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31-2 禁足地
しおりを挟む奏が居る場所は、元々、ルーデンヴァール王都へ向かう際に、人々が使う山道であったらしい。
それもあってか、詳細な地図が残っており、内部の様子をなんとなく察することが出来る。
中心地は開けた場所で、そこに向かうまでには街路を辿っていけば良い、とのことであった。人々の往来のために整備された街路は、長い年月を経て崩れかけながらも、多少なり痕跡を残している。この道を辿って向かえば、恐らくは魔物との交戦があった場所に到着するはずである。
「……行こう、頑張って」
中心地まではそこまで遠くない。二十分ほど歩けば到着するはずだ。
奏は足元を確認しながら、ゆっくりと歩を進めていく。進むにつれて、この場所が道として利用されていた時に使われていたであろう、いくつかの痕跡を見つけることが出来た。
それは矢印のような形をした案内板であったり、野ざらしの看板のようなものから、木々にくくりつけられた野生動物用の家や、誰かが残して行ったのであろう、ぼろぼろになってしまったぬいぐるみのようなものまである。
泥と雨に濡れて、原型を留めないほどになっていたぬいぐるみは、誰のものだったのだろう。もしかしたら誰かの大切なものだったのかもしれない。ここが禁足地となってしまってからは、きっと取りに来ることは出来なかったのではないだろうか。
残された痕跡を辿るように道を歩いて行くと、木々がなぎ倒された場所に着く。恐らく中心地に近いのだろう。魔物との戦いの最中、これらの木々は倒されて、そのまま放置されていたのではないだろうか。
ゆっくりと歩いて行くと街路が消え、代わりに花で地面が埋め尽くされ始める。見たことのない花だった。花々は咲き誇るようにしてそこにあり、時々空を駆け抜ける風によって柔らかく体を揺らす。
――中心地は、花畑のようになっていた。眼下を色とりどりの花が彩っている。先ほどまでの、静謐な場所と比べると、まるで暴力的なまでに色彩が溢れている。
その中央に、大きな塊があった。
大きな塊――は、恐らく、魔物の骨なのだろう。死骸になりここへ残され、骨になるまでの月日が流れる間、ここでじっとしていたに違いない。既にその体を形成する皮膚などは消え去り、代わりとばかりに骨に蔦が這い、草木がその体を覆っていた。
一瞬、生きているのではないかと思うほどの質量を感じる。奏は呼吸を繰り返し、覚悟を決めてから死骸に近づいた。
袖口の宝石も、襟の宝石も、まだヒビ割れていないのを確認してから、その傍に立つ。魔物の体には、剣が刺さっていた。錆びたそれは、今も尚、魔物をこの地に食い止めるように存在する。柄の部分が黒く濁り、今にも崩壊しそうであるというのに、それでも尚、剣は自身の仕事を果たしているように見えた。
奏は手の平を覆っていた手袋を外す。この死骸が呪いの源泉で、禁足地を作る元凶なのだ。
なら。
人々への怨嗟を作り出す死骸に、そっと触れる。瞬間、奏の指先から、広場全体に広がるように光が走った。
じんわりと奏の体温が低くなるような心地がして、――その遺骸が、端から崩れるように塵となっていく。
奏が指を離しても尚、その崩壊は止まらない。程なくして、骨を這っていた蔦たちが居場所をなくして地面へ落ちる。魔物の体をその場に縫い止めていた剣だけが、その場に残った。
「……浄化出来た……?」
魔物の血に濡れたものは、呪いを受けるというのは、ステラから渡された指輪が物語っている。ならば、魔物に刺さっていた剣も相当に汚染されているのだろう。
奏は手を伸ばし、剣に触れる。柄の部分の黒い汚れが、ほろほろと解けるように消え、代わりに美しい装飾が露わになる。
「……」
これを持って戦った人のことを奏は知らない。だが、その人が辿った足跡はなんとなく想像することが出来る。
死骸ですら、ここまでの呪いを発するくらいなのだ。なら、――それを倒した人の行く先は。
奏はそっと目を瞑り、柄の部分に額を押し当てる。少しの間そうして、ゆっくりと体を刃から離した。
目を開けると、鮮烈なまでに色を宿していた花畑が、僅かに穏やかな空気を孕んでいることに気付く。
まるでここだけ世界から切り取られているのではないかと思うような、そんな違和感が拭い去られるかのようだった。元の場所に戻ったのだと、――それだけを、すとん、と理解する。
「……出来た」
奏の息が震える。奏はゆっくりと周囲を見回す。
木漏れ日が降り注ぎ、奏の体を濡らす。木々が梢を揺らしてさわさわと音を立てているのが聞こえた。
ルーデンヴァール王都へ続く、多くの人々が行き来した街路。またきっと、ここは人々の活気に溢れることになるだろう。
中心地から道を辿り、奏はフェリクスの元へ戻る。自分の体をぺたぺたと素手で触ってみたが、治療の時に感じるような倦怠感や疲労を覚えることはなかった。呪いにはかかっていないようだ。聖女というものは、禁足地にはびこる呪いも恐らくは跳ね返すのだろう。
それを証拠に、保護魔法のかけられた宝石は一つも欠けていない。禁足地に入れば、数十分もせずに一つは割れるだろうと言われていたというのに。
少しだけ早足になって、奏は元来た道を戻る。その頭上を鳥が羽ばたいていくのが見えた。
先ほどまで、生き物の気配の一切がなかった場所だというのに、今はそこかしこに萌芽の兆しが見えているような気がする。
ここまで変わるものなのか、と少しばかり驚きを抱きながら、奏は出入り口として作られた場所に向かおうとして――光の壁が、寸でのところで、まるで解けるように消えていくのが見えた。
「え……」
「奏」
どうやらフェリクスが禁足地の囲いを解いたらしい。奏を見つけると、フェリクスは直ぐに声をかけて駆け寄ってくる。
「ま、まって、ここまだ禁足地なんじゃ――」
「さっき、鳥がこの近くを羽ばたいていったよ」
奏が慌てると同時にフェリクスが言葉を続ける。
「生きるもの全てに呪いを振りまくのが、禁足地の特徴だ。だから、野生動物は禁足地の傍を通らないし、中に入らない――ましてや、その上を、羽ばたいていくことなんて、しないんだよ」
フェリクスは早口に言葉を続ける。つまりはそういうことなのだろう。
今まで禁足地を忌避していた動物が、その上を飛んでいった。何故か。そのことは一つの答えを導く。
浄化が上手くいった、という、答えを。
「体調は?」
「大丈夫です。元気! もしかしたら私は結構強めの聖女なのかもしれません」
「何を言っているの、本当に」
奏が少し茶化すように言葉を口にすると、フェリクスは笑った。その声が僅かに震えて、目元が赤くなっているのが見える。奏の視線に気付いたのだろう、フェリクスは一瞬躊躇うように視線を揺らしたが、隠すことなく奏をじっと見つめてくる。
「……お帰り、奏、本当に……キミが無事で良かった」
「ただいま、フェリクス」
奏は笑う。フェリクスの手が伸びてきて、奏の体を抱きしめた。
一瞬、息が詰まるほど、強い力を込められる。フェリクスはいつも、奏に触れる時は断りを入れてくる。それをしないまま抱きしめてくる、ということは、多分、それほど切羽詰まっていて、――止めようもなく、そうしたかったのだろう。
それが想像出来るから、奏はフェリクスの背に手を回す。優しく抱きしめ返すと、フェリクスが息を詰まらせた。
ただいま、と奏はもう一度囁く。フェリクスがゆっくりと頷いた。
体温がじんわりと滲んで来る。きっと本来なら、――婚約者ではないのだし、恋人でもないのだから、すぐにでも離れなくてはならないだろう。
けれど、でも。
(もう少しだけ)
奏はそっと目を閉じる。お互いの存在を確かめ合うように、二人は長い間抱きしめ合った。
お互いの体温が混ざるくらいの間、ずっと。
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