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冬里は小さく震える。今にも玄関口に向かっていきそうな足を叱咤して、その場でうずくまったまま時間が過ぎるのを待つ。
恐怖のような時間が、冬里の精神を少しずつそぎ落としていくのがわかった。冬里は小さく息を詰まらせて、それからぼろ、と涙を零した。
泣き声が零れ落ちる。
「かえ……っ、かえって、かえって……!」
泣きながら紡いだ言葉に、不意に家が軋むのを止める。冬里は布団を握り絞めたまま、「帰って、お願いだから、お願いだから、帰って」と泣きながら言葉を続けた。
冬里、と名前を呼ぶ声が落ちてくる。それは悲しげに揺れていた。泣き出しそうな声だ。
「……」
静かな吐息が聞こえる。ずり、ずり、と重たいものをどけるような音がして、それが少しずつ遠ざかっていくのがわかった。
冬里は布団から顔を出す。終わった――のだろうか。本当に?
だって、あそこまで執着していたのだ。それなのに、冬里が本気で拒否したら帰る、だなんて、そんなことがあり得るのだろうか。
ゆっくりと布団から起き上がる。携帯を見ると、画面の電源がついた。今の時間帯を示す文字列を眺めていると、視界が歪む。
ひ、と息を飲むようにして嗚咽を漏らし、しばらくの間、冬里は祖母の部屋で泣いた。
その後、喉の渇きを潤すようにして飲み物を冷蔵庫から取り出し、そうしてようやく口をつける。喉の奥を通っていく冷たさに、ほっとするのがわかった。
終わった、のだろうか。終わっても良い、と思ってもいいのだろうか。
わからない。わからない、けれど、加賀の気配は、もうどこにもない。
――加賀は山に帰ったのだろうか。そして来年、また、己の嫁となるべき存在を探して、村の中を歩き回るのかもしれない。こんにちは、いれてください。そう言って、自身を受け入れてくれる場所を探すのかもしれない――。
そう思っていると、不意に、呼び鈴が鳴った。瞬間、手元がとてつもない勢いで震えて、飲み物を零す。拭くか、出るか。考えていると、「冬里」と呼ぶ声が聞こえた。
母の声だ。
「え……!? お母さん?」
どうして。いや、確かに、お母さんもそっちに行こうか、と言っていたけれど。まさか本当に来てくれたのだろうか。
冬里の様子が普段と全く違うから、心配してくれたのかもしれない。眦が熱を持つ。冬里は携帯を置いて、服を拭くのもそこそこに、玄関口に向かった。
「冬里、良かった。いれて」
「うん、今開けるね」
祖母の家の鍵は、冬里が預かっている。スペアは叔母の元にはあるが、母親の元にはない。それもあって、鍵を開けないと中に入れないのだろう。冬里は笑みを浮かべながら、鍵を開け、チェーンを外し、そうして扉を開いた。
そこに、母は居なかった。
「あ――え?」
「良かった」
加賀が立っている。零れる声は、冬里の母親のものだ。
どうして気付かなかったのだろう。その声が、今よりも少しだけ、若々しかったことに。
「か、が、く、……」
「冬里。いれてくれてありがとう」
「な、なんっ、なんで……なんでっ」
「帰らないよ。だって、冬里は僕のお嫁さんだから。ふふ。良かった。冬里、僕の――声、似ていたでしょう?」
昔と同じだよ、と、言いながら、加賀は室内に入ってくる。
その瞬間、不意に、遠い昔の記憶が水泡のように弾けて、冬里の脳裏に浮かぶ。冬里が祖母の家に一人で来たとき。迷子になった男の子と共に、家を探した時。
あの後、家に帰った冬里を男の子が追いかけてきて、母親の声真似をしたことを。
考えて見れば、少し前にも姿も形も直せる、と言っていた。それは、きっと、言葉の通りなのだろう。
加賀は――かがち様は、好きなように体を、形を、姿を、声を、変形させることが出来るのだ。
「冬里。僕のお嫁さん。僕の番」
加賀が嬉しそうに笑う。そうして、こわばったまま動かない冬里の体を、ぎゅう、と抱きしめた。――締め付けるように。
恐怖のような時間が、冬里の精神を少しずつそぎ落としていくのがわかった。冬里は小さく息を詰まらせて、それからぼろ、と涙を零した。
泣き声が零れ落ちる。
「かえ……っ、かえって、かえって……!」
泣きながら紡いだ言葉に、不意に家が軋むのを止める。冬里は布団を握り絞めたまま、「帰って、お願いだから、お願いだから、帰って」と泣きながら言葉を続けた。
冬里、と名前を呼ぶ声が落ちてくる。それは悲しげに揺れていた。泣き出しそうな声だ。
「……」
静かな吐息が聞こえる。ずり、ずり、と重たいものをどけるような音がして、それが少しずつ遠ざかっていくのがわかった。
冬里は布団から顔を出す。終わった――のだろうか。本当に?
だって、あそこまで執着していたのだ。それなのに、冬里が本気で拒否したら帰る、だなんて、そんなことがあり得るのだろうか。
ゆっくりと布団から起き上がる。携帯を見ると、画面の電源がついた。今の時間帯を示す文字列を眺めていると、視界が歪む。
ひ、と息を飲むようにして嗚咽を漏らし、しばらくの間、冬里は祖母の部屋で泣いた。
その後、喉の渇きを潤すようにして飲み物を冷蔵庫から取り出し、そうしてようやく口をつける。喉の奥を通っていく冷たさに、ほっとするのがわかった。
終わった、のだろうか。終わっても良い、と思ってもいいのだろうか。
わからない。わからない、けれど、加賀の気配は、もうどこにもない。
――加賀は山に帰ったのだろうか。そして来年、また、己の嫁となるべき存在を探して、村の中を歩き回るのかもしれない。こんにちは、いれてください。そう言って、自身を受け入れてくれる場所を探すのかもしれない――。
そう思っていると、不意に、呼び鈴が鳴った。瞬間、手元がとてつもない勢いで震えて、飲み物を零す。拭くか、出るか。考えていると、「冬里」と呼ぶ声が聞こえた。
母の声だ。
「え……!? お母さん?」
どうして。いや、確かに、お母さんもそっちに行こうか、と言っていたけれど。まさか本当に来てくれたのだろうか。
冬里の様子が普段と全く違うから、心配してくれたのかもしれない。眦が熱を持つ。冬里は携帯を置いて、服を拭くのもそこそこに、玄関口に向かった。
「冬里、良かった。いれて」
「うん、今開けるね」
祖母の家の鍵は、冬里が預かっている。スペアは叔母の元にはあるが、母親の元にはない。それもあって、鍵を開けないと中に入れないのだろう。冬里は笑みを浮かべながら、鍵を開け、チェーンを外し、そうして扉を開いた。
そこに、母は居なかった。
「あ――え?」
「良かった」
加賀が立っている。零れる声は、冬里の母親のものだ。
どうして気付かなかったのだろう。その声が、今よりも少しだけ、若々しかったことに。
「か、が、く、……」
「冬里。いれてくれてありがとう」
「な、なんっ、なんで……なんでっ」
「帰らないよ。だって、冬里は僕のお嫁さんだから。ふふ。良かった。冬里、僕の――声、似ていたでしょう?」
昔と同じだよ、と、言いながら、加賀は室内に入ってくる。
その瞬間、不意に、遠い昔の記憶が水泡のように弾けて、冬里の脳裏に浮かぶ。冬里が祖母の家に一人で来たとき。迷子になった男の子と共に、家を探した時。
あの後、家に帰った冬里を男の子が追いかけてきて、母親の声真似をしたことを。
考えて見れば、少し前にも姿も形も直せる、と言っていた。それは、きっと、言葉の通りなのだろう。
加賀は――かがち様は、好きなように体を、形を、姿を、声を、変形させることが出来るのだ。
「冬里。僕のお嫁さん。僕の番」
加賀が嬉しそうに笑う。そうして、こわばったまま動かない冬里の体を、ぎゅう、と抱きしめた。――締め付けるように。
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