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19-1 聖女の選択

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 奏が目覚め、そして元気になるまでの間、フェリクスは傍に居てくれた。
 三日、昏々と眠り続けていた体の調子を取り戻すのは並大抵のことではないように思われたが、何故か思ったよりも早く、奏は元の調子に戻った。
 聖女の力が関係しているのだろうか。奏には毒も病も、呪いも効かないようだし、体の不調を自ら補うくらいのことはしているのかもしれない。

 奏が調子を取り戻したのを見て、ステリアも喜んでくれた。快癒を祝い合ったのも束の間、奏の元に沢山の贈り物が届けられた。
 どれも、レンドリア辺境伯からのものである。

「多いなあ……」
「まだ後二便ほど来るようです」
「いや、多い! 多い!」

 奏の部屋に運び込まれた荷物は、片手では足りないほどにある。今ですら部屋の隅を圧迫しているというのに、これ以上増えるというのか。
 積み上げられた贈り物を前に、奏は思わず呆けてしまう。そうしている内に、残りの二便がやってきて、奏の部屋を埋め尽くして去って行った。

 広い室内が、今は少し手狭になっている。どうしよう、と考えていると、「開けたら?」という声がかかる。
 声のした方を見ると、フェリクスが扉から体を覗かせていた。こん、と軽くノックをして「邪魔するよ」と言う。

「順序が逆では……」
「一応ノックは先にしたよ。聞こえていないみたいだから、開けた。それだけだ」

 全く聞こえなかった。多分、物の積み下ろしなどでノックの音が紛れてしまっていたのだろう。
 フェリクスは手に書類を持ったまま、奏の傍に近づいてくる。

「これは贈り物の目録だ。辺境伯から、贈り物と一緒に届いていたよ。見る限り、ノヴァリアでしか採れない鉱石や、薬草なんかも入っているようだね」

 はい、と差し出された紙を受け取る。細かな文字が並んだそれに指で触れると、文字列が意味を持って奏に理解出来るようになる。
 シリロの花一束、ノヴァリスナイト一級品二十粒、リチアレット一級品二十粒、など、様々な品目が記載されたそれを指先で辿りながら「ノヴァリスナイトとか、リチアレットとか、なんでしょうか?」と首を傾げる。フェリクスが笑った。

「魔法を使うために僕達はアクセサリーを作るだろう。その時に使う品物だね。一級から下級品まで品分けがされていて、一級品は魔力含有量が多いから、大きな魔法が使える」
「わあ……」

 ということは、送られてきた宝石は全て魔法を使うためのアクセサリーに転換可能、ということである。
 リストの最初の方を読んでこれだけあるのだから、全体量は想像がつかない。

「凄い……物凄く魔法が使えるようになってしまいますね……」
「そうだね。どれも指輪か何かに加工する? 僕としては持ち運びしやすいものがオススメかな」
「加工にも料金がかかるのでは」
「加工の際の費用も負担してくれるようだよ。書類の最後に書いてある」

 至れり尽くせり、ということである。流石に全てを加工してほしい、というと、厚意にあぐらを掻くレベルではなくなるが、数個くらいならお願いをしても良いのかもしれない。

「……こんなに貰って良いのでしょうか」
「良いんだよ。――禁足地に短時間ならばまだしも、長時間足を踏み入れた人間が、生き残る可能性は今までゼロだったんだ」

 フェリクスは静かに言葉を続ける。

「だからこそ、国をあげて、入れないようにしているんだ。それなのに、今回、ハインリヒは生き残った。むしろ、あの体を考えると、生き返った、という方が正しいだろう」
「……」
「呪いのせいで爛れた皮膚、そして腐りかけていた体が、全くその痕跡も無くして、元に戻っていたらしい。レンドリア辺境伯は聖女様、ならびにルーデンヴァール王家に未来永劫忠誠を誓う、とまで文言が書かれている。相当なことだよ」

 中々仰々しい文言である。だがそれくらい、レンドリア辺境伯は奏に感謝しているのだろう。
 忠誠も贈り物も、こんなには必要無いが、突き返すのも違う。奏は首を振った。

「今回、ハインリヒを唆した輩についても調査を進めているらしい。レンドリア辺境伯の実子はハインリヒ一人だからね。家を継げるものが居なくなれば、ゆくゆくは爵位を返却するか、他家から嫡子を迎え入れるほかなくなる。今回の件で、誰かが利を得ようと行動をした可能性は高い」

 フェリクスは吐き捨てるように言葉を続ける。――幼い頃、毒を盛られたということもあって、フェリクスは多分、誰かの利のために誰かが害される状況を、好まないのだろう。もちろんそれは奏もそうだが、フェリクスはそういった事象を憎んでいるように見える。
 眉根に皺が寄っているのが見えて、奏はそっと手を伸ばす。伸ばされた手に気付いたフェリクスが、一瞬で相好を和らげた。

「なに。どうかした?」
「眉間に皺が寄っていたので、解そうかなと思って」
「なにそれ。いらないよ。それより撫でてくれた方が良い」

 ほら、と奏の手を取り、その手の平に頬をすり寄せるようにしてフェリクスは笑う。撫でろ、というのは、頬を、ということなのだろうか。指先をそっと動かすと、フェリクスはくすぐったそうに笑う。

「……ふ。うん、ありがとう。それじゃあ、僕は執務室に戻るよ。何かあったらおいで。何も無くても来て良いよ。むしろそうしてくれた方が安心する」
「安心……? ですか?」
「僕の目の届かない所で、倒れているんじゃないか、なんて思わずに済むからね」

 フェリクスは笑いながら、奏から体を離した。名残を惜しむように、奏の指先をすり、とフェリクスの指先が撫でる。少しくすぐったい。息を詰めて笑うと、同じようにフェリクスが笑う。
 また後で、と囁くと同時に踵を返し、部屋から出て行く背中を見送りながら、奏は息を吐いた。

 ――フェリクスのことを好き、ということを認識してから、こうやって触れあう度に物凄く――ドキドキしてしまう。心臓に悪いというか。
 動物は生きている間に動く心臓の回数が決まっていると言うが、絶賛、物凄い勢いでそれを消費していっているような気がする。このままでは早死にしてしまうのでは、なんてろくでもないことを考えながら胸を撫でていると、ずっと隅に控えていたステリアが「聖女様」と柔らかな声を上げる。

「フェリクス殿下と、とても仲が良いご様子で……、素晴らしいことでございます」
「仲良いというか、からかわれているだけな気もしますが」
「そんなことは……。聖女様が来てから、本当にフェリクス殿下の雰囲気が柔らかくなられました。それに」

 ステリアは首を振る。「聖女様が倒れた間の三日、フェリクス殿下は一切そのおそばを離れませんでしたよ」と、静かに囁いた。

「もちろん、着替えなどは私どもに任せていただきましたが……それ以外の時は、本当にずっと。聖女様の傍で、聖女様の手を握り、食事もここで摂られていましたから」

 奏は瞬く。昏倒している間、誰が世話をしてくれたのだろう、ステリアかな、でも聞いてもし違うと言われたら世話してくれたのがフェリクスになるし、そうなったら恥ずかしさで死ぬかも知れない――なんて思っていた疑問が、一瞬にして解決する。
 思わぬ状況に、心臓が鼓動を強める。先ほどから話題が全て奏の心に負担をかけているような気がする。

「そ、そっか、ステリアさんが。ステリアさんが世話をしてくれていたんだね」
「はい。ですが、食事などはフェリクス殿下が。――それもあって、私達の間では、フェリクス殿下の婚約者は聖女様になるのではないか、と」
「えっ。そんな噂が流れているんですか?」

 思わず奏は慌てる。それは――流石に、どうなのだろう、と思ってしまった。
 もちろん、奏はフェリクスのことが好きだ。だから、フェリクスもそう想ってくれていたら嬉しい、と思う。
 だが、思うのと、現実は違う。フェリクスはルーデンヴァールの第二王子で、いずれ貴族令嬢と婚姻を結ぶだろう。奏は、急にここへやってきただけの人間で、何の足がかりも地位もないと言える。それに、急に帰る、とも言われているのだ。

 そんな相手と、フェリクスが『仲睦まじい』と思われ、『婚約者になるのでは』と考えられている状況は、――多分、駄目だ。
 奏はいずれ帰る。奏がこの世界から去った後も、当然のようにフェリクスの人生は続く。奏の存在が、それを邪魔することになったらと、ぞっとしない。

「……それは、その、フェリクス殿下には私よりもきっとふさわしい相手が居ると思います」

 奏は首を振る。ステリアが瞬いて、それからそっと目を伏せた。

「申し訳ございません。ご気分を害されたでしょうか」
「いえ! あの、違います。全然! そんなことは……、そう言って貰えるくらい、仲が良いように見えるのなら、それは嬉しいです。けれど……」

 でも。
 続く言葉が上手く形にならない。奏は首を振った。
 立場が違う、とか、そもそも帰る、だとか、そういった言い訳めいた言葉が沢山浮かぶ。ここで、婚約者になれたら嬉しいです! と、朗らかに言えるくらい、心が強ければ良かった。
 だが、嘘はつけない。そう約束をした。だから、どうなるかわからないことは、言えない。

「……聖女の中には、この世界に残った人も居るんですよね」
「はい。多くは無いですが……、語られているだけでも、二人は。聖女様は結婚なされて、この世界で最期まで過ごしたようです。子孫の方もいらっしゃったとか」
「子孫……」
「多くは、穏やかな生活を営まれていると。聖女の力は聖女様にのみ存在しますから、子孫の方々は、ルーデンヴァールの多くの民と同じような暮らしをされていたようです。古い記録ですので、欠如している部分もあり、居たらしい、というようなことしかわからないのですが」
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