上 下
9 / 72

5-2 花々の季節の祭

しおりを挟む
「で、でも、……良いんですか?」
「良いよ。まあもし、本当に会場で踊ることになっても――キミが僕の足を踏み続けるだけだし。それくらいは保護をした分、覚悟はしている」
「覚悟の方向性が」

 ふ、と奏は笑う。先ほどまで恐怖で強ばっていたからだが、僅かに弛緩していくようだ。
 気を遣われたのだろうな、ということが分かる。フェリクスは、奏の心をなんとなく先回りして、行動しているように思う。
 多分、それは奏相手にだけ、ではなく、全ての人に対して、そうなのだろう。

「当日、あまり足を踏まないように、訓練をお願いすることは出来ますか?」
「やる気だね。良いよ。一区切りついたら、時間を作るから、その時で良い? 僕が教えるよ」
「えっ。あ、あの、フェリクス殿下はお忙しいでしょうし、他の方で、全然」
「どうして?」

 フェリクスが首を傾げる。どうして、と言われても。フェリクスの机の上に置かれている書類の数を見て、の言葉である。
 恐らく祭に関係して、内政的に処理を必要とする事象が増えたのだろう。普段から忙しそうだが、今日は処理すべき案件が多そうだ。その上で、奏にダンスを教える、となると、フェリクスへの負担が膨大になる。

「なに。もしかして僕にダンスを教わるのは嫌?」
「そういうわけではなくて……、ご迷惑かと思って」
「迷惑だったら迷惑って言っているよ。そういう性格だから」

 確かに、そうかもしれないが。
 今までの関わりを顧みるに、迷惑であれば、フェリクスはすぐにその旨を告げてきていたかもしれない。もしくは、他に教師を手配するから、と言ってくれたはずだ。そうでない、ということは、奏に教えるのは迷惑ではない、ということなのだろう。

「一生机に向かってるのも、中々に体が固まるし、眠くもなる。キミに足を踏まれて眠気覚ましにしよう」
「……踏まないかもしれないじゃないですか!」
「さっき自分で踏まないように訓練してほしいって言ったのに?」

 からからと笑いながら、フェリクスは書類を右から左へ動かしていく。左は、恐らく処理済みのものなのだろう。手早く作業をする姿を眺めていると、フェリクスが「うん」と小さく頷いた。持っていたガラスペンを置き、「区切りがついたから」と立ち上がる。

「基本の姿勢とステップを教えるよ。おいで」

 ここで、するつもりなのだろうか。思わず瞬きながら、奏はフェリクスの傍に近づいていく。
 近くに寄ると、フェリクスは「うん、姿勢からして駄目だね」とあっけらかんと口にする。大変な悪口である。奏からしたらダンスを踊るのだって初めてなのだし、姿勢だってわかるはずもないというのに。
 もしかしたら喧嘩を売られているのかもしれない。

「喧嘩を売っていますか?」
「ふ。あは。売ってないよ。ごめん。触れて良い?」
「……どうぞ」

 奏が応えを返すと、フェリクスは頷いた。そうして、奏の背と腹部に触れる。

「ここに芯が入っている想像をするんだ。頭からぐっと吊られているような……」
「こ、こう、ですか?」
「うん。そう。そんな感じ。両足は肩幅の広さに開いて……、腕にも触れるよ」

 いいながら、フェリクスが奏の腕に触れた。ぐっと持ち上げられて、軽く曲げるようにされる。フェリクスが奏の手を取り、そっと体に触れてきた。

「これがダンス開始の姿勢。覚えられる?」
「頑張ります、けど、あの、う、腕が、既に、ぷるぷるして……」
「頑張って。疲れたなら僕の腕に体重乗せて良いから、とにかく角度と高さは落とさないで。それらを落としたら不格好に見えるからね」

 基本姿勢が、既に辛い。これで更にステップを踊るのである。絶対に途中で基本姿勢を崩してしまう自信が奏にはあった。

「ステップを教えるから足を見て。良い?」
「まっ、は、はやい。はやい!」
「とりあえず一通り教えて、その後何度も練習をした方が体に記憶されるだろうからね。本来なら数日かけて姿勢を練習するんだけど、そんなに日も無い。わからなかったら都度聞いてくれて良いから」

 す、スパルタ……! 奏は心中で悲鳴を上げる。ちょっとだけ泣きそうだ。
 だが、都度聞いて良い、とは言われているから、分からなければその都度何度も聞くことにしよう。呆れられても、そしてまた? というような顔をされても、奏は覚えなければならないのだ。

「……頑張って覚えます」
「うん。やる気だね。大丈夫、僕が教えるんだ。キミなら出来るよ」
「フェリクス殿下のその自信はいつもどこから湧いてきているんですか?」
「裏打ちされた努力と、今までの生活から、かな」

 奏が少しからかうように言葉を続けると、フェリクスも同じように楽しげに答える。確かに、ダンス初心者の奏からしても、フェリクスの姿勢は美しいものに思われた。
 裏打ちされた努力、と、自分で冗談めかして言っているが、実際その通りなのだろう。だからこそ、奏も頷いて返す。

「フェリクス殿下が言うと全然嫌みに聞こえませんね」
「そうでしょう。人徳だよ」
「じ、人徳……?」

 人に嘘を吐いて嬉しそうにする人間に、人徳が、――むしろ道徳といったものがあるのか?
 思わず奏はフェリクスをじっと見つめる。その視線に気付いているだろうに、フェリクスは奏から視線を逸らしたまま、ふ、と息を零すようにして笑った。

「……自分で言って自分で受けてませんか?」
「そんなことはないけど。奏の反応が――それより、ほら、奏、ちゃんと足下を見ている? 今はステップを覚える時間だよ。僕の顔ばかり見ないで」

 楽しげに言葉を続け、フェリクスは足を動かす。その足を見たまま真似してみるが、中々上手く行かない。だが、フェリクスは急かすことも、怒ることもなく、奏がわかりやすいように足を大げさに動かして見せる。

 そういった所を見ていると、色々と思うところはあるが、多分――優しい人なのだな、と思う。人徳があるかどうかは別として。
 優しいから、だから、奏のお願いにもすぐ応えてくれた。
 ただそれを指摘したら、きっとすぐにからかわれて終わるのが理解出来たから、奏は言葉を喉の奥に秘めた。
 大事な気持ちを、そっと手の平で優しく抱きしめるように。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

伯爵は年下の妻に振り回される 記憶喪失の奥様は今日も元気に旦那様の心を抉る

新高
恋愛
※第15回恋愛小説大賞で奨励賞をいただきました!ありがとうございます! ※※2023/10/16書籍化しますーー!!!!!応援してくださったみなさま、ありがとうございます!! 契約結婚三年目の若き伯爵夫人であるフェリシアはある日記憶喪失となってしまう。失った記憶はちょうどこの三年分。記憶は失ったものの、性格は逆に明るく快活ーーぶっちゃけ大雑把になり、軽率に契約結婚相手の伯爵の心を抉りつつ、流石に申し訳ないとお詫びの品を探し出せばそれがとんだ騒ぎとなり、結果的に契約が取れて仲睦まじい夫婦となるまでの、そんな二人のドタバタ劇。 ※本編完結しました。コネタを随時更新していきます。 ※R要素の話には「※」マークを付けています。 ※勢いとテンション高めのコメディーなのでふわっとした感じで読んでいただけたら嬉しいです。 ※他サイト様でも公開しています

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

人形な美貌の王女様はイケメン騎士団長の花嫁になりたい

青空一夏
恋愛
美貌の王女は騎士団長のハミルトンにずっと恋をしていた。 ところが、父王から60歳を超える皇帝のもとに嫁がされた。 嫁がなければ戦争になると言われたミレはハミルトンに帰ってきたら妻にしてほしいと頼むのだった。 王女がハミルトンのところにもどるためにたてた作戦とは‥‥

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

異世界召喚されたけどヤバい国だったので逃げ出したら、イケメン騎士様に溺愛されました

平山和人
恋愛
平凡なOLの清水恭子は異世界に集団召喚されたが、見るからに怪しい匂いがプンプンしていた。 騎士団長のカイトの出引きで国を脱出することになったが、追っ手に追われる逃亡生活が始まった。 そうした生活を続けていくうちに二人は相思相愛の関係となり、やがて結婚を誓い合うのであった。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

ただ貴方の傍にいたい〜醜いイケメン騎士と異世界の稀人

花野はる
恋愛
日本で暮らす相川花純は、成人の思い出として、振袖姿を残そうと写真館へやって来た。 そこで着飾り、いざ撮影室へ足を踏み入れたら異世界へ転移した。 森の中で困っていると、仮面の騎士が助けてくれた。その騎士は騎士団の団長様で、すごく素敵なのに醜くて仮面を被っていると言う。 孤独な騎士と異世界でひとりぼっちになった花純の一途な恋愛ストーリー。 初投稿です。よろしくお願いします。

処理中です...