11 / 21
4-1
しおりを挟む子どもの泣く声が聞こえた。暗闇の中、反響するように響くそれは、どこから零れてきているのか、わからない。
冬里は瞬く。そうして、夢を見ていることを直ぐに察した。生ぬるい暑気の滲む、なんともいえない空気が足下を掠めていく。不意に、暗闇の中に明滅する光が出てきた。電灯だ。
等間隔に設置されたそれが、暗闇をぼんやりと照らし始める。砂利のある道が浮かんで、街灯に群がるように虫が飛んでいるのが見える。
一歩、踏み出してみると、ぱ、と遠くに光が灯るのが見えた。歩け、ということなのだろう。合点をつけて、冬里はゆっくりと歩き始める。
夢の中なのに、足下の地面がやけに生々しく感じられた。子どもの泣き声は少しずつ大きくなる。空を見てみると、本来は星が輝いているべき場所が、帳を落としたように何の光も見せない。
歩く内に、徐々に視界が低くなっていくことに気付く。見てみると、いつのまにか、手の平が小さくなっていた。
身鏡などはここにはないが、恐らくは小学生くらいになってしまったのではないだろうか。現に、冬里は小学生の頃、好んで良く来ていた服を着用しているようである。今はもうサイズが入らなくなって、遠い昔に捨ててしまったものだ。
子どもの歩幅で歩く内に、泣き声の発生源のような場所に行き着く。街灯の下で、冬里は、泣いている子どもに「どうしたの」と声をかける。
稚さを宿した声だった。子どもが小さくしゃくりを上げる。しゅるしゅる、という音と、生臭い匂いが鼻腔を掠めた。
「――誰もいれてくれない」
子どもが答えた。泣き濡れた声は枯れている。
「いれて、って、お願いをしているのに、いれてくれない」
「お父さんとお母さんは?」
冬里が意識するよりも先に、口が勝手に動いて言葉を発する。子どもは僅かに息を詰めて、そうしてから「そんなもの、いない」とだけ続けた。
自分の体が、なんだか、自分のものではない感覚があった。冬里の口が、「それは大変だね」と僅かに舌足らずに告げる。そうしてから、暗闇に向かって、手を差し伸べた。
「おいで。私が、一緒にいれてくれる場所を探してあげる」
「……? 君が?」
「そう。大丈夫だよ。あのね、私、お姉ちゃんになるんだよ。だから、手伝いだって得意なんだから」
これは、夢だ。
多分、遠い昔の、夢だ。
子どもの泣き声が静かになる。さがしてくれるの、と問う声が、震えていた。涙に濡れたそれを元気づけるように、冬里は頷く。
「でも、もし、見つからなかったら?」
「その時は、うちにおいで。うちの子にしてあげるよ」
「……」
暗闇の中、手が伸びてくる。子どもの手だ。ただ、それが普通のものと違うのは、鱗がついている、ということだろうか。
まるで蛇のような、鱗が――。
小さく息を詰まらせて、冬里は目を覚ます。
今日の夢は淫夢ではなかった。それにほっとしながら、同時に、あの夢は、一体なんだったのだろう、と、心中で疑問がもたげる。
恐らくは幼い頃の夢だろう。けれど、本当に、一切の覚えが無かった。
ここまで記憶に無いということは、あの後、冬里は多分、その思い出を忘れたくなるような目に遭ったのではないか、と考えるのが一番納得出来るだろう。何かがあって、だから、その前後の記憶を意識的に封じているのではないだろうか。
冬里の母は、『火が付いたように泣いていた』と言っていた。幼い頃、冬里はそこまで涙を零すような子どもではなかった。それこそ、一人で祖母の家にやられても問題ないと思われるくらいには。
何かがあったのだろう。――きっと、忘れてしまっている、何かが。
ベッドの上に腰掛けながら、冬里はそっと息を吐く。淫夢を見ていない、とは言え、どうしてか体は重い。動かすのが少し億劫だったので、そのまま携帯を動かして、ニュースを見たり、友人のアカウントを見てみたりというようなことをしてから、ようやく、冬里は寝間着から普段着へ着替えた。
朝ご飯を食べて、テレビでニュースを眺める。いつもなら、もう少しもしたら呼び鈴が鳴るだろう。だが、今日は一緒に過ごさないと決めている。
流石に、そう、なんというか――流されすぎだろう、と自分でも思った。加賀が悪いわけではない。雰囲気に流されて、体を許しかけている自分が、なんだか怖い。
このまま今日も顔を合わせたら、なんだか恥ずかしさで埋まってしまいそうだ――なんて考えていると、ブザー音が鳴った。玄関口まで向かうと、「こんにちは、いれてください」という聞き知った声が耳朶を打つ。
冬里はノブに触れて、それからそっと息を吐いた。そうして「ごめん」と続ける。
「今日は一人で過ごしたくて。来てもらってなんだけれど、……今日は、一人にしてくれないかな」
「――」
1
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説


どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。

白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。

冷徹義兄の密やかな熱愛
橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。
普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。
※王道ヒーローではありません
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる