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1巻

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 脱衣所へ戻ると、タオルと柔らかな手触りの夜着が置かれていた。これも魔法で作られてるのかな? なんて取り留めないことを考えながら腰紐をぎゅっと結んだ。
 脱衣所を出ると、ゆったりとした部屋着に着替えたディーンさんがソファに腰掛け、仕事の書類らしきものを真剣な眼差しで読んでいた。その顔にはさっきまでの艶めいた表情はまったくない。僕の視線に気づいたのか、ディーンさんは書類から顔を上げた。

「着替えは問題なさそうだな」
「はい、ちょうどいい大きさでした。ありがとうございます」

 お礼を伝えると、ディーンさんは微笑んだ。

「気にしなくていい。今日は疲れただろう。この部屋は自由に使ってかまわないから、早めに休むといい」
「でも、ここってディーンさんのお部屋ですよね」

 そんなプライベートな空間に僕がいて邪魔にならないだろうか。

「私の部屋では、嫌か?」

 ディーンさんは気まずそうな表情で、目を逸らしながら尋ねる。

「そんなことないです。でも、いいんですか?」

 全然嫌ではないけど、ディーンさんのほうが休まらないんじゃないかと気にかかった。

「私はまったく問題はないから、気にする必要はない」
「では、お言葉に甘えてお世話になります。……あの、それで、僕はソファに寝たらいいですか」

 ソファで寝るなら、できればあの温かくて気持ちいいローブを貸してほしい。ローブにくるまるとディーンさんがすぐそばに感じられて、知らない場所にいる不安感が和らぎ心が落ち着く。
 だめもとでお願いすると、ディーンさんはほんのり赤くなった頬を隠すように咳払いをした。

「私のローブを……。いや、リツがよければ、ベッドを使ってくれ」
「ベッド、いいんですか?」
「あぁ、自由に使ってくれ」

 大きなベッドは大人ふたりが並んで寝てもまだ余裕がある。でも、会ったばかりの僕と寝るのに抵抗はないんだろうか。

「それはあの、一緒に寝るってこと、ですよね?」
「あ、いや。私はまだ仕事が残っている。執務室のほうで適当に休むから。だから、安心してひとりで使うといい」

 念を押すように確認すると、ディーンさんは咳払い混じりに早口で捲し立てられた。

「でも、それじゃディーンさんが――」
「私は大丈夫だから。ゆっくり寝なさい」

 ディーンさんにサッと抱き上げられたかと思うと、ベッドに身体を横たえさせられる。素早い動きに抵抗も反論もできない。

「……ディーンさん、本当にありがとうございます。おやすみなさい」

 優しさに甘えることに決めると、ディーンさんがクスリと笑う。そして頭をなで、髪にキスをする。よく眠れるようになるおまじないだろうか。僕も小さい妹たちによくやってたな。
 子ども扱いがくすぐったくて、緩む顔を隠すようにベッドに潜りこむ。

「ああ、おやすみ」

 ディーンさんが執務室に行った気配を感じながら、これからのことを考える。
 魔法ありきのこの世界で、魔法を使えない僕はどうやって生きていけばいいんだろう。
 お風呂に入ることすら手伝ってもらわないとままならない。これからもできないことがどんどん見つかっていくはずだ。僕にできる仕事はあるんだろうか。
 言葉は通じているけど、字は読めるのかわからない。学校で学んだ知識も、仕事で身につけてきた技術もなんの役にも立たないだろう。
 臨機応変な性格かつバイタリティに溢れた妹なら、この状況を楽しんだかもしれない。どんなときでも冷静に物事を考えられる弟なら、解決策を見出せたかもしれない。
 妹たちの顔を思い出して、目の奥が熱くなる。ふたりはどうしてるかな。家族も友人も、誰もいない世界から元の世界に戻ることはできるのか。
 不安と寂しさがない交ぜになり、涙が溢れそうになるのを耐える。
 ……泣いてる場合じゃない。泣いたところで帰れるわけじゃない。
 不安が暴走し、ネガティブなことばかり考えてしまう自分を叱咤しったし、目に溜まった涙を拭う。元の世界へ戻るにはどうしたらいいかわからないけど、帰る方法を見つけるためにも、ここでちゃんと生きていかないと。
 とても親切なディーンさんにいつまでもお世話になっているわけにはいかない。まずは仕事を探して、住むところを決めて生活基盤を整えよう。明日からひとつひとつ、問題を解決できるように動こう。
 しなくちゃいけないことを確認し、ぎゅっと拳を握りしめる。僕はかすかにディーンさんの香りがする枕に頬を寄せ、そっと目を閉じた。



   第三章 新しい出会いとちぎりパン


 カーテンからこぼれる光に目を覚ますと、枕元に着替えが置かれていた。
 ディーンさんは忙しい人だから、言葉通りずっと仕事をしていたのだろう。昨日ずっと僕に付き合ってくれたから、その分できなかった仕事を睡眠時間を削って片付けたのかもしれない。
 申し訳なさとディーンさんの優しさに胸が締めつけられる。心を配ってくれる彼にこれ以上迷惑をかけたくない。
 そんなことを考えながら着替え終わり、ディーンさんにお礼を伝えようとドアの前に立つと、執務室のほうから賑やかな声が聞こえてくる。

「リツ、入っておいで」

 なぜ居場所がわかったのか不思議だったけど、ディーンさんに呼ばれた。これも魔法なのかも。

「失礼します」

 そう言ってドアを開くと、ディーンさんのほかにシエラさんがいた。それからディーンさんと同じ年回りの長身の男性と十歳くらいの男の子が、執務机を囲むように立っている。
 長身の男性は精悍せいかんな顔立ちで、短く切り揃えた金髪が凛々しい。さらに青い瞳はいたずらっこみたいに爛々らんらんと輝き、人懐っこさを感じさせた。帯剣し軍服みたいな服を着ているから、騎士団の人だろうか。
 男の子はとてもかわいらしく、ふわふわとカールのかかった亜麻あま色の髪を肩口で遊ばせている。こちらを見つめる澄んだ水色の瞳は、こぼれそうなほど大きい。
 そんな華やかな一行はなぜかみんなマフィンを頬張っていた。

「おはよう、リッちゃん! 昨日ぶりね。今朝は顔色もよさそうで安心したわぁ」
「おはようございます、シエラさん」

 にっこりと笑うシエラさんに挨拶を返すと、初対面のふたりも近寄ってくる。男の子のほうは、マフィンを大事そうに両手で持ち、僕をキラキラした瞳で見上げている。

「あなたがリツ様ですね! このお菓子、すっごくおいしいです」
「本当? 喜んでもらえてよかった」

 素直な言葉がうれしい。ふわふわの髪をなでると、男の子はびっくりしたように目を見開いたあと、えへへっと頬を緩ませて笑ってくれた。天使のように愛らしい。
 弟もこんな感じだったなぁと懐かしい気持ちで微笑んでいると、大きな影にすっと視線を遮られた。

「よぉ、あんたが宰相様が言ってたお姫さんか。はじめまして」

 騎士さんに肩を抱かれ、ニヤリと楽しそうな笑みで顔を覗きこまれる。野性味あるイケメンのドアップはかなりの迫力で、正直ちょっと怖い。

「えっと……?」

 なんと返事すればよいかわからずビクビクしていると、反対側からディーンさんに腰を抱き寄せられた。緊張が解け肩から力が抜ける。

「ありがとうございます」
「いや、悪いのはコイツだ。リツ、みんなを紹介しよう。こっちはジーク・ローレンス。近衛騎士団の団長だ」
「よろしくな、お姫さん」

 彼はニカッと笑ってまた僕を〝お姫さん〟と呼んだ。

「よろしくお願いします、ローレンスさん。その、お姫さんというのはなんですか? 僕はご覧の通り男ですし、高貴な立場では……」
「ジークでいい。なんだ、ディーンハルトから何も聞いてないのか? あんたは妖精姫の――」
「ジーク、余計なことは言わなくていい」

 ジークさんの言葉を遮るように、ディーンさんが声をあげた。
〝妖精姫〟がなんなのかはわからないけど、僕と関係があるとは思えない。気になってジークさんを見たが、硬い表情のディーンさんに気圧されたのか困ったように笑って首を横に振られてしまった。そして、続けて男の子を紹介する。

「リツ、こちらはリアン・ラングストン。私のもとで仕事を学びながら、雑事も引き受けてくれている」
「よろしくお願いします、リツ様」

 こんなに小さいのに、もう仕事をしているのか。日本なら小学校に通ってるくらいの年齢だろうに、この国ではこれが普通なのかな。

「よろしくね、リアンくん。それから僕のことは様づけしなくていいよ」
「いえ、そんなわけにはいきません。リツ様と呼ばせてください!」

 譲れない信念を含んだような瞳でじっと見上げられる。そんな目をされたら、だめとは言えない。敬称をつけられると距離を感じて少し寂しいような気もするけど、一生懸命に僕を尊重してくれるリアンくんの気持ちを大事にしたい。

「そっか。じゃあ、好きに呼んでね」
「ありがとうございます」

 ほっとしたような笑顔を見せてくれた。本当に素直でかわいい。

「顔合わせはこのくらいでいいな。リツ、今後のことを相談したい。リツはここでどうしたい?」

 ディーンさんは静かに問いかけた。その蒼い瞳はとても穏やかで優しい。
 ディーンさんからしたら僕は得体の知れない人間。
 彼の宰相という立場なら、僕をどうにでもできるだろう。それこそ僕をこの国から追い出すことだって。
 それでも、こうして僕の意見を聞いてくれる。
 ディーンさんの配慮に感謝しながら目を合わせると、彼は大丈夫だと言うように泰然としてうなずいた。その表情に後押しされるように、昨夜考えていたことを口にする。

「……そう、ですね。仕事をして生活基盤を整えたいです。魔法が使えない僕に何ができるのかはわかりません。でも、いつまでもお世話になっているわけにはいかないので」

 動悸が激しくなるのを抑えながら、言葉を続ける。泣いても落ち込んでも現実は変わらない。僕にできることは現状を受け入れ、この世界で生きていけるようになること。
 その最初の一歩として、ディーンさんに僕の考えをきちんと伝えたかった。

「ちゃんと働いて、お金を貯めて部屋を借りたいです。……いつ元の世界に帰れるのか、帰る方法があるのかすらわかりません。でもきちんと生活をして、帰れるその日まで生きていたいと思っています」

 真っ直ぐにディーンさんを見て、考えていたことを精一杯言葉にした。数秒見つめ合ったあと、彼は思案するように目を閉じる。
 僕の言葉がどう受け止められたのか、まったく想像できない。優しいディーンさんだけど、魔法を使えないのに何を言ってるんだと呆れたかもしれないし、僕の意志を聞いて後悔したかもしれない。
 長い沈黙のあと、ゆっくりと言葉が紡がれた。

「リツの考えはわかった。とても堅実だと思う。だが焦る必要も、ひとりで頑張る必要もない。私はリツのそばにいる。少しずつふたりでやっていこう」

 僕の決意は、ディーンさんの真綿のように柔らかい眼差しに包まれた。
 伝えた決意は嘘じゃないけれど、右も左もわからないこの異世界でたったひとりで生きていく。それは、きっと僕が想像してる以上につらくて大変なことだろう。
 ディーンさんは、そんな僕の心細さを見抜いたのかもしれない。そばにいると言ってくれたことが、彼のくれる優しさが切ないほどうれしい。

「そうよ、リッちゃん。ひとりで頑張らないで。私もいるんだから。焦って無理しちゃだめよぉ?」

 思わず泣きそうになっていると、シエラさんが背後からぎゅっと抱きしめてなでてくれる。

「どいつもこいつもリツに抱きつくな」

 ディーンさんはそう言うと、シエラさんを僕から引き離す。
 そして再び僕はディーンさんの腕に包まれて、体温をふわりと感じた。シエラさんに抱きしめられるより、ジークさんに肩を抱かれるより、なぜかずっと安心できる。三人ともとてもいい人なのに、ディーンさんだけが特別心地よいのはどうしてだろう?
 されるがままになっている僕を見て、シエラさんがやれやれとため息をつく。

「まったく心の狭い男ねぇ。リッちゃんもリッちゃんよ。そんな顔しちゃって~。すーぐ食べられちゃうわよ?」

 そんな顔ってどんな顔してるんだろう? 情けない顔をしてないといいけど。
 部屋の中を見渡したが、鏡がないので確認できない。

「それで……まず、仕事だったかしら? それなら天下の宰相様が紹介してくれるわ。なんなら私を手伝ってくれてもいいし。うん、今思いついたけど、いいわね。リッちゃんがいたら患者さんみんな癒されると思うの。どうかしら?」

 医師の手伝いというのは、魔法が使えなくても務まるのだろうか。知識も資格もないから医療行為はできないけど、掃除や受付ならできるかもしれない。

「それは却下だ。リツにはほかに頼みたいことがある」

 シエラさんの提案に僕がうなずく前に、ディーンさんがその案を没にした。

「僕に頼みたいこと、ですか」

 僕ができることならなんでもしたい。ディーンさんの役に立てるならなおさらだ。

「リツさえよければ、これから私の食事を作ってもらいたい」
「……ディーンさん専属の食事係のようなものでしょうか?」
「ああ、魔法を使わない新しい料理を作ってほしいんだ。もちろん報酬も支払うし、住居も提供しよう」

 この世界の食事事情は僕としても正直つらいものがあるし、マフィンをあんなに喜んでくれたディーンさんにもっとおいしいものを食べてもらいたい。そして僕が作ったもので少しでも顔色がよくなってほしいとも思う。

「ぜひ、やらせてください! あ、でも僕が作れるのは簡単な料理とかお菓子ばかりですけど……」
「リツも昨日食べただろう? この世界の料理はあの水準なんだ。おいしいと思いながら食事をした経験など、ほとんどの者がないだろう。私はマフィンを食べてとても感動した。空腹を満たすためだけではなく、おいしいと思える料理を広めたい。協力してもらえないだろうか」

 この世界に住む人々に寄り添うディーンさんの言葉に心が温かくなる。彼は僕にしてくれたみたいに困っている人や助けを必要としている人に自然と手を伸ばせる人なんだろう。
 できないことを嘆いてもどうにもならないんだ。特別な知識も力も何も持ってないけど、この人のために僕も頑張りたい。全力で期待に応えたい。

「ディーンさん……どこまでできるかわかりませんが、全力で頑張ります」
「ありがとう。それでリツには今後、護衛と補佐をつけたいと思っているんだが、問題ないか?」
「補佐はわかるんですが、護衛は必要なのでしょうか?」

 ここってそんなに危ない場所なのかな。

「雇用するうえで肩書きが必要なのだが、他国の貴族の子弟が身分を伏せて遊学していることにしようと思う」

 空から降ってきた僕には身分も戸籍もない。捏造ねつぞうするしかないのは仕方ないと思うけど、貴族をかたって、後々ディーンさんに迷惑がかからないのかな。

「リッちゃんの黒い髪と瞳はうちの国では珍しいからねぇ。いないわけじゃないんだけど、かなり希少なのよ。むしろ貴族以外を名乗るのは難しい色味なの」

 ディーンさんの言葉にシエラさんが補足する。周囲をぐるっと見渡すと、たしかにみんなキラキラした髪色の美形揃い。これがこの国の当たり前なら、黒髪黒眼のうえに平凡な顔立ちの僕は浮いてしまう。

「身分を伏せてっていうことにも意味があるんですか?」
「ああ。たとえ上の身分の者にでも、貴族が手ずから食事を用意することはないからな。身分を伏せているていにするしかない」

 そういえば昨日、ディーンさんは調理魔法を使えるけど、使ったことはないと言っていた。

「なるほど……」
「リツはこちらの世界のことを知らないし、貴族社会の教養やマナーにも詳しくはないだろう? 貴族が取らないような言動をした場合、身分を伏せているので貴族らしからぬことをした、という言い訳が使えるからな。もちろん、リツが望むならこの国のことや教養を学ぶこともできる」

 現代の日本に貴族はいないからまったくピンと来ない。今後のためにもこの世界についての知識はあったほうがいいだろう。

「この世界やこの国のことを知りたいです」

 知識が増えれば、元の世界へ戻るヒントが見つかるかもしれないし、料理を作る上でも役立つはずだ。

「では、教師を手配しよう。まぁ、当分は時間が合うときに私が教えるからそのつもりで」
「ありがとうございます。……でも、ディーンさんに無理のない範囲でお願いします」

 ディーンさんが教えてくれるなら安心だが、血色が悪くクマが浮かんでいるディーンさん。ただでさえ忙しいのに、睡眠時間を削って僕の勉強まで付き合ってもらうのは本意ではない。

「ああ、大丈夫だ。無理のない範囲で行うつもりだから心配ない」
「それならいいんですが……」

 もし、体調が悪そうならそのときに断ろう。

「どうせ寝物語に聞かせるんだろ? 負担になるなら、リツのほうじゃないのか」

 ジークさんがニヤニヤとからかうようにディーンさんを見た。
 寝物語って、寝る前に絵本読んだり昔話を語ったりするあれかな。僕も妹たちが字が読めるようになるまで、毎晩絵本を読み聞かせていた。大体読み終わる前にふたりが寝るから、最後まで読めた試しがない。
 ディーンさんが教えてくれるなら、さすがに絵本の読み聞かせということはないだろうけど。

「僕は大丈夫ですよ、多少寝るのが遅くなっても。ですが、忙しいディーンさんの負担になるのはいやです」

 きっぱりと言い切ると、シエラさんに呆れたようなため息をつかれた。

「リッちゃん、ジークが言ってるのは、あなたが想像しているような健全な意味じゃないわ。……あなた結構鈍いわね」
「健全……?」

 シエラさんの言いたいことがよくわからなくてもっと深く聞こうとしたが、もう僕のほうを見ていなかった。

「ジーク、リアンもいるんだから際どい話はよしましょう。教育に悪いわ」
「あ? リアンだってもうねや教育は始まってんだろ」

 急に話題に出されたリアンくんは困ったように笑っている。
 ネヤキョウイク、あまり聞いたことがないし学校で習った記憶もない。ネヤってなんだろう。漢字が全然思い浮かばない。
 シエラさんたちのやりとりを呆れ顔で見ていたディーンさんに聞いてみる。

「その、ネヤもディーンさんが教えてくれますか?」

 ディーンさんは目を見開きしばらく固まってしまったが、すぐに我に返ったように咳払いをした。

「……いずれは」

 小さく了承してくれた。ネヤって、そんなに大変な教育なのか。
 そのとき、いつの間にかディーンさんと一緒に生活することになっているとようやく気づいた。そのあたりについて聞いてみると、仮眠室で生活しようと思っていたらしい。

「リツはそれでかまわないか?」

 いつかは出ていかなきゃいけないとは思うけど、当分寝泊まりさせてもらえるならありがたい話だ。僕から断る理由はない。

「もちろんです。ディーンさんさえよければ置いてください」

 頭を下げると、シエラさんがポンっと手を打った。

「じゃあ、これで住むところも解決ね! リッちゃんが心配だけど、さっきの様子じゃあ当分は大丈夫でしょう。鈍くてかわいいリッちゃんに、無理強いなんてしないわよね?」
「当たり前だ。リツの本意でないことをするつもりはない」

 無理強いってパワハラとか? 
 いつも優しいディーンさんがそんなことをするとは、とても思えない。時間外労働や長時間労働も思い浮かぶけど、そんなに長くたくさん働けるほど僕にできる仕事があるならむしろやらせてほしい。
 僕ができるなら全力で頑張る。この世界について何も知らない今の僕には任せられなくても、いつか大丈夫だと判断されたら、ネヤのことも教えてもらいたい。
 そんな気持ちを伝えると、ディーンさんは気まずそうにしながらもうなずいてくれた。

「時が来たらきちんと話すし、リツに願うつもりだ。だから今は私のために料理を作ってほしい」
「はい。そのときが来たら、教えてください」

 決意を込めて笑いかけると、ディーンさんも頬を緩めてくれた。
 ……この顔すごく好きだな。いつも難しそうに眉間にしわを寄せる表情はかっこいいけど、力を抜いた顔で微笑まれると心が暖かくなる。ディーンさんがいつも微笑んでいられるように、僕にできることを頑張ろう。
 それから僕たちはこれからのことを具体的に話し合った。
 僕の護衛にはジークさんの部下の騎士さんが交代でついてくれるらしい。今は護衛対象が少なく、手の空いている騎士に実地訓練も兼ねて任せるつもりだとジークさんは告げた。補佐にはリアンくんがついてくれるようだ。

「リアンにはいろいろ経験させておきたいし、正式な私の補佐だと王宮中の者が知っているからな。一緒にいれば私の関係者だとわかりやすい」

 つまりディーンさんの庇護下にあることの証明らしい。僕がなるほどとうなずくと、ディーンさんは子どもを自慢するお父さんみたいな顔でリアンくんを褒める。

「それに口は堅いし機転もきく。魔力量も多いし魔法も得意だから、万が一護衛と離れることがあってもリアンと一緒なら安心だ」

 リアンくんに対しての信頼度の高さが伝わってくる。一方、リアンくんは年相応でかわいい照れ笑いを浮かべてディーンさんの言葉をうれしそうに聞いていた。

「頼りにしてるね、リアンくん」
「精一杯、努めさせていただきます」

 心強い相棒ができた瞬間だった。そのまま王宮内をリアンくんに案内してもらうことになり、早速ジークさんが護衛の騎士――レオナルドさんを呼んでくれた。

「あなたがリツ様ですね。本日は私が護衛させていただきます。よろしくお願いします」

 レオナルドさんはスッと背筋を伸ばし、胸に手を当てると騎士のお手本のような礼をした。
 緩く巻いた金髪をポニーテールでまとめ、にこりと微笑む垂れた瞳は鮮やかな碧色。正統派王子様タイプのイケメンだと妹が騒ぎそうだ。この王子様に護衛されるのは少々おそれ多い。
 姿勢を戻して向けられた笑顔がキラキラと眩しく、ジークさんとはまた違う迫力に圧倒される。

「よろしく、お願いします……」
「シエラの話していた通りのかわいらしい方ですね」
「シエラさんのお知り合いなんですか?」
「ええ。あれとは長い付き合いなんです」


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