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9.五日目

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 星夜祭の次の日、私は早々に家を出て、村で過ごすことにした。
 朝の内、エリオにやりたいことは見つかった? と問うと、少し考えるような間を置いてから、「決まったよ」と言われたので、それに少しほっとしたものである。
 昨日の星夜祭が、エリオにとっても良い刺激になったのかもしれない。ずっと押さえつけていた希望や欲などが少しずつふつふつと湧いてくるような――心の奥底に埋まっていた『やりたいこと』が、表に出てきたのならこれ以上に良いことはないだろう。

 エリオと笑顔で別れてから、私は市場で朝の食事を購入しそれを食べ、今はベンチに座ってぼんやりとしている。
 星夜祭であれほど多く居た人々はどこへ行ったのか、と思うくらい、のどかな風景が広がっていた。
 ふと地面を見ると、掃除しきれなかったのか、白い花がいくつか落ちているのが見える。それらの内の一つを手に取り、じっと眺めながら、考えるのはエリオのことばかりだ。

 あと少しだけ。二日後の昼には、エリオは物を言わない存在になってしまう。
 今日までの五日、エリオがしたいと言ってきたことを叶えるように動いたが、それらが上手くいっているかどうかは、わからない。もちろん、エリオは笑ってくれているし、幸せそうにだってしてくれている。
 それでも、これで良いのだろうか、と思う時がある。エリオの大切な七日を、私が台無しにしてしまっているのではないかという恐怖は拭えない。

 そっと息を吐く。指先で軽く弄んでいた白い花が、風に吹かれて飛んでいく。その軌跡を追うように視線を上げると、――見覚えのある人の姿が、目に入った。
 ひゅ、と喉が一瞬にして窄まる。相手は私を見ると意地の悪そうな笑みを浮かべた。私の行動を監視するような目つきだ。いつからそこに、花を拾うまでは居なかったはずだ。

「やあ、エリオの妹」
「……貴方は」

 シュヴァル。私は口元で名前を囁く。
 エリオが師事していた相手。エリオを侍医見習いとして取り立てた薬師。黒髪、黒目で、一目見ただけでは性別が判断出来ないような姿をしている。
 どうしてここに。シュヴァルはエリオが仕えていた貴族の家に居るはずで、更に言えば拠点として使用しているのも隣村であると聞いた覚えがある。

「どうしてここに」
「星夜祭を見に来たんだ。この辺りでも大きな祭事だからね。気になることもあったし」

 柔らかなローブに身を包んだシュヴァルは、私の傍に近づくと、隣に腰を下ろした。
 まずい、と思う。エリオの死をシュヴァルは知っている。だって、エリオの訃報を届けてくれたのがシュヴァルその人なのだ。そんな人が、もしエリオを見たら――どう思うだろう。
 動き、笑い、そして踊るエリオの姿を見られていたら。死んだ人間は蘇らない。誰もが知る摂理だ。だが、この村にはその摂理から逃れている人間が一人居る。
 そのような存在が他の人間に知られたら、どうなるかは想像に難くない。エリオは確実に隔離される。
 そうなったら、エリオはあと二日の日々すら、自由に生きられなくなる。

 いや、でも、見て居ないかもしれない。エリオに気付いていなかったら。それなら問題は無いはずだ。
 シュヴァルがこうやって話しかけて来たのも、彼はエリオを弟子として大事に思っていて、だからこそエリオの人生を食い潰した私に煮え湯を飲ませようという気持ちからなのかもしれない。そうであってほしい。

「でも、星夜祭は楽しいね。音楽も流れるし、時計塔から花も降ってくる。普段は王都周辺でしか食べられないような料理や、この辺りだと手に入れづらい装飾品なんかも手に入る」
「――」
「死んだ人間も祭を楽しんでいたようだし」

 喉が震える。一瞬にして背筋が粟立ち、私はシュヴァルを見つめた。シュヴァルは微笑み、私の耳元に口を寄せる。

「楽しいかい? エリオの七日を独占する日々は」
「は、――」
「また君は、エリオの人生を使い潰すつもりでいるんだね」

 何を。何を言い出すのだろう。いや、むしろどうして――七日しか生きられないと知っているのだ。
 理性が働くよりも先に、行動をしていた。私はシュヴァルの手を片手で掴み、その口が更にエリオのことを口に出す前に手で塞ぐ。これ以上ここで話すわけにはいかない。
 何がなんだかわからないが、シュヴァルは生き返ったエリオのことを知っている。その寿命も、何もかも。私に対して悪意があっても、エリオに対して悪意が無いのであれば、これ以上騒ぎ立てることは無いだろう。けれど、用心するに越したことは無い。

「すみません、お願いだから、兄の話をここでしないで。何でもします、私に出来ることなら何でもするから――あと少しだけ何も言わないでください」

 男性は目を白黒させていたが、直ぐに私の手を軽く払うと、「言わないよ」とだけ言う。

「別にエリオをどうにかしたいわけじゃないからね」

 ほっとする。焦燥と何もかもで、急いていた心臓が少しずつ元へ戻っていくのが感じられた。
 シュヴァルはなんとも言えない顔をした後、立ち上がってどこかへ去ろうとする。私も慌てて立ち上がった。

「何? 何か用? 俺を追いかけて時間潰すより、エリオのこれからも使い潰して生きていけば?」
「……兄とは、今日、顔を合わせないつもりなんです」
「はあ?」
「私が居ると、兄は自分のやりたいことを押さえ込んでしまう、と思ったので……今日は自由に過ごす日で」
「へえ。へええ」

 シュヴァルは私のことを、頭の爪先から足元までじっと眺めて笑う。

「なんだ。俺はてっきり、毎日毎日エリオ、エリオ、一緒に居ようね、って言っているのかと思っていたよ」

 もし本当に、エリオが生きて帰ってきたなら、そうしていたかもしれない。可能性は無いと言えないだろう。
 けれど、エリオは死んだ。そして何の奇跡か、生きて帰ってきた。七日間を私だけが独占するわけにはいかない。

「兄には、『私の兄』じゃなく、『エリオ』として生きて欲しくて……」
「今更だな」
「その通りです、けれど、でも。今更であっても、やり直す機会が得られたから」

 吐き出す声が僅かに震える。鼻の奥が痛んで、目の奥が熱くなっていくのがわかった。
 泣いてしまいそうだ、と思う。慌てて手の甲で眦を拭い、「……シュヴァルさんが会いに行ったら、エリオも喜ぶと思います」と囁く。
 シュヴァルは何とも言えない顔をして私を見ていたが、「……泣かせたって知られたら確実に怒られるやつだよな、これ……」とかなんとかぼそぼそと口にして、細い吐息を零した。

「泣き止んでくれる?」
「……す、すみません。直ぐに泣き止みます。私のことは気にしないでください」
「ちょっと、泣かせてるように見えるだろ! ――ああ、もう」

 シュヴァルは首を振ると私の手を掴んだ。そのまま歩き出す。私はたたらを踏むようにしてその後ろを付いていく。一体なんだろう。これ以上話しても醜態を見せるだけになりそうだし、出来れば離れたいのだが。
 少し歩くと、村の片隅にある教会へ到着する。シュヴァルは勝手知ったる様子で扉を開けると、いくつもある長椅子の内の一つへ腰を下ろした。私が立ったままで居ると、「座れば」とだけ声をかけてくる。

 そろそろと腰を下ろすと、シュヴァルは視線を逸らした。間を置いて、拗ねたような声が耳朶を打つ。

「悪かったよ。言い過ぎた。泣かせるつもりはなかった。ただまあ、少し……言おうと思ったのは確かで、その辺りは申し開きも無いけど」
「……」
「……無言? ちょっと、謝ってるんだから、良いですよくらい言ってくれる。謝罪に対して何の返答もないこと、ある?」
「す、すみません。気にしないでください」
「そう。じゃあそうするよ。もう気にしないから」

 ――こ、こんな人だっただろうか。エリオの手紙からは、シュヴァルという師匠がどれほどに良い先生か書かれていたように思う。性格はキツイけど腕は信頼出来て、エグい愚痴を吐くけど調剤は上手で、人のことこき下ろすけど薬草を見つける手際は人一倍上手かったとか、総じて師匠としての尊敬が勝つ、みたいなことが書いてあったような。
 ……いや、エリオが性格キツイ、エグい愚痴を言う、人のことをこき下ろすとか書いてる時点で、それほどの性格だったのかもしれない。師匠への尊敬も総じなければ勝てないほどである。
 多分、こういう口の悪さはこの人生来のものなのだろう。

「なんか変な風に納得した顔をしているけれど、何考えてるんだよ」
「いえ、……その、エリオからの手紙にも、よくシュヴァルさんのことが書かれていたので、そのことを思い出していました」
「ふうん。そう。へえ」

 シュヴァルはにわかに機嫌を良くする。エリオのことが大事なんだろうな、というのが、その眼差しの穏やかさからなんとなく想像が出来た。

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