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第一部 第二章 戦乙女を救い出すまで
08話 儀式①
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ネフィリム視点です。
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またあの日の夢を見ていた。頭が痛い。
まだぼんやりとしたネフィリムがベッドに体を横たえたまま目を開ける。窓の外に広がる一面の白と、叩きつける風の音が目と耳を同時に覚醒させた。
「吹雪か……」
暦の上ではもう春が近いというにも関わらず、この地域では毎日のように森の木々やレンガ造りの城砦に吹雪が襲い掛かっている。
ミドガルズ大帝国北東部、テルラムント辺境伯領地。
険しい山と森に囲まれた北の領地では積雪も吹雪も珍しいことではないとネフィリムに教えたのは、金髪碧眼の若き領主だった。
その領主は冷たい目でネフィリムを見下ろし、こう付け加えた。
「ここは自然の要塞。皇帝の目も滅多に届かない。逃げ出すことは実質不可能だと弁えておくといい、“お姫様”」
とはいえ今のネフィリムには逃げ出す術もなく、なによりここから脱しようという体力も気力もなかった。
帝国との戦争中、突如ニーベルンゲン王家を襲った内乱の知らせ。
いや、兆しはあった。王家側もその動きは察知していた。
だが相手が一枚上手だった。
ヴェルスングの森での戦いの後、ニーベルンゲンは帝国と和平を結ぶつもりだった。
全ての手続きが整いかけていたまさにそのとき、反乱勢力に動かれたのだ。
近衛兵が身を挺して逃がしてくれたもののもはや行く当てもなく、ニーベルンゲン領内に滞在しているほうが危険と判断して帝国領に逃げ込んだ。
長かった髪を切り、服を着替えた。男の姿に戻ったことで「戦乙女」だと認識される可能性は著しく低くなった。
逃げる途中で母と、そして兄ともはぐれた。正確に言えば母は二人を逃がすために囮になった。
近づいてくる反乱軍に身一つで向かっていった。母は先代の戦乙女であり、そのカリスマ性は子どもの自分から見ても強大だったが、ネフィリムを生んだ後は長く病に伏せっていた。
あの光景を見て、まだ母が生きていると信じることはさすがにできない。
それにしても、なんとタイミングの良い内乱だろうか。
当時の状況から考えて、ニーベルンゲン国内の反乱分子だけであのスピードと突破力を実現できたとは思えない。これは国内の勢力だけでなく、ニーベルンゲンの領土を狙う別の国が援助をしている線が濃厚だろう。
しかし、非力な身ひとつでは何もできない。外交は宰相である兄に任せきりだった。助けを求めるにしてもどこに行けばいいのか———。
唯一、頭に浮かぶ人物がいた。
『お前のようなお飾りの人形が戦場に立つ資格はないと言っているんだ』
怒気のこもった灰色の瞳でこちらを射貫いてきた銀髪の騎士。
敵陣にたった一騎で乗り込んできて、血まみれになりながらも圧倒的な威圧感を放っていた。
あの灰色の目がどうしても忘れられなかった。
なぜその者なのかはネフィリムにも分からない。“儀式”の最中に乱入されて、軽蔑の眼差しを向けられたにも関わらず、彼ならばもしかしたら……と思う自分がいる。
名前は名乗らなかったが、銀髪の騎士と言えばニーベルンゲンでもある程度名は知られていた。帝国名門の騎士の家系であるヴェルスング男爵家。
「ヴェル……スング…」
母や兄とはぐれた後、ヴェルスングの地にたどり着ける可能性にかけたネフィリムは、残った体力をふり絞りながら進み始めた。
月や星の位置から方角を割り出し、獣がいそうな森を極力避ける。おそらくまだニーベルンゲンの領内なので人間への警戒も怠らない。
そうやって数日間ゆっくりと移動を繰り返していたが、もともとの乏しい体力と夜間の冷えが原因で限界が近づいてきた。
「くそ……」
貧弱な自分の体を呪う。
こういうときに、兄と訓練を続けていればよかったと後悔しても遅い。
自分は体を動かすことよりも書庫の本の中に収められた叡智を頭に叩き込むことを優先したのだ。
いつの間にか木陰で倒れていたネフィリムが意識を取り戻したのは、頭上から男たちの声が聞こえてきたときだった。
「―――間違いないか」
「はい、確かに黒い髪の人間です。ただし、男のようですが……」
帝国語が聞こえる。
ここは帝国領なのだ。
わずかに残った力で顔を上げると、馬に乗った金髪碧眼の男が見えた。
「ようやく見つけた。戦乙女」
整った顔が嬉しそうな笑顔を向ける。男の甲冑にはミドガルズ大帝国の刻印が刻まれていた。
「……!」
金髪の男はネフィリムのことを戦乙女と言った。
素性を知っているのだ。
「私はテルラムント辺境伯長男、ファフニルと申します。戦場に立つニーベルンゲンの姫君、あなたを迎えにきました」
「……目的は、何だ?」
下手に出られているからと言ってネフィリムは警戒心を緩めなかった。
「ですからあなたを迎えに来たと言っているんです。あなたを真の戦乙女にする手伝いをさせていただきたく」
ネフィリムは目を見開く。一瞬で顔色を失った。
それは、
「あなたがこの世に遣わされた現神であることはカドモスの連中から聞いております。“儀式”を通して完全な戦乙女になることも、ね。まずは私の屋敷に行きましょう」
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またあの日の夢を見ていた。頭が痛い。
まだぼんやりとしたネフィリムがベッドに体を横たえたまま目を開ける。窓の外に広がる一面の白と、叩きつける風の音が目と耳を同時に覚醒させた。
「吹雪か……」
暦の上ではもう春が近いというにも関わらず、この地域では毎日のように森の木々やレンガ造りの城砦に吹雪が襲い掛かっている。
ミドガルズ大帝国北東部、テルラムント辺境伯領地。
険しい山と森に囲まれた北の領地では積雪も吹雪も珍しいことではないとネフィリムに教えたのは、金髪碧眼の若き領主だった。
その領主は冷たい目でネフィリムを見下ろし、こう付け加えた。
「ここは自然の要塞。皇帝の目も滅多に届かない。逃げ出すことは実質不可能だと弁えておくといい、“お姫様”」
とはいえ今のネフィリムには逃げ出す術もなく、なによりここから脱しようという体力も気力もなかった。
帝国との戦争中、突如ニーベルンゲン王家を襲った内乱の知らせ。
いや、兆しはあった。王家側もその動きは察知していた。
だが相手が一枚上手だった。
ヴェルスングの森での戦いの後、ニーベルンゲンは帝国と和平を結ぶつもりだった。
全ての手続きが整いかけていたまさにそのとき、反乱勢力に動かれたのだ。
近衛兵が身を挺して逃がしてくれたもののもはや行く当てもなく、ニーベルンゲン領内に滞在しているほうが危険と判断して帝国領に逃げ込んだ。
長かった髪を切り、服を着替えた。男の姿に戻ったことで「戦乙女」だと認識される可能性は著しく低くなった。
逃げる途中で母と、そして兄ともはぐれた。正確に言えば母は二人を逃がすために囮になった。
近づいてくる反乱軍に身一つで向かっていった。母は先代の戦乙女であり、そのカリスマ性は子どもの自分から見ても強大だったが、ネフィリムを生んだ後は長く病に伏せっていた。
あの光景を見て、まだ母が生きていると信じることはさすがにできない。
それにしても、なんとタイミングの良い内乱だろうか。
当時の状況から考えて、ニーベルンゲン国内の反乱分子だけであのスピードと突破力を実現できたとは思えない。これは国内の勢力だけでなく、ニーベルンゲンの領土を狙う別の国が援助をしている線が濃厚だろう。
しかし、非力な身ひとつでは何もできない。外交は宰相である兄に任せきりだった。助けを求めるにしてもどこに行けばいいのか———。
唯一、頭に浮かぶ人物がいた。
『お前のようなお飾りの人形が戦場に立つ資格はないと言っているんだ』
怒気のこもった灰色の瞳でこちらを射貫いてきた銀髪の騎士。
敵陣にたった一騎で乗り込んできて、血まみれになりながらも圧倒的な威圧感を放っていた。
あの灰色の目がどうしても忘れられなかった。
なぜその者なのかはネフィリムにも分からない。“儀式”の最中に乱入されて、軽蔑の眼差しを向けられたにも関わらず、彼ならばもしかしたら……と思う自分がいる。
名前は名乗らなかったが、銀髪の騎士と言えばニーベルンゲンでもある程度名は知られていた。帝国名門の騎士の家系であるヴェルスング男爵家。
「ヴェル……スング…」
母や兄とはぐれた後、ヴェルスングの地にたどり着ける可能性にかけたネフィリムは、残った体力をふり絞りながら進み始めた。
月や星の位置から方角を割り出し、獣がいそうな森を極力避ける。おそらくまだニーベルンゲンの領内なので人間への警戒も怠らない。
そうやって数日間ゆっくりと移動を繰り返していたが、もともとの乏しい体力と夜間の冷えが原因で限界が近づいてきた。
「くそ……」
貧弱な自分の体を呪う。
こういうときに、兄と訓練を続けていればよかったと後悔しても遅い。
自分は体を動かすことよりも書庫の本の中に収められた叡智を頭に叩き込むことを優先したのだ。
いつの間にか木陰で倒れていたネフィリムが意識を取り戻したのは、頭上から男たちの声が聞こえてきたときだった。
「―――間違いないか」
「はい、確かに黒い髪の人間です。ただし、男のようですが……」
帝国語が聞こえる。
ここは帝国領なのだ。
わずかに残った力で顔を上げると、馬に乗った金髪碧眼の男が見えた。
「ようやく見つけた。戦乙女」
整った顔が嬉しそうな笑顔を向ける。男の甲冑にはミドガルズ大帝国の刻印が刻まれていた。
「……!」
金髪の男はネフィリムのことを戦乙女と言った。
素性を知っているのだ。
「私はテルラムント辺境伯長男、ファフニルと申します。戦場に立つニーベルンゲンの姫君、あなたを迎えにきました」
「……目的は、何だ?」
下手に出られているからと言ってネフィリムは警戒心を緩めなかった。
「ですからあなたを迎えに来たと言っているんです。あなたを真の戦乙女にする手伝いをさせていただきたく」
ネフィリムは目を見開く。一瞬で顔色を失った。
それは、
「あなたがこの世に遣わされた現神であることはカドモスの連中から聞いております。“儀式”を通して完全な戦乙女になることも、ね。まずは私の屋敷に行きましょう」
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