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番外編・宝石の瞳 2
しおりを挟む「……本来なら、僕はどこかの誰か、知りもしない相手と婚姻を結ぶことになっていた。毒を盛られた体だから、僕には価値なんてほとんど無い。奴隷のように扱われるのだって覚悟していた。ルーデンヴァールに国益をもたらせるならそれで良い。――そんな風に考えていたのに、奏と出会って全て変わってしまった」
「私に?」
「奏と共に居たいと、……奏の傍に居たい、奏に触れるのは僕だけが良い、奏が笑顔を向けるのだって僕だけが良い、と、子供じみた独占欲を抱いて……、キミに『水森奏』として幸せで居て欲しいと思う以上に、キミをどうにかして僕の傍につなぎ止めておきたいと思うようになっていた」
フェリクスの言葉には嘘が無い。奏が抱えていた、『フェリクスの未来を自分のせいで、強制してしまったかもしれない』という不安に対して、それをゆっくりと解すように奏への愛を囁く。
奏がフェリクスの傍に居たい、と思ったから。フェリクスは国益のために、奏の傍に居ることを選ぶことしか出来なくなったわけではない、のだと、そう言ってくれている。
「……自分でも、その、あまり好意を表に出すのは下手だと……思って居るんだけれど、そんなに伝わっていない?」
「……ごめんなさい、伝わってました。ただ、私が勝手に不安になっていただけで」
奏は首を振る。フェリクスは好意を表に出すのが下手だと言っているが、そんなことはない。奏に向ける声の優しさや、眼差しの甘さ、触れる指の繊細さ、全てにフェリクスの気持ちが表れている。
ただ、それを知りながらも、奏が不安がっていただけの話だ。
「それなら良かった。……これから、もし不安に思うことがあったら、絶対に相談して。そんな風に擦れ違うのだけは絶対に嫌だから」
「はい。――フェリクスも。何かあった時には、言ってください」
「うん。……そうだね。ごめん。その為にも、今の状況をきちんと説明しないといけないか」
心配させているようだし、とフェリクスは続ける。
「そう、――それで、僕の体が毒に侵されていたのもあって、奏の傍に居るのに相応しくないんじゃないか、という声が出てくる可能性もあるでしょ」
「そんな声が出てきたら聖女の権限をめちゃくちゃに駆使して握りつぶします」
「ふ。あは。なにそれ。駄目だよ。これに関しては僕が対処しなくちゃいけないことだ」
奏の言葉にフェリクスは瞬く。その為に準備をしているんだよ、と囁くように言葉を続けた。
「奏の功績に見合う功績を、僕も築かないと。魔物じみた王子が、聖女の傍に居られるようにもね」
「魔物って……」
「良く言われていたんだ。いや、今も言われているかもしれないね。虹彩が人とは違うから。とにかく、これから先、少し無理をする場面も出てくるかもしれないけれど、応援していてほしいな」
緑と金色の混じった虹彩。それが、毒によって出来上がったものであるということ。以前も告げられた言葉が、今度は更に重みを持って響く。
確かに、フェリクスのような虹彩の人を、奏は見たことが無い。この世界に居る人々は、奏も含めて、虹彩を彩る色は一色のみだ。
――だからこそ、魔物じみた、と言われることになっていたのだろう。自分と違うものを持っている存在は恐ろしい。例えそれが、毒によってもたらされたものであったとしても、受け入れがたかったのだ。
奏はそっと息を吐く。もっと幼い頃に出会えて居れば。そうしたら良かった。
それこそ、奏がもっと幼い頃にここへ来ていたら――なんて考えて首を振る。きっと、もし幼い頃にここへ来ていたら、それこそ奏は使いものにならなかった。それに保護者もフェリクスではなかったはずで、そうなると今のようにフェリクスと関係を築けていたかどうかすらもわからない。
けれどそれでも、辛い時に傍に居ることが出来たら、どれほど良かっただろう。
幼いフェリクスが、様々な言葉に傷つく前に――いや、そもそも毒すらも浄化出来たら。
想像は自由だ。だからこそ、奏は目の前の現実を見つめる。
「……応援、します。それと……フェリクスはもしかしたら嫌がるかもしれないんですが、私、フェリクスと初めて会ったとき、綺麗な人だなって思ったんです」
「何。急に。ありがとう」
「目が――宝石みたいだと思って。フェリクスの目、私は好きです。綺麗で、美しくて。大好きです」
「――それ、前も、言っていたよね」
「前も言いました、けれど何度言っても足りないなあと思っていて」
奏はそっとフェリクスの額に指で触れる。フェリクスが奏、と名前を呼んだ。沢山の感情を滲ませていて、震えた声だった。
指先で瞼に触れて、体を寄せてキスをする。唇を離して、もう片方の目元にも優しく触れた。ゆっくりと体を離し、フェリクスの頬に手を添える。
「大好きです。全部。フェリクスのこと。――何か言われたとき、けれど私は好きだって言ってたって、思い出してください」
これはきっと、過去を救えるわけでもない行為だ。
色々なことを言われてきた人に対して、慰めにもならない行為になるかもしれない。けれどだからこそ、奏は今、フェリクスに言葉を捧げる。
その言葉が回り回って、フェリクスの心の傷を覆う何かになれるように。そうあったら良いと願いながら、何度だって、言葉を口にする。
綺麗だ、と。何度だって、フェリクスの心へ届くことを、強く願いながら。
「――奏、……」
「大体魔物って何? って感じですよね、こんな綺麗な目なのに。宝石みたい。それに――朝焼けの草原にも似ています。フェリクスの目には世界が閉じ込められているんですね」
「……そんなこと、……初めて言われた」
掠れた声が耳朶を打つ。フェリクスが眦を赤くして、そっと奏の背に手を回してきた。ゆるゆるとしたそれが、ゆっくりと力を込めていく。離したくない、離れたくない、と、そう囁くような手つきだ。
奏も同じようにフェリクスの背に手を回す。そっと抱きしめると、肩口で小さく嗚咽する声が聞こえた。じんわりと熱を帯びていく体に気付かないふりをして、奏はずっとフェリクスを抱きしめていた。
涙が止まるまでの間を置いて、フェリクスが鼻をすする。はあ、と顔を上げた頃には、涙の痕は消え去っていた。気付かれないように泣いて、気付かれないうちにいつも通りの表情に戻るのは、なんだかずるいな、と思う。泣いている所を見せて貰いたいわけではないが、弱い部分だって受け止めたい。
「……奏は不思議だね。キミが聖女としてここに来なかったら、僕はどのようにして生きていたんだろうって思うよ。全く想像がつかない」
「それは私もです。フェリクスと出会わなかったらどうなっていたんだろうなあ、って想像もつかなくて」
「ふ。そう。なんだかそれは、ちょっと……かなり、嬉しいかもしれない」
フェリクスが喉を鳴らして笑う。密着するように抱きしめられたまま、というのは、なんだか心地が良くて離れがたいのだが、今は昼食の場である。
これ以上触れあっていては、午後の業務に支障が出てくるかもしれない。奏は心を鬼にして、フェリクスの肩を叩いた。
「フェリクス、お昼ご飯食べないと」
「……もう少しだけこのままで居ても良い?」
「……もう」
「ふふ。奏は僕に甘いね」
フェリクスが楽しげに声を弾ませる。
おっしゃる通りなので、奏は何も言わずにフェリクスの背を撫でた。
奏の傍に居る為の行動――というのが一体何なのか。奏にはまだ想像がつかない。ただ、フェリクスがそうしたいと考えているのであれば、奏はそれを応援するだけだ。
ただその分、きちんと休息を取ってもらうのだけは、約束してもらわないといけないが。
「……今日は早くに寝ましょうね」
「わかってる。今日は出来る限り早めに終わらせるから。そうしたら、一緒に寝よう。奏の体温を感じながら、眠りにつきたい」
「もし遅くになっても来なかったら、その時は約束を反故されたということで締め出しますからね」
「……一日?」
「七日」
「僕を殺すつもりなの? そんなに長い間奏の部屋から締め出されたら耐えられない」
「そうならないように程ほどにしてください」
悲痛な声音で紡がれた言葉に奏は笑う。フェリクスも同じように笑った。お互いの熱を交換するように胸を重ね、吐息で笑い合う。啄むようなキスをされて、ゆっくりと唇が離れた。
ふ、と息を零す。お互いの吐息が消えないうちに、もう一度だけキスをした。
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