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加賀が帰った後、冬里は風呂に入りながら、湯船に落とさないように気をつけつつ、携帯でかがちさまのお祭りについて再度調べることにした。
かがちさまのお話は、概ね、加賀の言う通りだった。お礼が欲しい、女性を寄越せ、自分の嫁にする、と言う大蛇に、村の人々はそれでどうにかなるなら、と若い娘を差し出そうとした。
だが、どの娘を差し出すか、という段階に至って、どの家も自身の子どもを差し出そうとはしなかった。当然である。安全が保証された今、どうして自分の家の子どもを神様の嫁として差し出す必要があるのか。そもそも相手は大蛇だ、娘を差し出したところで一口でぱくりと食べられてしまうのがせきのやまだろう。
だから、村の人達は考えて、家の門を閉ざすことにきめた。代わりに、人の頭を模したまんじゅうを置いた。大きな蛇はやってきて、いれてください、と声をかけた。そうすると中から「おかえりください。娘は戸口におります」と伝えた。蛇は、戸口に置かれたまんじゅうを人と見間違い、嬉しそうに受け取り、帰って、そして少しもしないうちに、怒りながら村に来る。
あれは人ではなかった。あれは娘ではなかった。あれは、自分の番とはならない。話しかけても答えない。水に入れたら壊れてしまった。おかしい。おかしい、おかしい。
村人は答える。蛇神様、あれは人です。人は壊れやすいもので、水に入れると死んでしまいます。
蛇は怒って、けれど、ならば、ともう一度娘を差し出すように言った。村人はならば、と今年も村を守るように頼んだ。そうしなければ嫁となるべき娘は差し出さないと。
蛇はわかった、と頷いた。そうして、その年もそのようにした。
村人は、その年も門戸を閉じて、まんじゅうを置いた。今度は服を着せたものを。
そうやって、ずっと、蛇を騙し続けてきた。誰も蛇に娘を渡したくなかったからである。次第に、治水工事やダムの設置などが行われ、土砂崩れもそう簡単には起こらなくなった。人は神に祈ることをしなくなった。
だが、それでも今も尚、蛇神様は自身の番となるべき娘を探して、この村をさまよっているのだという。
そういった風習が残っており、そこから転じて、お盆のお祭りとして残っているようだ。
子どもが家を巡る間、門戸を開けてはならない。いれてください、と言われても、入れてはならない。
そうやって、家族の安寧と繁栄を祈り、願う。
それが、かがち様のお祭りとして、現在に至るまで、伝わっている。
加賀から教えてもらった話と子細は少し違うが、概ね同じようなものと言っても良いだろう。読み終えた後、冬里は小さく息を零す。
「……いれてください、か」
いれてください。こんにちは。いれてください。そうやって家を回り、まんじゅうを手にしては、ようやく自分のお嫁さんを手に入れたと喜んで自身の寝床へ帰る蛇の神様。
騙されたことに気付くのはいつも後からで、そうやって騙され続けてきて、その内に、もう必要無いと手放されることになった。
その来歴を思うと、なんとなく、かわいそうな気がしてならない。
そう、――なら、なら、冬里が、その――お嫁さんに、なっても、良いような、気が――。
瞬間、携帯が震える。母からの電話だった。慌てて出ると、声が反響しているのもあって、電話口の母が笑った。
「ちょっとなに、お風呂?」
「――ごめん。そう」
「かけなおそうか?」
「いや、大丈夫。何かあったんでしょ?」
湯船の縁に背を預けながら、冬里は笑う。母親も同じように笑い、「ちょっとね」と言葉を続けた。
その後、冬里がいない間の家族の様子について少しばかり話し、それから不意に思い出したように「ねえ」と言葉を続けた。
昼、加賀と過ごした際に言われた、『一人で来るのを待っていた』という言葉が、妙にずっと引っかかっていたのだ。
「私がおばあちゃんの家に一人で行ったときの、ことなんだけど……」
僅かに喉が渇く。冬里は言葉を選ぶようにして、僅かな間を置いてから口を開いた。
「その時、他に何か言ってなかった……?」
「他って?」
問いかけるような声だった。冬里は少し迷って、それから「その、加賀……とか、誰かの名前」と続ける。
少しの間沈黙が走り、そうしてから、「うーん……言ってた……? かなあ? いや、言ってたら覚えてそうなもんだけど……」と母が続ける。覚えていないらしい。恐らくそれよりも何よりも、強く泣き出した冬里の姿が思い出に焼き付いているのだろう。
「とにかく、お盆前に帰ってきたら? 一人で暮らすの、大変でしょ。好きなもの作ってあげる」
「……うん」
冬里は頷く。先ほどまで、自分は何を考えていたのだろう。蛇の神様のお嫁さんになっても良い、だなんて、正気の沙汰ではない。母との会話で、もやがかった思考が急速に晴れていくような心地がする。
そもそも、昔の話だ。今は廃れているであろうことについて、ここまで気にしているのもおかしい話だ。そういうお祭りがあるんだね、という言葉一つで済むことを、こんな風に現実に置き換えて考えるなんて、変だ。
そうやって考え出すと、加賀の存在についてもなんだか不可思議な点が多い気がする。だが、加賀のことを考えると、お腹の奥が熱くなり、頭がぼんやりとして、上手く思考を巡らせることが出来ない。
冬里はそっと指先で額に触れる。そうしてから、小さく息を零した。
あんな風に急にキスしてくるのだっておかしいし、愛撫だって。お嫁さん、と言われたが、そのような約束をした覚えも無い。流されてしまっている。加賀の持つ独特な雰囲気に。
明日は。――明日は、断ろう。加賀が、家の中に入ることを。加賀と離れて、考える時間がきちんと欲しい。
冬里は小さく息を吐く。体を動かすと、湯船のお湯が音を立てた。
かがちさまのお話は、概ね、加賀の言う通りだった。お礼が欲しい、女性を寄越せ、自分の嫁にする、と言う大蛇に、村の人々はそれでどうにかなるなら、と若い娘を差し出そうとした。
だが、どの娘を差し出すか、という段階に至って、どの家も自身の子どもを差し出そうとはしなかった。当然である。安全が保証された今、どうして自分の家の子どもを神様の嫁として差し出す必要があるのか。そもそも相手は大蛇だ、娘を差し出したところで一口でぱくりと食べられてしまうのがせきのやまだろう。
だから、村の人達は考えて、家の門を閉ざすことにきめた。代わりに、人の頭を模したまんじゅうを置いた。大きな蛇はやってきて、いれてください、と声をかけた。そうすると中から「おかえりください。娘は戸口におります」と伝えた。蛇は、戸口に置かれたまんじゅうを人と見間違い、嬉しそうに受け取り、帰って、そして少しもしないうちに、怒りながら村に来る。
あれは人ではなかった。あれは娘ではなかった。あれは、自分の番とはならない。話しかけても答えない。水に入れたら壊れてしまった。おかしい。おかしい、おかしい。
村人は答える。蛇神様、あれは人です。人は壊れやすいもので、水に入れると死んでしまいます。
蛇は怒って、けれど、ならば、ともう一度娘を差し出すように言った。村人はならば、と今年も村を守るように頼んだ。そうしなければ嫁となるべき娘は差し出さないと。
蛇はわかった、と頷いた。そうして、その年もそのようにした。
村人は、その年も門戸を閉じて、まんじゅうを置いた。今度は服を着せたものを。
そうやって、ずっと、蛇を騙し続けてきた。誰も蛇に娘を渡したくなかったからである。次第に、治水工事やダムの設置などが行われ、土砂崩れもそう簡単には起こらなくなった。人は神に祈ることをしなくなった。
だが、それでも今も尚、蛇神様は自身の番となるべき娘を探して、この村をさまよっているのだという。
そういった風習が残っており、そこから転じて、お盆のお祭りとして残っているようだ。
子どもが家を巡る間、門戸を開けてはならない。いれてください、と言われても、入れてはならない。
そうやって、家族の安寧と繁栄を祈り、願う。
それが、かがち様のお祭りとして、現在に至るまで、伝わっている。
加賀から教えてもらった話と子細は少し違うが、概ね同じようなものと言っても良いだろう。読み終えた後、冬里は小さく息を零す。
「……いれてください、か」
いれてください。こんにちは。いれてください。そうやって家を回り、まんじゅうを手にしては、ようやく自分のお嫁さんを手に入れたと喜んで自身の寝床へ帰る蛇の神様。
騙されたことに気付くのはいつも後からで、そうやって騙され続けてきて、その内に、もう必要無いと手放されることになった。
その来歴を思うと、なんとなく、かわいそうな気がしてならない。
そう、――なら、なら、冬里が、その――お嫁さんに、なっても、良いような、気が――。
瞬間、携帯が震える。母からの電話だった。慌てて出ると、声が反響しているのもあって、電話口の母が笑った。
「ちょっとなに、お風呂?」
「――ごめん。そう」
「かけなおそうか?」
「いや、大丈夫。何かあったんでしょ?」
湯船の縁に背を預けながら、冬里は笑う。母親も同じように笑い、「ちょっとね」と言葉を続けた。
その後、冬里がいない間の家族の様子について少しばかり話し、それから不意に思い出したように「ねえ」と言葉を続けた。
昼、加賀と過ごした際に言われた、『一人で来るのを待っていた』という言葉が、妙にずっと引っかかっていたのだ。
「私がおばあちゃんの家に一人で行ったときの、ことなんだけど……」
僅かに喉が渇く。冬里は言葉を選ぶようにして、僅かな間を置いてから口を開いた。
「その時、他に何か言ってなかった……?」
「他って?」
問いかけるような声だった。冬里は少し迷って、それから「その、加賀……とか、誰かの名前」と続ける。
少しの間沈黙が走り、そうしてから、「うーん……言ってた……? かなあ? いや、言ってたら覚えてそうなもんだけど……」と母が続ける。覚えていないらしい。恐らくそれよりも何よりも、強く泣き出した冬里の姿が思い出に焼き付いているのだろう。
「とにかく、お盆前に帰ってきたら? 一人で暮らすの、大変でしょ。好きなもの作ってあげる」
「……うん」
冬里は頷く。先ほどまで、自分は何を考えていたのだろう。蛇の神様のお嫁さんになっても良い、だなんて、正気の沙汰ではない。母との会話で、もやがかった思考が急速に晴れていくような心地がする。
そもそも、昔の話だ。今は廃れているであろうことについて、ここまで気にしているのもおかしい話だ。そういうお祭りがあるんだね、という言葉一つで済むことを、こんな風に現実に置き換えて考えるなんて、変だ。
そうやって考え出すと、加賀の存在についてもなんだか不可思議な点が多い気がする。だが、加賀のことを考えると、お腹の奥が熱くなり、頭がぼんやりとして、上手く思考を巡らせることが出来ない。
冬里はそっと指先で額に触れる。そうしてから、小さく息を零した。
あんな風に急にキスしてくるのだっておかしいし、愛撫だって。お嫁さん、と言われたが、そのような約束をした覚えも無い。流されてしまっている。加賀の持つ独特な雰囲気に。
明日は。――明日は、断ろう。加賀が、家の中に入ることを。加賀と離れて、考える時間がきちんと欲しい。
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