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第二部 第一章 ニーベルンゲンへの旅路
40話 信仰国家ニーベルンゲン②
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一言で言えば、巨大な盆地。
全ての国境が山脈で囲まれている天然の要塞。
盆地の下に、森や街、畑が広がっている。帝国と違って石灰の多い石が地盤の多くを構築しているようで、全体的に白く明るい土壌が広がる。
切り立った山脈の合間からは滝が流れ出ており、それが盆地の中に複数の湖や川を作り出していた。
白と水でできた箱庭のような国。
それが「信仰国家ニーベルンゲン」に抱いたシグルズの印象だった。
「あの北側に見える古い街並みが、首都のエッダだ」
ネフィリムが横に立って説明する。
「代々の戦乙女が住む大会堂がある私の故郷であり、……兄がいる場所だ」
シグルズはネフィリムの肩に手を置く。
「大丈夫だ。必ず戻れるし、君の兄上も助けることができる。そのためにここまで来たんだろう?」
「ああ……そうだな…」
笑顔で答えるネフィリムだが、その表情は明るいとは言い難いものだった。
「シグルズ様、ネフィリム様。ここは目立ちます。森の中にスリュムの手先がいた場合、狙われる可能性も否定できません。こちらへ」
ベヌウは山道を降りると正面の街道には出ず、草木の生い茂るほうへと進む。
敵の気配に警戒しながら胸元まで伸びる緑の中をかき分けて進むと、煉瓦で作られた薪の貯蔵庫があった。人が一人入るのも難しいほど小さい貯蔵庫だ。
ベヌウはその貯蔵庫の鍵を開け、中に詰まっている薪を出し、床の扉を外した。
「この地下がレジスタンスのアジトに繋がっています」
◇
長い梯子を降りる。
まだ続くかと思ったところで視界が開けた。
何本もの松明が壁にかけられ、その空間を照らしていた。
誰もいない部屋だったが、おそらく戦いに用いたのであろう弓矢やボウガン、槍などが無造作に部屋の隅に積んである。
その一部は血で汚れていた。
「こちらへ」
ベヌウが先導する。
部屋の奥にある頑丈なドアの前に立つ。
ドンドンと大きく2回、ドアを叩いた後でベヌウは叫んだ。
「ベヌウ・バーだ! 今戻った!戦乙女を連れている!!」
それまで静かだった扉の奥がざわめく。
ざわめきは徐々に喧騒に変わっていく。
ドアが開けられるとまずは子どもが5人ほど出てきた。
男女が入り混じる。皆汚れたチュニックを着ていた。ベヌウを通り越し、ネフィリムに抱きつく。
「神子!」
「戦乙女だ!」
「わああ、ネフィリム様ぁ!」
ネフィリムは慈愛に満ちた瞳を子どもたち一人一人に向ける。
年齢のもっとも小さな子どもの頭に手を乗せ、「待たせたな、ただいま」と言った。
さらに、狭い扉の奥から我先にとニーベルンゲンの民が次々に出てきた。
老若男女問わずネフィリムを囲み、名前を呼ぶ者、涙を流す者、その場に跪く者―――……それぞれが各々の行動で再び現神と見えたことを歓迎していた。
「ニーベルンゲンに戦乙女がいる限り、この地は不滅です」
「戦乙女、我らに勝利をもたらすもの……よくぞお戻りになられた」
「戦乙女よ、どうかニーベルンゲンを、我らを導いてください」
「あなたの力で悪魔に魂を売ったスリュムたちに制裁を―――……」
ネフィリムを中心に人間の円ができていた。それは、信仰の円。
この国が信仰国家と呼ばれる所以であり、戦乙女が国家の拠り所となっている証でもある。
シグルズはその話をネフィリムから何度も聞いていたが、やはり実際に目にすると鬼気迫るものがある。
それは戦場で何度倒れても立ち向かってくるニーベルンゲン兵を相手にしたときと同じ心境だった。
この国ではネフィリムは、本当の意味で「神」なのだ。
シグルズもヴィテゲも、ただ黙ってこの光景を見つめている。
ネフィリムは特段表情を変えてはいなかったが、普段の彼とは違う人物のようにも感じた。
「皆、ニーベルンゲンを離れてすまなかった」
ハッとする。
この声。全く一緒だった。
シグルズが初めてネフィリムと出会ったあのときの声と――。
男にしては高く、女にしては低く。感情のこもらない無機質な声。
「私は帰ってきた。エッダに向かい、スリュムを撃つ。だから安心してくれ」
「ああ、戦乙女――……」
「我らニーベルンゲンの民は、戦乙女とともに」
今のネフィリムはまぎれもなく、ニーベルンゲンを導く現神の姿をしている。
ただそれは、先ほどまでサニーベリーのジュースに喜んでいた人間と同一人物とは思えない。
性的なことが苦手だったり、実は案外寂しがり屋だったり。最近シグルズに向けて感情を表現するようになってきたネフィリムとは対極のネフィリムだ。
「……若、」
ヴィテゲに声をかけられ、自分が長い間考え込んでいたことに気付かされた。
「ん?」
「だいぶ怖い顔をしてますよ」
「………そうか?」
ヴィテゲは苦笑するだけでそれ以上は何も言わなかった。
きっとその理由をなんとなく察しているのだろう。
シグルズは再び、ニーベルンゲンの民に囲まれるネフィリムを見つめていた。
全ての国境が山脈で囲まれている天然の要塞。
盆地の下に、森や街、畑が広がっている。帝国と違って石灰の多い石が地盤の多くを構築しているようで、全体的に白く明るい土壌が広がる。
切り立った山脈の合間からは滝が流れ出ており、それが盆地の中に複数の湖や川を作り出していた。
白と水でできた箱庭のような国。
それが「信仰国家ニーベルンゲン」に抱いたシグルズの印象だった。
「あの北側に見える古い街並みが、首都のエッダだ」
ネフィリムが横に立って説明する。
「代々の戦乙女が住む大会堂がある私の故郷であり、……兄がいる場所だ」
シグルズはネフィリムの肩に手を置く。
「大丈夫だ。必ず戻れるし、君の兄上も助けることができる。そのためにここまで来たんだろう?」
「ああ……そうだな…」
笑顔で答えるネフィリムだが、その表情は明るいとは言い難いものだった。
「シグルズ様、ネフィリム様。ここは目立ちます。森の中にスリュムの手先がいた場合、狙われる可能性も否定できません。こちらへ」
ベヌウは山道を降りると正面の街道には出ず、草木の生い茂るほうへと進む。
敵の気配に警戒しながら胸元まで伸びる緑の中をかき分けて進むと、煉瓦で作られた薪の貯蔵庫があった。人が一人入るのも難しいほど小さい貯蔵庫だ。
ベヌウはその貯蔵庫の鍵を開け、中に詰まっている薪を出し、床の扉を外した。
「この地下がレジスタンスのアジトに繋がっています」
◇
長い梯子を降りる。
まだ続くかと思ったところで視界が開けた。
何本もの松明が壁にかけられ、その空間を照らしていた。
誰もいない部屋だったが、おそらく戦いに用いたのであろう弓矢やボウガン、槍などが無造作に部屋の隅に積んである。
その一部は血で汚れていた。
「こちらへ」
ベヌウが先導する。
部屋の奥にある頑丈なドアの前に立つ。
ドンドンと大きく2回、ドアを叩いた後でベヌウは叫んだ。
「ベヌウ・バーだ! 今戻った!戦乙女を連れている!!」
それまで静かだった扉の奥がざわめく。
ざわめきは徐々に喧騒に変わっていく。
ドアが開けられるとまずは子どもが5人ほど出てきた。
男女が入り混じる。皆汚れたチュニックを着ていた。ベヌウを通り越し、ネフィリムに抱きつく。
「神子!」
「戦乙女だ!」
「わああ、ネフィリム様ぁ!」
ネフィリムは慈愛に満ちた瞳を子どもたち一人一人に向ける。
年齢のもっとも小さな子どもの頭に手を乗せ、「待たせたな、ただいま」と言った。
さらに、狭い扉の奥から我先にとニーベルンゲンの民が次々に出てきた。
老若男女問わずネフィリムを囲み、名前を呼ぶ者、涙を流す者、その場に跪く者―――……それぞれが各々の行動で再び現神と見えたことを歓迎していた。
「ニーベルンゲンに戦乙女がいる限り、この地は不滅です」
「戦乙女、我らに勝利をもたらすもの……よくぞお戻りになられた」
「戦乙女よ、どうかニーベルンゲンを、我らを導いてください」
「あなたの力で悪魔に魂を売ったスリュムたちに制裁を―――……」
ネフィリムを中心に人間の円ができていた。それは、信仰の円。
この国が信仰国家と呼ばれる所以であり、戦乙女が国家の拠り所となっている証でもある。
シグルズはその話をネフィリムから何度も聞いていたが、やはり実際に目にすると鬼気迫るものがある。
それは戦場で何度倒れても立ち向かってくるニーベルンゲン兵を相手にしたときと同じ心境だった。
この国ではネフィリムは、本当の意味で「神」なのだ。
シグルズもヴィテゲも、ただ黙ってこの光景を見つめている。
ネフィリムは特段表情を変えてはいなかったが、普段の彼とは違う人物のようにも感じた。
「皆、ニーベルンゲンを離れてすまなかった」
ハッとする。
この声。全く一緒だった。
シグルズが初めてネフィリムと出会ったあのときの声と――。
男にしては高く、女にしては低く。感情のこもらない無機質な声。
「私は帰ってきた。エッダに向かい、スリュムを撃つ。だから安心してくれ」
「ああ、戦乙女――……」
「我らニーベルンゲンの民は、戦乙女とともに」
今のネフィリムはまぎれもなく、ニーベルンゲンを導く現神の姿をしている。
ただそれは、先ほどまでサニーベリーのジュースに喜んでいた人間と同一人物とは思えない。
性的なことが苦手だったり、実は案外寂しがり屋だったり。最近シグルズに向けて感情を表現するようになってきたネフィリムとは対極のネフィリムだ。
「……若、」
ヴィテゲに声をかけられ、自分が長い間考え込んでいたことに気付かされた。
「ん?」
「だいぶ怖い顔をしてますよ」
「………そうか?」
ヴィテゲは苦笑するだけでそれ以上は何も言わなかった。
きっとその理由をなんとなく察しているのだろう。
シグルズは再び、ニーベルンゲンの民に囲まれるネフィリムを見つめていた。
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