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第一部 第三章 テルラムント領脱出まで

17話 火と過去、二人で②

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「先ほどの話の続きだが―――…」

 いつもとは違った低いトーンで語り始めるシグルズに、ネフィリムはわずかな違和感を覚えた。

「さきほどの?」
「ああ。―――俺はヴェルスング家の嫡子ではないんだ。子どもの頃、養子に迎えられた」
「そうなのか」

 身分や血筋を価値の中心に置く帝国貴族にとって、『養子』というのはあまり歓迎されない関係性だ。
 だがそのあたりの機微はネフィリムには分からない。
 あっさりとした彼の反応をシグルズは興味深く眺めていた。

「……俺はもともと祖父の傍流にいた家系の人間だ。金がなく俺を育てることが難しかった両親がヴェルスング家の騎士団員候補として出仕に出したんだ」

「シグルズはもともとは平民だったんだな」

「ああ。とはいえ子どもの頃からヴェルスング家で育ったから、あの家が俺の生家であることには変わりはない。―――あるとき、俺が仕えていた当時のヴェルスング家の嫡男が事故で亡くなり、俺が急遽養子に選ばれたんだ。当主になって日も浅かったから、俺は皇宮には一年しか出仕していない」

「事故……? 先代は戦争や戦いではなく、事故で亡くなったのか?」

 シグルズは遠くを見ていた。その横顔から感情は読み取れない。

「ネフィルは15年前、堕ちた森ギヌ・ガ・カップに異変が起きたのを知っているか」
堕ちた森ギヌ・ガ・カップに? いや、知らないが……」
「そうか…。君はまだ幼かっただろうしな。とにかく、そのときに事故が起きたんだ」

 堕ちた森ギヌ・ガ・カップは大陸の真ん中に位置している未開の地だ。8つの国が堕ちた森ギヌ・ガ・カップをぐるりと囲む形で存在している。

 未だ領土争いが起きるこの大陸で堕ちた森ギヌ・ガ・カップだけがその対象とならないのは、農作物すら育たず、人が呼吸をするのも覚束おぼつかない荒廃こうはいの地だからだ。

 だが、時折―――数年に一度くらいの頻度で――、この海よりも深い大穴の下の大地から見たこともない生き物が現れたり不可思議な強風が吹いたりすることがあった。


 シグルズは視線をネフィリムに戻す。

「それが今や俺が『白銀の騎士』としてもてはやされる始末だ。まあ……、それでなければネフィルと出会うこともなかったから僥倖ぎょうこうではあるがね」

 はは、と軽いノリで笑う騎士の横で再び顔を赤らめるネフィリム。マントの中で顔を伏せてしまえば照れている様子も見られることはないので、それだけが唯一の救いだった。

「な、なぜシグルズはそう言うことを言うんだ……!」
「そういう、とは」
「だから…! その、口説くようなことをだ……!」

 口説く。
 繰り返して帝国の英雄ははて、と首をかしげる。

「悪いことか?」
「悪いだろう! 破廉恥はれんちだ!!」

 破廉恥はれんち
 ネフィリムに言われた言葉をシグルズは再び繰り返した。
 破廉恥ね。笑いながら口の中で吟味している。

「そ、それにだな、私にはまだファフニルに使われた薬の後遺症こういしょうがある…! また…先日のようなことになったらどうするんだ」

 シグルズはネフィリムの発言を聞いて「え?」と呟いてから、

「気にしていたのか。そんなのまた処理すればいいじゃないか」

 と軽やかに返した。

「んなー!?」

「君は本当に面白いな。“儀式”は良くて性交渉はダメなのか? 食事や睡眠は当然のこととして受け取るのに、性的なことだけ特別視するのはよく分からない。俺も君も、両親の交わりがなければ生まれてくることはなかったのに」

「ちょっと待て! それとこれとは……」

「人が他人と体を交えるのは当然のことだ。さびしさを紛らわすためでも気持ち良さを追及するためでも、愛を表現するためでもなんでもいい。性行為だけを特別視する必要はないだろう」

 ネフィリムはマントの中でさらに丸くなった。

 確かに“儀式”と性交渉は内容的には同じだ。だが儀式は神聖なものだ。戦乙女ヴァルキリーとして行うべきこととして受け入れてきた。だが性交渉は……。

 裸になってあんなことをするのはそんなに日常茶飯事なのか!?

 丸く固まっているネフィリムに向かって――対外的には自分のマントに話しかけている不思議な光景だが――、シグルズは快活に言った。

「ネフィル。あんまり難しく考えないほうがいい。どうせ人は死ぬ。だったら楽しいこと、気持ちよいことを多く経験してから死んだほうが得だろう? 俺はそう思うがね」


 それを聞いて、ネフィリムはばっとマントから顔を出した。

 月明りに照らされた銀髪の騎士。整った顔に光る灰色の目。
 わずかに諦観ていかんを帯びた笑みをたたえてネフィリムを見守っている。


 ああ、この男もそうだ。
 私と同じ。
 享楽的きょうらくてきな生き方をしているどうしようもない男かと思ったのだがそうではない。


 きっと、辛くて苦しい闇を抱えながら、誰かを守るために必死に生きている。

 さきほどの話を思い出す。


『急遽当主になったから、俺は皇宮には一年しか出仕していない』


 そのときの彼の表情は普段と同じものだっただろうか。

 もしかしたら彼も、
 その「英雄」の重さに潰されそうになって、独りで泣いたことがあるのかもしれない。


 そう思うと、ネフィリムは胸が苦しくて仕方がなかった。


「……シグルズ」
「なんだ」
「そちらももっと私に近づいてもいいんだぞ」
「ん?」

 首を傾げるシグルズ。ネフィリムは座り直すとともに距離を縮めた。
 二人はさらにくっついた。

「おい」
「私も温かいが、こうすればあなたも温かいだろう?」
「…………」
「―――少し疲れた。仮眠を取らせて、もらう……」
「………ああ、」

 おやすみ、ネフィル。

 戦乙女ヴァルキリーの寝息を聞きながら、シグルズは一夜中闇の先に気を張っていた。

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