こんにちは、いれてください

うづき

文字の大きさ
上 下
3 / 21

1-3.

しおりを挟む

 そろそろアイスを食べ終えている頃合いだろう。ずっと冬里の家に居るわけにもいかないし、近くのお婆さんであれば、加賀の家もわかるのではないだろうか。そうしたら、三人で一緒に家まで送り届けることが出来る。

 冬里はすぐ、台所の方へ向かう。そうして、加賀くん、と名前を呼びかけた。
 だが、先ほどまで椅子に座り、アイスを食べていた姿が、忽然と消えている。机の上には汗をかいたアイスが二つ残されていて、そのうちの一つ、いちご味の方は完全に中身が無くなっていた。

 食べ終えたから帰ったのだろうか。どこから? 勝手口の方を覗いてみるが、鍵は閉まったままだ。庭園に面する窓から出て帰った可能性もあるが、だとすれば靴は。
 首を傾げつつ室内を見回り、それから冬里は玄関に戻る。

「……居た、はず、なんですけど、居なくなっていて……」

 何と言えば良いのか分からない。もそもそと言葉を口にすると、老婆は微かに瞬いて、それから小さく笑った。

「まあ、この辺りの子は、元気いっぱいやでね。そういうこともある」

 冬里の疑問を吹き飛ばすように呵々と笑い、老婆はそれから「いつまでおるんかね?」と言葉を口にした。

「一応、夏一杯は居ようかなと思ってます」
「ははあ。なら、祭があるで、良かったら参加しなさいな」
「祭? ですか?」
「そう。聞いたこと、無い?」

 無いような気がする。冬里は小さく首を振った。老婆は一つ頷くと、「お盆の時期にね、子どもが家を訪ねるんよ」と言葉を続け、「だから、お菓子を沢山用意しとかなあかんのよ」と言った。
 脈絡が繋がっていないが、つまりは子どもが来るから菓子を用意しておけ、ということなのだろう。冬里は頷く。

「ありがとうございます」
「いいえ、いいえ、ああ、本当に懐かしいね。また困ったことがあったら、いつでも言いにおいで」

 老婆が笑う。それに笑みを返しながら、冬里は去りゆく背中を見送った。そうしてから、ゆっくりと扉を閉める。
 玄関には、靴が二足。冬里のものと、加賀のものだ。さて、居なくなってしまった少年に、どのようにして靴を届けるべきか――とぼんやり考えた瞬間、「冬里」と声がかかった。

 冬里は思わず体を固くする。振り返ると、加賀が立っていた。黒い瞳を細め、冬里と視線を合わせると、口元をほころばせる。

「アイス。溶けちゃうよ」
「え……? あれ?」

 いつのまに。と言うより、先ほど見た時はどこにも居なかったのに。思わず疑問がそのまま顔に出ていたのだろう、加賀は唇の端を持ち上げるようにして笑うと、「かくれんぼ、得意なんだ」と囁くように言う。

「ね。それより。アイス。食べよう。掃除も、まだだよね」
「え、えっと、その、大丈夫? 本当に。ご家族とか」
「大丈夫。夜まで、好きに過ごして良いって言われているから」

 けれど、と冬里が言葉を続けようとした時、黒い瞳と目が合った。全てを侵していくような、漆黒とも言える瞳を見ていると、冬里の中に浮かんでいた疑問が、水泡のようにぱちりと弾けて消えていくような心地がする。

「――大丈夫。夜まで、好きに過ごして良いって言われているから」
「夜まで……」
「そう。夜まで。だから、それまでは、一緒だよ」

 加賀は滔々と言葉を続け、そうして冬里の手を取った。ひやりとした感触に、僅かに背筋が粟立つ。少年にしては、体温が低い。低体温なのだろうか。
 夜まで、一緒。紡がれた言葉を繰り返す。加賀が小さく頷いた。そうして、ふ、と唇の端を持ち上げるようにして笑う。少年が浮かべるのにふさわしくない、蠱惑的な魅力をたたえた笑みだった。

「冬里。ほら、一緒に」

 歌うような、独特の節回しをつけた言葉だった。冬里はそのまま、誘われるように、加賀と共に台所まで向かった。
 少しばかり溶けかけているアイスを食べ終え、それからまた、室内の掃除に取りかかる。人手が二つあることもあってか、冬里が思うよりも早く、室内は綺麗になった。

 その頃になると、陽も落ちかけて、そろそろ夕暮れが近くなってきた。

「ごめんね、沢山手伝ってもらって。お礼……といってはなんだけど、差し出せるものがこれくらいしかなくて」

 本来なら謝礼金を支払うべきだろうが、今は手持ちが少ない。そもそも、子どもに金銭を渡していいのかどうかすらもわからない。なので、冬里は持ち込んでいたペットボトルを差し出す。

 加賀はぱちくりと瞬いた後、「ううん、大丈夫」と囁くように続ける。中性的な声音は、なんだか聞いていると少しばかり頭がくらくらする。

「でも、その代わりに、お願いがあるんだ。――良い?」
「お願い? 良いよ、なんでも。言って」
「明日も、来て良い?」

 冬里は思わず瞬く。そうして、それから小さく頷いた。全く問題は無い。

「もちろん。良いよ。何か用意しておくね。ケーキとか、好き?」
「ケーキ。うん。好き」

 少しばかりたどたどしく言葉を口にして、加賀は笑う。そうしてから、「明日も、いれてね」とだけ続けると、靴を履いた。冬里が扉を開くと、するりと隙間を縫うようにして外へ出て行く。

「送ろうか」
「大丈夫。それに、ううん、今は、来ちゃ駄目だから」
「今は……?」
「うん。今は――駄目」

 加賀は囁くように言葉を続ける。そうして、冬里をじっと見つめて、そのままそっと手を伸ばしてきた。頬に触れ、喉に触れ、指先が離れていく。触れられた箇所がじんわりと冷えていくような、そんな心地がした。

「冬里。また、明日」
「うん。気をつけて帰ってね」

 加賀が頷く。そうしてから、じっと冬里を見つめ、そっと唇の端を持ち上げて笑った。踵を返し、夕闇の中に去って行く背中を見つめる。曲がり角までせめて見つめていようとしたものの、瞬きの間にふ、とかき消えるようにして、加賀は消えてしまった。

 まるで最初から、そこに居なかったかのように。そんな風に考えて、冬里は小さく笑う。子どもである。足も早ければ、足取りだって軽快だ。瞬きの間に居なくなってしまうことがあるから、迷子は生まれるのだ。
 冬里は小さく頷いて、それからゆっくりと扉を閉めた。

 明日も来る、と言っていた。なんだか、祖母の家の掃除に来て、幼い子どもと知り合うようになるなんて、と考えながら、笑う。
 とりあえず、後で自分の家族に無事祖母の家に着いたことを連絡しよう、なんて考えながら、冬里はぐっと伸びをした。固まった背中が解れる音が耳朶を打った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

冷徹義兄の密やかな熱愛

橋本彩里(Ayari)
恋愛
十六歳の時に母が再婚しフローラは侯爵家の一員となったが、ある日、義兄のクリフォードと彼の親友の話を偶然聞いてしまう。 普段から冷徹な義兄に「いい加減我慢の限界だ」と視界に入れるのも疲れるほど嫌われていると知り、これ以上嫌われたくないと家を出ることを決意するのだが、それを知ったクリフォードの態度が急変し……。 ※王道ヒーローではありません

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

処理中です...