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第四部 第五章 攻防戦終結まで

97話 バナヘイム攻防戦③ ごめん

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 グルヴェイグの傭兵部隊はイゾルデを守るような陣形を保ち、走り続けた。

「変異体の攻撃は直接受けてはなりません! 得物や盾を使って防いでください。少しの間時間を稼いで」
「お嬢! 承知です」

 イゾルデの声に応じて、傭兵たちが馬を四方八方に散らした。蜘蛛型は動きが鈍く、散った傭兵たちを追う機動力はない。また、対象が拡散したことで攻撃に迷いが生じている。

 イゾルデはその間も真っすぐに蜘蛛型に向かって走る。糸が飛ばされた。近くにいたガタイの良い傭兵が凧型の大盾カイト・シールドを掲げて防いた。黒く変色し始めた盾を、男は未練なく地面に放った。


『イタイイタイイタイなにもミエナイイイイイイイイイ…………オカアサンコワイコワイ……センソウシタクナイ……ヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』


 近づけば変異体の皮膚に開いた穴から亡くなった兵士たちの声が聞こえてきた。イゾルデが眉をひそめる。

「むごいことを……」

『――イゾルデ』

「ええ、トリスタン。分かっています」

 イゾルデがラインの兵器ライン・デバイスをぽーんと空に投げた。


「私はもう違えることはいたしません。―――今です!」


 ラインの兵器ライン・デバイスが3本の黒い足をぐるぐると回転させて空に高く上がる。
 蜘蛛の頭上に到着すると、3本の足の中心から放射線状に光の柱を生み出した。

 蜘蛛の変異体が光の柱に貫かれた。
 空中に浮かんだまま、黒い胴体に開いた穴から粒子のように散っていく。


「やった! イゾルデ様が化け物を倒したぞ」

 グルヴェイグの傭兵たちは己の主の快挙に勝どきを上げた。それを見るバナヘイム軍の騎馬部隊も、驚きと喜びを隠さなかった。

「すごい……グルヴェイグは化け物を倒す武器を持っているのか」
「なんと心強い」

「おい、お前たち! 陣形を立て直すぞ」

 騎馬隊を指揮するミッターヴュルツァー少将が鋭い声で指示を出す。
 そこにシグルズとネフィリムが到着した。

「真ん中にいる竜型の変異体は俺とネフィリムで片づける。騎馬隊は今のうちに大陸橋の入り口を封鎖して、できる限りエインヘリヤル正規軍の数を減らしてくれ」
「はっ!」

 ミッターヴュルツァー少将がシグルズに敬礼する。司令官であるコロンナから全軍に対し、シグルズとネフィリムの指示には従うようあらかじめ通達が出ていた。


 もう1体の蝶型は、グルヴェイグの支援を受けたバナヘイム軍の槍・銃・弓部隊が攻撃を繰り返して撃退した。
 南側の変異体は竜と呼ぶには小さくて尾が長い。動きも他の4体と比べると小回りが利く蜥蜴トカゲ型だ。
 ラインマル大将は攻撃するまでの間合いが長い長槍サリッサは不利と判断。指揮する後陣部隊のほぼその全力を集めてひたすら射撃を繰り返した。


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 大陸橋に進む騎馬部隊を攻撃すべく、竜の変異体が近づいてきた。
 シグルズはノートゥングの剣を鞘から抜く。

「ネフィリム、頼む」

 ネフィリムが静かに頷く。
 今回は祈りのポーズではなかった。

 シグルズの背に寄り添うように。両手と頬を寄せて、呟く。

「……ネフィル?」
「私の騎士、戦乙女ヴァルキリーを守る騎士シグルズに、あの竜を屠る力を―――」

 祈り、力を与えるのはネフィリムのはずなのに。
 まるでネフィリムがシグルズにすがるような、そんな呟きだった。


「どうか、死なず、永く永く生きるように―――私の騎士、私の愛しい人」


 普段とは雰囲気の違うネフィリムの言葉。
 どういう意味かと問おうとしたが、変異体との距離が近づいてきたためシグルズは戦いに集中するよう意識を切り替えた。

「ネフィル! ベックメッサ―の馬に乗り移れ!」

 近くにベックメッサ―議員が並走しているのは目の端で確認していた。

 グラムが全速力を出せば他の馬には追いつけないこと、ネフィリムを後ろに乗せたまま戦うのには危険が伴うことを勘案し、シグルズは叫んだ。

 ネフィリムの体温がゆっくりと離れていくのが分かる。
 背中に蘇るのは冷たくて孤独な感覚。


 なぜか、離れていくその温度を、とても恋しいと思った。




「グラム! 駆けろ!!」

 グラムが風になる。

 黒い竜はすぐそこ。
 殺された兵士たちの悲鳴が聞こえる。
 竜はグラムとシグルズを喰おうと大きな口を開けた。

 口の中に、バナヘイム兵士たちの歪んだ顔が見えた。痛い。どれも互いの黒い皮膚を混ぜ合いながら、泣き叫んで手を伸ばす。助けて。まだ自分自身が死んだことに気付いていないのかもしれない。

 シグルズは何の感情も抱かなかった。
 あれは、死人だ。

 竜が口の中にシグルズとグラムをおさめようと、急降下してくる。

 今だ。



「飛べ!」


 グラムが跳躍する。
 シグルズは両手でノートゥングの剣の握りグリップを持ち、頭の上に掲げた。

 黒い竜が大きく開けた口。その下あごを剣身ブレードが真っ二つに割る。
 グラムは止まらない。剣も竜の胴体の中を進む。

 そのまま、喉、首、腹、尾を割っていった。


 剣が尾の付け根より少し先までたどり着いたところでグラムは地面に着地した。
 竜型は体を割られたが、まだしぶとく低空飛行を続けている。

 シグルズが着地した場所はちょうど大陸橋の入り口だった。前方からはエインヘリヤルの聖白騎士団が、後方からはバナヘイムの騎馬部隊が突進してくる。

 シグルズはくるりと向きを変え、竜型の変異体にとどめを刺すべくバナヘイムの騎馬部隊の中を逆走した。

「よし、グラム! よくやったぞ。あとちょっとであいつを―――」




 “シグルズ”




 後方から自分を呼ぶ声がした。


「………ネフィル?」


 戦場で気を抜くことは命に関わる。
 特に、目の前に倒すべき敵がいるときは。

『窮鼠猫を噛む。危機に瀕した者はどんな攻撃を仕掛けてくるか分かりません。とどめを刺すか、敵の動きを完全に封じるまでは決して油断をしないこと』

 騎士訓練で体に叩き込まれたことだった。

 竜型がゆっくりと旋回してこちらを見てくる。だが、シグルズは本能に従って後ろを振り向いた。


 バナヘイム軍の騎馬隊が大陸橋の手前で聖白騎士団と乱戦になっていた。大陸橋の奥からはエインヘリヤルの兵士たちが続々とバナヘイムの領土に攻め込んでくる。



 そこを逆走する一匹の馬。乗るのは、ベックメッサ―とネフィリム。

 2人が大陸橋を走る。


 バナヘイム側に位置する太い橋脚を越えた瞬間、橋桁が落ちた。
 バナヘイムとエインヘリヤルを繋ぐ唯一の橋の半分が、黒の渓谷に吸い込まれていく。



「……なに?」



 戦いは継続している。
 一部の聖白騎士団は自国への道が閉ざされたことに呆然としていたが、その間にバナヘイムの騎馬隊に切り伏せられていた。



 シグルズは未だに現実を理解できていなかった。
 

「どういう……ことだ? 何が起きた?」



 肉眼ではかすかにしか見えないが、馬が橋の上で止まり、2人がこちらを向いているのが分かった。

 表情は見えない。
 だがネフィリムは、シグルズのほうを見ていた。

 表情は見えない。
 見えないはずなのに、


 ネフィリムが泣いているのだと、シグルズにははっきり分かった。






「ごめんなさい」






 言葉を吐き出そうとするがうまくいかない。

 そのとき、突然グラムがシグルズの意思とは関係なく走り出した。

「シグルズ様! 後ろです!!」

 ミッターヴュルツァー少将の悲鳴にも似た叫び声。



 それに気づいて視線を向けるのと同時に、シグルズの左肩が黒い変異体の牙に貫かれた。

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