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第四部 第三章 民意が悲劇を生むまで

88話 大人気ない喧嘩②

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 トールの発言が皇帝の体を揺らした。
 皇帝の槍が再び持ち上げられた。

 振り下ろされようとする皇帝の槍。


「ゲオルグ、そのくらいでやめておけ。後悔するぞ」


 いつの間にかゲオルグに近づいていたバルトが、袋の上からグングニルの柄を掴む。黄色の目がこちらを向く。
 態度には現れないが、ゲオルグは冷静なようでいて冷静ではない。
 まるで手負いの獅子だ。

「俺に指図するのか、バルト」
「偉そうな口を聞きおって。ここはバナヘイムだ。私が指示すれば独裁権を発動してお前を殺すこともできる。――それ以前に私の部屋で殺し合いをするな。気分が悪い」


 ゲオルグはバルトから視線を逸らした。槍をトールから離す。
 タンホイザーとベヌウがトールに肩を貸して起き上がらせた。



「……バルト先生、タンホイザー元帥。お騒がせして申し訳ない」

 トールは床と平行になるまで上半身を曲げ、深くお辞儀をした。

「頭に血が昇っていたようだ。このクソ眼鏡が大切なを害したもので」
「害したのではない。保護したんだ。そんなことも理解できんのか」

 ゲオルグとトールの間に再び緊張感が漂う。バルトは「ガキの喧嘩はよそでやれ!」と本日何度目か分からないキレを見せた。
 目の前で殺し合いを見せられて呆れ顔だったタンホイザーが口を開く。

「しかしなトール。真面目な話、お前もネフィリムもあまり外に出ないほうがいい。エインヘリヤルだけでなく、今回の件でニーベルンゲンを良く思わない人間も出てきている」
「……そうだろうな」
「お前たちが要塞に到着した途端、タイミング良くエインヘリヤルが急襲してきたということは軍内にもスパイがいる可能性が高い。当分の間警戒を怠るなよ」

 トールは頷いた後で、姿勢を正した。

「ネフィリムを守ってくれたタンホイザー元帥にも、父が生まれたバナヘイムという国にも恩がある。議会で証言の必要があれば遠慮なく声をかけていただきたい。……今日はそれを伝えにきた」

 トールは一瞬ゲオルグに視線を投げたが、特に何も言わなかった。
 マントを羽織り直すと、巨漢に「行くぞ」と声をかけて出て行った。





「お前もそろそろ自分の国に帰ったらどうだ、皇帝陛下」

 バルトが嫌味を込めてそう言うと、ゲオルグは「そうしたいが」と言ったきり黙った。

「なんだ。まだバナヘイムで暴れる気か? お前もそのうち暗殺されるぞ」
「それは別に構わない。動乱から10年近く経った。もう殺されても構わないと思ったから俺は今ここにいる」

 バルトは特に同情もしなかった。
 独裁者は常に暗殺の危険性と隣り合わせだ。それに、この男がそこまでいうということは本当に「殺されても問題ない」状態に帝国が至りつつあるのだろう。

 それはバルトも同じだ。
 いつか自分も殺されるのではないかと思っている。
 まつりごとに関与するとはそういうことだ。


「……俺にもうまく言えないが、とても嫌な予感がする」


 ゲオルグにしては曖昧な発言を残して彼も去っていった。



 バルトが残った黒麦酒ビールに口をつけたときに若い護民官が数人、バルトの部屋に入ってきた。
 それはエインヘリヤルへ向かう使者が決まったとの報をもたらした。

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