこに腰を下ろした。そうして、私に「おやすみ」と言うなり、椅子の上で本を広げ、読み始める。
――うん。うん?
「リュジ、あの、おやすみ……部屋に戻ったら?」
「メルが寝たら戻る」
「ど、どうして」
寝たら戻るって。寝なかったら戻らないのだろうか。いや、そもそも、本当にどうして。思わず疑問を口にすると、リュジはわずかに眉根を寄せた。そうしてから「メルは自覚が無いのか?」と怒ったように言葉を続ける。
「じ、自覚?」
「一ヶ月も――一ヶ月も、寝たまま、起きなかった自覚だよ」
無い。
正直、それくらい寝たら起き上がれないようなものだと思うが、起きて直ぐにまあまあ行動は出来たし(これはその後の夢でフィルギャが「僕が少しだけお手伝いしたんだよ」と言っていた)、そもそも一ヶ月寝たような自覚なんて一切無い。私からしたら、いつものように寝て、七時間くらい眠り、起きた、のと同じくらいの睡眠時間だったように思えるほどだ。
ただ、実際、一ヶ月眠っていたのは本当らしく、私の元には以前父母と交友のあった貴族の家から贈り物が届いていたり、一ヶ月ぶりの授業を行うことになったユリウスに『一生精霊から教わった魔法を使いません』という念書を書かされることになったことから、強く実感はしている。
「……また、また、そうなるんじゃないかって……」
「もうならないよ、大丈夫だよ、リュジ」
「わからないだろ。そんなの、誰にもわからない。だから、これから、定期的に、俺がメルの寝起きを管理することにしたんだ」
「か、管理」
「寝ているところと、起きるところ。全部、俺の目の前で行って貰う。だから明日の朝、俺はメルの部屋に来る」
ね、寝起きの姿を見させるとかちょっと、それは、いや、恥ずかしい――と思うのだが、そんな冗談を口に出来る雰囲気ではなかった。リュジは赤色の瞳でじっとこちらを見つめている。沢山の感情が滲む瞳には、けれど――心配で、強く染まっていた。
「……リュジ、心配させて、ごめんね」
「謝るな。謝っても許さない。これからの日々で証明してくれないと、困る」
「証明?」
「きちんと、寝て、起きて――明日も、明後日も、俺の傍に居るって、証明をして欲しい」
リュジの喉が、僅かに震えていた。泣き出しそうな、その一歩手前、というような声で、リュジは「頼むから……」と早口に続けると首を振る。本を持つ手が震えていた。
泣きそうなのに、その涙を必死に飲み下すようにして、リュジは小さく息を吐く。そんな様子を見ていると、なんだかどうしようもなく、心が痛むのを感じた。
リュジ、と名前を呼んでリュジの手を握る。リュジははっ、としたように目を開いて、それから小さく息を吐いた。
「……メルが、居なくなったら、嫌だ……。だから、とにかく、早く寝て、明日も早く起きてほしい。……頼むから」
「わ、わかった。頑張って寝るし頑張って起きるから。だから、リュジも」
無理はしないでね、と口にしたところで、きっとリュジは聞かないだろう。口に出しかけた言葉を飲み込んで、私はベッドに体を横たえながら、傍らに座るリュジに手を伸ばす。すぐにリュジの手が伸びてきて、ゆっくりと指先が繋がった。
「リュジも、傍に居てね」
「……メルから離れない限り、俺から離れることはないよ」
「そう? 愛想尽かしたりしない?」
「しない」
断言されて、思わず小さく笑う。好かれている、と思う。多分、子どもが子どもを慕うような、そんな距離感の感情で。だから、私も勘違いしてはいけないな、と強く思う。私は推しを幸せにしたいだけで、私の幸せに推しを付き合わせることはしてはいけないのだと。
キャラクターである彼らの未来を知っている時点で、私は少しズルをしているようなものだから。
「おやすみ、リュジ」
「……おやすみ、メル」
ゆっくりと手を握り合う。そうしてから、私はそっと目を閉じた。
そうして、外へ出ようとする度にカイネに見つかっては抱っこされ、寝る時と起きる時をリュジによって管理される日々を過ごし、私は思った。
このきょうだい、過保護では? ――と。
特にカイネに至ってはこの十日間、私の看病をするといって騎士団の仕事を休んでいるのだという。そんなことしていいの!? と思うが、大変人徳があり、なおかつ大変な成果を上げていることもあって許されたとのことである。許されて良いの!? そんな特権許されるものなのだろうか。皇帝陛下がこれぞとばかりに爵位を褫奪する隙を狙っている気がする。
駄目だ、本当に、なんとかしないといけない、と思って必死に元気な姿をアピールするのだが、今の所上手く行っているかどうかもわからない。大丈夫だから! 大丈夫だから! と言っているのにもかかわらず、「兄様は心配だよ」や「メルの大丈夫は信用ならない」などと言われ、私の言葉は捨て置かれてしまう。
外へ出るのにはカイネの許可が必要、寝起きにはリュジに見守られないといけない。四六時中推しが傍に居るというのは大変ありがたいことだが、それと同時に常に息が詰まる。大好きな推しが常に傍に居ると、呼吸すら覚束なくなるものである。
とにかく、このままでは私が元の目標に掲げていた帝都で本を借りて解毒系の魔法をかけたアクセサリーを作ることが達成出来ない。何せ庭園以外に出ようとすると、リュジもカイネも良い顔をしないのだ。
だから、私は少しだけずるい手を使うことにした。
「――帝都に行こうと思うの」
「どうして?」
朝、朝食の場で今日の予定を口にすると、すぐさまにカイネが反応する。リュジも「まだ起きてから一週間しか経っていない」と言葉を続けた。
「まだ安静が必要だろ。それに帝都って……、何をしに行くんだよ」
「癒術士試験でお祝いを沢山貰ったでしょ? それの返礼をしないといけないよ。早急に。一ヶ月も眠っていたんだから!」
「ああ――それなら、大丈夫だよ、メル。兄様たちがやっておいたから」
「えっ」
考えていたずるい手が即座に潰されてしまった。カイネが頷いて、「メルが眠っていることは公表を控えていたから、表向き普通に過ごしているように偽装する必要があって……。ごめんね。送った物と送った相手の目録を後で作って渡すよ」と続ける。仕事が早い。流石――じゃなくて。
「で、でも、ほら。昨日、来たのもあるから。それの返礼を」
「それも、兄様と父上でやっておくよ。メル、今は大変なことを考えずに、ゆっくりと過ごして欲しいな」
こ、これでは帝都に行けない。小さく呻いて、私は首を振った。ここまで心配されているのに帝都に行くのを無理に通さずとも良いのでは、と良心が訴えかけてくるのだが、流石にもう十日である。体調も万全だし、このままカイネやリュジの甘い言葉に従ってしまうと、多分、二人は死ぬまで私のことを看病して人生が終わって行く気がする。それは許されない。
「て、帝都に行きたくて――お願い。もう大丈夫だから。本当に!」
「どうして? 何が欲しいの? 気になる店を屋敷に呼ぶことも出来るよ」
「その、ええと、本当に、ほら! 私庭園は歩き回ったでしょ! だから少し、体力をつけるように外に出たくて! ね! タリオンおじさま! 良いでしょ!?」
カイネとリュジに話を振るより先に、タリオンおじさまへ視線を向ける。私の熱い意思が伝わったのかどうなのか、タリオンおじさまは小さく頷くと、「少しだけなら、外へ出ても良いんじゃないか?」と口を開いた。
「父上。――メルは、一ヶ月眠っていたんですよ」
リュジが険のこもった声を上げる。タリオンおじさまはもう一度頷くと、リュジを見つめた。
「だからこそ、だろう。外に出なければ情報を得ることも出来ない。まさか、私の子ども達は、可愛い子を鳥かごに囲い続けるつもりなのか?」
「――それは、そんな、つもりじゃ……」
鳥かごに! 囲い続けるって! 言った!
タリオンおじさまの口から出たロマン溢れる言葉に一瞬だけ驚いて、それから心中で首を振る。タリオンおじさまから見てもそう見えるのであれば、つまりはそういうことなのだろう。二人の過保護は本当に――凄いのだと。
「――カイネ。お前は確か、外へ出ない代わりに騎士団の事務仕事を部屋でしているだろう。今日はそれを終わらせることに専念しなさい。リュジ、お前は今日、予定は無かったね」
「は、はい。ありません」
「なら、メル。リュジを連れていくことが条件だ。どうだろう?」
「わかりました。もちろん、問題ありません」
頷いて答える。これで話は終わりだ、とばかりにタリオンおじさまは大きく頷き、食事の再開をした。私も同じように朝ご飯に手を伸ばし、食事を再開する。
食事を終えるまでの間、リュジからの視線が大変痛かったが――きっと話したら、納得はしてくれるだろう。馬車に乗ったときに目的をきちんと話そうと決めながら、私はパンを手に取った。
「どこへ行くの?」
「兄様」
部屋から出た瞬間、狙い澄ましたように声をかけられて、私はびくりと肩を揺らす。見ると、少し先、部屋から顔を覗かせるカイネと目があった。カイネはゆっくりと廊下を歩いて私の傍に来ると、「駄目だよ、出かける時はきちんと私やリュジに声をかけないと」と少しだけ怒ったように続ける。
「いや、あの、……出かけるって、だって」
ちょっとだけ気分転換に外に出よう、と思っただけなのだ。遠くへ行くつもりもなく、更に言えば庭園を見回るだけ。
それだけなのだから、伝える必要は無いだろう。ええーっ、と視線をうろうろと動かしていると、カイネは僅かに視線を落として、少しだけ悲しそうな顔をする。美人の悲しそうな顔というのは大変な攻撃力を持つものだが、ことさらにカイネの泣きそうな顔は私に効く。
「少し外に出ようと思っただけ、だよ……?」
「それでも、だよ。一ヶ月眠っていたんだから、何かが起こってからじゃ遅いんだから。兄様が着いていくね。一緒に散策しようか。ほら、メル」
言いながらカイネが膝を突いて、私に向かって手を差し出す。抱っこするよ、と、明言せずとも、その行動が全てを物語っていた。
「……歩けるよ」
「兄様が抱っこしたいんだよ。駄目?」
「だ、駄目というか、ほら、傍目から見たら……」
「どうして。庭園だけなら、誰の目にも留まらないよ?」
カイネが小さく笑う。そうしてから、彼はもう一度、軽く首を傾げて私を見た。
……一瞬じり、と後ずさりをする。瞬間、カイネの瞳に傷ついた色が宿って、私は首を振った。ええい。もう、どうにでもなあれ。
カイネの傍にそっと近づく。ちょうど、肘から下の部分に腰掛けるようにして、カイネの首に手を回すと、小さく笑う音が耳朶を打った。
「私のお姫様。どこへ行こうか」
囁くような声は、とろけるように甘い感情を滲ませている。なんだか思わず耳を塞ぎそうになって、私は照れを隠すようにカイネの肩口に額をくっつけた。
ストーリーの前日譚で死亡するとはいえ、流石乙女ゲームの中の人である。信じられないほど甘い声を出す。私は必死になって頬の赤みを取り払うように呼吸を繰り返し、それから「……庭園へ!」とやけくそのように言葉を続けた。カイネが小さく笑って、ゆっくりと歩き出すのを振動で感じながら、私は小さく息を吐いた。
また、これも違う、ある日のことである。
夜、そろそろベッドで横になるくらいの時刻。こんこん、とドアが外側からノックされた。誰ですか、と声をかけると、「リュジ様がお見えです」と、扉の向こうから使用人が答える。どうぞ、と声を返すと、ゆっくりと扉が開いて、リュジが室内に入ってくる。
寝間着姿だ。と言っても、リュジの衣服はリュジのためだけにしつらえられた特注品で、室内の光を照り返すような光沢のある生地からは、隠しきれない豪華さのようなものが漂ってくる。
その手には本がある。分厚いそれは、どうやら戦術書のようだった。リュジも辺境伯として、騎士団に所属し、おいおいは私兵騎士団を率いて国境を防衛する必要が出てくる。その時のために、勉強をしているのだろう。
ここ数年で、リュジは魔法も剣技もとても上手になった。訓練所で朝、一緒に練習をしているときも、上達しているのだなあとしみじみと思うのだから、リュジも強く実感していることだろう。カイネは現在皇帝直属の騎士団に勤めているが、リュジもいずれ、カイネと同じ道を歩むのだろうなあと思うとなんだか感慨深い。
なんというか、推しの成長を身近に感じられると、こう――親心のようなものが芽生えてくるというか。リュジもカイネも、きちんと幸せになって欲しいと思う。
しみじみと考えている内に、室内に入ってきたリュジは、ベッド近くに椅子を引いてきて、そこに腰を下ろした。そうして、私に「おやすみ」と言うなり、椅子の上で本を広げ、読み始める。
――うん。うん?
「リュジ、あの、おやすみ……部屋に戻ったら?」
「メルが寝たら戻る」
「ど、どうして」
寝たら戻るって。寝なかったら戻らないのだろうか。いや、そもそも、本当にどうして。思わず疑問を口にすると、リュジはわずかに眉根を寄せた。そうしてから「メルは自覚が無いのか?」と怒ったように言葉を続ける。
「じ、自覚?」
「一ヶ月も――一ヶ月も、寝たまま、起きなかった自覚だよ」
無い。
正直、それくらい寝たら起き上がれないようなものだと思うが、起きて直ぐにまあまあ行動は出来たし(これはその後の夢でフィルギャが「僕が少しだけお手伝いしたんだよ」と言っていた)、そもそも一ヶ月寝たような自覚なんて一切無い。私からしたら、いつものように寝て、七時間くらい眠り、起きた、のと同じくらいの睡眠時間だったように思えるほどだ。
ただ、実際、一ヶ月眠っていたのは本当らしく、私の元には以前父母と交友のあった貴族の家から贈り物が届いていたり、一ヶ月ぶりの授業を行うことになったユリウスに『一生精霊から教わった魔法を使いません』という念書を書かされることになったことから、強く実感はしている。
「……また、また、そうなるんじゃないかって……」
「もうならないよ、大丈夫だよ、リュジ」
「わからないだろ。そんなの、誰にもわからない。だから、これから、定期的に、俺がメルの寝起きを管理することにしたんだ」
「か、管理」
「寝ているところと、起きるところ。全部、俺の目の前で行って貰う。だから明日の朝、俺はメルの部屋に来る」
ね、寝起きの姿を見させるとかちょっと、それは、いや、恥ずかしい――と思うのだが、そんな冗談を口に出来る雰囲気ではなかった。リュジは赤色の瞳でじっとこちらを見つめている。沢山の感情が滲む瞳には、けれど――心配で、強く染まっていた。
「……リュジ、心配させて、ごめんね」
「謝るな。謝っても許さない。これからの日々で証明してくれないと、困る」
「証明?」
「きちんと、寝て、起きて――明日も、明後日も、俺の傍に居るって、証明をして欲しい」
リュジの喉が、僅かに震えていた。泣き出しそうな、その一歩手前、というような声で、リュジは「頼むから……」と早口に続けると首を振る。本を持つ手が震えていた。
泣きそうなのに、その涙を必死に飲み下すようにして、リュジは小さく息を吐く。そんな様子を見ていると、なんだかどうしようもなく、心が痛むのを感じた。
リュジ、と名前を呼んでリュジの手を握る。リュジははっ、としたように目を開いて、それから小さく息を吐いた。
「……メルが、居なくなったら、嫌だ……。だから、とにかく、早く寝て、明日も早く起きてほしい。……頼むから」
「わ、わかった。頑張って寝るし頑張って起きるから。だから、リュジも」
無理はしないでね、と口にしたところで、きっとリュジは聞かないだろう。口に出しかけた言葉を飲み込んで、私はベッドに体を横たえながら、傍らに座るリュジに手を伸ばす。すぐにリュジの手が伸びてきて、ゆっくりと指先が繋がった。
「リュジも、傍に居てね」
「……メルから離れない限り、俺から離れることはないよ」
「そう? 愛想尽かしたりしない?」
「しない」
断言されて、思わず小さく笑う。好かれている、と思う。多分、子どもが子どもを慕うような、そんな距離感の感情で。だから、私も勘違いしてはいけないな、と強く思う。私は推しを幸せにしたいだけで、私の幸せに推しを付き合わせることはしてはいけないのだと。
キャラクターである彼らの未来を知っている時点で、私は少しズルをしているようなものだから。
「おやすみ、リュジ」
「……おやすみ、メル」
ゆっくりと手を握り合う。そうしてから、私はそっと目を閉じた。
そうして、外へ出ようとする度にカイネに見つかっては抱っこされ、寝る時と起きる時をリュジによって管理される日々を過ごし、私は思った。
このきょうだい、過保護では? ――と。
特にカイネに至ってはこの十日間、私の看病をするといって騎士団の仕事を休んでいるのだという。そんなことしていいの!? と思うが、大変人徳があり、なおかつ大変な成果を上げていることもあって許されたとのことである。許されて良いの!? そんな特権許されるものなのだろうか。皇帝陛下がこれぞとばかりに爵位を褫奪する隙を狙っている気がする。
駄目だ、本当に、なんとかしないといけない、と思って必死に元気な姿をアピールするのだが、今の所上手く行っているかどうかもわからない。大丈夫だから! 大丈夫だから! と言っているのにもかかわらず、「兄様は心配だよ」や「メルの大丈夫は信用ならない」などと言われ、私の言葉は捨て置かれてしまう。
外へ出るのにはカイネの許可が必要、寝起きにはリュジに見守られないといけない。四六時中推しが傍に居るというのは大変ありがたいことだが、それと同時に常に息が詰まる。大好きな推しが常に傍に居ると、呼吸すら覚束なくなるものである。
とにかく、このままでは私が元の目標に掲げていた帝都で本を借りて解毒系の魔法をかけたアクセサリーを作ることが達成出来ない。何せ庭園以外に出ようとすると、リュジもカイネも良い顔をしないのだ。
だから、私は少しだけずるい手を使うことにした。
「――帝都に行こうと思うの」
「どうして?」
朝、朝食の場で今日の予定を口にすると、すぐさまにカイネが反応する。リュジも「まだ起きてから一週間しか経っていない」と言葉を続けた。
「まだ安静が必要だろ。それに帝都って……、何をしに行くんだよ」
「癒術士試験でお祝いを沢山貰ったでしょ? それの返礼をしないといけないよ。早急に。一ヶ月も眠っていたんだから!」
「ああ――それなら、大丈夫だよ、メル。兄様たちがやっておいたから」
「えっ」
考えていたずるい手が即座に潰されてしまった。カイネが頷いて、「メルが眠っていることは公表を控えていたから、表向き普通に過ごしているように偽装する必要があって……。ごめんね。送った物と送った相手の目録を後で作って渡すよ」と続ける。仕事が早い。流石――じゃなくて。
「で、でも、ほら。昨日、来たのもあるから。それの返礼を」
「それも、兄様と父上でやっておくよ。メル、今は大変なことを考えずに、ゆっくりと過ごして欲しいな」
こ、これでは帝都に行けない。小さく呻いて、私は首を振った。ここまで心配されているのに帝都に行くのを無理に通さずとも良いのでは、と良心が訴えかけてくるのだが、流石にもう十日である。体調も万全だし、このままカイネやリュジの甘い言葉に従ってしまうと、多分、二人は死ぬまで私のことを看病して人生が終わって行く気がする。それは許されない。
「て、帝都に行きたくて――お願い。もう大丈夫だから。本当に!」
「どうして? 何が欲しいの? 気になる店を屋敷に呼ぶことも出来るよ」
「その、ええと、本当に、ほら! 私庭園は歩き回ったでしょ! だから少し、体力をつけるように外に出たくて! ね! タリオンおじさま! 良いでしょ!?」
カイネとリュジに話を振るより先に、タリオンおじさまへ視線を向ける。私の熱い意思が伝わったのかどうなのか、タリオンおじさまは小さく頷くと、「少しだけなら、外へ出ても良いんじゃないか?」と口を開いた。
「父上。――メルは、一ヶ月眠っていたんですよ」
リュジが険のこもった声を上げる。タリオンおじさまはもう一度頷くと、リュジを見つめた。
「だからこそ、だろう。外に出なければ情報を得ることも出来ない。まさか、私の子ども達は、可愛い子を鳥かごに囲い続けるつもりなのか?」
「――それは、そんな、つもりじゃ……」
鳥かごに! 囲い続けるって! 言った!
タリオンおじさまの口から出たロマン溢れる言葉に一瞬だけ驚いて、それから心中で首を振る。タリオンおじさまから見てもそう見えるのであれば、つまりはそういうことなのだろう。二人の過保護は本当に――凄いのだと。
「――カイネ。お前は確か、外へ出ない代わりに騎士団の事務仕事を部屋でしているだろう。今日はそれを終わらせることに専念しなさい。リュジ、お前は今日、予定は無かったね」
「は、はい。ありません」
「なら、メル。リュジを連れていくことが条件だ。どうだろう?」
「わかりました。もちろん、問題ありません」
頷いて答える。これで話は終わりだ、とばかりにタリオンおじさまは大きく頷き、食事の再開をした。私も同じように朝ご飯に手を伸ばし、食事を再開する。
食事を終えるまでの間、リュジからの視線が大変痛かったが――きっと話したら、納得はしてくれるだろう。馬車に乗ったときに目的をきちんと話そうと決めながら、私はパンを手に取った。
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