上 下
33 / 67
癒術士試験

33.癒術士として

しおりを挟む
「メルお嬢様、お願い出来ますか?」

 ユリウスが軽く体を動かして、私を見る。私は小さく頷いてから、ユリウスの傍に膝をついた。
 目の前には、大人が一人。――怪我をして、苦しんでいる男性がベッドに寝転んでいる。話を聞くに、森へ入った際に魔獣に襲われ、命からがら逃げてきた、とのことだった。足首や腕に噛まれた後が複数残っており、痛々しい。
 少しだけ息が震える。瞬間、そっと私の背に手が触れた。ユリウスの手だ。

「大丈夫、メルお嬢様なら出来ますよ」
「――うん、ありがとう。ユリウス」

 傍に信頼のおける人が居る。それだけで、震える心が少しずつおとなしくなっていくのがわかった。
 大丈夫。――出来る。何度も何度も、やったのだから。
 ゆっくりと男性の体に手をかざす。癒術を行使するときの、独特の光が漏れ出す。男性の体の中を巡る魔力の線が、怪我をしたところだけふつりと途切れたり、ほつれている。そういった部分に魔力を流し込み、そうして少しずつ体の不調を治していく。

 数十分かけて、私は男性の体を治療することが出来た。
 呻くような息づかいだった男性が、今は穏やかに寝息を立てている。ユリウスが小さく頷いて、「凄いですね」と笑った。私は頷いて返す。恐らく男性の家族だったのだろう、遠くから見守っていた女性と、その子ども達が「お父さん!」と泣きながら走り寄ってくるのが見えた。女性が泣きながら感謝を口にする。それに首を振って返しながら、子ども達に抱きしめられる男性をじっと見つめた。

 ――私がメルになってから、おおよそ、三年の月日が経って。
 ようやく、私は、癒術を使いこなすことが出来るようになった。

 その後、他にも怪我をしている人達を治して回り、そうしている内に時刻が昼を過ぎる。休憩を取りましょう、とユリウスが言うので、ありがたく昼食を取ることにした。
 今日、ユリウスに連れてこられたのは、イストリア帝国、ミュートス辺境領の西部、田園地帯が広がる村だ。平らかで、かつ、山と川が近いこともあり、肥沃な土地であるため、農業で栄えている。

 そして、これは何にでも言えることだが、農村部というのは魔獣に襲われる機会が他の場所よりも多くなる。特に、冬になるとそれは顕著だ。山で食事を手に入れることの出来なくなった魔獣たちが、農村部まで降りてきて蓄えている食物を盗ったり、人を襲う。

 持って来ていたパンを手に、穏やかな風景を眺めながら小さく息を吐く。癒術士の数は少なく、怪我や病人の数は、留まるところを知らずに増え続けている。

「メルお嬢様、疲れていませんか?」
「ん、大丈夫! 全然元気だよ」
「なら、よかったです。……メルお嬢様は、本当に……、本当に強くなりましたね」

 ユリウスが私の横にやってきて、腰を下ろす。同じように持参した食事を口にしながら、彼は目を細めた。
 ユリウスに褒められるのは、結構、嬉しい。自分でも、ここ数年の成長は実感しているので、尚更だ。癒術で人を治せるようになったし、動物や花なんかは一瞬で治療することが出来るようになった。

「でも、最近、魔獣とか、魔物とか……よく出るよね。どうしてなんだろう」
「王都では、他国から魔物や魔獣が送られてきている、とか、言われていますけれど。……まあ違うと、僕は思います」

 ユリウスは慎重に言葉を続けて、それから首を振る。

「精霊の森の一件以降、少しずつ――少しずつ、イストリア帝国を守る……何かが、無くなっているような。そんな気がするんです」
「精霊の森――」

 リュジが狩猟祭に参加した、王都近くに存在する森だ。事件から短くは無い月日が流れたが、それでも、未だ立ち入り禁止になっている。
 何があったのか、どうしてなのか。その理由は定かではないが、調査中、にしてはあまりにもその調査が長すぎるのだ。

「それに、国境での小競り合いも激化してきましたからね」
「……」

 私は目を軽く伏せる。確かに、最近、――それこそ冬になってからというもの、ミュートス辺境領と、他国との境で起こる小競り合いが頻発している。タリオンおじさまが、私兵の騎士団を連れて鎮圧に向かうことも多い。
 カイネやリュジが着いていくこともあるのだが、その度に肝が冷える心地がする。私も着いていく、と進言したが、却下された。危ないから、とのことであるが、危ないのはカイネやリュジだって同じだろう。
 リュジなんて、私より一つ年下で、まだ十三歳なのに、それでも戦場に着いて行っている。

「戦争が起きたりとか、しないよね……」
「どう……、でしょう。このまま……小競り合いが続けば、可能性はあります」
「……そっか……」

 ゲーム内では、戦争は、起きていなかった。そう、リュジが――兄を失ったリュジが、外から中へ敵を扇動しない限り。それまでは、小競り合いは頻発するものの、問題は無い、という感じだった覚えがある。
 ただ、ゲームで文字として読むのと、その状況に身を置くのでは、また少し――抱く恐怖感というものが違う。毎日のようにタリオンおじさまが忙しくしているのを見ると、なんだかとても怖くなってくるのだ。

 ユリウスが私をじっと見る。そうしてから、彼は軽く私の背を撫でた。こわばった体を解すように、指先が優しく動く。

「大丈夫、です。メルお嬢様。――メルお嬢様のことは、僕が……守ります。必ず」
「ユリウス……」
「怖い話を、……してしまって、申し訳ございませんでした。……楽しい、お話を、しましょうか」

 ユリウスが小さく笑う。――瞬間、かちゃかちゃと、固いものがふれあうような音が近づいてきた。そっと視線を向けると、私たちの方に近づいてきた人影が、すぐに手を振ってくる。

「兄様、おかえりなさい」
「メル。それにユリウス様。お疲れ様です」
「兄様こそ、魔獣の掃討は大変だったんじゃ……」

 カイネだ。彼は銀色の髪を惜しげも無く晒しながら、私たちの元に近づいてくる。紺碧の瞳が柔らかく緩んだ。

「ふふ。兄様は強いから、大丈夫だよ。それに、騎士団の皆もいるからね。問題無く終わらせたよ」

 朝の内に出て行って、昼過ぎには掃討作戦を終えたと言って帰ってくるのはもの凄く早い、気がする。何せ大きな森である。
 カイネは防具を身につけたまま、私の傍に腰を下ろした。そうして、私が見ていたのと同じように農村を見つめる。
 風が吹くと、銀色の髪がきらきらと、空気を孕んで揺れるのが見えた。二十歳を超えて、カイネはますます美形に磨きがかかったように思う。風に揺れる髪を指先で押さえながら、カイネはすぐに私の視線に気付いて、こちらへ目を向ける。そうして嬉しそうに頬を赤らめて「どうしたの、メル」と優しく私を呼んだ。

「ううん。なんでもないよ」
「ええっ。嘘でしょう。そんな目じゃなかったよ。何か言いたそうな目だった。兄様にはわかるんだよ」
「もう。本当になんでもないってば」

 そう? なんて、カイネは小さく首を傾げる。そうしてからぐ、と伸びをして、「今日には家に帰れるね」と朗らかに言葉を続ける。

「そうだね。リュジ、待ってるかな」
「待っているよ。だって、今日この村へ行くことを伝えた時にだって、凄く凄く心配していただろう。ハンカチは持ったか、だとか、昼食はちゃんと持って行け、だとか、飲み水も、なんて」

 カイネが笑う。同じように、今日の朝のことを思い出して、私は小さく笑った。
 きっと帰ったら、今日のことを沢山聞かれるだろう。今から何を話そうかな、なんて考えて居ると、ユリウスが「メルお嬢様」と、ささやかに言葉を続けた。

「楽しい話、の続きなんですが」
「あっ。うん。なになに?」
「――メルお嬢様の癒術の腕は、確かなもの、になってきました。人も、花も、物も――なんでも治療出来る……。なので、そろそろ、癒術士としての資格を取ってはどうか、と……思うんです」
「癒術士としての資格?」
「はい」

 ユリウスが頷く。カイネが「わあ、素敵だね」と声を明るくするのが聞こえた。

「国認定の癒術士になれば、出来ることや行ける場所がたくさん広がると聞いたことがあるよ。もちろん、自分で起業をすることも出来るんだとか」
「そう――なの?」
「そう、です。メルお嬢様のご両親も、癒術士としての資格を取って、沢山の街を回られていました。癒術士になれば、国に厳重に保管されている、重要な魔法書なんかも、……読めるようになります。恐らく、ですが、その中には、メルお嬢様が作りたいと言っていた――魔法道具作成を手助けするものも、ある、かと」

 私は微かに瞬く。ユリウスに作りたい、と相談したのは、食事などに毒物が含まれていたとき、勝手にそれを浄化してくれる魔法道具のことだ。一年以上前に相談して、一緒に試行錯誤したのだが、中々上手く出来ずに居た。――のだが、それらを作るヒントになるような本が、癒術士になると見られる、というなら。

「なる。――なりたい!」
「大丈夫、メルならなれるよ。兄様が補償する」

 カイネが軽く拍手をしながら言葉を続ける。ユリウスが小さく頷いて、それなら今度、手続きをしましょう、と続けた。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?

こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。 「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」 そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。 【毒を検知しました】 「え?」 私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。 ※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

悪役令嬢に転生したら手遅れだったけど悪くない

おこめ
恋愛
アイリーン・バルケスは断罪の場で記憶を取り戻した。 どうせならもっと早く思い出せたら良かったのに! あれ、でも意外と悪くないかも! 断罪され婚約破棄された令嬢のその後の日常。 ※うりぼう名義の「悪役令嬢婚約破棄諸々」に掲載していたものと同じものです。

【完結】【35万pt感謝】転生したらお飾りにもならない王妃のようなので自由にやらせていただきます

宇水涼麻
恋愛
王妃レイジーナは出産を期に入れ替わった。現世の知識と前世の記憶を持ったレイジーナは王子を産む道具である現状の脱却に奮闘する。 さらには息子に殺される運命から逃れられるのか。 中世ヨーロッパ風異世界転生。

公爵令嬢は、どう考えても悪役の器じゃないようです。

三歩ミチ
恋愛
*本編は完結しました*  公爵令嬢のキャサリンは、婚約者であるベイル王子から、婚約破棄を言い渡された。その瞬間、「この世界はゲームだ」という認識が流れ込んでくる。そして私は「悪役」らしい。ところがどう考えても悪役らしいことはしていないし、そんなことができる器じゃない。  どうやら破滅は回避したし、ゲームのストーリーも終わっちゃったようだから、あとはまわりのみんなを幸せにしたい!……そこへ攻略対象達や、不遇なヒロインも絡んでくる始末。博愛主義の「悪役令嬢」が奮闘します。 ※小説家になろう様で連載しています。バックアップを兼ねて、こちらでも投稿しています。 ※以前打ち切ったものを、初めから改稿し、完結させました。73以降、展開が大きく変わっています。

誰からも愛されない悪役令嬢に転生したので、自由気ままに生きていきたいと思います。

木山楽斗
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢であるエルファリナに転生した私は、彼女のその境遇に対して深い悲しみを覚えていた。 彼女は、家族からも婚約者からも愛されていない。それどころか、その存在を疎まれているのだ。 こんな環境なら歪んでも仕方ない。そう思う程に、彼女の境遇は悲惨だったのである。 だが、彼女のように歪んでしまえば、ゲームと同じように罪を暴かれて牢屋に行くだけだ。 そのため、私は心を強く持つしかなかった。悲惨な結末を迎えないためにも、どんなに不当な扱いをされても、耐え抜くしかなかったのである。 そんな私に、解放される日がやって来た。 それは、ゲームの始まりである魔法学園入学の日だ。 全寮制の学園には、歪な家族は存在しない。 私は、自由を得たのである。 その自由を謳歌しながら、私は思っていた。 悲惨な境遇から必ず抜け出し、自由気ままに生きるのだと。

生まれ変わりも楽じゃない ~生まれ変わっても私はわたし~

こひな
恋愛
市川みのり 31歳。 成り行きで、なぜかバリバリのキャリアウーマンをやっていた私。 彼氏なし・趣味は食べることと読書という仕事以外は引きこもり気味な私が、とばっちりで異世界転生。 貴族令嬢となり、四苦八苦しつつ異世界を生き抜くお話です。 ※いつも読んで頂きありがとうございます。誤字脱字のご指摘ありがとうございます。

処理中です...