長命種の愛は重ため

うづき

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2-1.出会い

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 ――エステルが、フィラスと出会ったのは、エステルが六歳の頃だった。
 それまで、村の外れに、『神に愛されし隣人』が住んでいるという話を、色々な大人から聞いてはいたものの、それだけだった。自分から会いに行こう、と思ったことはなかった。
 神に愛されし隣人は、人間では想像も出来ないほど、長い年月を生きる。それもあって、彼らの倫理観や常識、死生観と言ったものは、人間が持ち得るものとかけ離れていると噂されていたのを耳にしたからだ。

 神に愛されし隣人と、人は共に歩くことが出来ない。いや、むしろ、共に在れると思うことこそが、傲慢なのだと。実際、昔語りの多くで、『神に愛されし隣人』は、人と距離を置いている。同じ時間を過ごせない相手と、交友を結ぶことなんて出来ない、と、沢山の物語の中で紡がれている。
 
 だからか、村はずれに住むフィラスは、村に住まう人々から、どこか遠巻きに、けれど日常を見守る守り神のように、思われていた。
 そんな状況下で、エステルがある日、フィラスと顔を合わせることになったのは――本当に偶然だった、としか言いようが無いだろう。

 エステルの家は農家だ。朝早くに起き出して、夜は日が暮れる前に眠りにつく。その日、エステルは母親の手伝いをして、随分早くに起き出していた。水をやり、雑草を取り、肥料を撒く。そして、いくつかの苗木を剪定したり、成った実を取っている内に時間が過ぎていき、昼頃になってようやくエステルは解放された。

 自由に遊んでおいで、という母親の言葉を背中に受けて、エステルは農作業の疲れを感じさせない身軽さで走り出した。向かうのは、最近お気に入りとなった場所である。大木のあるそこで、木陰に身を寄せながら過ごすのが、エステルは好きだったのだ。

 だから、今日も同じように向かい――そうして、大木の傍で、楽しく過ごすことにした。
 幹に足をかけ、登り、枝に腰掛ける。木漏れ日が静かにエステルの体を濡らし、風が吹く度に梢が擦れてさやさやと音を立てた。
 枝の上で、エステルは遠くを眺めたり、はたまた村の方を見たりして、時間を過ごす。足をぶらつかせながら、持って来ていたパンを取りだし、それを口に含んだ。

 少しだけ硬いパンだ。千切るようにしてゆっくりと食べていると、不意に遠くから呼ぶ声が耳朶を打った。
 母の声だ。もしかしたら、また手伝ってほしいことが出来たのかもしれない。僅かな間、考えて、エステルは枝の上から降りようとする。のだが、その時、少し――ほんの少し、横着してしまったのが、悪かったのだろう。本来ならしっかりと枝に手を添え、幹を降りていくべきところを、中途半端にしてしまった。

 高い木の上で、エステルは足を滑らせた。あ、と思った瞬間には空中に居て、直ぐにエステルは襲い来るであろう次の衝撃に備える。体をぎゅっと丸め、そして目を瞑った。
 ――一秒、二秒、と時間が過ぎる。三秒を過ぎて、五秒を超えた頃、エステルはおかしい、と気付いた。落ちるまでそんなにも時間がかかるような、高い木ではなかった。それに、周囲の空気もおかしい。先ほどまでびゅうびゅうと逆巻くように耳元で鳴っていた音が、今は聞こえない。
 エステルは躊躇って、けれど直ぐに目を開けた。そうして自身の様子を確かめる。

 落ちては、いなかった。エステルの体は、ちょうど木の半ばくらいで制止している。ふわふわと――まるで、何かに包まれているかのように。

「え?」
「――良かった。大丈夫?」

 自身の状況に理解が上手く出来ず、思わずエステルは声を上げる。それと同時に、柔らかな――耳に心地の良い声音が、そっとエステルの鼓膜を揺らした。
 少し遠くから聞こえてきた声だった。その方向へ視線を向けて、エステルは呆けた。
 それは、見たこともない人が居たから、という理由に他ならない。

 金色の髪、白金色の瞳。月の光を固めて、人の形にしたらこうなるのではないか、と思えるくらいに美しい人がそこに立っていた。
 とんでもない美しい人にエステルが息の仕方も忘れてしまいそうになっていると、男性がゆっくりとエステルの傍に近づいてきて、宙に浮いたままのエステルの体を横抱きにした。

「駄目だよ。人は直ぐに壊れてしまうのだから、無理をしたらいけない」
「……え、あ、……え?」
「約束をして。これから先は気をつけて行動をするって。短い命を更に短くするなんて、正気の沙汰じゃない」

 男性は静かに言葉を続ける。エステルは瞬いた。
 圧倒的な美、とも言えるような人から、なんだか少しだけ言い含めるような――怒ったような声がする。怒られている理由も、なんだかエステルにはぜんぜん理解の出来ない部分で怒られているような気がした。

「……わかった? 駄目だよ。自分を大事にすること」
「え、ええと、あの、うん、わかった……」
「――なら良かった。君はとっても素直で良い子だね。僕が毎回助けられるとも限らないのだから、今後は気をつけて」

 言いつのるように言葉を続け、男性はそっとエステルを地面に下ろす。エステルは呆けたまま、男性を見上げた。
 美しい金色の髪、長髪の隙間から、細長い耳が見て取れる。それを見た瞬間、エステルは大人達が話して居た『神に愛されし隣人』のことを思い出した。村の外れに住む、ずっとずっと、遠い昔から、この地を見守ってきた人。

 人と倫理観と常識と、そして生きる時間が違うが故に相容れない、関わりを持つことも推奨されない。そんな風にずっと言われていた人が、今まさに、目の前に居る。そして、エステルのことを、多分、そう、恐らく――叱っている。

「……神に愛されし隣人……?」

 呆けたまま、エステルは目の前の人を象る言葉を口にする。男性は一瞬だけ瞬いて、「その呼び方は好きじゃないけれど」と囁いた。

「そうだね。君達が言うところの、『神に愛されし隣人』だよ」
「は、はじめてみた」
「ここのところ、用がないから外には出ていなかったからね。今日は家から君が落ちるところが見えて、慌てて来たんだ」

 エステルは瞬く。――とにかく、目の前の人が、エステルが落ちる所を見て助けに来てくれた、ということだけは確かな事実だ。ならば、それに対して礼をせねばならないだろう。

「その、えっと、私、エステル、です」
「エステル。良い名前だね。僕は――、……、……フィラス。フィラスっていう名前だよ」
「フィラス、お兄さん」
「うん。敬称はいらない。呼び捨ててくれて大丈夫だよ」

 男性――フィラスは、エステルが名前を呼ぶと、眦をとろけさせるようにして笑った。その時の衝撃は、形容しがたい。美しい人が相好を崩すと、こんなにも破壊力があるのか、と、あの時の事を思い出す度にエステルは思う。もの凄い破壊力だった。そう、それこそ――。
 ――六歳の初恋を、奪うくらいには。

「フィラス。あのね、えっと」
「うん。どうしたの?」
「た、助けてくれた、お礼をしたいの」

 エステルが言葉を詰まらせながら口にする。フィラスは僅かに瞬いて、「良いんだよ」と首を振った。

「ただでさえ短い人生を、僕のためへのお礼をする為に使う必要はない」
「……短い……人生」
「そうだよ。君達って、よく生きて百年だろう? 大概の人間はその半分くらいで死んで行くじゃないか。短すぎる。そんな短い人生の一瞬を、僕の為に費やすよりも、自分の為に費やす方が良い」

 滔々と紡がれる言葉の、ほとんど、エステルは理解が出来なかった。ただ、確実に六歳に向けて話すような話題ではないことだけはなんとなく察しがついた。
 本当なら、エステルはここで引くべきだったのだろう。助けてくれたことに対するお礼だけを口にして、そうして別れたら、良かった。そしたら二人の道は二度と交わることもなかっただろう。
 だが、エステルは、そうしなかった。

「だからこそ、お礼がしたいの。助けてくれたから。私、あの、落ちるって思って怖かったの。でも、助けてくれたから、怖くなくなった」

 拙い口調で言葉を続け、エステルはフィラスの手を握る。フィラスが一瞬だけ驚いたように肩をふるわせた。エステルを見つめる瞳が困惑に揺れる。
 だから、エステルは母親にも褒められる、一番の笑顔で答えた。

「ありがとう、フィラス! お礼、なんでもするよ。出来る、あのね。私、起こすのとか得意なんだよ」
「……起こすのが?」
「そう。毎日、お母さんとお父さんを起こして回ってるの。だから、フィラスのことも起こしに行くよ」

 フィラスは顎を引いた。そうして、考え込むような間を置いて、わかった、と続ける。

「それなら、お願いしようかな。でも、疲れたりしたら、いつでも止めて良いからね」
「疲れないよ。大丈夫! フィラスのお家、朝、勝手に入っても大丈夫?」
「うん。鍵はかけていないから」

 フィラスは頷く。そうして、フィラスとエステルの間で、朝は起こしに行く、という約束が結ばれてから――十二年の月日が経った。
 あの頃に比べると、エステルは成長をした。そして、六歳の頃に抱いた初恋を、心の内に秘めて大切な思い出として眺めることが出来るくらいには余裕が出来た。
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