私を保護した第二王子が嘘ばかり吐いてくる

うづき

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1 嘘吐きの第二王子

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 今日という今日は、さすがに堪忍袋の緒が切れた。
 大股で早歩きしながら、水森みずもりかなでは拳を握る。こげ茶色の髪は肩くらいまで伸びていて、まろみを帯びた頬は、彼女が女性であることを示唆している。
 クリーム色のシンプルなドレスを着用しており、スカートの部分はプリーツを重ねて柔らかく広がっている。裾や袖口には銀糸であしらわれた刺繍があり、それらが光を帯びると美しい色どりを放つ。

 柔らかいカーペット敷きの廊下を、勝手知ったる様子で歩きながら奏は眉根をぎゅうっと持ち上げた。そうして、目的の場所に到着してから、そっと息を吐く。
 怒りながら向かったら、また手のひらの上でコロコロされてしまう――そうわかっているからこそ、必死に息を整えてから、奏は目の前の扉をノックする。わずかな間を置いてから、「奏でしょう。どうぞ」という声が耳朶を打った。

 面白そうな声だ。――たぶん、部屋の中に居る渦中の人物は、奏が来るのを今か今かと、楽しみに待っていたのだろう。それにさらにイラッとしてしまうが、必死になって苛立ちの火花を押さえつけつつ、奏は扉を開いた。

「――フェリクス殿下に置かれましてはご機嫌麗しく!」
「やあ、ありがとう。奏はご機嫌麗しそうじゃないね」

 手短に挨拶を告げ、奏は室内に足を踏み入れる。内部は豪奢なつくりをしていた。大きくはめ込まれた窓は、上部と下部で分かれており、上部に色ガラスが使用されて美しい色どりを床に落としている。左右には大きな本棚が陳列していて、内部には書類や重厚そうな本がしまわれているのが見えた。本棚の傍には、休憩をするときに使用するのか、二人掛けのソファーと、テーブルが鎮座している。
 扉から真っすぐ、線を引くように視線を上げると、奏の探していた人物がひらひらと手を振るのが見えた。

 大きなデスクには、山積みの書類が置かれている。その傍には、羽ペンとしゃれたガラスのインク壺があった。男性は椅子に腰かけ、奏を見ながらも、手元の書類にサインを施し、それを処理済みの箱の中へおいていく。その一連の動きは洗練されていて、どこか優雅さをたたえているようにも見えた。

「殿下っ、私、昨日教えてもらったこと、……!」
「やりにいったの? どうだった?」
「どうだった、って……!」

 ふつふつと湧き出る怒りが制御できなくなりそうになって、奏は首を振る。フェリクスは嬉しそうに目を細めたまま、続きを促すように顎を引いた。
 薄い金色の瞳は、虹彩の下部で緑色を濃くする。瞳の中に二つの色が、グラデーションのようにして混在しているのだ。髪色と同じこげ茶色の瞳を持つ奏からしたら、フェリクスの瞳はとんでもなく美しいものに思える。まるでバイカラーの宝石のようだ、と思うが、それを口にしたことはない。口にした瞬間、その言葉がとんでもなく陳腐なものとして響きそうだったからだ。

 髪色は薄い水色。全体的に色素が薄いように見えるのだが、一つ一つのパーツが際立って美しく、それでいて存在感がある。少し伸ばしたそれを、首の後ろで緩く結び、綺麗に垂らしている。
 すっと線で引いたような輪郭は美しく、涼しげな目元には長いまつげが立ち並んでいる。すらりとした鼻梁に、薄い唇は桜色をしている。見た目は本当に、儚げ美青年、という表現がどこまでも似合いそうな姿をしていた。

 藍色のラウンジコートを羽織り、下にはシャツとベストを着用している。ベストの部分は縁の部分に細かな意匠が施されており、見るだけで目の前の人物が高位であることを理解させられる。蜜を煮溶かしたような甘い色の宝石が、ラペルピンにはめこまれており、コートに彩りを添えている。

 けれど、そう、だまされてはいけない。こんな見た目をしているのに、この人は、とんでもなく性悪なのである……!

「殿下が、実りの月の十六日には、聖女は城下に赴いてすべての店から食事を購入し、それらを食べなければいけない、とかいうから……!」
「本当にやったの? うそでしょ、ねえ、だって城下の飲食店がどれだけあるか、キミ、わかってなかったの? 全部食べたらキミのお腹、破裂しちゃうんじゃない?」
「殿下がそう言ったんでしょ……!」
「ふふ。あはは。キミって本当騙されやすいね、バカみたい」
「褒めてな……っ、いや本当に全然褒めてないのやめてくれませんか?」

 そういうのって普通、後の言葉に続くのは可愛いね、とかそういうものではないだろうか。騙されやすいね、バカみたい、ってとんでもない罵詈雑言である。
 けらけらと楽しげに息を零しながら、殿下は「キミのせいでサインの文字が震えちゃうよ」と羽ペンを置いた。そうして、椅子から立ち上がり、奏の傍に近づいてくる。にやにやとした表情を隠しもしないあたり、本当にとんでもない王子である。

「……五軒くらい回って、もうお腹いっぱいになって、護衛の人に……全部食べながら回らなくちゃいけないの大変ですね、今までの聖女ってどうしてたんですか? って聞いたら……」
「うんうん。なんて?」
「変な顔されて……! 食べ……? 回る……? って言われて……! それで私は気づいたんです、これ、また、嘘つかれてる、って……!」
「遅いなあ、気づくのが。昨日僕が話した時点で、どうして気付かないの? こんなの絶対無理に決まっているって、普通はわかるでしょ」

 獲物をいたぶる肉食動物のように言葉を続け、フェリクスは奏の傍で首をかしげる。そうして、「まあ、でも、楽しかったでしょう?」と笑った。
 確かに、楽しくはあったし、店を回ると市井の生活も調査出来る。――王都の城下町は、とても賑やかで、栄えていた。誰もが奏を快く歓待し、そして沢山の話をしてくれた。ならば奏としても、その優しさに答えて、頑張って全部の店を回らなければ、と思ったのだ。
 実際には、五軒目で腹がくちくなり、護衛の人に泣き言を漏らしてしまい――そうして、ようやく、殿下の嘘が発覚したわけだが。

 ただ、実りの月の十六日に聖女は城下に赴いて、人々の視察を行う必要がある、というのは本当のことだったらしいので、一旦その場は怒りを収め、それ以外の店を回った。
 フェリクスは嘘の中にも真実を混ぜてくるから、その辺りも性質が悪い。

 お腹いっぱいになった後、慣れないドレスで移動をし続けるのは、中々にキツかった。
 そのキツさだって、フェリクスに嘘を吐かれなければ負うはずもない苦労だ。
 確かに五軒目までの店の主人は、とんでもなく喜んでくれた。聖女様に食事を振る舞うことが出来るだなんて、と、末代まで語り継ぐような勢いで喜ばれたものである。
 そこまで喜ばれると、なんだか嬉しいしこちらとしてもここまで歓迎してくれるなんて有り難いな、なんて思い、会話も弾んだけれど――それはそれとして。

「楽しかったです、けれど、本当にあの、こういうのやめてください」
「こういうのって?」
「嘘……! 嘘ですよ! 嘘を言ってくることに決まってるじゃないですか!」

 はぐらかすようにして笑い、フェリクスは奏の手を取る。

「いやあ、キミ、面白いくらい騙されるからさぁ。逆にどれなら騙されないのか気になってね。ほら、元気を取り戻して。お気に入りの甘いものを用意させよう。沢山歩いたなら、少しはお腹も減っているんじゃない?」

 二人掛けのソファーへ、強引に奏を座らせ、フェリクス自身も隣に腰を下ろす。ぱん、とフェリクスが手を叩くと、すぐに使用人が現れた。

「茶菓子を。そうだ、聖女様には甘いお茶をね。渋いものは苦手みたいだから」
「……渋いものでも飲めますが……」
「でも好きではないんだろう? この前出したラスグの茶葉だって、おいしいと思うものに飲まれたいに決まっている」

 フェリクスの言葉に使用人が頭を下げ、すぐにその場から立ち去る。わずかな間も置かないうちに、カトラリーが運びこまれ、ケーキスタンドがテーブルに鎮座した。そこにはおいしそうなパンや、果物をふんだんにつかったケーキ、ゼリーのようなものが並べられている。

「ほら、食べよう。僕もそろそろ休憩しようと思っていたところだったしね」
「……肝心なところにお返事をいただいていないのですが」
「なに? 嘘をつくな、って? ふふ。やだ」

 にべのない返答である。フェリクスは下段に置かれていたパンを手に取ると、それを口元に運ぶ。繊細な顔立ちに似合わない豪快さで一口にパンを口におさめると、ふ、と小さく笑う。

「うん、おいしい。キミも食べなよ」
「……まだ殿下のせいでお腹がいっぱいなんですが」
「そんなに食べたの? 仕方ないな。持ち帰れるように包んであげるよ。飲み物くらいは飲めるでしょう? まさか僕に一人で飲み食いさせるつもり?」

 笑いながらフェリクスは言葉を続ける。何が一体面白いのか、と思うが、フェリクスはいつもこうなので、奏としてはもう何も言うことはない。白々とした気持ちで、目の前の趣向を凝らしたアフタヌーンティーセットを見つめる。
 お腹はいっぱいだが、さすがに出されておいて何も手をつけない、というわけにもいかない。奏はお腹を指先で撫でてから、淹れてもらった紅茶に口をつけた。

 甘い香りが鼻孔をくすぐる。ミルクを入れていないのに、ミルクティーのような芳醇な香りがした。口元に触れる紅茶は飲みやすい温度になっていて、それにほっとしながら一口いただく。
 ――美味しい。ほうっと息を零して、それから奏は首を振った。いけない。おいしいもののせいで怒りが解けかけたが、奏は嘘をやめてもらうように言いに来たのである。

「嘘をつくの、やめてください」
「おいしいものを食べているときにそんな話をするの?」
「大事なことです……! やめてください! 本当に困るんです!」
「どうして」

 だって、と、奏は眉根をぎゅうっと寄せる。
 奏は、この世界に来てからずっと、自分を保護してくれたこの第二王子に――騙され続けているのだ。
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