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癒術士試験

46.聖女の御業

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 枯れた花を咲かせる魔法を、数日にわけて練習している内に、帝都に向かう日がやってきた。
 緊張しているせいもあってか、ちょっとだけ朝早くに起きてしまった。軽く欠伸を零して、サイドテーブルに置いてある水差しからコップに水を注ぎ、口に含む。どんよりとした思考が少しだけさっぱりとしていくような心地がした。

 精霊に魔法を教えて貰ってからというもの、ユリウスと一緒に一日に一回ずつ魔法を使ってみたのだが、疲労感はあるものの、倒れるほどのものではなかった。恐らく今日の花もなんとかなるのではないだろうか――と思う。なんとかならなかった場合のことはあまり考えないようにしよう。

 こんこん、とノックの音が響いて、応えを返すと同時に侍女の声が耳朶を打つ。入室を許可すると、私の身の回りの世話をしてくれる侍女が室内に入ってきて、私に微笑みかけてきた。

「メルお嬢様、おはようございます」
「おはよう。今日は良い天気だね」
「そうですね。終日晴れると聞き及んでいます」

 侍女は言うなり、すぐに私の元にゆっくりと歩を進めてきた。どうぞこちらへ、と進められるまま、化粧台の傍に腰掛ける。優しい手つきで髪を梳く所を鏡越しに眺めながら、私はもう一度欠伸を噛み殺す。
 良い日になると良い、と思う。


 服を着替えてから、朝食の場へ向かうと、既にカイネとリュジが席についていた。入って来た私を見て、カイネがぱちぱちと目を瞬かせて、それから嬉しそうに笑う。

「おはよう、メル。今日は癒術士試験の日……だね。調子はどう?」
「ものすごく良いよ! 必ず通ると思う!」
「それは良かった。そうだ、今日の夕飯はメルの好きなものを作ってもらおうか。きっと父上も許してくれるだろうし――何が食べたい?」

 カイネは嬉しそうに言葉を弾ませる。好きなもの。メルの好きなものは色々あるのだが、折角だし、今回はゲーム内で出てきた食べ物とかをリクエストしてしまってもいいだろうか。
 色々食べたいものがある。いくつかを頭の中に連想しながら、私はその内の一つを口にする。

花蜂はなばちの蜜を注いだパンケーキが食べたいな!」

 ゲーム内で、主人公であるヒロインが食べていた料理の一つだ。花蜂というのは、詰まる所現代で言うミツバチに似た存在なのだが、見た目が少し違う。羽の部分が花弁のような形をしているのだ。彼ら、花蜂が作る蜜はとてもまろやかな甘みがあって、美味しいのだと言う。

 花蜂は人に慣れず、更に言えば生息区域が少しばかり特殊で、その蜜はあまり手に入れづらいのだが――折角だし、お祝いをしてくれるということだし、今回はちょっとお願いをしてみよう。

「花蜂の蜜か。あれは美味しいよね。多分、大丈夫じゃないかな」
「メルは甘い物が好きだよな」
「大好き。凄く好き」

 リュジの言葉に一も二もなく頷く。カイネが小さく笑って、今日の夜が楽しみだね、と続けると同時に、タリオンおじさまが室内に入ってきて、会話は収束することになった。

 食事の後、カイネとリュジ、そしてタリオンおじさまに見送られて、私は馬車で帝都まで向かう。
 花を抱えての数時間の道のりは大変長かった。馬車が大きく揺れる度に、何度も何度も中身を確認してはほっと一息をつく、というような感じで過ごしていたので、更にそう感じる所も多かったのだろう。

 前回と同様に、階段を上り、控えの間で待つ。程なくして、準備が出来たのだろう、兵士が呼びに来た。背の高い男性に着いていくように歩き、謁見の間に向かう。

 謁見の間に入ると、ふかふかとしたカーペットが一番に目に入る。そのずっと向こうには玉座が存在し――そこには、皇帝陛下と、そして、もう一人、銀髪の男性が立っていた。
 星の子だ、と思うと同時に顔をうつむかせる。――見覚えがあって、更に言えば、謁見の間、しかも玉座の傍に立つことを許されている男性、と考えると、答えは一つしかない。――恐らく彼は、殿下だろう。
 王位継承権第一、イストリア帝国に生まれた星の子の一人。エリオス・イストリア殿下。

 ――外敵を中へ引き込み、国家の転覆を狙うリュジと、真っ向から敵対することになる人物だ。

「――カタラ伯爵を代表してご挨拶申し上げます。メルと申します」

 静かに口上を述べる。思わぬ出会いに一瞬だけ呆けてしまった。僅かな間が空いて、皇帝陛下が静かに息を吐く音がする。

「よろしい、面をあげよ。――して、カタラ伯爵、メル嬢。花は咲かせられたか? 掲げ、見せてみよ」

 横に居る殿下のことを説明するでもなく、直ぐに本題に入られる。四方がガラスの箱なのだから、掲げなくても枯れたままなのは丸見えだと思うのだが、言われたとおりに箱を掲げて見せる。
 皇帝陛下が小さく笑う音が聞こえた。

「変わらぬ様子と見える。花の癒術士ともてはやされても、花を咲かせることは出来ぬようだな」
「――」
「伯爵という爵位は、そなたに荷が重いように思われるが、いかがか?」

 爵位取り上げるぞ、と微妙に――いや、確実に脅されている気がする。最初から、癒術士としての資格も、伯爵という爵位も、これを機に取り上げるつもりだったのかもしれない。陛下からしたら、ミュートス家に肩入れする貴族なんて、居なくなってほしいものだろうし。
 多分、いや、前の謁見の時も思っていたけれど、存外、私は皇帝陛下に嫌われているらしい。ミュートス教信者、と思われているようだから、さもありなん、という感じかもしれないが。

「恐れながら、皇帝陛下に申し上げます」
「許す」
「――今から、癒術ゆじゅつ行使こうししても、よろしいでしょうか?」

 皇帝陛下は僅かに顎を引いた。そうしてから、「もうすでに試した後であろう?」と語尾を持ち上げる。

「いえ。――花を咲かせるならば、この花をエトル神に捧げ、そしてそれが返された皇帝陛下の御前で咲かせたく」

 へりくだるように言葉を口にする。「咲いた花を一番に見るのは、皇帝陛下がふさわしいかと」
 花を咲かせておいたらきっと、確実に罰を下されたであろうことは確かだろう。
 多分こういう世辞みたいな言葉は、言われ慣れているだろうが、言っておくに越したことはないだろう。私はあなたの敵ではないですよ、と表明することが大事なのだ。

 このままでは、何をするにせよ、皇帝陛下から邪魔が入る可能性がある。これから先、国境を接した異国との小競り合いが多くあることが確定している今、私がすることは、決まっている。
 沢山の知識と、様々な情報を生かして、皇帝陛下にへりくだり、味方であるアピールをすることだろう。
 癒術士として資格を得て、そして様々な場所へ赴くことになった時、自由に動き回れるようにするために。――カイネと、リュジを助けるためにも。そして、父母が得た『伯爵』という爵位を、奪われないためにも。
 私は、いくらでも世辞を口にしてみせる。

「そこまで言うのなら、ここで咲かせてみよ」
「はい。もちろんでございます」

 私はガラスの箱、その蓋を持ち上げる。そうして、膝をついたまま、その箱からゆっくりと花を手に取った。
 枯れて、もう萎れ、水分が抜けて――少しでも衝撃を加えたら、端からぼろぼろと崩れ落ちていきそうな、そんな花。
 もう死んでいるに近い。いや、人間で言えばミイラみたいなものだろう。こんなものを咲かせろだなんて、本当に酷い試験だ、と思う。

 ――ゆっくりと、一本の糸を張り詰めるような緊張感で、花を持ち上げる。そうしてから、口元の近くまでそれを持っていき――魔法を行使する。魔力の籠もった吐息を零し、枯れた花の周囲にベールを巻いた。
 瞬間、触れた指先からぐん、と魔力が吸い取られていくような心地を覚える。疲労感が急激に体を襲った。マラソンを全速力で走り抜けたような、荒い呼吸が喉の奥から零れ落ちかけて、必死になって整える。

 花は。――花は、私の魔力を吸い取って、少しずつ、柔らかな色を取り戻していった。
 茎の端がみずみずしさを帯び、枯れた茶色のそれが、緑色に染め上げられていく。かさかさになって閉じた葉がゆっくりと開き、萎れた花弁に力が宿る。
 美しい花だった。青色と、銀色が、混ざったような彩りの花。絹のように光沢のある花弁がゆっくりと開き、大輪の花を咲かせる。

 エトルリリーに、よく似ていた。――多分、原種か、何かなのだろうと思う。
 どっと疲労感が押し寄せる。額から汗が湧き出て、頬を伝って落ちていく。これで文句は無いだろう。私はゆっくりと立ち上がった。そうして、皇帝陛下の傍まで近づいて、膝を突き、花を両手で差し出す。

「どうか。皇帝陛下、ご覧ください」

 声が掠れる。手が鉛のように重い。練習ではこんなにきつくなかったのに、流石、エトル神に渡された花だと伝承があるだけあるというか。
 視線の隅の皇帝陛下は動かない。は、はやく受け取って欲しい。このままでは私の両手が花を取り落としてしまう。ちょっと泣きそうになりながらじっと耐えていると、不意に精悍な声が耳朶を打った。

「父上、ご覧ください。伝承に伝わる花です」

 手の平に、そっと、誰かの指先が触れる。――聞き覚えのある声だった。そっと顔を上げると、殿下と目が合う。榛色の瞳で、彼は私をねぎらうように笑うと、受け取った花を皇帝陛下の元へと差し出した。

「……毒は」
「あれば、僕の持つ指輪が光っているかと。それに、こんな所で殺害をもくろんでいれば、結界に弾かれて死んでいますよ。――カタラ伯爵は、伯爵の名に恥じぬ功績を示しておいでです」

 皇帝陛下が花を受け取る。そうして、花弁を軽く触りながら、陛下は小さく息を吐く。

「父上、癒術士としての合格と、賛辞を、彼女に」
「――。……カタラ伯爵。そなたの尽力を、嬉しく思う」

 皇帝陛下はそれだけ言う。思わず呆けていると、殿下が小さく笑った。

「つまり、合格、ってことです。良かったですね」
「は、あ――あ、ありがとうございます……!」

 慌てて立ち上がり、挨拶をする。殿下は笑い声を軽く零して、私を通り抜けてガラスの箱を拾いに行くと、それを皇帝陛下に手渡していた。

「聖女の御業を見られるなんて、父上に会いに来て良かった。とっても面白かったです。カタラ伯爵、メル、と言うのですね。覚えておきます」

 人好きのする笑みを浮かべて、殿下は笑う。陛下に「下がれ」と声をかけられて、慌てて私は視線を下げた。カーテシーを行い、ゆっくりと謁見の間を後にする。
 ばたん、と扉が閉じると同時に、全身から力が抜けて、一瞬だけ倒れそうになった。よろけながら壁に体重を預けて、小さく息を零す。

 なんとか、なった、らしい。
 ちょっとどうなるかと思ったけれど。

 はあ、と小さく息を零す。嬉しい。――ちょっとだけ目の奥が熱くなってきたような感じがして、慌てて首を振った。駄目だ、泣くところじゃない、と慌てて自分を叱咤する。
 これで癒術士としての資格を得られたわけである。そうすると、帝城に存在する貸し出し禁の本を読むことが出来るようになって、多分、今よりも沢山のことが出来るようになる。
 そうしたら毒を判別する魔法を応用したネックレスも、作れる。リュジと、そしてカイネにもあげよう。喜んでくれるだろうか。

 嬉しい、けど、猛烈に疲れた。もう二度としない、こんなこと。全身の疲れにちょっとだけ苦しみながら、私は階段を降りて、帝城を出た。
 ほとんど這う這うの体で帝都をくぐり抜け、外にとめておいた馬車に乗り込む。ふかふかのクッションが体に心地良い。
 とんでもなく眠たい。ちょっとだけ。家につくまでなら、良いよね。小さく欠伸を零して、私はそっと目を閉じた。眠りの海はすぐに私の体を奥底へ引きずり込んでいく。

 パンケーキに花蜂の蜜をたっぷりかけてやる、なんて思って居る内に、私の思考は波に呑まれた。
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