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アレウスと謁見を行う日は、直ぐにやってきた。
朝からステリアが「本日はアレウス様に公的な謁見をされるとか!」と嬉しそうに声を弾ませ、奏のことを爪先から頭の先まで丹念に綺麗にしてくれた。
無論、常日頃もステリアの技術力の高さは疑うべくもないが、今日は特に力が入っていたように思う。
今日は美しい緑色のドレスを着ることになった。スカートの、斜めになったドレープが美しい、体にぴったりと寄り添うようなシルエットのドレスだ。
スタイルが良い人専用、みたいなドレスを着るのは物凄く恥ずかしいし、奏としては出来るならば避けたいのだが、折角なので、折角なので、と押し切られてしまったら口を挟むことも出来ない。
胸元を彩るアクセサリーや、黒髪を美しく彩る、薄い銀細工で出来た花飾りを身につけて、ようやく奏は解放された。
本来なら朝はフェリクスと食事をするのだが、今日に限っては謁見の用意を行うこともあり、部屋で食事をすることになった。それくらい普段より手間暇がかかっているのである。ステリアにするすると髪を梳かれながら、奏は黙々と食事を終えた。恐らくフェリクスも一人で食べているのだろう。
一人暮らしをしていた時は、一人でのご飯に慣れていた。それなのに、ルーデンヴァールに来てからはフェリクスと食事をすることが多かったからか、一人の食事を少し寂しい、と思ってしまう。
じんわりと滲んでくる感覚を、首を振って追い払いながら、奏は鏡を見つめる。着飾られた姿は、いつもの印象とはまた違って映る。
「……なんだか思ったより大仰なような」
「ふふ。今回は私的なものではなく、公的なものですから。つまり、記録に残る物なのです! また、聖女様の働きを見て、何かしらの褒賞が下賜される可能性が高いですから! もちろん、私達は謁見室には同席出来ませんが……、だからこそ、その場に居る誰よりも聖女様が輝くようにいたしませんと!」
ステリアは嬉しそうに笑う。なんだか、奏よりもよっぽど、ステリアの方が喜んでくれているような気がして、奏もつられて笑みを零した。お互い笑みを交わし合っていると、不意に、ステリアが「実は……」と静かに言葉を続ける。
「……今回の件を聞き及んだとき、実の所、心配だったんです。聖女様が、ご活躍を機に大変な状況に身を置くのではないだろうかと」
「――ステリアさん」
「ですが、すぐに杞憂だと気付きました。聖女様の傍にはフェリクス殿下が、そしてお力にはなれないかもしれませんが、私や使用人達、それに城下の人々が付いています。私達は全て、聖女様の幸せを心より願っております」
感情の起伏をそのまま声音に滲ませた言葉だった。
奏の今の状況を心配してくれる人が居て、――そして、支えになろうと思ってくれている人達がいる。ならば、奏はきっと前を向いて歩いて行ける。傍に信頼の出来る人達がいることを、理解しているから。
「ありがとうございます。――ステリアさんのこと、頼りにしています」
「ふふ。ぜひ! 聖女様、貴女のお傍に居ることが出来て、私はこれ以上なく幸せです」
ステリアの言葉は真っ直ぐに、奏の心を打つ。頬に熱が上っていくのがわかって、奏は照れ隠しのように笑った。ステリアも同じように笑う。
専属の侍女として、ステリアが傍に居てくれて良かった。――最初に出会った人が、フェリクスで良かった。
その気持ちはきっと、これから先何があろうと、ずっと変わらないだろう。
昼になり、奏は謁見室に向かう。謁見室は王城の最上階にある。普段、奏が過ごしている居住区から少し歩いて階段を上っていけば、重厚な扉が見えてくる。
扉の前には護衛であろう騎士が立っており、奏の姿を認めると室内に声をかける。程なくして内部から声がかかり、扉が護衛によって開かれた。
入り口から入って直ぐ、赤い、毛足の長い絨毯が敷かれており、それが真っ直ぐに伸びている。
その先を視線で辿っていくと、豪奢な椅子が一対存在するのが見える。恐らくは王夫婦で腰掛けるためのものなのだろう。片方にはアレウスが座っており、その傍らにフェリクスが佇んでいるのが見えた。
フェリクスは奏を見ると、口元に笑みを浮かべて見せる。場に圧倒されてしまいそうな奏を慮るような笑みだった。奏も同じように、つられて笑みを返す。
緊張で固まった心が、フェリクスの笑顔にゆっくりと解かれていくようだ。
改めて内部を視線だけで見回す。謁見室は、最上階にあるためか、採光の場所が多い。天井近くに取り付けられた硝子には幾何学的な紋様が刻まれているようで、それが床に落ちると光が散乱し、美しい紋様を描く。
まるで幻想的な風景だった。室内に入った人間を、僅かに萎縮させるような雰囲気が満ちている。
奏は僅かに浅く呼吸をし、それからゆっくりと室内を歩いて行く。玉座近く、段に上がるよりも前の場で足を止めて、軽く腰を折った。視線は上げずに声をかけられるのを待つ。
アレウスが静かに息を零し、「聖女様、顔を上げて欲しい」と囁いた。
「急な誘いにもかかわらず、来てくれたこと、有り難く思う。今日は堅苦しい儀礼などは気にしないでくれ。――むしろ、こちらから礼を尽くすべきだろうから」
アレウスは笑う。フェリクス、とアレウスが傍らに声をかけると、フェリクスは小さく頷いた。僅かに微笑み、「奏」と柔らかく声をかけてくる。
「兄上がこう言っているのだから、そこまで緊張する必要は無いよ。いつも通りにしたらいい。今日はキミの功績に応じた話がしたいだけだ。公的に呼び出したのは、記録を残すためだけで、それ以外に理由はない」
フェリクスは滔々と言葉を続ける。奏の緊張をゆっくり撫でてあやすような声音だった。
なんだかまるで子どもを相手にしているかのように聞こえて、奏は小さく笑った。
アレウスが頷き、相好を崩しながら奏を見つめる。
「聖女様。貴女の行いにより、禁足地が既に二つも浄化された」
歓談するような朗らかさを持って、アレウスは言葉を続けた。
「禁足地は今まで、誰もが恐れを抱くものであり、近づくだけで呪いが降りかかるものだった。ルーデンヴァールの民は、これらに恐怖しながら生きていく必要があった。今まで、ずっと」
ゆったりとした速度の声だ。聞きやすく、穏やかで、わかりやすい。だというのに、アレウスが言葉を口にすると、否が応にも集中を向けさせられるような感覚がある。
以前話した時はこうではなかった。既知の相手に対する喋り方と、こうやって褒賞を与える相手に対する、威厳の籠もった喋り方、その二つを使い分けているのだろう。
公的とはいえ緊張しなくて良い、と言われたものの、空気がぴり、と冴え渡るのがわかる。
フェリクスが「兄上」と声をかけると、アレウスは一度、二度と瞬き、困ったように笑った。
「すまない、萎縮させるつもりはないんだ。これだからステラやフェリクスに怒られる」
「兄上は居るだけで存在感がありますから。多少なり柔らかい口調を心がけないと」
「その通りだな。ステラにも、もう少し威圧的な雰囲気を控えろ、と言われる」
アレウスはくつくつと笑うと、奏を再度見た。
「とにかく……聖女様の功績に、どういったものを贈るべきかを悩んだのだが――どのようなものであっても、貴女の働きには見合わないだろう。そうであるから、フェリクスと話し合い、貴女が望むものを用意する、という形になった」
「私の……」
わずかに緩んだ空気感の中、奏は瞬く。
欲しいものは決まっている。地位。功績。――フェリクスの手を取って、傍に居ても許される、立場。
ただ、だからといって、単純にフェリクスの傍に居たいと告げることは出来ない。そんなことをしたら、フェリクスは聖女の願いを叶えざるを得なくなるからだ。
今まで国益のためにと行動をしてきたフェリクスを、再度、奏という名の檻の中へ入れることになる。
「……何でも良いんだよ。したいこと、あるんだろう?」
奏が一瞬戸惑ったのを見てか、フェリクスが声をかけてくる。優しげな声だった。
奏はフェリクスを見つめる。喉の奥に詰まりそうになっていた息を零して、「……あります」と頷いた。
「その、……私、これからも、禁足地の浄化自体は出来る限りしていきたいなと思っています」
「それはもちろんありがたいが、負担はないのか?」
「今の所体調面で問題は無いです。むしろ人を治療するより楽なくらいで……、でも、次の聖女もそうだとは確定出来ないと思いますので、私がここに居る限りは手伝わせてください」
奏の言葉に、一瞬、フェリクスが僅かに反応した。びく、と震えた肩をたしなめるようにフェリクスは指先で皮膚を撫で、軽く首を振る。恐らくは『ここに居る限り』という言葉に反応をしたのだろう。
奏がフェリクスを見ると、ばつが悪そうな表情を浮かべた顔と目が合う。気にしないで、続けて、と言うように、フェリクスが軽く首を振るのが見えた。
「そうなると、私達が用意出来る褒賞では聖女様の努力に見合わない気がしてくるな。したいことがある、と言っていたが……一体何を?」
「……傍に居たい人が居るんです」
奏は吐息と共に言葉を吐き出す。公開告白めいていて物凄く恥ずかしいが、功績が出来た状態でないとお願い出来ないことだ。きちんと口にしなければならない。
頬が赤くなるのを必死に手の平で押さえ込んでいると、は、と静かな吐息の音が耳朶を打った。フェリクスが大股に近づいてきて、「待って」と声を震わせる。虹彩が揺れながら、奏を見つめる。
「誰? 何の話、待って、……いつの間に、どこで、……傍に居たいって、どういうこと?」
「そのままの意味です。可能なら、これから先もずっと、その人の傍で過ごして行きたいです」
相当な勢いだった。奏は驚きつつも言葉を続ける。フェリクスの顔色が一気に白くなるのが見えた。唇が震えている。
奏が何を望むのか。フェリクスは多分、色々なことや物を考えていただろう。けれど多分、その中に、『傍に居たい人がいる』と言われるなんて、想像もしてなかったのではないだろうか。
「誰、……僕の知っている相手? この前の騎士? どうして、そんなこと、一言も……。そんな、キミ、だって、帰るんだろう? 帰ると、思っていたから、だってキミには元の世界に大事な家族が居るから、だから僕は、キミのことを諦めようと──」
「待ちなさい、フェリクス。聖女様が驚いている」
「──兄上、……奏、申し訳ございません」
フェリクスが息を詰まらせて、唇を引き結ぶ。声が震えていた。呆然としたような面持ちで、フェリクスは奏から手を離す。
アレウスはフェリクスの様子をじっと見つめてから、ゆっくりと奏に向き直った。
「聖女様、それはつまり、この地に骨を埋めたいということで間違いないですか?」
「許されるなら」
アレウスに返事を行うのと、フェリクスが奏、と名前を呼ぶのはほとんど同じだった。
縋るような声だった。――離れないで欲しい、とその瞳が何よりも語っている。
フェリクスは多分、奏が、自分以外に傍に居たい相手が出来たから自身の保護下から離れようと考えているのだと思っているのだろう。
奏にはフェリクスと離れるつもりなんて無いというのに、とんでもない誤解を与えているようだ。
朝からステリアが「本日はアレウス様に公的な謁見をされるとか!」と嬉しそうに声を弾ませ、奏のことを爪先から頭の先まで丹念に綺麗にしてくれた。
無論、常日頃もステリアの技術力の高さは疑うべくもないが、今日は特に力が入っていたように思う。
今日は美しい緑色のドレスを着ることになった。スカートの、斜めになったドレープが美しい、体にぴったりと寄り添うようなシルエットのドレスだ。
スタイルが良い人専用、みたいなドレスを着るのは物凄く恥ずかしいし、奏としては出来るならば避けたいのだが、折角なので、折角なので、と押し切られてしまったら口を挟むことも出来ない。
胸元を彩るアクセサリーや、黒髪を美しく彩る、薄い銀細工で出来た花飾りを身につけて、ようやく奏は解放された。
本来なら朝はフェリクスと食事をするのだが、今日に限っては謁見の用意を行うこともあり、部屋で食事をすることになった。それくらい普段より手間暇がかかっているのである。ステリアにするすると髪を梳かれながら、奏は黙々と食事を終えた。恐らくフェリクスも一人で食べているのだろう。
一人暮らしをしていた時は、一人でのご飯に慣れていた。それなのに、ルーデンヴァールに来てからはフェリクスと食事をすることが多かったからか、一人の食事を少し寂しい、と思ってしまう。
じんわりと滲んでくる感覚を、首を振って追い払いながら、奏は鏡を見つめる。着飾られた姿は、いつもの印象とはまた違って映る。
「……なんだか思ったより大仰なような」
「ふふ。今回は私的なものではなく、公的なものですから。つまり、記録に残る物なのです! また、聖女様の働きを見て、何かしらの褒賞が下賜される可能性が高いですから! もちろん、私達は謁見室には同席出来ませんが……、だからこそ、その場に居る誰よりも聖女様が輝くようにいたしませんと!」
ステリアは嬉しそうに笑う。なんだか、奏よりもよっぽど、ステリアの方が喜んでくれているような気がして、奏もつられて笑みを零した。お互い笑みを交わし合っていると、不意に、ステリアが「実は……」と静かに言葉を続ける。
「……今回の件を聞き及んだとき、実の所、心配だったんです。聖女様が、ご活躍を機に大変な状況に身を置くのではないだろうかと」
「――ステリアさん」
「ですが、すぐに杞憂だと気付きました。聖女様の傍にはフェリクス殿下が、そしてお力にはなれないかもしれませんが、私や使用人達、それに城下の人々が付いています。私達は全て、聖女様の幸せを心より願っております」
感情の起伏をそのまま声音に滲ませた言葉だった。
奏の今の状況を心配してくれる人が居て、――そして、支えになろうと思ってくれている人達がいる。ならば、奏はきっと前を向いて歩いて行ける。傍に信頼の出来る人達がいることを、理解しているから。
「ありがとうございます。――ステリアさんのこと、頼りにしています」
「ふふ。ぜひ! 聖女様、貴女のお傍に居ることが出来て、私はこれ以上なく幸せです」
ステリアの言葉は真っ直ぐに、奏の心を打つ。頬に熱が上っていくのがわかって、奏は照れ隠しのように笑った。ステリアも同じように笑う。
専属の侍女として、ステリアが傍に居てくれて良かった。――最初に出会った人が、フェリクスで良かった。
その気持ちはきっと、これから先何があろうと、ずっと変わらないだろう。
昼になり、奏は謁見室に向かう。謁見室は王城の最上階にある。普段、奏が過ごしている居住区から少し歩いて階段を上っていけば、重厚な扉が見えてくる。
扉の前には護衛であろう騎士が立っており、奏の姿を認めると室内に声をかける。程なくして内部から声がかかり、扉が護衛によって開かれた。
入り口から入って直ぐ、赤い、毛足の長い絨毯が敷かれており、それが真っ直ぐに伸びている。
その先を視線で辿っていくと、豪奢な椅子が一対存在するのが見える。恐らくは王夫婦で腰掛けるためのものなのだろう。片方にはアレウスが座っており、その傍らにフェリクスが佇んでいるのが見えた。
フェリクスは奏を見ると、口元に笑みを浮かべて見せる。場に圧倒されてしまいそうな奏を慮るような笑みだった。奏も同じように、つられて笑みを返す。
緊張で固まった心が、フェリクスの笑顔にゆっくりと解かれていくようだ。
改めて内部を視線だけで見回す。謁見室は、最上階にあるためか、採光の場所が多い。天井近くに取り付けられた硝子には幾何学的な紋様が刻まれているようで、それが床に落ちると光が散乱し、美しい紋様を描く。
まるで幻想的な風景だった。室内に入った人間を、僅かに萎縮させるような雰囲気が満ちている。
奏は僅かに浅く呼吸をし、それからゆっくりと室内を歩いて行く。玉座近く、段に上がるよりも前の場で足を止めて、軽く腰を折った。視線は上げずに声をかけられるのを待つ。
アレウスが静かに息を零し、「聖女様、顔を上げて欲しい」と囁いた。
「急な誘いにもかかわらず、来てくれたこと、有り難く思う。今日は堅苦しい儀礼などは気にしないでくれ。――むしろ、こちらから礼を尽くすべきだろうから」
アレウスは笑う。フェリクス、とアレウスが傍らに声をかけると、フェリクスは小さく頷いた。僅かに微笑み、「奏」と柔らかく声をかけてくる。
「兄上がこう言っているのだから、そこまで緊張する必要は無いよ。いつも通りにしたらいい。今日はキミの功績に応じた話がしたいだけだ。公的に呼び出したのは、記録を残すためだけで、それ以外に理由はない」
フェリクスは滔々と言葉を続ける。奏の緊張をゆっくり撫でてあやすような声音だった。
なんだかまるで子どもを相手にしているかのように聞こえて、奏は小さく笑った。
アレウスが頷き、相好を崩しながら奏を見つめる。
「聖女様。貴女の行いにより、禁足地が既に二つも浄化された」
歓談するような朗らかさを持って、アレウスは言葉を続けた。
「禁足地は今まで、誰もが恐れを抱くものであり、近づくだけで呪いが降りかかるものだった。ルーデンヴァールの民は、これらに恐怖しながら生きていく必要があった。今まで、ずっと」
ゆったりとした速度の声だ。聞きやすく、穏やかで、わかりやすい。だというのに、アレウスが言葉を口にすると、否が応にも集中を向けさせられるような感覚がある。
以前話した時はこうではなかった。既知の相手に対する喋り方と、こうやって褒賞を与える相手に対する、威厳の籠もった喋り方、その二つを使い分けているのだろう。
公的とはいえ緊張しなくて良い、と言われたものの、空気がぴり、と冴え渡るのがわかる。
フェリクスが「兄上」と声をかけると、アレウスは一度、二度と瞬き、困ったように笑った。
「すまない、萎縮させるつもりはないんだ。これだからステラやフェリクスに怒られる」
「兄上は居るだけで存在感がありますから。多少なり柔らかい口調を心がけないと」
「その通りだな。ステラにも、もう少し威圧的な雰囲気を控えろ、と言われる」
アレウスはくつくつと笑うと、奏を再度見た。
「とにかく……聖女様の功績に、どういったものを贈るべきかを悩んだのだが――どのようなものであっても、貴女の働きには見合わないだろう。そうであるから、フェリクスと話し合い、貴女が望むものを用意する、という形になった」
「私の……」
わずかに緩んだ空気感の中、奏は瞬く。
欲しいものは決まっている。地位。功績。――フェリクスの手を取って、傍に居ても許される、立場。
ただ、だからといって、単純にフェリクスの傍に居たいと告げることは出来ない。そんなことをしたら、フェリクスは聖女の願いを叶えざるを得なくなるからだ。
今まで国益のためにと行動をしてきたフェリクスを、再度、奏という名の檻の中へ入れることになる。
「……何でも良いんだよ。したいこと、あるんだろう?」
奏が一瞬戸惑ったのを見てか、フェリクスが声をかけてくる。優しげな声だった。
奏はフェリクスを見つめる。喉の奥に詰まりそうになっていた息を零して、「……あります」と頷いた。
「その、……私、これからも、禁足地の浄化自体は出来る限りしていきたいなと思っています」
「それはもちろんありがたいが、負担はないのか?」
「今の所体調面で問題は無いです。むしろ人を治療するより楽なくらいで……、でも、次の聖女もそうだとは確定出来ないと思いますので、私がここに居る限りは手伝わせてください」
奏の言葉に、一瞬、フェリクスが僅かに反応した。びく、と震えた肩をたしなめるようにフェリクスは指先で皮膚を撫で、軽く首を振る。恐らくは『ここに居る限り』という言葉に反応をしたのだろう。
奏がフェリクスを見ると、ばつが悪そうな表情を浮かべた顔と目が合う。気にしないで、続けて、と言うように、フェリクスが軽く首を振るのが見えた。
「そうなると、私達が用意出来る褒賞では聖女様の努力に見合わない気がしてくるな。したいことがある、と言っていたが……一体何を?」
「……傍に居たい人が居るんです」
奏は吐息と共に言葉を吐き出す。公開告白めいていて物凄く恥ずかしいが、功績が出来た状態でないとお願い出来ないことだ。きちんと口にしなければならない。
頬が赤くなるのを必死に手の平で押さえ込んでいると、は、と静かな吐息の音が耳朶を打った。フェリクスが大股に近づいてきて、「待って」と声を震わせる。虹彩が揺れながら、奏を見つめる。
「誰? 何の話、待って、……いつの間に、どこで、……傍に居たいって、どういうこと?」
「そのままの意味です。可能なら、これから先もずっと、その人の傍で過ごして行きたいです」
相当な勢いだった。奏は驚きつつも言葉を続ける。フェリクスの顔色が一気に白くなるのが見えた。唇が震えている。
奏が何を望むのか。フェリクスは多分、色々なことや物を考えていただろう。けれど多分、その中に、『傍に居たい人がいる』と言われるなんて、想像もしてなかったのではないだろうか。
「誰、……僕の知っている相手? この前の騎士? どうして、そんなこと、一言も……。そんな、キミ、だって、帰るんだろう? 帰ると、思っていたから、だってキミには元の世界に大事な家族が居るから、だから僕は、キミのことを諦めようと──」
「待ちなさい、フェリクス。聖女様が驚いている」
「──兄上、……奏、申し訳ございません」
フェリクスが息を詰まらせて、唇を引き結ぶ。声が震えていた。呆然としたような面持ちで、フェリクスは奏から手を離す。
アレウスはフェリクスの様子をじっと見つめてから、ゆっくりと奏に向き直った。
「聖女様、それはつまり、この地に骨を埋めたいということで間違いないですか?」
「許されるなら」
アレウスに返事を行うのと、フェリクスが奏、と名前を呼ぶのはほとんど同じだった。
縋るような声だった。――離れないで欲しい、とその瞳が何よりも語っている。
フェリクスは多分、奏が、自分以外に傍に居たい相手が出来たから自身の保護下から離れようと考えているのだと思っているのだろう。
奏にはフェリクスと離れるつもりなんて無いというのに、とんでもない誤解を与えているようだ。
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