12 / 21
4-2
しおりを挟む
扉の向こうで、小さく息を飲む音が聞こえた。そうして、「……いれて、ください」と再度、申し出るような声が聞こえる。先ほどと少し違った声音だった。顔を合わせずに断るのも、失礼だったかもしれない。鍵に触れた瞬間、堰を切ったように、言葉が響いてくる。
「いれて。いれてください。いれてください」
「加賀くん?」
「いれて。いれて、いれて、いれて。いれてください。いれて――冬里! いれて!」
まるで壊れた機械のように、何度も同じ言葉を繰り返す。その度に声の調子が変わって、冬里はぞっとした。
おかしい。録音された、誰かの音声を、何度も聞いているような、そんな違和感のようなものを覚える。鍵に触れていた手が、無意識に離れた。じり、とその場で後ずさるようにして、一歩退く。その間も、せがむ声は響いていた。
「冬里、冬里、いれて、いれて。どうして? 冬里、逃げないで。いれて。冬里。冬里!」
触れていたノブががちゃがちゃと鳴る。冬里にはわけがわからないが、扉を挟んだ向こうで、加賀が恐慌状態に陥っていることだけはわかった。
鼓動の音がど、ど、と耳元で鳴っているような、恐怖を覚える。震えそうな吐息を必死に飲み下し、そうしてから、冬里は退いた一歩を、踏み出した。
ゆっくりとした動作で、荒れ狂うように動くノブに触れる。そうして鍵を回し、扉を開いた。
「加賀くん?」
――開いた先。冬里は僅かに息を飲む。
そこには誰も居なかった。
先ほどまでの騒がしさはどこへ消えたのか、しんとした空気が周囲に満ちている。加賀は。視線を動かして探すが、見当たらない。
先ほどまで、動いていたノブ。加賀が動かしていたはずだ。扉を開くまで、動いていたということは――加賀が触れていたはずだ。
「……加賀くん?」
もう一度声をかける。応えは無い。冬里は靴を履いて、扉を後ろ手に閉めながら玄関から外に出る。庭園の方を見てみるが、やはり姿は無い。
一瞬で消えた――とは、考えづらいだろう。ならば、どこへ行ったのか。冬里には想像もつかない。
首を傾げていると、隣家に住んでいる老婆が、うろうろとしている冬里に気付いたのか「冬里ちゃん!」と声をかけてくる。じりじりと地面を焼くような暑気から誘うように、手招きをしているのが見えたので、冬里はそのまま老婆の元へ近づいた。影に立ち、少しばかり一息吐く。
「どうしたんよ、うろうろしてぇ。こんな暑いのに帽子被らんと。なんかあったで、待っとき」
老婆はころころと言葉を続けると、そのまま室内へ下がっていく。そうして、直ぐに手元に帽子を持って戻ってきた。冬里の頭に半ば強引にかぶせ、そうして「うん、似合っとるよ」と柔らかく微笑んだ。
「新品やでね」
「あ、ありがとうございます……。そうだ、その、聞きたいことがあって」
麦わら帽子のそれを指先で被り直しながら、冬里は首を傾げる。加賀のことを尋ねると、老婆は少し考えた後、小さく首を振った。
「聞いたことないわぁ。この辺、加賀なんて名字の子、おらんと思う」
「え……」
「誰かの親戚とかやったらわからんけど……」
老婆は少しばかり困ったように笑った。そうしてから、家に上がっていき、と柔らかく声をかけてくる。
「顔色悪いで。お茶でも飲んでいき」
「あ……、すみません。ありがとうございます」
「ええよええよ、話し相手になってや」
老婆に促されて、室内に入る。樟脳の匂いが僅かにする。蚊取り線香が焚かれているのか、縁側に煙りがくゆっているのが見えた。
老婆が過ごしやすいように、色々と工夫されているのだろう。おばあちゃんの家、というのが一番形容として似合っているような室内に、冬里はそっと息を吐いた。
どうやら、知らず知らずの内に緊張していたらしい。居間に通される。小さな木製の器に、いくつかのお菓子が盛られていて、その傍にお茶の入ったガラスのコップが置かれていた。恐らく、老婆が飲んでいたものだろう。
「直ぐに冬里ちゃんの分を用意するからね」
「ありがとうございます、でも本当、お構いなく」
「何言うてるん。お茶飲まなあかんで。こんな暑いんやから」
年代物の扇風機が、少しばかり異音を発しながら首を回しているのが見える。開いた窓から流れてくる風が、冬里の頬を撫でるようにくすぐる。そっと目を細めると同時に、お茶を入れたコップを手に、老婆が戻ってきた。氷が入れられたそれが差し出される。
そっとコップの縁に口元をつけると、きんきんに冷えた麦茶が喉を通っていくのがわかった。食道を通る冷たさを感じていると、「お菓子は買った?」と、老婆が首を傾げた。
「お菓子、……っていうのは、お盆のお祭りのやつ、ですよね」
「そうそう。用意しとかんと。子ども達も楽しみにしとるでね」
老婆は息を零すようにして笑う。
「用意は……一応してます。その、おまんじゅうじゃなくても、大丈夫なんですよね?」
「よう知っとるね」
老婆から話を聞いてすぐ、スーパーで洋菓子の類いを揃えたが、昔話になぞらえるなら、おまんじゅうを用意するべきなのではないだろうか。そう考えて問いかけると、老婆は僅かに驚いたように目を瞬かせ、皺の刻まれた眦を崩した。
「大丈夫よぉ、昔はね……それこそ、ずっとおまんじゅうだったけど。おまんじゅうは子どもも、もう、喜ばんからね。かがち様だって新しいもの、食べたいでしょう」
滔々とした言葉に、冬里は小さく笑う。確かにそうですね、と頷きながら、飲み物を喉に注ぐ。
瞬間。
呼び鈴が鳴った。
「いれて。いれてください。いれてください」
「加賀くん?」
「いれて。いれて、いれて、いれて。いれてください。いれて――冬里! いれて!」
まるで壊れた機械のように、何度も同じ言葉を繰り返す。その度に声の調子が変わって、冬里はぞっとした。
おかしい。録音された、誰かの音声を、何度も聞いているような、そんな違和感のようなものを覚える。鍵に触れていた手が、無意識に離れた。じり、とその場で後ずさるようにして、一歩退く。その間も、せがむ声は響いていた。
「冬里、冬里、いれて、いれて。どうして? 冬里、逃げないで。いれて。冬里。冬里!」
触れていたノブががちゃがちゃと鳴る。冬里にはわけがわからないが、扉を挟んだ向こうで、加賀が恐慌状態に陥っていることだけはわかった。
鼓動の音がど、ど、と耳元で鳴っているような、恐怖を覚える。震えそうな吐息を必死に飲み下し、そうしてから、冬里は退いた一歩を、踏み出した。
ゆっくりとした動作で、荒れ狂うように動くノブに触れる。そうして鍵を回し、扉を開いた。
「加賀くん?」
――開いた先。冬里は僅かに息を飲む。
そこには誰も居なかった。
先ほどまでの騒がしさはどこへ消えたのか、しんとした空気が周囲に満ちている。加賀は。視線を動かして探すが、見当たらない。
先ほどまで、動いていたノブ。加賀が動かしていたはずだ。扉を開くまで、動いていたということは――加賀が触れていたはずだ。
「……加賀くん?」
もう一度声をかける。応えは無い。冬里は靴を履いて、扉を後ろ手に閉めながら玄関から外に出る。庭園の方を見てみるが、やはり姿は無い。
一瞬で消えた――とは、考えづらいだろう。ならば、どこへ行ったのか。冬里には想像もつかない。
首を傾げていると、隣家に住んでいる老婆が、うろうろとしている冬里に気付いたのか「冬里ちゃん!」と声をかけてくる。じりじりと地面を焼くような暑気から誘うように、手招きをしているのが見えたので、冬里はそのまま老婆の元へ近づいた。影に立ち、少しばかり一息吐く。
「どうしたんよ、うろうろしてぇ。こんな暑いのに帽子被らんと。なんかあったで、待っとき」
老婆はころころと言葉を続けると、そのまま室内へ下がっていく。そうして、直ぐに手元に帽子を持って戻ってきた。冬里の頭に半ば強引にかぶせ、そうして「うん、似合っとるよ」と柔らかく微笑んだ。
「新品やでね」
「あ、ありがとうございます……。そうだ、その、聞きたいことがあって」
麦わら帽子のそれを指先で被り直しながら、冬里は首を傾げる。加賀のことを尋ねると、老婆は少し考えた後、小さく首を振った。
「聞いたことないわぁ。この辺、加賀なんて名字の子、おらんと思う」
「え……」
「誰かの親戚とかやったらわからんけど……」
老婆は少しばかり困ったように笑った。そうしてから、家に上がっていき、と柔らかく声をかけてくる。
「顔色悪いで。お茶でも飲んでいき」
「あ……、すみません。ありがとうございます」
「ええよええよ、話し相手になってや」
老婆に促されて、室内に入る。樟脳の匂いが僅かにする。蚊取り線香が焚かれているのか、縁側に煙りがくゆっているのが見えた。
老婆が過ごしやすいように、色々と工夫されているのだろう。おばあちゃんの家、というのが一番形容として似合っているような室内に、冬里はそっと息を吐いた。
どうやら、知らず知らずの内に緊張していたらしい。居間に通される。小さな木製の器に、いくつかのお菓子が盛られていて、その傍にお茶の入ったガラスのコップが置かれていた。恐らく、老婆が飲んでいたものだろう。
「直ぐに冬里ちゃんの分を用意するからね」
「ありがとうございます、でも本当、お構いなく」
「何言うてるん。お茶飲まなあかんで。こんな暑いんやから」
年代物の扇風機が、少しばかり異音を発しながら首を回しているのが見える。開いた窓から流れてくる風が、冬里の頬を撫でるようにくすぐる。そっと目を細めると同時に、お茶を入れたコップを手に、老婆が戻ってきた。氷が入れられたそれが差し出される。
そっとコップの縁に口元をつけると、きんきんに冷えた麦茶が喉を通っていくのがわかった。食道を通る冷たさを感じていると、「お菓子は買った?」と、老婆が首を傾げた。
「お菓子、……っていうのは、お盆のお祭りのやつ、ですよね」
「そうそう。用意しとかんと。子ども達も楽しみにしとるでね」
老婆は息を零すようにして笑う。
「用意は……一応してます。その、おまんじゅうじゃなくても、大丈夫なんですよね?」
「よう知っとるね」
老婆から話を聞いてすぐ、スーパーで洋菓子の類いを揃えたが、昔話になぞらえるなら、おまんじゅうを用意するべきなのではないだろうか。そう考えて問いかけると、老婆は僅かに驚いたように目を瞬かせ、皺の刻まれた眦を崩した。
「大丈夫よぉ、昔はね……それこそ、ずっとおまんじゅうだったけど。おまんじゅうは子どもも、もう、喜ばんからね。かがち様だって新しいもの、食べたいでしょう」
滔々とした言葉に、冬里は小さく笑う。確かにそうですね、と頷きながら、飲み物を喉に注ぐ。
瞬間。
呼び鈴が鳴った。
2
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説


どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。

白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。

冷徹義兄の密やかな熱愛
橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。
普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。
※王道ヒーローではありません
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる