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1巻

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   プロローグ


 オーブンからふんわりと甘い香りが漂う。中を覗くと、こんがりきつね色に焼けた生地が膨らんでいる。
 ひとり暮らしになってから滅多に作らなくなったマフィン。久しぶりでうまく焼けるか不安だったけど、失敗しなくてよかった。
 初めて作ったときは焼きすぎて焦がしてしまったんだっけ。お気に入りの絵本に出てくるマフィンを食べたいと、まだ幼かった双子の妹と弟にせがまれたときのことを思い出す。
 材料を準備し、小麦粉や卵を混ぜ合わせたところまでは問題なかった。けれど慣れないオーブンの設定を間違えてしまったらしく、洗い物をしている間に煙が上がっていた。慌ててオーブンを開くと、不恰好に膨らんだ生地が真っ黒になっていたのだ。
 とても食べられそうにはない出来上がりに泣きそうになっていると、妹が焦げたマフィンを覗きこんだ。

『黒くてつやつやしてるね。にぃにの髪の毛みたい』

 妹はそう言って目を輝かせ、楽しそうに笑った。

『ホントだ~、まっくろ~』

 弟も妹と顔を見合わせながら、にこにこと続いた。ふたりが楽しそうで何よりだけど、これじゃあ食べられない。苦笑しながら弟妹のふわふわの茶髪をなでる。

『本当だね、真っ黒に焦げちゃった。次はふたりの髪みたいに、ふわふわのマフィンを焼くから待っててね!』

 そう宣言してすぐに作り直したんだっけ。懐かしいな。
 僕――桜川律さくらがわりつの両親はとても忙しい人だった。
 医師をしているふたりは、双子が生まれるまでは日本の病院に勤めていた。母は育休から復帰すると『妹と弟ができたから寂しくないわね』と言い残し、念願だったらしい発展途上国の医療支援へ父とともに向かった。寂しさや心細さがあったけど、人の生命を救う両親はかっこよかったし、子どもながらに尊敬していた。いつか自分もふたりみたいに誰かの役に立てたらとさえ思った。
 海外で奮闘する両親に代わり、小学校に上がるころには祖母と一緒に、六歳も年が離れた弟妹をお世話していた。
 お腹を空かせて泣く弟妹にミルクを飲ませ、腰の悪かった祖母の代わりにおむつを換える。歩き始めたふたりが迷子にならないように手を取って散歩もした。保育園を嫌がるふたりをなんとかなだめ送り届けてから学校へ行く毎日。
 料理もマフィンだけじゃなく、いろんな食事やお菓子を作った。
 僕が高校に入ってすぐに祖母が亡くなってからは、すべての家事が自分の仕事になった。
 家と学校を往復し、家事の合間に勉強をこなす日々に疲れることもあったけど、不満に思ったことは一度もない。弟妹が喜んでくれるのがただうれしかったからだ。
 僕のそばで無邪気に笑っていたふたりは大きくなり、県外の高校へ進学するため、三年前にこの家を巣立っていった。
 弟妹と祖母と僕の四人で囲んでいた食卓で、ぽつんとひとり食事することに未だ慣れない。最初のころはどうしても落ち着かず、仕事帰りにそのまま外で食べることもあった。
 食事だけじゃない。家族で過ごした家にひとりでいること自体、虚しくてたまらなかった。生まれてから二十四年も過ごしたこの家に安らぎはなく、感じるのは孤独だけ。
 寂しさばかりが募る日々の中、縋るように毎晩開いた弟妹のSNSには笑顔の写真がたくさん並んでいた。学生生活を満喫しているのが伝わってくる。
 あまり連絡をくれないのは正直とても寂しいけど、ふたりはそれぞれ自分の居場所を見つけ、成長しているってことだろう。
 そんな妹たちが明日、帰省してくると連絡が来て、僕は久しぶりにマフィンを焼いたのだった。
 軽やかなメロディが焼き上がりを知らせる。天板にたくさん並んだマフィンはどれもきれいに焼け、ふわっと湯気が上った。味見としてひと口頬張ると、はちみつの素朴な甘さがじんわり広がった。
 やっぱり美味しい。買えば簡単に美味しい物が手に入るけど、帰ってきたときくらい妹たちには僕が作ったものを食べてもらいたい。
 粗熱あらねつを取るために網台にのせ替えると、大きめの台がマフィンで埋め尽くされる。
 多すぎたかな? 妹たちはまだまだ食べ盛りだけど、お菓子ばかり食べさせるわけにはいかない。作りすぎた分は会社へ持っていこうと、ラッピング用品を探す。
 収納棚を漁ると、いつかのバレンタインに妹が大量に買ってきたものが出てきた。
 普段はお菓子どころか料理すらしないのに、フォンダンショコラを作ると言って聞かず巻きこまれてしまった。結局、工程の多さに嫌気が差した妹は途中で投げ出し、僕がほとんど作ることになったんだった。
 そんな懐かしいことを思い出している間に、マフィンから湯気が消えていた。
 そろそろ冷めたかな……?
 そっと手に取ると程よく冷めている。粗熱あらねつのとれたマフィンをひとつひとつセロファンに包み、大きな紙袋にまとめた。明日忘れないように玄関に置いておこうと、袋を抱え立ち上がった瞬間。

「……あ、あれ?」

 目の前が真っ白になった。立ちくらみを起こしたみたいに地面が揺れ、立っていることができない。
 倒れる! と身構えたとき、突然床が消えた。直後に襲ってきた浮遊感に気が遠くなる。


 夢か現実かわからない真っ白な世界の中、知らない女性の声がした。

「ごめんね……。あの子をよろしく……あの子を助けて……」

 途切れ途切れに聞こえる声は慈愛に満ちていて、あの子と呼ばれる誰かの幸福を一心に願っている。
 不思議と怖い気持ちはない。僕がを助けられるなら、その願いに応えたいとすら思う。
 ――任せてください……
 そう心の中でつぶやくと、声の主が笑った気がした。

「ありがとう、あなたも幸せになって……」


「――い、――ぅか、しっ――」

 ぼんやりと霞む意識の中、かすかに聴こえる誰かの声。聞き覚えはないのに、心地よく耳に馴染む。

「しっかりしろ」

 今度ははっきりと聞き取れた。頬を優しくなでられ、僕はゆっくりと目を開ける。

「え……?」

 頬に添えられた手の主は、見知らぬ男性だった。その恐ろしいほど完璧に整った顔に見覚えはない。肩に垂らされた長い銀髪を辿りながら、いまだ微睡む頭で考える。
 ――この人は誰だろう……?
 銀糸の奥に煌めく蒼い瞳と視線が交わった瞬間、心臓が音を立てる。速くなる鼓動とは対照的に、身体は魔法をかけられたみたいに動かず、呼吸すらままならない。
 それなのに恐怖も嫌悪も感じない。ただこうしてこのまま見つめ合っていたい。目を奪われたまま逸らすことができずにじっと見つめていると、薄い口唇くちびるが開いた。

「気がついたのか」

 低く落ち着いた声に緊張が解ける。僕が目を覚ましたことを安堵するように男性が息を吐いたが、蒼色の瞳はまだ心配そうに揺れていた。

「大丈夫か」
「はい……。あの、あなたは誰、ですか」
「私はディーンハルト・シュタイナーだ」
「……ディーンハルト、シュタイナーさん?」

 長い名前を確認するように繰り返すと、彼はゆっくりとうなずく。

「そうだ。ディーンと呼んでくれ。君の名前は?」
「ディーン、さん。……僕は、リツ・サクラガワです」

 ディーンさんに合わせて名前を先に名乗ると、驚いたようにわずかに目を見開いたが、すぐに表情を戻した。

「リツ、サキュ……サキュラ……」

 ディーンさんも復唱しようとしたが、桜川は発音しにくいらしく舌ったらずになった。子どもが新しい言葉を覚えたときみたいで微笑ましく思いながら、リツと呼んでほしいと伝える。

「リツ……リツか、いい響きだな。よく似合っている」
「ありがとう、ございます」

 こんなふうに名前を褒められるなんて初めてで照れくさい。くすぐったくなり曖昧に微笑むと、ディーンさんも目を細めて笑い返してくれた。その笑顔に心がふわりと温かくなる。理知的で一見冷たそうな印象だが、こちらをおもんぱかる瞳からは思いやりが感じられた。

「それでリツ、身体は大丈夫か?」

 改めて問われ、自分の身体を確認しようと下を向いて気づいた。

「……あ」

 ディーンさんに抱きしめられるように支えられていることに。しっかりとした腕が背中に回り、僕を抱きかかえてくれている。
 起きあがろうと慌てて身を起こすと、さらに顔が近づきディーンさんの目の下に濃いクマを見つけた。疲れているのか顔色もよくない。
 ディーンさんは僕を心配してくれるけど、彼のほうが具合が悪そうだ。

「あの、大丈夫ですか?」

 そっと両手を伸ばし労わるように頬を包むと、ディーンさんの目が見開かれた。

「すみません、つい……」

 体調の悪い弟妹にするのと同じようにしてしまった。すぐに手を引っこめようとするが、大きな手のひらが重なり、そのまま優しく握られる。

「……ディーンさん?」
「私の心配より自分の心配をしてくれ。どこか痛いところはないか。受け止めはしたが、かなりの高さから落ちてきたからな」

 落ちてきたと言われ、なんとなく上を見ると。
 ディーンさんの背後に広がっているのは、青い空と白い雲。かなりの高さからって、僕が空から降ってきてディーンさんが受け止めてくれたってことだろうか?
 非現実的な話で、夢だとしか思えない。
 ――でも、もし夢じゃなかったら? 自分の家にいたはずなのに。ここは一体……



   第一章 世界を超えたハニー・マフィン


 呆然としながら見渡すと、白壁の近くに色とりどりの花が咲く生垣が見えた。
 薔薇ばらみたいな花は美しいけど、何かおかしい。紅、白、薄いピンクはわかるけど、水色と鮮やかな緑は初めて見る。薔薇ばらってあんなにカラフルに咲くのかな。
 そして花の間をひらひらと舞う蝶々ちょうちょうもガラス細工のように透けていて、陽の光を乱反射させている。とてもきれいだけど、こんな蝶々ちょうちょうも見たことない。漠然とした不安が胸に湧く。

「あの、ここはどこですか……?」

 僕は意を決して問う。

「ここは王宮だ」
「王宮?」

 日常とはかけ離れた単語に呆然とする。

「あぁ、グラッツェリア王国の王宮にある中庭だが」
「グ、グラッツェ、リア……? 王宮……? 中庭……?」

 降ってくる単語をただ復唱した。
 グラッツェリアってどこの国だろう。ヨーロッパにありそうな響きだけど、まったく聞いたことがない。ただ僕が知らないだけってこともあるけど。

「本当に大丈夫か? 頭が痛かったり気分が悪かったりしないか」
「はい……」

 どこも痛くはない。ただ頭が混乱して整理がつかない。
 もしかして夢でも見てるのかな? いつの間にか眠ってしまったのかもしれない。
 弟妹の帰省に合わせて有給休暇をもらおうと仕事をつめていたから、疲れが溜まっていたのかも。でも夢にしては、ディーンさんの存在はあまりにもリアルだ。優しく僕を見つめる瞳も温かな腕もとても夢だとは思えない。
 状況を把握しようと改めてディーンさんの姿を見ると、ファンタジー映画の魔法使いが着ているような漆黒のローブをまとっている。その表面はキラキラと淡く発光しているみたいだ。
 きれいだなと逃避にも似た気持ちでそれを眺めていると、目の前で大きな手がひらひらと動く。

「リツ?」

 心配そうな顔で覗きこまれた。

「えっと、その本当に、身体はなんともないんです。ただ……混乱して……」

 夢なのか現実なのかわからない、と言おうとしてやめた。
 たとえここが本当に夢の中だとしても、こんなに僕を心配してくれる人に「あなたは本当に実在しているんですか?」なんて失礼なこと聞けない。
 でも何を言えば、何を問えばいいんだろう?
 聡明な蒼い瞳の前に言葉が見つからず、何か言わないと、と口を開きかけたとき。

「え、あの、ちょっと」

 ディーンさんが僕を横向きにふわりと抱き直し、そのまま立ち上がる。急に体勢が変わり慌てる僕にかまわず、彼は歩き出した。
 どこに連れていかれるんだろう……このまま一緒に行っていいのか、逃げたほうがいいのか。ただどこへ逃げていいのかわからない。

「降ろして、ください」

 ディーンさんのことを疑うわけじゃないけれど、ひとまず腕から逃げ出そうともがいてみる。しかし、余計に拘束が強まった。

「大人しくしてくれ。医務室へ行くだけだ」
「自分で歩けますから」
「だめだ。怖いなら掴まっていればいい」
「いや、あの……そうじゃなくて――」
「大丈夫だ。絶対に落とさない」

 間近に迫る揺るぎない眼差しに根負けし、視線を伏せる。

「わかり、ました。お世話になります」
「あぁ。安心してくれ」

 力強くうなずいたディーンさんは、何かに気づいたようにハッとする。

「そこの者、落ちている茶色の袋を持ってついてきなさい」

 そして、バタバタと近寄ってきた誰かに振り返ることなく指示を出した。

「は、はい」
「大切なものだ。丁重に扱うように」
「承知しました」

 そう返事が終わるより早くディーンさんは歩き出す。落ちている袋が少しだけ気になって見ようとしたが、抱きこまれ制されてしまった。
 見てはいけなかったのかな?
 自分を抱えて歩くディーンさんを見上げたが、困ったように微笑むだけで答えは返ってこなかった。


 連れてこられたのは、机と簡易ベッドが置かれた診察室のような部屋だった。
 草木や柑橘かんきつの爽やかな香りが漂っていて、壁に添うように置かれた高い棚には、乾燥した草花やカラフルな液体が入った瓶がきれいに並べられている。
 きょろきょろと室内を見渡していると、クスリと笑う声が聞こえた。

「興味を引くものがあったか?」
「い、いえ……すみません、子どもみたいに」
「謝らなくていい。ここには珍しいものが置いてあるからな、私もつい目移りしてしまう」

 言葉に添えられた優しい微笑みに僕は頬を緩めた。

「本当ですね、どれもきれいです」
「もっと近くで見るか?」
「いえ、大丈夫です。それより、あのそろそろ……降ろしてもらえますか」

 ディーンさんにお願いすると、ベッドの上にそっと降ろされた。
 恥ずかしさは解消されたけど、離れていく体温が少しだけ名残なごり惜しい。身体を震わせると、彼は身にまとっていたローブを脱いで肩にかけてくれた。ローブに残る温かさに力が抜けていく。

「ありがとうございます」
「いや、気にするな。ちょうど医師が出掛けているみたいだな。じきに戻ってくるだろう」

 ディーンさんは思案するように無人の室内を見渡しながらつぶやく。
 そのとき、入口のほうから音がした。見ると見覚えのある紙袋を抱えた人が頭を下げた状態で控えている。ずっと待機していたらしい。
 受け取ろうとベッドを降りかけるが、ディーンさんに制された。

「これはリツのものか」

 代わりに受け取った彼から手渡されたのは、会社へ持っていこうとマフィンをつめた紙袋。袋の端っこが潰れているのは、僕と一緒に〝落ちた〟からだろう。

「そうです。これは僕が作ったお菓子です。もしよかったら食べてみますか? 美味しいかどうかわかりませんが」

 紙袋からひとつ差し出すと、ディーンさんはセロファン越しにさまざまな角度からマフィンを観察し始めた。
 そんなに珍しいものだったのかな。ただの焼き菓子なんだけど。それとも、美味しくなさそうに見えるのかもしれない。無理に食べてもらうのも申し訳なく、回収しようとしたとき。
 ディーンさんは納得したように深くうなずき、空いている手をマフィンの上にかざした。何をしているんだろう。手から光が出ているように見えたのは気のせいだろうか。

「甘い香りだな」

 いつの間にかセロファンを外したディーンさんは香りに言及すると、そのままパクリと食んだ。味を確かめるように閉じられた瞳がもどかしい。
 妹たちが家を出てから、作ったものを誰かに食べてもらうのは久しぶりだ。味見はしたものの、ディーンさんにとって美味しいかどうかはわからない。審判を待つ気持ちで僕は尋ねる。

「……どう、ですか」
「うまい……甘すぎないほんのりと優しい味だな。柔らかくしっとりとした食感もいい。リツ、こんなにうまい菓子を食べたのは初めてだ」

 ディーンさんの綻んだ顔と賛辞に緊張が解ける。

「よかった……でも、大袈裟ですよ」

 過分な褒め言葉に苦笑してしまったけど、誰かに美味しいと食べてもらうのは、やっぱりすごくうれしい。久しぶりに味わう気持ちだった。

「いや、事実を述べただけだ。――リツはかわいいだけじゃなくて、菓子作りもうまいんだな。料理も作るのか?」
「はい、料理もお菓子作りと同じくらい好きです」

 ――あれ? 今、かわいいって言われた?
 聞き間違いかもしれないと曖昧に笑うと、力強い腕に抱き寄せられる。はちみつ入りマフィンの甘い香りが近づく。

「それはいい。……リツ、私のものにならないか?」

 はちみつより甘く囁かれる声に、抱かれた腰がぞくりと震える。
 ――ディーンさんのものって……どういう意味だろう?
 どう返していいかわからず俯きながら腕の中で固まっていると、頬をなでられ上を向かされる。恐る恐る視線を上げると、すぐ近くにディーンさんの顔があった。

「リツ」

 口唇くちびるが触れてしまいそうな距離で名前を呼ばれた。応えた拍子にキスしてしまいそうで返事することもできない。
 ――コンコン。

「ちょっと。なぁに、他人の部屋で若い子口説いてんのよ~」

 空気を壊すように乾いたノック音が響き、割って入った声にディーンさんの眉間にしわが寄る。
 入り口に立ちこちらを――ディーンさんを――睨みつけていたのはとてもきれいな人だった。白衣に垂らした金髪をふわりと緩くみつ編みにしているのがよく似合っている。そして妙に身長が高く、僕より頭ひとつ高いディーンさんよりもさらに高そうだ。
 美人なその人は靴をツカツカと鳴らして歩み寄り、僕からディーンさんを細腕であっさりと引き離した。華奢な見た目よりも力持ちらしい。

「ここは連れこみ宿じゃないのよ、まったく。騎士団長さえ震え上がる〝氷の宰相様〟が何やってるのよ。ホントにみっともない」

 キッと睨みつける顔は間近で見ても隙がない。宰相様というのはディーンさんのことだろうか。

「ねぇ、あなた。見ない顔だけど大丈夫? お姉さんが来たからもう安心よ? 怖かったでしょう?」

 そう言って抱き寄せられ、頭をヨシヨシされる。きれいなお姉さんになでられるなんて光栄なことかもしれないけど、恥ずかしいので遠慮したい。
 しかし意図のよくわからないディーンさんから救い出してくれたのは事実だし、何よりにっこりと微笑むその瞳の強さに何も言い出せなかった。
 されるがままになっていると、ディーンさんにうしろから引っ張られ抱きしめられる。

「おい、いい加減に離せ。大体誰がお姉さんだ。お前は男だろう」

 え、男の人? そう言われてよく見ると、男性に見えなくもない。いわゆるオネェさんだろうか。

「そんなことはどうでもいいわ。それより私の仕事場でイヤらしいこと、しないでくれるかしら?」
「何を言っている。そんなことなどしていない」

 いやらしいことなんてしてないし、されてないですと首を横に振るが、きれいなオネェさんは信じられないとばかりにディーンさんをジト目で見遣った。

「しようとは、してたでしょ」
「誤解だ」
「怪しいわ」

 即答するディーンさんに返しながらも、それ以上の答えは得られないと思ったのか、心配そうな顔で僕を覗きこんだ。

「ねぇ、本当に大丈夫?」
「大丈夫です。話をしていただけで。本当に何もされてないです」
「それならいいんだけど。ええっと、私はシエラ・ジェラルダよ。私のことはシエラって呼んでね。あなたお名前は?」
「僕はリツと言います。リツ・サクラガワです。シエラさん、あの……今更ですが、すみません。勝手に入ってしまって」
「リッちゃんね。気にしないで、どうせこの男に連れこまれたんでしょう。これから仲よくしましょうね」

 言葉とともに差し出されたシエラさんの手は、背後から伸びたディーンさんの手に弾かれた。そしてその手はそのまま僕の頭をなでる。どうしてふたりとも頭をなでるんだろう。子どもだと思われてるのかな。

「……仲よくしなくていい」

 低い声でディーンさんが凄んだが、シエラさんは呆れたように肩を竦めてみせた。

「心の狭い男ってヤダわぁ。で、どうしてリッちゃんとお忙しい宰相様はここにいるのかしら? まさか、本当に逢引きなんてことはないわよね」
「当たり前だ。ふざけてないでリツを診てやってくれ。受け止めはしたが、高いところから落ちてきたから、どこか怪我をしているかもしれない」

 そう言いながらディーンさんは立ち上がり、僕をシエラさんに委ねた。

「ちょっと、それを早く言いなさいよ。リッちゃん、早速だけど診せてもらっていいかしら?」
「はい、お願いします」

 言い終わる前に青い光の輪が目の前に現れ、僕の身体を通り抜けた。

「マジック⁉ シエラさん、この光の輪はなんですか⁉」

 驚く僕に、シエラさんはいたずらが成功したみたいに笑って説明してくれた。

「びっくりした? この輪を通して、リッちゃんの身体に病気や怪我がないか調べてるの。怪我してたら、この青い光が赤やオレンジに変わるからすぐにわかるのよぉ。うん、ひと通り見たけど、大丈夫ね!」

 MRI的なものだろうか。病院にはほとんどかかったことがないからよく知らなかったけど、最近の医療ってここまで進んでるのか。これで健康診断とかしたら、すぐに終わって便利だろうな。

「まるで魔法みたいですね」


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