長命種の愛は重ため

うづき

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1-1.朝の当番

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 小鳥の鳴く声で、エステルは目を覚ます。
 ベッドの上でぐっと伸びをして、勢いを付けてから起き上がった。手早く身支度を調えて、姿見の前で何度も今日の姿を確認する。以前、街へ行って購入したワンピースは、裾の部分が風をはらむと綺麗に膨らむ形をしていて、お気に入りの一着になった。臙脂色のそれの上から、生成り色のシャツを羽織り、そうしてから笑顔を浮かべる。うん、綺麗に笑えている。

 直ぐに鞄を肩にかけ、そのままの勢いでエステルは家から出る。外で農作業をしていた母が、エステルに気付いて「行ってらっしゃい」と声をかけてきた。それに大きな声で「いってきます」と返し、エステルは真っ直ぐ街道を走る。
 村の中心から少しだけ離れた場所。そこに、エステルの目的地は存在した。

 レンガ造りの家の前で、エステルは足を止める。蔦が所々に這う、古い作りの家は、エステルの母の母、そして更にその母の母の母が生まれた、更にずっとずっと昔からあるらしい。この家がいつ、どのようにして建てられたのか、正確な日付を知る者は誰も居ない。以前、エステルが興味を持って家主にも聞いてみたのだが、家主も正確な日付を覚えていないらしい。

 その扉を軽くノックしてから、エステルは断りを入れて扉を開く。室内は厳つい外見と比べると華やかだ。
 壁にはいくつかの乾燥した花がかけられていて、その下には窓から差し込む光を浴びた宝石たちが机の上に並べられ、陽光を照り返している。宝石を通して、美しく七色に染め上げられた光が、影のように机の上で伸びているのが見えた。
 台所の水場には、昨日使ったらしいお皿の類いがそのまま残っていた。多分、明日洗おう、と放置しているのだろう。あの人はそういうところがある。
 
 自由きままで、穏やかで、ちょっとだけだらしなくて。けれど、――エステルの、大切な人だ。

 二階に上がると、部屋が二つある。そのうちの一つは使用者の居ない空き部屋で、もう一つは家主の寝室として使われている。寝室を、こんこん、と軽くノックをしてから、エステルは声をかける。

「おはよう、起きてる?」

 応えは無い。何度か呼びかけて、だが返事がないので、エステルは静かに吐息を零してから扉を開いた。
 室内は、窓から差し込む光で満たされていた。大きなベッドに書棚、ベッドサイドのテーブルには水差しと、空っぽになった陶器のカップが置かれている。

 人の寝室というのは、えてしてその人の生活臭で溢れるものだが、この部屋はいつ来ても、臭いがない。無臭――というべきだろうか。僅かに華やかな、透明感のある匂いはするが、それだけだ。忌避するようなものは、一切感じられない。

 エステルは大きなベッドへ視線を移す。その中央に、人が一人分丸まっているのかと思うように、シーツがこんもりと大きくなっているのが見えた。ベッドの傍に近づいて、縁の部分に手をかけながらそっと揺り起こすと、膨らんだ部分が僅かに動いた。

「起きて。朝だよ」
「……ん……」

 エステルの声に、ようやく応えがある。シーツに包まった人物が、ゆさゆさと揺すられるにつれて、小さく欠伸を零すのが聞こえた。白いお団子のようにまん丸になっていた所に隙間が開き、内部からひょっこりと顔が現れる。

「エステル……?」
「そう。エステルです。――昨日、急に魔法で手紙を飛ばしてきたから、何事かと思ったんだから」

 エステルは僅かに首を振りながら、目の前の顔を見つめる。
 起き抜け――にしては、とんでもなく、整っている顔がそこにはあった。淡い金色の髪に、美しい虹彩の瞳。白金に似た瞳は虹彩の形が酷く目立つ。まるで引き込まれてしまいそうなほど、綺麗な波紋を描いた瞳が、エステルを見返した。
 こちらを見つめる全てが、まるで端正に描かれた絵画のような美しさを湛えている。

 鼻筋は高く、唇は薄い桜色をしている。頬の輪郭も滑らかだ。おおよそ、エステルとは――というより、この世界に住まう人間と一切比べようがないほどに整った顔面を惜しげも無く晒している。触れてしまうのを躊躇うほど――と言っても、多分、過言ではない。
 美しさが香るように滲む、というべきだろうか。女性と言われたら女性のようにも見えるし、男性と言われたら男性のようにも見える。そんな中性的な人が、――今、寝ぼけ眼で、エステルを見つめている。

「ほら、起きて。――フィラス」
「……ん、ふふ、エステル」

 先ほどまで眠りについていた人――フィラスは一瞬呆けたように瞬きをし、それから自身の体を揺らすエステルの手を取った。ぐい、と抱き寄せられて、エステルの体がベッドの上に乗る。お気に入りの服が僅かに皺になる。

「わ、ちょっと、まって、靴が」
「靴なんて気にしなくて良いよ」
「私が気にするの!」

 言った瞬間、なら、とフィラスが軽く指を揺らした。瞬間、履いていた靴が一人でに脱げて、どこか遠くへ行ってしまう。エステルが慌てると同時に、腕が伸びてきてその体をぎゅう、と抱きしめる。
 男性的な、筋肉の付いた腕だ。フィラスの腕は、そのままエステルを腕の中に閉じ込めるようにしてしまう。

「フィラス、――もう」
「エステル。おはよう。起こしに来てくれて、ありがとう」

 悪気なんて一切ないような調子で、フィラスは笑う。実際、こうやってベッドに引き込んだことも、有無を言わさず抱きしめたことも、フィラスは悪いだなんて一つも思って居ないのだろう。人間が犬や猫にするのと同じような、そんな傲慢さの滲んだ行為だった。
 フィラスの突拍子のない行動には慣れているとはいえ、どうしてもほんのりドキドキしてしまう。エステルは胸の鼓動を必死に抑えながら、「……いつものことだから、良いよ」とだけ続ける。

「うん、でも、こうやって十年以上、毎日起こしに来てくれるのは、エステルが初めてだから」
「……そう思っているなら、深夜に魔法で手紙を飛ばしてくるのはやめて」
「不安なんだよ。明日、起こしてくれなかったらどうしよう、って。毎日、夜になると、怖くなる」

 フィラスは笑う。腕の中から見上げると、美しい顔が至近距離に感じられる。息を飲むような――真に迫るような、美しさだ。十年以上を共に過ごし、見慣れているエステルでさえ、未だに近い距離で目を合わせると、一瞬だけ気後れしてしまう。寝起きの、一番隙が見える時ですら、フィラスの美は一切の陰りがない。少しだけ癖の付いた髪だって、他の人なら寝癖がついている、と思うところだが、フィラスに至ってはなんだか寝癖のように見えなくなるから不思議だ。
 フィラスはエステルの頭を優しく撫でながら、「エステル、今日も可愛いね」と楽しげに声を弾ませた。
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