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狩猟祭

13.前日

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 王都へ出かけたこともあり、狩猟祭に関しての情報を得ることが出来た。後は作戦を練り、そして当日までに出来る限りのシミュレーションをしておけば問題無い――と言ったところで、狩猟祭が明日に近づいてきた。
 今日までの間、リュジはユリウスからの助言によってか、朝の訓練において、魔法の練習の時間を半分、魔物の生態についての本を読むのが半分、と時間を明確にわけているようだった。
 最初こそ、魔法の練習を切り上げて、訓練場で本を読み出すリュジをカイネは呆けた顔で見ていたが、直ぐに読んでいる本から意図を察したのだろう、「本当に一位になるかもねぇ」と私にこそこそと耳打ちしてきた。

 本当に、きっと、一位になれる。それくらいのポテンシャルをリュジは秘めていると思う。
 ただ――そう、殿下が参加したことでカイネが二位に甘んじたように、今回も殿下が参加したことで、リュジも二位に甘んじることになってしまうかもしれない。
 いや、きっと、――そうなるのだろう。

 イストリア帝国において、皇族は創世神エトルによって初めて作られた人間であるとされている。
 そのため、皇族は基本的に必ず星の子であり、星の子としての特徴を一つ以上宿して、生まれてくる。今居る殿下が銀髪で、陛下も銀髪であるように。

 つまりは神の眷属に近いものなのだ。そんな存在が、一貴族に負けるなんてことはあってはならないだろう。そうなってしまえば信仰が揺らぎ、皇帝を皇帝たらんとする基礎の部分から瓦解してしまう可能性があるからだ。
 すなわち、神の眷属でもない人間に負ける皇帝は、本当に神が初めて生み出した人間なのか、という疑問が噴出してくるわけである。

 ほとんど負け戦のようなものである。参加して、殿下が一位になることで、皇帝の威光と権力を知らしめるだけの、そんな祭。

 ぼんやりと膨らんだ感情は、重く胸にのしかかり、なかなか消すことが出来なかった。私はベッドの上で小さく呻きながら、柔らかな布団をぼすぼすと叩く。
 駄目だ、変なことを考えている。気分転換しよう、気分転換。私は小さく息を吐いて、それからゆっくりとベッドから起き上がった。

 夜遅く。普段は使用人が多くいるミュートス邸も、流石にしんと静かだ。起きている使用人もいるだろうが、多くは使用人室で眠りについて、明日の朝を待っている頃合いだろう。
 そっと指先で扉を開く。廊下には等間隔に灯りが存在して、それがしめやかに光を帯びている。廊下に面した窓からは、よく手入れされた庭園が視界いっぱいに広がる。

 朝や昼に見るのとはまた違った雰囲気を漂わせる庭園をじっと見つめていると、不意に、ちょん、と肩を叩かれた。
 一瞬、飛び上がりそうになったのは言うまでもない。ひえ、と小さく悲鳴を上げると、私の肩を叩いた相手――カイネは、「あ、ごめんね」と囁くように言葉を口にした。

「驚かせちゃった、かな」
「に、兄様にいさま……」
「うん。カイネ兄様だよ。メル、どうしたの。こんな夜遅くまで起きて」

 カイネは僅かに表情を柔らかくさせた。そうして、私と目線を合わせるように腰を屈めて、軽く首を傾げて見せた。思わぬ相手の登場に胸が強く鼓動する。その響きを抑えるように胸元に手を当てながら、私はゆっくりと息を吐いた。

 ――明日の狩猟祭のことを、少し心配している、なんて言ったら、失礼に聞こえるだろうか。リュジを信頼していないのか、と思われてしまう可能性もある。
 何と答えるべきか。ただ眠れなかった、と言うだけでも、きっとカイネは納得してくれるだろうけれど。脳裏で思考を巡らせて、私は小さく首を振った。カイネが私の言葉を待ちながら、「兄様はね」と、秘密話をするように、小さな声を出す。

「実は、明日が心配で、少しだけ寝付けなかったんだ」
「えっ」
「メルもそうでしょう? 良かったら、食堂へ行こうか。まだ恐らく料理人はいるだろうから、体が温まるものを作ってもらおう」

 ほら、と手が差し出される。私は一瞬だけカイネの顔を呆けながら見つめた後、その手をゆっくりと取った。
 長い廊下を、食堂まで歩いて行く。私とリュジ、カイネの部屋は二階、食堂は一階にあるので、途中に階段を降りる必要が出てくる。
 薄暗い階段は少しだけ足元が見づらい。私がそろそろと降りているのを見てか、カイネは小さく笑って、「良かったらお姫様抱っこでもどうかな、お嬢様」なんて弾むように言葉を口にした。

 ……見えづらい中、動いて、ごろごろと階段を転げ落ちるなんてことになったら洒落にならない。お願いします、というと、カイネはすぐに私を抱き上げた。そうして恭しい手つきで背中を支えるように持ち、ゆっくりと階段を降りていく。

「……は、恥ずかしいね、これ」
「そう? 兄様はね、嬉しいよ。こうやって妹を……メルを、抱っこしながら歩ける日が来るなんて思わなかったから」

 ね、とカイネは小さく笑った。銀色の髪が、僅かな光の中でもきらきらと輝く。カイネは、本当に美しいかたちをしていた。

「……沢山抱っこしてもいいかな。これからも」
「ど、どうしたの。急に」
「ほら、私は、出会ってからずっとメルのことを妹のように思っていたんだけれどね」

 まるで周知の事実のように話されるが、初めて明かされた事実である。確かに出会ってからずっと子ども扱いされているなあとはずっと思っていたし、現在進行形でもそう思っているけれど、あれはつまり妹扱いだったのだろうか。

「妹と思っていたとしても、流石に他家の子女を頻繁に抱き上げたりするのは、許されないから。ずっと我慢していたんだよ。でも、今は家族だから、それが出来る。だから、今のうちに思う存分、メルを堪能しようと思って」
「……兄様……」
「可愛いメル。君はどんな女性になるんだろう。どうやって成長するんだろうね。それを傍で見守るのが、私の楽しみだよ」

 階段を降りきる。カイネは少しだけ名残なごり惜しそうに私を下ろした。そうしてから、そっと手を差し出してくる。
 その手を握ると、カイネの瞳に柔らかな喜色が滲むのが見えた。……こんな些細な関わりで、こんなにも喜ぶ人、なんだな、なんて今更のように思う。
 カイネは、優しくて、柔らかくて。銀色の髪、青色の瞳、星と夜空を象ったかのような姿をしているのに、まるで春の日差しのような人だった。

「……誰も見ていない時なら、いくらでも、抱きしめてくれて、大丈夫、だよ」
「……メル、良いの?」
「うん。私も、誰も見てない時は、兄様に抱きついても良い?」

 離れる瞬間、少しだけ寂しそうな顔をしていたのが、印象に強く残ったのもあって、ほとんど無意識のように言葉が零れる。
 抱きついて良い、抱きしめても良いか、と問うなんて、少しはしたない行為だっただろうか。いやでもカイネには他意はないだろうし、私も――そうだ。

 家族として私を大事にしてくれている彼に、私も家族として答えたくなった。理由としては、きっと、それが一番に上がる。

「……もちろん。いくらでもおいで。悲しいときも、嬉しいときも、兄様に沢山お話を聞かせてね」
「兄様も、だよ」
「私も?」
「そう。――悲しいときも、嬉しいときも、沢山お話、私にも聞かせて」

 カイネは微かに瞬く。そうしてから、小さく笑った。まるで私の騎士様みたいだね、なんて、朗らかに紡ぐ声がやけに嬉しそうで、私は胸を張って返した。


 食堂であたたかな飲み物を作ってもらって、折角なので庭園に出て飲むことになった。まだ季節はそこまで肌寒くなくて、寝間着の上に柔らかなブランケットを羽織れば、苦も無く過ごせるくらいの気温だった。

「そういえば、王都へ行ったんだって? ユリウス卿から聞いたよ」
「あっ……、う、うん。そう。少しだけ会場の下見に行こうって話してて……」
「良いなあ。兄様も行きたかったなぁ」

 静かに息を零しながら、カイネが少しだけ悲しそうな顔をする。そうして、彼は私に肩をくっつけてきた。すり、と撫でるように触れてきて――それから、少しだけ体重がかかった。私が負担にならない重さで、カイネはしなだれてくる。

「あーあ。兄様も行きたかったなぁ」
 
 行動が、まるで拗ねている子どものようだ。思わず小さく笑うと、「あっ。兄様のことを笑ったね?」と直ぐに言葉が返ってくる。

「これは本当に大事なことだよ。いつの間にか、リュジとメルが仲良くなっていて、私だけ一人ぼっちにされてしまったら、もう、耐えられない」
「そんなに?」
「そんなに!」

 少しだけ語調が強い言葉だった。私は小さく笑う。体重を乗せてくる肩を軽く押し返しながら、私は「リュジの狩猟祭が終わったら、少しだけ観光しようか」と声をかけた。
 カイネがふ、と私から体を離し、「良いの?」と静かに問いかけてくる。もちろん、私としては一切問題無い。だが、それには一つだけ条件がある。

「ただ……、王都で兄様は人気者だから、どうにか変装をしてもらうことになるけれど……」

 これは絶対の条件である。カイネの小説(二次)なるものすら存在する王都に、カイネを無防備に放り込んでしまったらどうなることか。想像に難くない。しっちゃかめっちゃかになるだろう。
 騎士団としての、警らの場合であれば、仕事中だからと自制してくれるだろうが、そうでなければカイネを慕う人々を止める鎖なんてほとんど無いようなものである。

 カイネは微かに瞬く。そうしてから、僅かに考えるような間を置いて、ゆっくりと頷いた。

「変装……わかった。必ずだよ、メル。兄様と、リュジと、メルで――観光をしよう。楽しみだなぁ。実はね、兄様のお気に入りのお店がいくつかあるんだよ。ユリウスと一緒に行ったかもしれないけれど……」

 カイネが僅かに表情を崩す。直ぐに、行きたい場所を口にし始めるカイネを見ながら、私はそっとコップの縁に口をつけた。
 明日は、もうすぐそこまで来ていた。

 
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