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第二部 第二章 首都での戦いまで
42話 エッダ②
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ヴィテゲは主の不機嫌さを感じ取りつつも、言葉を続けた。
「先ほどベヌウ殿と話していたのですが、スリュムというのは北の大国エインヘリヤルの神官の息子だそうです」
「ふうん」
「ベヌウ殿も彼の思想や素性を詳しく知らないとの前提ですが、スリュムが目指す国というのは、エインヘリヤルの理想郷のようなものではないか、と」
「理想郷? ……神通力とか神とか、神話めいてきたな」
シグルズは笑って吐き捨てる。
そんなものがあるならもっと人間を助けてもらいたいものだな、と思う。
「私もそう思います。……ですが聞いてください。エインヘリヤルが目指した国というのが死者が存在しない国、そして死者を復活させる力を持つ者が戦乙女――なのだそうです」
「――………なんなんだ、それは」
突拍子がなさ過ぎて、さすがにシグルズも何と言っていいか戸惑った。
「エインヘリヤルというのは宗教の国だろう。そういう言い伝えを信じているだけではないのか」
「そうだとしても、その言い伝えや信仰の力で現に国が作られているのです」
それはヴィテゲの言う通りだった。
金や軍事力と同等に、あるいはそれ以上の力で現実を動かすことがある。
それが宗教や信仰というものだ。
『何度殺しても立ち上がる。まさに死者の軍団じゃないか、ニーベルンゲンの兵士どもは』
かつてニーベルンゲンに殺された同じ部隊の帝国兵が言っていたことをふいに思い出した。
「ネフィル様を、エッダに向かわせることは危険ではありませんか」
シグルズは深く目をつぶり、銀の髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「――…くそっ」
ヴィテゲの提言は的を射ている。だからこそ、すべてが空回りしている気がした。
◇
帝国ほどではないが、ニーベルンゲンの街道も馬で移動するには申し分ないくらいに整備されていた。小さい森のほか、川や湖が点在しているために馬に飲ませる水にも困ることはない。
ニーベルンゲンの天候は曇りが多く、次いで雨、晴れの順。また霧が出ていることも頻繁にあった。
空は暗いが、大地を構成する土や岩が灰を含んでいて白く、全体的に明るい。そのふたつの天地が混ざって不思議な雰囲気を醸し出している。
街道では旅人や商人とすれ違うが、帝国と違って挨拶はしない。みな人種や言語が違うのだ。それに、ここは別の国から避難したり逃亡の末に受け入れられたりした人々が暮らす国でもある。
他国から貿易や所用で訪れた旅人たち以外は、どちらかというとすれ違う際にもこちらを警戒している気配を感じた。
重量馬は体が大きく、軽量馬と異なり体重も大きいので「パッカパッカ」とのんびりした蹄の音を響かせる。
馬が好きなネフィリムとシグルズは重量馬を撫でては嬉しそうな表情を見せた。
重量馬は見た目よりはスピードも早く、アジトを出発して2日目には2つめの村に到着した。
「なんというか……予想以上にのどかな旅路だな」
シグルズが呟く。道中の敵襲は皆無だった。
スリュムはもしかしたら、ネフィリムやシグルズたちを妨害するつもりはないのかもしれない。
逆にエッダへの到着を手ぐすね引いて待っている可能性もある。
悩ましい問題だが、敵の真意が分からない以上は進むしかない。
「ベヌウ、今日はここで宿を取るか? ――……ベヌウ?」
ネフィリムが巨体に声をかけたが、返事がない。
見ればベヌウは村の北側、エッダの方角を凝視していた。
「これは……」
「どうした」
ベヌウの様子に尋常ではない何かを感じ取ったネフィリム。ヴィテゲも近づいてくる。
「わずかですが――……馬蹄の音が聞こえます」
ヴィテゲの言葉にベヌウは静かに頷いた。
「私にもはっきりと聞こえます。首都エッダを囲む騎馬隊のどよめき。……間違いない、これはカドモスの軍馬の音です」
「カドモスが、エッダを包囲しているというのか!?」
ネフィリムが戸惑いの声を上げる。シグルズはネフィルの肩に手を置いた。
「そんな……兄上は……?」
「ネフィル、カドモスが来たからといって処刑が実行されたと決まったわけじゃない。まずは目の前の課題に対処すべきだ。――ベヌウ、敵軍の数は分かるか」
ベヌウは目を閉じて耳をそばだてた。
「おおよそですが、1万程度かと」
1万の軍がエッダを包囲しているという事実はそれなりに衝撃的だった。
ネフィリムもヴィテゲも黙る中、シグルズは顎に手を当ててしばし考えていた。
「ここで休むのは中止だ。できるだけ早くエッダに近づき、カドモスの軍勢を肉眼で確認したい。その後でレジスタンスのアジトに行き作戦を立てるのが懸命だろう」
「私もシグルズ様の案に賛成します。カドモスに悟られないよう、できるだけ森の中を移動しましょう」
「ああ。君は耳がいいから聞くだけで分かるのかもしれないが、俺はこの目で見ないと軍の勢力も得物も、勝率でさえどれほどあるのか分からない。まずは近づくことだ」
とはいえシグルズも苦い思いまでは抑えきれなかった。
こちらの予想よりもカドモスの軍のほうが早かったのだ。
カドモスの軍を相手にするとなれば、トールの救出どころの話ではなくなるかもしれない。
そして、
シグルズたちは森の中からその全貌を見ることになる。
円形の城壁に囲まれた信仰国家ニーベルンゲンの都、エッダ。
荘厳な都の手前、城壁を背に沿うかたちにして中央の出入口から左右に広がり、扇形に展開する軍隊。
約1万の軍勢を誇るカドモスの軍隊が、エッダの入口を封じていた。
「先ほどベヌウ殿と話していたのですが、スリュムというのは北の大国エインヘリヤルの神官の息子だそうです」
「ふうん」
「ベヌウ殿も彼の思想や素性を詳しく知らないとの前提ですが、スリュムが目指す国というのは、エインヘリヤルの理想郷のようなものではないか、と」
「理想郷? ……神通力とか神とか、神話めいてきたな」
シグルズは笑って吐き捨てる。
そんなものがあるならもっと人間を助けてもらいたいものだな、と思う。
「私もそう思います。……ですが聞いてください。エインヘリヤルが目指した国というのが死者が存在しない国、そして死者を復活させる力を持つ者が戦乙女――なのだそうです」
「――………なんなんだ、それは」
突拍子がなさ過ぎて、さすがにシグルズも何と言っていいか戸惑った。
「エインヘリヤルというのは宗教の国だろう。そういう言い伝えを信じているだけではないのか」
「そうだとしても、その言い伝えや信仰の力で現に国が作られているのです」
それはヴィテゲの言う通りだった。
金や軍事力と同等に、あるいはそれ以上の力で現実を動かすことがある。
それが宗教や信仰というものだ。
『何度殺しても立ち上がる。まさに死者の軍団じゃないか、ニーベルンゲンの兵士どもは』
かつてニーベルンゲンに殺された同じ部隊の帝国兵が言っていたことをふいに思い出した。
「ネフィル様を、エッダに向かわせることは危険ではありませんか」
シグルズは深く目をつぶり、銀の髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「――…くそっ」
ヴィテゲの提言は的を射ている。だからこそ、すべてが空回りしている気がした。
◇
帝国ほどではないが、ニーベルンゲンの街道も馬で移動するには申し分ないくらいに整備されていた。小さい森のほか、川や湖が点在しているために馬に飲ませる水にも困ることはない。
ニーベルンゲンの天候は曇りが多く、次いで雨、晴れの順。また霧が出ていることも頻繁にあった。
空は暗いが、大地を構成する土や岩が灰を含んでいて白く、全体的に明るい。そのふたつの天地が混ざって不思議な雰囲気を醸し出している。
街道では旅人や商人とすれ違うが、帝国と違って挨拶はしない。みな人種や言語が違うのだ。それに、ここは別の国から避難したり逃亡の末に受け入れられたりした人々が暮らす国でもある。
他国から貿易や所用で訪れた旅人たち以外は、どちらかというとすれ違う際にもこちらを警戒している気配を感じた。
重量馬は体が大きく、軽量馬と異なり体重も大きいので「パッカパッカ」とのんびりした蹄の音を響かせる。
馬が好きなネフィリムとシグルズは重量馬を撫でては嬉しそうな表情を見せた。
重量馬は見た目よりはスピードも早く、アジトを出発して2日目には2つめの村に到着した。
「なんというか……予想以上にのどかな旅路だな」
シグルズが呟く。道中の敵襲は皆無だった。
スリュムはもしかしたら、ネフィリムやシグルズたちを妨害するつもりはないのかもしれない。
逆にエッダへの到着を手ぐすね引いて待っている可能性もある。
悩ましい問題だが、敵の真意が分からない以上は進むしかない。
「ベヌウ、今日はここで宿を取るか? ――……ベヌウ?」
ネフィリムが巨体に声をかけたが、返事がない。
見ればベヌウは村の北側、エッダの方角を凝視していた。
「これは……」
「どうした」
ベヌウの様子に尋常ではない何かを感じ取ったネフィリム。ヴィテゲも近づいてくる。
「わずかですが――……馬蹄の音が聞こえます」
ヴィテゲの言葉にベヌウは静かに頷いた。
「私にもはっきりと聞こえます。首都エッダを囲む騎馬隊のどよめき。……間違いない、これはカドモスの軍馬の音です」
「カドモスが、エッダを包囲しているというのか!?」
ネフィリムが戸惑いの声を上げる。シグルズはネフィルの肩に手を置いた。
「そんな……兄上は……?」
「ネフィル、カドモスが来たからといって処刑が実行されたと決まったわけじゃない。まずは目の前の課題に対処すべきだ。――ベヌウ、敵軍の数は分かるか」
ベヌウは目を閉じて耳をそばだてた。
「おおよそですが、1万程度かと」
1万の軍がエッダを包囲しているという事実はそれなりに衝撃的だった。
ネフィリムもヴィテゲも黙る中、シグルズは顎に手を当ててしばし考えていた。
「ここで休むのは中止だ。できるだけ早くエッダに近づき、カドモスの軍勢を肉眼で確認したい。その後でレジスタンスのアジトに行き作戦を立てるのが懸命だろう」
「私もシグルズ様の案に賛成します。カドモスに悟られないよう、できるだけ森の中を移動しましょう」
「ああ。君は耳がいいから聞くだけで分かるのかもしれないが、俺はこの目で見ないと軍の勢力も得物も、勝率でさえどれほどあるのか分からない。まずは近づくことだ」
とはいえシグルズも苦い思いまでは抑えきれなかった。
こちらの予想よりもカドモスの軍のほうが早かったのだ。
カドモスの軍を相手にするとなれば、トールの救出どころの話ではなくなるかもしれない。
そして、
シグルズたちは森の中からその全貌を見ることになる。
円形の城壁に囲まれた信仰国家ニーベルンゲンの都、エッダ。
荘厳な都の手前、城壁を背に沿うかたちにして中央の出入口から左右に広がり、扇形に展開する軍隊。
約1万の軍勢を誇るカドモスの軍隊が、エッダの入口を封じていた。
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