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花冠祭

22.切っても切れない

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 カイネに花は渡せない。カイネから花が渡されたこともない。
 何故か。――母上の、トゥーリッキの、神様だから。

 リュジから教えられた言葉が頭をぐるぐると回る。なんとも言えない気持ちを抱えながらベッドに入ったのだが、なんだかどうしても悶々と考えてしまって、気づいたら朝になっていた。
 きちんと眠れていない。これは今日は苦しい一日になるかもしれない。
 小さく息を零して、ゆっくりとベッドから下りる。侍女を呼んで着替えを手伝ってもらいながら、私は少しだけ覚束ない思考をゆるゆると動かしつつ、花冠祭について考える。

 花冠祭。大事な人に、これからも共に居て欲しいという気持ちを込めて、花を贈る祭り。建国史に由来するお祭りで、だからこそ誰もが楽しく、幸せに過ごす一日になる――はずなのに。
 カイネだけ、参加出来ない。多分きっと、ずっと前から。

 着替えを終える。これから訓練所ですか、と侍女から問われ、小さく頷く。
 寝不足であっても、日々の鍛錬を欠かすことだけは出来ない。いつもより少し早い時間ではあるけれど、魔法の練習でもしよう、と考えながら、部屋を出て訓練所への道を向かう。

 少しずつ寒くなりはじめる頃合いなこともあって、外に出ると息が白くなる。急激に温度が下がったせいか、指先が赤く染まっていた。
 もしかしたら、雪が降り始めるようになるのも、近いかもしれない。ミュートス領は北部にあることもあり、冬の時期は底冷えする寒さになる。

「寒いなあ」
「大丈夫?」

 急に声をかけられて思わず体がびくりと震える。振り向くと声の主――カイネが立っていた。どうやら音を消して近づいてきたようで、私と視線が合うと楽しそうに表情を崩す。

「に、兄様。いつも現れ方が唐突です……!」
「ごめんね。なんだか、メルが驚くのが可愛くて……」

 軽く笑いながら、カイネは私の横に立った。そうして、ゆっくりと、同じ歩幅で歩き始める。
 驚くのが可愛くて、驚かされていたらたまったものではない。次は気配を殺さずに声をかけてね、と言うと、カイネは小さく笑った。

「でも、――メル、今日はいつもより凄く早いね。どうしたの? 何かあった? やっつけたい誰かが出来たとか……? 兄様が加勢しようか?」
「ち、違うよ。その……早くに起きてしまったから、折角だし、魔法の練習をしようと思って」
「凄いねえ、メルは。そうだ、聞いたよ、花を物凄く沢山、治療したらしいね」
「沢山……、うん。十本くらい、だけど」
「十本は凄いよ。前は一本だったんだろう? 頑張ったね。努力家で、とっても良い子」

 言いながら、カイネは私の頭を軽く撫でてくる。指先の触れ方があまりにも優しくて、なんだか私は照れてしまう。撫でられた場所を、自分の指先でも軽くさすりながら、「兄様こそ、いつもこの時間なんですか?」と声をかけた。カイネは小さく頷く。

「大体はね。ただ、寒い日なんかは少し遅刻することもあるかな」
「寒いの苦手なんですか?」
「そう――そうだよ。兄様は寒いのがとっても苦手。寝るときもずーっと寒いなあ、寒いなあって思ってるんだから」

 カイネは神妙な顔で言葉を早口に続けた。これは、多分、このまま行くとリュジと私に添い寝して貰いたいなあ、なんて話に移りそうだ。狩猟祭の後、リュジと一緒に寝ているところをカイネに目撃されてからというもの、カイネは隙あらば私やリュジと共に寝ようとする。

 使用人頭に「リュジ様とメル様はまだ子どもですが、さすがにカイネ様がそこに加わると……変な目で見られる可能性が……」なんて言われているところも聞いたことがある。だが、カイネは諦めていないらしい。小さく笑って、「じゃあ、手を繋ごうよ」と私は手のひらを差し出した。

「訓練所へつくまで、だけど。これで寒くないでしょ?」
「……。……メルは意地悪だね」
「そうかなあ」
「そうだよ」

 如実に会話を変えられたことに気づいたのだろう、カイネがわずかに拗ねたような顔をする。そうしてから、私の手をそっと握ってきた。
 その後、訓練所まで向かうカイネの足の歩幅が、少しだけ狭くなったのは、気づかないふりをした。


 訓練所には、いつもより少しだけ時間をかけて到着した。持ってきていた杖を手に、私は早速、魔法の練習を始める――のだが、どうにも集中が出来ない。
 あまりきちんと寝ていない、というのもあるし、カイネのことが気にかかって集中が途切れてしまう、というのもある。的をかすって飛んでいく火球を眺めて、私は小さく息を吐いた。

 私の傍で、剣の練習をしていたカイネが「……メル、兄様とお話する?」と声をかけてきた。彼は練習用の剣を腰に佩きながら、「朝早くからの練習だから、兄様も少し眠たくて。メルがお話してくれたら、目も覚めると思うから」と、彼は続ける。
 明らかに気を遣われている。私は杖を下ろして、それから小さく頷いた。

「……良いの?」
「もちろん。兄様がお願いをしているくらいなんだから、問題なんてどこにもないよ」
「……ごめんなさい」
「大丈夫。メルも少し眠たかった?」

 手つきがそもそも覚束ないまま、魔法の練習を重ねても、あまり身にはならないのかもしれない。どう考えても、昨日の夜の不眠は失態だった。私は軽く首を振る。軽く欠伸が零れて、慌てて口を塞いだ。
 カイネが小さく笑う。そうして彼は私の前髪に触れて、「少しだけ座ろうか」と口にした。
 私は欠伸を噛み殺しながら、ゆっくりと頷いて返した。訓練所には、一応座って休憩の出来るスペースもある。カイネが私の手を取って、ゆっくりとそこへ向かうので、私も少しだけ緩慢な動作で、ゆっくりと椅子がある方へ向かった。

 二人で椅子に腰をかける。そうすると、覚束ない思考がじんわり、眠気に支配されていくような心地がした。ね、眠い。今、眠気が来るなんて。眉根を指先で軽く揉んでいると、カイネが「少しだけ寝る?」と小さく囁いた。

「今なら兄様の膝枕がついてくるよ! す、少し固いかもしれないけれど……」
「兄様の……」
「そう。寝心地は良くない……かもしれない。誰にも膝枕なんてしたことがないから、感想を聞くこともなくて……」

 カイネは少しだけしょんぼりとした様子で続ける。色んな人に膝枕をしていたら、それはそれで問題になりそうだが。というか、カイネの膝枕なんて、恐れ多くて流石に誰も頭を乗せることが出来ないのではないだろうか。
 小さく笑う。膝の上を軽くはたいて、土のようなものを落としてから、カイネはどうぞ、と言わんばかりに太もものあたりを指さした。

 ……膝枕。しても良いのだろうか。ちょっとだけ思う、が、カイネと私では年齢が離れていることもあるし、変な噂になることもないだろう。何より、そう――今だけ、ではあるけれど、家族なのだから。

「じゃあ……借りるね」

 もそもそと動いて頭を乗せる。カイネがどうぞ、と頷くのが見えた。
 鍛えられていることもあってか、太ももの辺りは僅かに固い。カイネはとても嬉しそうで、私の髪を指先で梳きながら、ゆっくり眠ってね、なんて楽しげに言葉を続けている。

「兄様がきちんと、リュジが来る頃には起こして上げるから」
「……うん、ありがとう、兄様」
「ううん。どういたしまして」

 指先が頭を撫でる度に、僅かにくすぐったさを覚える。まどろみのような感覚がじんわり、指の先から全身に広がっていくのがわかる。
 寒いはずなのに、カイネの周囲と、私の周囲が何故か暖かくなっている。多分、カイネが私に秘密で魔法を使っているのかもしれない。
 穏やかな時間だった。だから、というわけでもないけれど、私はこれに乗じて、カイネに問いを投げかけることにした。

「……花冠祭、兄様は、誰かに花をあげるの?」
「――どうしたの、急に。初めてだね、メルからそういう話題が出るのは」

 カイネは一瞬だけぴくりと指を震わせて、それからすぐに取り繕うように柔らかな声を出した。

「メルもそういうことが気になるお年頃になったんだね。初めて会ったときは本当に、私の手の平くらいの大きさしかなかったのに」
「それは絶対嘘! もう。でも、そう、少しだけ気になってて。もし――もしも、兄様に好きな人が居るなら、私、応援するよ」
「……好きな人……」
「……」

 一呼吸置くような、そんな間を挟んで、カイネは私の頭を軽く撫でるように叩いた。

「私の好きな人は、リュジと、メルだよ。是非、応援してほしいな。――ほら、眠たいんだろう? おやすみなさい、メル」

 指先が、そっと私の瞼を覆うように隠す。話題を逸らされた。
 好きな人はリュジとメル。きっと本心の言葉だろう。けれど、その奥底には、『そう言わざるを得ない』状況がある。

 カイネの手の平の中でそっと目を閉じる。
 母上の神様――だから、恋をしてはいけない、なんて。絶対におかしい。

 カイネの幸せと、リュジの幸せは、似ていると思う。カイネが幸せになればリュジも幸せになるし、リュジが幸せになればカイネも幸せになる。どちらかが不幸なまま、片方が幸せになる、なんてことは無いのだろう。二人は切っても切れない兄弟なのだ。
 ならば私がすることは決まっている。

 推しを幸せにする、それだけが私の一貫とした目的であり、目標なのだから。
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