こんにちは、いれてください

うづき

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 手早く荷物をまとめ、冬里は隣家の老婆に挨拶をしてから、実家へ戻った。
 帰宅する頃には夕方を過ぎており、急に帰ってきた冬里に驚きながら、母親は直ぐに迎え入れてくれた。家族の顔を見て安心したせいか、冬里はその場で堰を切ったように泣き出してしまったが、母親は優しく受け止めてくれた。
 妹ともその後、顔を合わせ、夕飯の時は祖母の家でのことを語った。

 掃除をしたこと。近くの家の人からスイカを貰ったこと、テレビの字幕が消せなくて困ったこと。そういった細々を話してから、その日のうちに、自宅のベッドに体を預けて眠った。
 泥のように眠ったせいか、次の日は正午過ぎに起きだすことになり、母親から呆れられたのは言うまでもない。

 それから矢のように日々が過ぎたが、冬里の家を訪ねてくるものは、居ない。たまに居ても、玄関にはカメラがついているので、誰が尋ねてきたかがわかる。
 誰が来たか、きちんと確認出来るということが、ここまで安堵に繋がるとは、知らなかった。

 かがち様の来訪に怯える日々は、けれど、就活などの忙しさで僅かに薄れていった。
 一年の月日を経て、冬里は就活を終え、大学を卒業し、一人暮らしをするようになった。

 祖母の家には帰っていない。というより、あの後すぐに借り手がついたらしく、そもそも帰ることが出来なくなった、というのが正しいだろうか。借り手は、怖い話や因習めいたものを楽しく語る、いわゆる怪談師としてそこそこ有名なネット配信者らしく、お盆の時期になるとリスナーや怖い話好きな同好の士を招いて、祖母の家で好きなように過ごしているらしい。

 母親から教えられた、そのネット配信のURLを一度は開いたものの、それ以降、冬里は自ら望んで関わりを持とうとは思わなかった。もし、URLを開いて、眺めて、その画面に見知った顔が映ったらと思うと、関わりを持てなかった、という方が正しいのかもしれない。

 ただ、ぼんやりと思うことがある。かがち様は、あの後も、――あの家に、訪れているのだろうか、だとか。
 他の家を回って、自身の嫁を探しているのだろうか、とか、そういったことを。もしくは、もう既に他に嫁を見つけて、その相手と幸せに過ごしているのだろうか、なんて。
 自分から突き放しておいて、――寄る辺の無い場所へ突き落としておいて、よくそんなことを思えるものだな、と思う。

 あの後、もう少し調べてみると、あの村にはかがち様を祀るほこらのようなものがあったらしい。近くに清流が流れるそこは、地元の人々によって大切にされていたらしいが、先日、土砂災害によって崩れてしまったとニュースで見た。かがち様のほこらだけが被害に遭い、それ以外の民家に一切の被害は出ていないらしい。だからか、かがち様が守ってくれたのだ、と噂になっているのだとか聞いている。

 ほこらが壊れたかがち様は、どうしているのだろう。冬里には、知る術もない。


 冬里は僅かに瞬く。昨日の夜、色々調べ物をした後、いつの間にか眠っていたらしい。携帯で時刻を確認し、ベッドの上で軽く伸びをする。本来なら慌てて飛び起き、化粧なり身支度をしなければならない時間帯だが、今日からお盆休みだ。まとまった休日をくれる会社に就職出来て良かった。小さく喉を鳴らして笑いながら、冬里はゆっくりと起き上がる。

 喉の乾きを潤すために、冷蔵庫からペットボトルを取り出す。それをコップに注いだところで、不意に呼び鈴の音が鳴った。
 通販か何かが届いたのだろうか。カメラに映し出される相手を確認するべく画面へ顔を寄せる。

 誰も居ない。

 首を傾げていると、もう一度呼び鈴の音が鳴る。瞬間、ひく、と手の甲から伝わってきた刺激に、指先が僅かに痙攣するのがわかった。
 呼吸が僅かに浅くなる。呼び鈴の音が鳴る。冬里は小さく息を吐いて、誰も居ない画面を眺めながら、通話ボタンを押した。

「はい」

 答えると、僅かな間を置いてから、冬里、と呼ぶ声が耳朶を打つ。

「こんにちは。――いれて、ください」
「……」

 ここまで。
 ここまで、追いかけてきたのか、と、冬里は思う。そうして、そっと息を零した。
 復讐のためだろうか。もしかしたら冬里を殺しに来たのかも知れない。わからない。――かがち様の考えることが、何も。
 答えずに居ると、縋るような声が、もう一度響いた。

「いれて、ください。冬里。お願いします」
「……」
「に、人間の、やり方、やっぱりどうしても、難しくて。けれど、何か――何かをあげていたのは、覚えていたから。だから。だから。持って来たんだ、冬里、人間のやり方を学んだよ。だから、もう一度、会ってください。いれて、いれて、ください」

 泣き濡れた声だった。冬里は僅かに逡巡して、それから、ゆっくりと、言葉を吐き出す。

「……かがち様、……」
「冬里……」

 名前を呼びかけてから、扉を開く。そこには、かがち様が立っていた。青年の姿のままだ。冬里と比べると、今はかがち様の方が少しだけ幼く見える。
 
 前に見た時に比べると、頬や体が泥にまみれていた。その手に、いくつかのお菓子があった。おまんじゅうや、お花のような類いもある。
 どこかから、かき集めてきたのだろう。それらも全て、泥に汚れていた。

「冬里。冬里。会いたかった。気配を辿ってきたんだ。冬里は嫌がるかもしれないと思ったけれど、でも、ずっと考えて、僕は、冬里だけが、――冬里だけと、傍に、居たくて」

 かがち様が静かに言葉を続ける。怨恨や、憎しみといったものが、一切滲んでいない瞳で、冬里を見つめる。
 あんなに手ひどく追い返したのに、それでも、探して、やってきたのか。

「好き。大好き。どうか、お嫁さんになってください。僕の番に、なって。冬里だけしか考えられない。冬里、お願いです。いれてください。傍においてください。家族になるのは、もう、難しい……?」

 必死に紡がれる言葉に、冬里は小さく息を飲む。
 馬鹿だな、と思う。必死になって、冬里を探してやってきたであろうかがち様も、――その行動に、ほだされそうになっている、冬里自身も。

 泥にまみれた体はきっと、土砂によって潰れてしまったほこらと関係があるのだろう。人間が誰も約束を守らなくても、かがち様は約束を守って、人々を救ったのだ。
 愚直な神様だった。たった一人、誰かからの愛が欲しくて、必死になって許しを乞う、神様だったのだ。

「……もうえっちなこと、強引にしたりしない?」
「……え、えっちな、ことは、――したい、けど、我慢することにする。本当に。絶対に。冬里が良いって言うまで、体を、重ねたり、しない」

 かがち様の言葉に小さく笑う。もう二度と、強引な手を取るな、と怒ったことを思い出す。こうやって関係性を構築しようとするのはやめてほしい、と。
 だからきっと、人間がするように、考えて、持って来てくれたのだろう。抱えられた花を一輪、そっと手に取ると、冬里は首を振った。

「……なんで私なの……?」
「冬里が」

 冬里の熱が。かがち様は続ける。

「あたたかくて、心地良くて。ずっと傍に居たいと思った。――それでは、駄目?」
「……」

 たったそれだけ。でも、それだけ、ではないほどの質量が、きっとその言葉には込められているのだろう。私じゃなくても良かったのでは、と、冬里は思う。けれどかがち様にとっては、冬里でなければ、きっと、良くなかったのだ。
 
 かがち様と別れてから、冬里の心の中でくすぶっていたなんともいえない感覚が、じんわりと崩れていくのがわかる。冬里は首を振って、かがち様を見つめた。黒い瞳が、魔性を感じさせる面立ちが、冬里の瞳を見つめ返す。

 泥で汚れた頬に手を伸ばし、そろ、と指先で撫でるように取ると、かがち様は小さく息を零した。甘い吐息が冬里、と囁くように冬里の名前を呼ぶ。

「……怒って、ない……?」

 それに肯定するのも、なんだか少しばかり恥ずかしい気がする。チョロイ、と自分のことを心の中で貶しつつ、冬里は「怒ってないよ」と言葉を続けた。
 どうして、人を守るために泥まみれになった神様を怒ることが出来るのだろう。

 そうしてから、冬里はかがち様を見つめる。

「帰る場所、無いんでしょう。なら、うちの子にしてあげるよ。おいで、加賀くん」

 囁くように言葉を続けると、かがち様が――加賀が、唇を痙攣させた。そうして、泥だらけの体のまま、冬里の体に抱きついてくる。お供え物だったのか、何だったのか、泥にまみれた食べ物が玄関口に落ちる。

「冬里」

 泣きそうな声が名前を呼ぶ。加賀の手がゆっくりと冬里の背に回る。鱗のついた手が、必死に、抱きしめるように冬里の体をぎゅうっと掴む。

「いれてくれて、ありがとう」

 泣き濡れた声だ。慰めるように、冬里は自分よりも少しだけ高い位置にある頭を指先で撫でる。
 その手の鱗が、光を反射して僅かに光った。
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