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第二章 ペンは剣よりも強し

10. ヒーローイメージ

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「あれが浮夜絵師の……。青ウサギさんの、“英雄画ヒーローイメージ”」

 仕事柄、webデザインに明るいこの“職場の地縛霊”こと社畜女は、青ウサギが顕現させた有翼の美女を、スマホの画面越しに眺めながら、その専門用語を口走る。

(聞いたことがあるわ。浮夜絵師にもそれぞれ、独自のスタイルと技法を示す“英雄画風ヒーローエリア”があるって)

 社畜女は、まさかwebデザインの世界にも、“ヒーロー”なんてカッコいい言葉があるなんてと、勉強しはじめたばかりの頃の感動をふと振り返りながら、少女漫画の崇高さを纏うそれをスマホで追い続ける。

(そのなかでも特に重要なのが“英雄画ヒーローイメージ”で、対落画鬼戦の主役になる、浮夜絵師たちのメイン武器ビジュアルなんだとか……)

 一般的には、それらすべてを総称して“浮夜絵”と呼ばれているので、普通はマニアの口からしか聞かない単語だ。
 社畜女も、浮夜絵師にとりわけ詳しいわけではないのだが、仕事で身近なwebデザイン専門用語に似た響きが、浮夜絵師界隈にも存在することに親近感が湧いたので、人伝とはいえよく覚えていた。

 社畜女が、初めて目の当たりにした“英雄画ヒーローイメージ”に目を輝かせているその間も、青ウサギの状況は変わらず急降下を続け、ついにはその身体が、勝利を確信した巨大な口のなかへ吸い込まれようとしている。

 その様子に、無意識にニヤついていた社畜女もさすがに、だんだんと不安に駆られはじめ、青ウサギと浮夜絵を交互に見やる。

(助けないの……?)

 浮夜絵は猛スピードで青ウサギの後を追うが、タッチの差で落画鬼に喰われるほうが早い。その割に、青ウサギはまったく動じる気配もない。

 その様子に耐えきれなくなったのは、ただ見ているだけの社畜女だった。

「いや、間に合わない……!」

 社畜女が、ぎゅっと目を瞑ると同時に、澄んだ金属音が闇夜を切り裂く。その思いがけない音に、女はすぐさま目を開けたのだが、すでに状況は一変していた。

 空気しか噛み砕けなかった落画鬼の牙が、一閃の光と共に、粉々に砕け散ったのである。浮夜絵が、携えていた長刀を浮夜絵師ごと斬る速さで、巨大な口に向かって振り下ろしていたようだ。

 それは青ウサギが落画鬼の口に収まる直前に、飛び退くことを予め想定し、なにより信頼していなければ叶わない速さだった。一点の迷いもなかった。

 飛び退いた青ウサギは体操選手顔負けの月面宙返りムーンサルトを披露しながら、自分よりひと回りもふた回りも大きな浮夜絵の片手に収まった。

 青ウサギの無事を確認した社畜女は、胸を撫で下ろす浮夜絵とほぼ同時に大きく息を吐く。

 浮夜絵は、青ウサギを慈しむように抱えながら、すぐに落画鬼に追撃を仕掛けるが、やはりフェイントなしの直接攻撃は、通らないのだろう。

「なにあれ。雲みたいになってる!」

 社畜女はスマホの小さな画面上を親指と人差し指でピンチアウトさせながら、黒い雲に変化した落画鬼に近づく。
 拡大してみると、落画鬼はこれまで喰らったからすの骨や羽根を身に纏い何層にも重ね、壁を作っていることがわかる。その堅牢さは、月の光に煌めく鋭い切っ先を、難なくはじき返すほどだ。

 浮夜絵の攻撃がはじかれ、反動で距離が生まれると、すぐさまガトリング砲を彷彿とさせる勢いで烏羽からすばが飛び出し、青ウサギたちを狙い撃ちにする。
 近づいても鉄壁、離れても猛撃と難儀である。

「こわー。まるで兵器だわ……」

 社畜女が愕然とするなか、無数の火花が散る。

 浮夜絵が得物を目にも留まらぬ速さ扱いながら、高速で飛んでくる烏羽をすべてはじき返しているのだ。当たれば、ひとたまりもないだろう。

 いったい全体どうしたら、ただの烏の羽根がああなるのか。これならまだ、黒雲と化した落画鬼の間近でつんつん地味に突きながら、いつかその鉄壁が壊れることをお祈りしていたほうがイージーじゃないだろうか。

 すでに弱腰の社畜女は叶うなら、青ウサギたちにそう提案したかったのだが、当の本人たちは彼女の予想を裏切る動きを見せる。

(え、待って。逃げる気……?)

 浮夜絵と落画鬼の距離は広がる一方だった。社畜女がかざし続ける画面も、いよいよ双方同時には収まらなくなり、逃亡する浮夜絵師と凄まじい猛攻を続ける落画鬼どちらを追ったほうが撮れ高が得られるかと思考する自分に気付く。

 ひょっとしたら、動画配信者として素質があるのでは……なんて漠然と意識しながら、青白い光を追って画面を掲げる選択をする。

 絶えず放たれる無数の濡羽色ぬればいろの攻撃が、青ウサギたちと同じく月に向かって伸びる美しいオフィスビル群を破壊しないよう、人と絵は阿吽あうんの呼吸で誘導しつつ……。
 その具現化された絵もさることながら、生身の人間である青ウサギですら飛んだり跳ねたりと、まるで本物の兎の如く器用にかわし続けながら、さらに高度をあげていく。

 その蒼く幻想的な光景は、戦闘中であることすら、うっかり忘れてしまうほどだ。

 社畜女は見惚れるあまり、いまいちばん重要であるスマホを落としそうになったことで、やっと我に返る。
 その際、意図せず落画鬼が視界に入ったわけだが、これまでてっきり難攻不落の分厚い黒雲だと思い込んでいたそれは勘違いだったか。初見より、しょぼく見えたのだ。

 社畜女は「あ、そっか!」と喜び交じりの声を上げ、心のなかにあった嫌な誤解を吹き飛ばした。

「あの落画鬼、本体は落書きフィクションだとしても、烏を使った攻防だけは実物なんだわ」

 つまり、その烏の残骸が蓄えられている量には、上限があるということだ。距離を取ることで、落画鬼本体からすべて引き剥がす作戦なのだろう。

 青ウサギたちが、ただ逃げているわけではないと理解できただけで、今夜もおいしく味噌汁が飲めそうだ(インスタントだけど……)。
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